BOSS-PAN

　ぎゅぅ、と立ち上がった涼介に力強く抱き締め返される。
　彼の胸に頬を寄せると、聞こえる早い鼓動に彼の気持ちを知る。
　言葉にはしないけれど、彼の行動は雄弁だ。
　だからもういいか、と思った。
　たとえ遊びでも、他に恋人がいても、涼介が自分を好きでいてくれる気持ちを疑うつもりはもう無い。
　ぐ、と押し付けられた彼の下腹部に固いものを感じる。
　それが何であるのか、教えてくれたのは涼介だ。
　カッと頬が熱くなり、少し身を捩ると、阻むように涼介の足が拓海の両の太ももの間に差し込まれ、敏感な狭間の部分を刺激するように持ち上げる。
　ビクリと身体が震え、刺激に緊張した胸の尖りを確かめるように、涼介の手のひらが拓海の胸を服の上から柔らかく揉みしだいた。
　快感を教え込まれた身体は、そんな刺激に耐えられるわけもなく、ガクリと膝から力が抜け、ますます両足の間に挟みこまれた彼の足に支えられることになる。
　ゆらり、と揺らめいた拍子に背中に当たったハチロクの車体。
　それにもたれるように身体を預けると、涼介の身体がますます圧し掛かる。
「…っは、ぁ…藤原…お前の中に入りたい…」
　荒い呼吸と共に、そんな囁きを耳殻に注ぎ込まれる。
　ますます拓海の体が竦む。それを煽るように、両足の間に挟みこまれた彼の足が、ぐいぐいと刺激する。
　脳が焼け付きそうだ。
　全身に電流が走ったようになり、勝手に体がピクピクと震える。
　腰部に感じる、彼の下腹部の固い感触。
　押し付けられるたび、その固さを感じ、口内に唾が溜まり、ゴクリとそれを飲み込んだ。
　咽喉が渇いていた。
　いや、実際に渇いていたわけではないのだろう。
　体の芯に飢えを感じ、渇きを覚えさせている。
　べろりと、耳の裏を舐められ、拓海は思わず声を上げる。
「い、やぁ…ぅ、ん…」
　いや、と拒絶めいた言葉を発しながら、心は裏腹にそれを欲している。
　なのに。
「…っ、藤原！」
　我に返ったように、涼介が抱き締めていた身体を突き放す。
「す、すまない…」
　太ももから彼の足が抜かれ、身体を支えるものが無くなり、力の入らない身体は重力に引かれ、ずるずるとハチロクの車体を滑り台のように落ちていく。
　突然突き放された身体。
　いったい何が起こったのだろうか？
　理解できず、拓海は呆然と涼介を見上げた。
　すると、彼は苦痛を堪えたような表情で、崩れ落ちた拓海から視線を逸らしている。
　嫌われたのだろうか？
　心の中にまた不安が過る。
　しかし、
「…すまない、藤原。俺はまた…！」
　常に冷静な顔しか見せたことのない彼の、うろたえきった姿にそうではないことを知る。
　だったら何故？
　火照る身体をもてあますように、縋るように拓海は涼介を見つめた。
　だが気まずそうに視線を逸らす彼には、そんな訴えが通じない。
「緒美にも言われたんだ。なのに、またこんながっつく様な真似を…」
　らしくなく雄弁になっている彼の口から、聞いた事の無い名前が飛び出す。
　女性名らしきその言葉に、ズン、と拓海の胸に重いものが圧し掛かる。
　――つぐみ…。
　一瞬で、脳裏にあの赤城で彼と一緒にいた少女の姿が思い浮かぶ。
　フル、と体が痙攣を起こしたように一度震える。
　覚悟をしていたつもりでも、やはり彼の口から別の女性の存在を示されると…痛い。
　だけど、無視できるほど、拓海は強くなかった。
「……つぐみ…って…」
　涼介さんの彼女ですか？
　そう続けたかった言葉は、しかし震える唇で遮られ、彼女の名前を発音するだけで途切れてしまった。
　拓海の質問に、涼介はハッとしたように我に返る。
「あ、ああ。そうだった。藤原はまだ知らなかったな」
　ぐ、と拓海の身体は竦む。
　彼の口から、決定打が出されると感じ。
　だが、それは杞憂でしかなかった。
　あっさりするほどの、期待外れとさえ言える彼の言葉がすぐに続く。
「緒美は従妹だよ。藤原と同じ年齢でね。だから…相談に乗ってもらってたんだ」
　その涼介の言葉に、「えっ？！」と思わず拓海は叫ぶ。
「彼女じゃないんですか？」
　そしてつい、ポロリと胸の内を零してしまう。
　その言葉に、今度は涼介が驚いた。
「は？！」
　そして頭の回転の速い彼らしく、すぐに合点がいったとばかりに頷いた。
「もしかして……藤原が彼女がいるとかどうの、俺を詰っていたのはそのせいか…？」
　ハァ、と大きく溜息を吐き、ガリガリと髪を乱暴に掻き乱す。
「全然違う。あれはただの従妹だ。それは…昔から妹のように可愛がってはいるが、お前に対する感情とは全然違う」
　でも、じゃあ、とグルグルと頭の中で反論する言葉が渦巻く。
　ぷぅ、と唇を尖らせ、涼介を上目遣いで睨む。
「だって…赤城に行ったときに…彼女って…言われてたもん」
　そんな拓海の訴えに、涼介は目を見開き、そして次に何かを堪えたように、ぐ、と険しい顔になる。
「……お前はっ！」
　そしていきなりガバリと抱きつかれる。
　ぐりぐりと頬に頬を摺り寄せられ、戸惑っていると今度は降るようなキスが襲ってくる。
　唇だけでなく、目や鼻、頬など、顔いっぱいにキスされ、拓海は呆然と固まるしか出来なかった。
「…お前は俺を殺す気か…。何でそんなに食っちまいたいくらい可愛いんだ…！」
　心の底からのような叫びと、初めて「可愛い」など面と向かって言われ、拓海は呆然としながらも赤面する。
　そして一しきり拓海に可愛い可愛いと叫び、言葉通りに拓海を可愛がった後、涼介は漸く一心地ついたのか、コホンと咳払いをし、しかし拓海を腕の中に抱えたまま会話を再開した。
「…それで。赤城に行ったってことは、たぶん俺が緒美を連れて行ったのを見たって事か？」
　可愛いって言われちゃったよ…！
　まだ涼介の「可愛い」発言と行動に動揺しながらも、拓海はコクコクと首を縦に動かす。
「まぁ…確かに、緒美が俺の彼女だと誤解されても仕方ない行動はしている。だがそれは敢えてそうしているんだ。…虫除けのためにな。その方が都合がいい。
　……分かるか？」
　それは、分かる。
　涼介がモテることなんて、自分が一番承知している。
　峠のカリスマで、おまけに容姿端麗、頭脳明晰、家柄優秀。こんなに完璧な人がいてもいいのだろうか？と、世の中に対し不満を覚えても良いくらいに何もかもを持ち合わせた人だ。
　モテない方がおかしいし、現に峠でギャラリーの女性たちに騒がれている事も知っている。
　そして理解すると同時に、ずん、と心が暗く沈む。
　涼介がカムフラージュ用に緒美を彼女に仕立てたのは分かる。
　だって、自分では、抑制力になんてなれない。
　自分のようなのが彼女だなんて、他の女性たちに自信を与えるだけだ。
『あんな子が彼女だなんて…。じゃあ、自分にもチャンスが？！』
　そう思われてしまうのがオチだ。
「…分かります。俺じゃ…駄目だってことでしょ？」
　落ち込みながら答えると、自分で言っておきながら心のどこかで否定して欲しいなんて思っていたのに、あっさり涼介は頷いた。
「ああ。駄目だ。そんなのが許せる筈が無い」
　やっぱりそうだったんだ…。
　ずぅぅん、と落ち込む拓海に、けれど涼介は気付かず、憤懣やるかたないと言った調子で言い募る。
「女だと知られてしまうだけでも腹立だしいのに、お前を俺の彼女だと見せびらかす？そんなの、敵を増やすだけの行為でしかない。まぁ、もちろん最終的には俺のものだと知らしめるつもりではいるが、それは最終段階だ。緒美を仮とは言え彼女と扱う事で藤原の気分は悪いかも知れないが…俺は…」
　ぎゅ、と抱き締められ、拓海は「あれ？」と首を傾げた。
　落ち込んではいたが、涼介の言葉に「違うのかも知れない」と心が傾く。
　そしてそれは、次の涼介の言葉で確信となった。
「…俺は…宝物は誰にも見せずに大事に仕舞っておくタイプなんだ」
　だからお前も誰にも見せてやらない。
　言外に、そう言われているようで、拓海の心がフワリと浮き上がる。
　何だか嬉しくて、面映くて、頬を朱色に染めた拓海は目の前の涼介に向かい、照れくさそうに微笑んだ。
　拓海は気付いていなかったが、それが涼介に初めて見せる拓海の笑顔だった。
　一瞬、驚きに目を見開いた涼介だが、すぐに彼も笑みを浮かべ、そして頤に指をかけ拓海の顔を持ち上げる。
「藤原……」
　甘く名を呼ぶ声が拓海に注がれ、ゆっくりと近付く彼の顔に、拓海は自然と目を閉じる。
　もうすぐ訪れる接触を待ちわび、唇がピリピリと震える。
　だが。

　プワァー！

　と、無粋なクラクションの音が、二人だけだった空間に鳴り響く。
　それと同時に、眩いまでのヘッドライト。
　パチリと目を見開き、音と光の方向を見れば、そこには見慣れた人物が立っていた。
　この場で、一番出くわしたくない人物が、紫煙をたなびかせ、ちょっと気まずそうに…立っていた。
「あのよ…」
　プカァ、と口から煙を吐き出し、そして見慣れた仕草でクセでもある首裏を掻く。
「イチャついてんのはいいけどよ。その車…いいかげん回収したいんだがな…」
　一瞬で、全身が朱に染まる。
　もちろん羞恥心で。
　パクパクと酸欠の金魚のように、口が意味も無く動く。
　拓海を抱えていた涼介もまた、気まずそうにそろそろと抱き締めていた腕を解く。
　そして、
「……すみません。藤原さん」
　申し訳なさそうに、頭を下げる涼介に、漸く拓海の固まっていた声帯も震える。
「ギャー！親父ィ？！！」
　自分の父親にラブシーンを見られるだなんて…！
　あまりのダメージに、拓海は頭を抱えて蹲った。