キスの理由
12
動揺する二人とは逆に、文太は何も言わず黙々とハチロクを積載車に積み込む。
動かなくなったハチロク。
自走する事が出来ず、ウインチで引っ張り上げられる様子に、拓海にクラッシュしたときの悲しみが甦る。
――自分のせいだ。
自責の念も甦り、縋るように傍らの涼介の腕にしがみ付く。
涼介はそんな拓海の強張る手のひらをゆっくりと撫でた。
「……お前のせいじゃない」
じわりと、涙が滲む目で涼介を見上げると、彼の方が痛みを感じているかのような表情をしていた。
「……でも…」
ぎゅ、と手を握り締められる。
「乗り続けている限りいつかエンジンブローは必ず起こる。それがいつ起こるかは…運だよ。たまたま藤原が乗っているときにそれが起こった。
ただそれだけの事だ」
でも…でも、と心の中で何度も問いかける。
もし、自分が今日バトルなんてしなかったら?
エンジンに負荷を与えるバトルなんて、しなかったならば、今日このエンジンは壊れる事は無かったのでは無いだろうか?
そう思った瞬間、バトルをさせまいと強引に拓海を止めようとした涼介を思い出す。
それは直感だった。
「……涼介さん…知ってたんですか?」
エンジンが危ないってこと。
全部を問わずとも、意味を察し涼介は目を伏せた。
「…ああ。お父さんから聞いていた。エンジンがもう限界に来ている事を」
拓海の手を握る力が強まる。
「………お前にそんな顔をさせたくなかった。悲しませたくなかったんだ…。お父さんはそれも経験だとおっしゃったが、俺は……」
じわりと、また新たな涙が浮かぶ。
ああ、そうか。
拓海は涼介の肩に額を押し当てる。
あんなにも必死に、強引に止めようとしたのは、自分のためだったからか。
「…涼介さん」
涼介のシャツに目元を押し付け、拓海は泣いた。
シャツにボロボロと溢れた涙がしみこみ、色を変えていく。
涼介は何も言わず、ただ拓海が泣き止むまでそのまま動かずにいた。
だが、ただ一言。
「…俺は…お前が大事だよ…」
そう、小さな声で彼は呟いた。
泣いて、落ち着くまでに、文太の煙草が二本消費された。
まだ涙が目元に滲むけれど、気持ちはだいぶ落ち着いた。
「帰るぞ」
文太が積載車の運転席に乗り込み、拓海に向かい当たり前のように声をかける。
拓海はまだ涼介と離れ難かったが、まさか父親の前で堂々と外泊宣言できるはずもなく、大人しく文太の元へ向かう。
繋いでいた手が離れ、温もりが薄れていく。
寂しさに、思わず振り向くと、彼もまた同じ表情で拓海を見つめていた。
けれど、引き止めはしない。
「……おやすみ。藤原」
少し硬い笑みを浮かべる。
拓海もまた、笑みを作った。
「…はい。涼介さんも、お休みなさい」
ハチロクを失った痛みは残る。
けれど、同じくらいに大切なものが手に入った。
助手席のドアを開き乗り込むと、文太が窓を開け、涼介に向かい「悪ぃな」と告げる。
「見逃してやってもいいんだが…こいつは生憎まだ未成年だ。俺のモラルとしちゃぁ…高校を卒業するまで、あんたに完全にくれてやるワケにはいかねぇんだよ」
文太の言葉に、拓海はぎょっと目を見開いた。
「親父、何言って…!」
だが涼介は冷静に頷いた。
「ええ。分かってます」
ですが、とさらに言葉を続け。
「…高校を卒業したら、完全にいただくつもりでいます」
宜しいですか?
挑発的とさえ言える表情と言葉に、文太よりも拓海が動揺する。
「な、何言って…!」
まるで、そう。
その言葉はまるで…。
「……早ぇプロポーズだな」
呆れた風な文太の言葉に、拓海は心の中で絶叫する。
やっぱりそうなんだ!
「ま、好きにしな。俺はアンタを気に入ってるし、意地っ張りのコイツが…あんたの前だと泣けるみてぇだからな。
ただ、コイツはまだまだガキだからな、苦労するぜ?」
面白そうに告げる文太に、涼介は嫣然とした笑みで頷いた。
「僕も不器用で、どうやら彼女に迷惑をかけているようなので、お互い様だと思いますよ」
ふぅん、と文太の片眉が跳ね上がる。
「割れ鍋に綴じ蓋ってヤツか」
「ええ」
もう拓海は赤面しすぎて聞いていられない。
ズルズルと、顔を隠すようにシートに沈み込む。
何であの人、オレに好きの一言も照れて言えないくせに、こういう言葉は平気なんだ?
よくわかんねぇ人。
けど、自分もまた彼にそう思われているのかも。
そんな風に思えるようになったのは、今回の擦れ違いがあったからだ。
よく分からないからこそ、惹かれるのかも知れない。
だったら、自分は涼介の前ではいつまでも難解なままがいい。
自分にとって彼が、たぶんずっと不可思議な人であるように。
考え込んでいる間に、文太と涼介の会話が終わったのだろう。車が動き出す。
拓海は、窓越しに涼介に向かい軽く手を振った。
涼介もまた、小さく拓海に向かい手を振る。
じっと、暫く遠ざかっていく涼介の姿を目で追っていると、文太が「ハァ」と重い溜息を吐いた。
「……まだまだガキだと思ってたんだがなぁ」
意味が分からず、拓海は運転席の文太へ視線を移す。
「何だよ、親父」
いんや、と気だるそうに返事をしながら、また文太が溜息を吐く。
「…お前、俺よりあの兄ちゃんに縋るんだな」
「え?」
ハァ。
また文太の溜息が零れる。
「お前の中で一番身近な人間が、俺じゃなくてあの兄ちゃんになっちまったって事だよ」
「…は?!」
意味を理解し、カっとまた頬に熱が昇る。
「……娘を嫁にやる気持ち、か…。うちとは無縁だと思ってたんだけどな…」
確かに。自分だってそう思っていた。
あの人との関係は正に晴天の霹靂だったのだ。
だが父親にしみじみと言われてしまうと、それはそれで腹が立つ。
む、と唇を尖らせ、拓海は拗ねたように反論する。
「……不満なのかよ」
拓海の精一杯のささやかな反論に、文太は予想に反し、「いいや」と首を横に振った。
「不満どころか、えれー上出来なのを引っ掛けてきたもんだって思ってるよ。
お前には勿体ねぇくらいの出来た兄ちゃんだな」
うん。それは思う。
拓海は素直に頷いた。
「…うん」
そんな拓海の頭に、ぽんと文太の手のひらが乗せられる。
「大事にされてるんだ。…大事にしろよ」
じわ、と胸に暖かいものが広がる。
だいじにされてる…。
昨日までそれに気付かなかった。
けど、今は知っている。
拓海は、しっかりと頷いた。
「うん」
拓海は自分が嫌いだった。
男っぽい体格や、平凡な容姿でしかない自分が。
だけど、彼が大切にしてくれるから、拓海はそんな自分が好きになれるような気がした。
涼介に会いたいな。
そう思いながら、拓海は車に揺られながら目を閉じる。
涼介に会って、キスをして、セックスして…もっと彼を身近に感じたかった。
彼が、会うたびにセックスしたがる理由が分かったような気がした。
傍にいたい。もっと、ずっと近くにいたい。
感じたい。
だって、仕方ない。
好きなのだから。
ハチロクを失い、心にぽっかりと穴が開いたような虚無感がある。
けれど、同じくらい大切なものを手に入れた。
学校の屋上で、よく晴れた空を眺める。
動かなくなったハチロク。壊れたエンジンの代わりに新しいエンジンを積むのだと、文太が教えてくれた。
それに、まるで別人のようになってしまうようで嫌だと彼に嘆くと、髪にキスを落としながら彼は言った。
『親父さんを信用しろよ』
その言葉に、ストンとモヤモヤした気持ちが消え、今は新しいハチロクをほんの少しの期待感とともに待っている。
自分に対する後悔と自己嫌悪。
もう二度と車をあんな風には走らせない。
そう告げると、涼介は「お前はまだまだ速くなるよ」と微笑んだ。
涼介にもっともっと自分の成長を見せたいな。
すげぇな、って言ってもらいたい。
青空を眺めながら、拓海は未来を想像し微笑んだ。
「なぁに。拓海くん。すごい楽しそう〜」
後ろから茂木の声。
その声に、拓海は振り返り笑う。
「うん。楽しみなんだ」
へぇ、と茂木も笑顔になる。
「あ、それってカレのせい〜?」
からかわれ、照れながらも拓海は頷いた。
「うん」
ふふふ、と茂木の傍らにいた白石も笑う。
「藤原くん。良い恋してるんだね?」
友人の言葉に、拓海は迷い無く答える。
「うん!」
満面の笑顔で、頷いた拓海に、友人二人も嬉しそうに笑った。
END