キスの理由

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 新学期が開け、また億劫な時間がやってくる。
 早朝の配達は相変わらずだし、夜は夜で、バトルだ何だと難癖つけてくる輩はいる。
 面倒くさいなと思いながらも、涼介との付き合いで少しずつ貯まっていったフラストレーションの捌け口には丁度良い。
 曖昧な関係なんて、拓海の性格的には合わないのだ。
 だけど、「もう涼介と会わない」と言う選択肢も拓海にはないのだが。
 涼介はまるで麻薬のようだ。
 駄目だと思いながらも、どうしても誘惑を拒みきれずに手を伸ばしてしまう。
 言葉にすると、そう、
「…涼介さん中毒」
 変なネーミング。
 クスクスと笑いながらも、その笑いに自嘲が込められてしまうのは止められない。
 あ〜あ、と空を眺める。
 夏休み前は、こんな風になるなんて思ってもみなかった。
 毎日が退屈で、いつもつまんないと思ってた。
 けれど、今はあの日々が懐かしい。
 ハチロクでバトルなんてする前の…涼介に出会う前の…。
 そう思ったところで、いきなり背中にドスンと衝撃が起こる。
 何?!と振り返るよりも早く、続いてムニュと背中に当たった肉の感触で、何が起こったのかを察した。
「茂木?」
 溜息を吐きながら後ろを振り向くと、予想通り友人の茂木なつきが背中に張り付いていた。
 えへへ、と微笑む彼女は、拓海の理想の「女の子」だった。
 小柄な身体に、メリハリのある体型。
 顔は可愛らしくて、何人もの男子から告白されているのも知っている。
 少し浮ついたところもあって、そんなところが少しだけ苦手に思っていた時期もあったけれど、今では純粋に自分を慕ってくれる茂木をちゃんと大切な友達だと思っている。
「たっくみくーん。おっはよー」
 明るい彼女に声に、拓海もまたつられるように笑みを浮かべる。
「……はよ」
「ねぇねぇ、拓海くんは夏休み何してた?なつきはねー、海行って〜男の子にもいっぱいナンパされちゃったよ?」
 ニコニコと悪戯っぽく笑う彼女に、相変わらずだなと思いながらも、拓海も振り返る。
 夏休み…。
 バトルすることになって…キスを覚えて、そして…。
 カァ、と顔が自然と赤くなる。
 うろたえ、慌てて顔を隠すように俯くと、背後から隣に移動していた茂木が不審な表情で拓海の顔を覗き込む。
「なんか、拓海くんさー…」
 そして拓海の身体をベタベタと触り、あげくクンクンと匂いまで嗅ぎ始めた。
「な、何だよ…」
 腰だの、お尻だのを触られて、思わず涼介の指の感触を思い出しそうになり、また戸惑う。
 一しきり拓海の身体を触っていた茂木は、拓海の顔を見上げ、眉を顰めた。
「……女の子になっちゃった?」
「え?」
 意味が分からず問い返すと、彼女はプゥと頬を膨らませ「だから〜」と語尾を延ばし顔を寄せた。
「男の子に食べられちゃったって言ってるの」
 食べられ…。
 理解した瞬間、カッと顔が真っ赤になった。
「な、な…」
 何で?!
 そう問い返したいのに、言葉が出ない。
 茂木はフフンとばかりに胸を逸らした。
「分かるよ〜。だって、拓海くんってばすっごい色気がプンプンしちゃってるもの」
 いろけ…。
 聞き覚えのない言葉だ。
 唖然と見返すと、茂木は今度はウキウキとしながら拓海に詰め寄ってきた。
「ね、ね。それで、相手はどんな人?カッコいい?ちゃんと拓海くんを大事にしてくれた?」
 拓海は返答に窮した。
「ねぇ、教えてよ〜。いつから付き合ってるの?」
 カッコいい…は断言しても良い。
 誰が見てもあの人はカッコいい人だと思う。
 大事に…は、してくれていると思う。
 乱暴な事はしないし、ちゃんと拓海を女の子として扱ってくれる。
 だけど……それがイコールで幸せなのかと問われると、答えに詰まってしまう。
 そもそも、今の自分たちがどんな関係なのかだなんて、自分が聞きたいくらいなのだ。
 ましてや、付き合ってるだなんて思えない。
「え、と……」
「うん」
「…よく…分からなくって…」
 戸惑いながらも、そう答えると、茂木が目をパチパチと瞬きをした。
「え?」
 茂木の笑顔が消え、「ちょっと、こっち!」と拓海の手を引っ張り、廊下の片隅まで移動する。
 人気のない場所に落ち着いた途端、茂木が真剣な顔で拓海を見上げた。
「…どう言うこと?」
 どう言う…と聞かれても、本当に分からないのだ。
 困った風に首をかしげると、茂木の大きな瞳が釣りあがった。
「Hしたんだよね?」
 それは…した。
 だから拓海は頷いた。
「一回だけじゃないよね。何回もその人とHしてるんだよね?」
 …してる。
 身体が慣れて、自分の知らない部分が疼くくらいに。
 だからこれにも拓海は頷いた。
「……拓海くんはその人のこと、好き?」
 好き…。
 好き、なのだと思う。
 きっと好きなのだろう。
 自分の性格なら、いきなりキスをされれば腹を立てただろう。
 それが腹を立てるどころか、甘い疼きしか感じなかった。
 今も、彼を思い出すと胸がざわめく。
 拓海ははっきりと頷いた。
「……好き」
 だけど、
「その人は拓海くんにちゃんと好きって言ったの?」
 彼は違う。
 拓海は首を横に振った。
「手を出してきたのって、その人なんでしょ?」
 それにも拓海は頷いた。
「なのに何も言ってくれないの?」
 甘い言葉は囁いてくれる。
 可愛いだとか、俺のものだ、とかは。
 けれど、彼がどう思っているのか、言葉にはしてくれない。
「ねぇ…」
 ハァ、と茂木が呆れたような溜息を吐いた。
 目を眇め拓海を見上げ、彼女は言った。
「それってさ…遊びなんじゃないの?」
 言われた瞬間に拓海が感じたのは、否定でも、嘆きでも無かった。
 ストンと胸に落ちてきた。
 ――ああ、やっぱり…。
 そんな、諦観の感情だったのだ。

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