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キスの理由

6 ※R18



 宿った不安は胸の中で消えることなく、どんどん燻り増加していく。
 考えれば考えるほど、友人たちの言葉が正解のような気がしてくる。
 だって、あんな完璧と言って表現するしかない彼が、何を思ってこんな取り得の無い自分を相手にしているのか。
『負けた腹いせに…』
『夢中にさせてポイ』
 拓海には、「彼はそんな人じゃない」と、否定するだけの自信も、好かれている自信も無かった。
 逆に、勝った自分に対する復讐と言う見方は、拓海にとって納得のいく答えとも言えた。
 自然と思考が暗い方へと向いていく。
 うっかり、料理中だというのに考えこんでしまい、魚を煮ていた鍋から焦げ臭い匂いがしてくる。
 慌てて火を止めるが、煮汁は既に沸騰し、鍋底に魚はべったり張り付き、灰色の煙がもうもうと立ち昇っている。
 ハァ、と溜息を吐きながら、拓海はこびりついた魚を鍋から剥がし、ゴミ箱に捨てた。
 今日のメインだったのに、どうやら今晩はメイン無しの食事になりそうだ。
 父親がいたなら殴られそうなところだが、幸い今日は町内の会合だとかで留守にするらしい。
「何してんだろ…オレ…」
 いっそコンビニで済ませてしまおうか…そう考え玄関まで出た矢先に、プルル…と家の電話が鳴った。
「はい、藤原です」
 ファックスも付いていない古びたプッシュフォン。
 受話器を持ち上げ電話に出ると、受話器の向こうから聞こえてきのは、ずっと拓海を悩ましているあの人の声だった。
『ああ、藤原?』
 時刻を見ると、午後7時。
 車の中からかけているのだろう。アイドリング中と思われるロータリーのエンジン音が受話器を伝い聞こえてくる。
『食事はもう済ませた?』
「あ……いえ…まだ、です…」
 涼介がこうして家に電話してくるのは初めてではない。
 携帯を持たない拓海に連絡を取るためには、家の電話しかないのだが、たいてい文太が出て、その後に拓海に代わるという遣り取りが多かったため、今日のように直接に出るということは初めてだった。
『今日はお父さんが会合で留守にしている日だろう?だから一緒に食事でもしようかと思ってね』
 涼介の言葉に、拓海は彼が文太と自分が想像しているより親しくなっていることを知る。
「…え、と…」
『嫌?』
「嫌って言うか…突然で…」
『まぁ、もう遅いんだけな。あと五分で着く。支度して待ってて』
「え、ちょ…涼介さん?!」
 拓海の返事も待たず、ブチリと回線が途切れる。
 言葉通りに、どんどん聞きなれたエンジン音が近付いてくるのが分かる。
 着ているのはいつも通りのトレーナーにジーンズ。
 支度と言っても、拓海にはお洒落するような服もないし、せいぜい髪が跳ねていないか確認するだけだ。
 改めて鏡で自分の姿を眺めると、丸きり男にしか見えない。
 短い髪。薄い胸。広い肩幅と女にしては高すぎる身長。
 こんな自分を相手にする理由。
「……腹いせ…か」
 そうとしか、やはり思えない。



『お父さんが帰宅する前に帰らないといけないからね。手っ取り早くいこう』
 そう言われ、近くのファミレスで食事を取った後、当たり前のようにホテルに連れ込まれた。
 バタンと部屋のドアが閉まると同時に、涼介が背後から拓海の身体を抱き締める。
「藤原…」
 冷たい指がトレーナーの下に潜り込む。
 素肌を這う指の感触に、キュッと拓海は身体を縮める。
「や…」
 ツゥと這い上がってきた指が胸の部分に向かう。
 涼介の形の良い眉がキリリと釣り上がった。
「下着を着けていないのか?」
 厚手の布地だし、着けても着けなくても同じくらいの厚みだし。
 だから家では拓海は外していることが多い。
 慌てて外出したため、そこにまで気が回っていなかった。
 背後から「チッ」と舌打ちする音がした。
 不況を買ったのかと、拓海は思わずビクリと震える。
「……無防備すぎる。まさか、学校でも外してるんじゃないだろうな」
「い、いえ、これは、家に帰ってから…」
 ぎゅぅ、と僅かにある肉を揉まれ、痛みに顔を顰める。
「それならいいが…これからは常に着けていろ。いいね?」
 ぎゅうぎゅうと痛いくらいに強く揉まれ、拓海は怯えたように何度も頷いた。
「…外すのは俺の前でだけだ」
 頷いたご褒美のように、胸を掴む指の動きが甘やかなものになる。
 やんわりと揉まれ、そして硬くなり始めた先端を指先で捏ねる。
「…ん…」
「だいぶ敏感になってきたな」
 クス、と揶揄され、カッと拓海の顔が赤くなる。
 そんな身体にしたのは涼介なのに。酷い。
 拓海は涼介の腕の中で暴れ、抱き締める腕を振りほどこうともがく。
 こんな風に、いつもなし崩しに流されてしまう。
 ふと脳裏に、昼間友人たちに言われた言葉が過る。
『抵抗してみたら?』
 いつも、何が何だか分からない間に、涼介とセックスをしてしまう。
 自分の気持ちも、相手の気持ちも良く分からないままに、身体ばかりを重ねている。
 そんな状況に嫌悪感を抱いてしまうのは、拓海が子供すぎるからなのだろうか?
『拓海くんたちってさ、ちゃんとお付き合いする前にHしちゃったから、だから余計に不安なんじゃない?
 一回拒んでみて、それでも相手が変わらなかったら、拓海くんのことちゃんと好きだって自信もつくんじゃないかなぁ?』
 拒む。
 拒んだことなど、無かった。
 いつも彼に流されるままに身体を開いてきた。
『そうだね。今のままだと、彼が藤原くんの身体だけ目当てみたいだもの。拒んで、その反応を見たほうがいいと思うよ』
 震える手で涼介の腕を掴み、引き剥がそうと試みる。
「い、や…」
 けれど、その力は拓海の迷いを現し僅かなもので、涼介には抵抗とすら思えなかったらしい。
「…照れてるのか?敏感になったのは悪いことじゃない。それだけ快感の幅が増えたということだからな」
 小さな抵抗をものともせず、胸を掴む指は離れることなく、あまつさえ着ていたトレーナーをスルスルと器用に拓海から剥がしていこうとする。
「だめ…」
 首から引き抜かれていこうとするトレーナーを、拓海は手で押さえて阻む。
 フッ、と背後から含み笑いが聞こえる。
「服を着たままがいいのか?そう言う趣向も悪くないが…ここだけは寛がせてくれないとね」
 脱がそうとしていた腕が止まり、しかし代わりのように彼の指がジーンズに向かう。
「やっ…!」
 ジジジとファスナーを降ろされる音がする。
 身じろぐと拘束する腕の力は甘くなっていたようで、快感に力の抜けた身体を支えきれず、ガクリと膝を着き倒れこんだ。
「……っ!」
 慌てて、背後の彼を振り返り見上げると、平素とは違う表情の彼がいた。
 冷たい、欲望の熾火を目に宿し、まるで支配者のように拓海を見下ろしている。
 そこにいたのは理論を魔法のように語る大人の男ではなく、ただの一人の獣のように見えた。
 セックスの最中は熱に浮かされ、まともに彼を仰ぎ見る事などない。
 彼が、自分に対しどんな表情をしているかなど。
 だから、今が初めて見た、彼の「男」の部分だった。
「藤原…」
 倒れこむ拓海に手を貸すでもなく、涼介はハァと熱い吐息を漏らし、そしてギラギラとした瞳で拓海を見つめた。
 さっきまで拓海を嬲っていた指が、自身の着衣のベルトに向かう。
 カチャカチャと少し焦った手つきでベルトを外し、そして下衣のファスナーをひき降ろす。
 何をするのか?
 経験値の少ない拓海には想像できず、ただその行動をぼんやりと見つめるだけだった。
 そして彼の指が衣服の下から取り出したものに、拓海は目を見開いた。
 男性の、興奮したその箇所を目の当たりにするのは初めてだった。
 身体の一部とは信じられないようなそのグロテスクな様相と、生々しいまでの肉の質感。
 それが、自分の体内に入り込んでくるのだと、理屈としては知っていたが、いざ、その現物を間近で見るのとでは訳が違う。
 衝撃に固まる拓海に、膝を着き、涼介が擦り寄ってくる。
 そして固まったままの拓海の髪に手を置き、彼は獣そのままの顔で拓海に命令した。
「…舐めて」
 強い力で頭を引き寄せられ、下腹部へ近づけられる。
 視覚だけでなく、嗅覚でもそれを体感させられる。
 ほのかに、熱を感じるそれを鼻先に突きつけられ、拓海の頭が真っ白になった。
 そして、計算でも何でもなく。
 純粋に、
「いやっ!!」
 ドン、と鍛えられた彼の腹筋を両手で突き飛ばし、押し退けた。
 ただ、恐怖だけがあった。
 得体の知れない肉塊に、本能的に恐怖を覚えたのだ。
 しかし、ドスンと突き飛ばされた涼介が床に落ちる音に、ハッとすぐに我に返る。
 彼は、信じられないとばかりに拓海を凝視していた。
「……あ…」
 その視線が居た堪れなくて、拓海はぎこちなく目を逸らす。
 身体が激しく震える。
 ブルブルと、断罪を待つ犯罪者のように震えていると、「ハァ…」と言う彼の深い溜息が聞こえてきた。
 暫くの沈黙の後に、今まで聞いた事が無いくらい冷たい声音で彼が言った。
「……帰ろう」
 手際よく衣服を正し、彼がホテルのドアを開ける。
 そして震える指でぎこちなく乱れた着衣を直す拓海を待ち部屋を出る。だが、その視線は決して拓海を見ることはなく、駐車場のFCに乗り込んでからもそれは同じだった。
 気まずい空気の中、会話もなく、ただ車を走らせる。
 だが、藤原家に着き、拓海が降りるその前に一言だけ。
「……悪かった」
 そう告げられたが、視線は一度も拓海を見ることは無かった。
 名残も無く逃げるように走り去るFCを見送りながら、拓海の目から涙が溢れた。



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