ERECTRICAL STORM

act.11


 初めて会ったのが雨の中の姿だったせいか、雨に打たれながら立ち尽くす彼を見ても涼介は驚かなかった。
 訪問客の最後の一人を見送り、ほっと一息つき締め付けるネクタイを緩めながら、ふと外を見れば、薄暗い空の下、雨に打たれ射抜くように自分を見つめる拓海に気付いた。
 何となくではあるが、彼が今日来ると思っていた。
 普通のTシャツにジーンズと、斎場には少し似合わない服装の拓海は涼介と目が合うと、決意したように建物の中へと入ってくる。
 今日は三年前のように土砂降りではない。小雨ではあるが、けれど拓海の体を濡らし、そして冷やすには十分の雨量だ。
 涼介は自分を睨みつけるように歩いてくる拓海にタオルを用意し、彼の方へと歩いた。
 もの言いたげに見つめる拓海の、湿った頬と髪にタオルを乗せる。
「…風邪ひくぞ」
 ゴシゴシと、子供にするように拭いた。
 そして髪から顔、そして首に差し掛かったとき、その体の冷たさに気付き涼介は苦笑する。
「体が冷えてる。ここにはシャワー室もあるから、そこであったまると良い」
 肩に手をかけ促そうとする涼介に、けれど拓海は強い力で跳ね除けた。
 悔しさと、悲しさと、そして寂しさの混じった視線。
 三年前に、煙となって昇っていく啓介を見つめていたあの視線と同じ強さで、涼介を見つめている。
 予想通りの展開に、安堵から涼介は密かに溜息を吐く。
 …終わらせる。これで。あの三年前の日に、啓介が出来なかったことを。
「……渉さんに…あんたがアメリカに行くって…聞いた」
 その瞳に浮かんだのは、裏切られたとでも思ったのだろう。傷付いた色。涼介は抱きしめたい衝動を堪える。
「ああ。そうだ。行くよ」
 だから何だ?と言外に視線で語る。
 そんな涼介に、見つめていた拓海の視線が揺らぎ反らされる。
「……いつ?」
 拓海を目の前にしたとき、無事に演じきれるかどうかを涼介は危惧していた。
 けれどこの調子なら大丈夫そうだ。啓介とは違い昔から感情を表現することは苦手だった。それが今、こんな形で役に立っている。
「明日だ」
 何でもない振りで、天気を告げるように答える。
「…明日?!」
「ああ」
 まさかそんな急だとは思っていなかったのだろう。視線をそらせていた拓海が、弾かれたように涼介を見る。けれどそれはまたすぐに逸らされた。けれど、硬く握り締めた拳が震えている。
「…あの…女の人は一緒?」
「女の人?」
 真剣に分からなかった。
「…とぼけないでよ」
 けれど拓海の泣き笑いのような表情に、涼介はあの時を思い出し、同時に不愉快な記憶まで蘇らせた。
 拓海のためとは言え、あんな茶番をよくも続けられたものだ。鼻に残った香水の匂いが蘇り不快感を増す。
「…あれか?あれは違うよ。断れない見合いの相手でね。少し付き合っただけだよ」
 拓海がまた涼介を見つめる。ほんの少しの期待を込めて。
 だが、涼介はそれを打ち壊さなければならない。粉々に。もう彼が自分に愛想を尽かしてしまうように。
「…じゃあ、あの人とは、もう?」
「ああ」
「どうして…その事を言ってくれなかったの?」
 拓海の手が涼介へと伸びる。けれど涼介はやんわりと、その手を押し戻す。
「不愉快だろう?俺が他の女とセックスしてたなんて知ったら」
 わざと、嘲笑を込め言い放つ。
 予想通り、拓海の表情が固まった。
「今まで気付かなかった?これまでに何回もあったんだけどね」
「……うそ…」
 信じられないと言いたげに、何度も首を振る。そんな仕草に、決意が揺らぎそうになるが…今さらだ。
 ここまで来たなら、演じきるしかないのだ。
「正直、ね…拓海には悪いが、男を相手にするのは面倒なんだよ。俺は元々そんな趣味は無かったし、女の方が良いという気持ちはあるからね」
 苦笑を浮かべたのは、自分に対してだ。
 かつて女を相手に出来たのが不思議なほど、今は拓海一人に嵌っているのに、よくも白々しくそんな嘘がつけるものだ。
 自分に対して呆れる。
 けれどそんな苦笑を、拓海は別の意味で捉える。悪い方へと。
「…じゃ、じゃあ、何で俺と……?」
 泣き出す寸前のような表情。
 抱きしめたいのだ、本当は。
 彼には幸せな感情しか与えたくなかった。ぬるま湯に着けて、全ての害悪から守りたかった。
 だがそれではいけないのだ。
「寂しかったんだ。両親も…啓介もいなくなってね。そんな時にお前がいた。啓介と付き合っている、お前が…」
 思わず俯いてしまったのは感傷的になってしまったからだ。
 あの頃の気持ちを思い出し、そして彼がどんな気持ちで自分に抱かれているのか、知りながら手を出してしまった自分の弱さを振り返る。
「お前は…啓介との思い出を共有するのに、都合が良かったんだ」
 自分のこととしながら、けれどこれは拓海の気持ちの代弁だ。
 今は気が付いていなくても、すぐに気付けるように。敢えて自分のこととして、彼に気づかせるために。
「だが…もうその必要はなくなった。
 あれからもう三年だ。いい加減、こんな間違った関係は清算するべきだ。そう思わないか?」
 拓海が首を横に振る。
 涼介の言葉を否定するように。
 そんな拓海に涼介は願いを込め、見つめる。
「感傷に浸るには長すぎる時間だ。一生このまま続けられるとは…拓海も思っていなかっただろう?」
 首を振る拓海の動きが激しくなる。
「…最初から間違っていたんだ、俺たちは。その事は拓海も気付いているはずだ」
「だ、だけど!俺は……」
 拓海が涼介のシャツの胸の部分を掴む。上げた顔には零れ落ちる涙。
「だけど…何?俺は藤原に付き合って、このまま一生啓介の影を背負って生きなければならないのか?」
 拓海と言う呼び名を「藤原」に変える。
 その突き放しに、拓海はすぐに気付いたようで、シャツを握る手が離される。
「俺は進みたい。啓介の事は過去として。浸っていたいなら一人で浸っていろ。俺はもう御免だよ」
 突き放し、視線も合わせずに背を向ける。
 もう彼の姿を見るのは辛かった。
 悪役を演じきるには、涼介は拓海を愛しすぎていた。
 だから、もう顔を見なくて済むように背を向ける。
 けれどそんな涼介の背に、柔らかな物が当たる感触がした。
 振り返り、足元を見ればタオルが落ちている。
 拓海が持っていたタオルを涼介に投げつけたのだ。
「…何でだよ!」
 子供のように激情をあらわにし、感情のままに滂沱の涙を流している。
「…何で、あんたまで俺を置いていくんだよ!」
 …これでいい。
「…啓介さんも…あんたまで…どうして…」
 本当は、三年前にしておかなければならなかった事。
「…何で俺だけ残して…みんな……勝手だよ!」
 啓介がいなくなった事と向き合うこと。
「…約束…したのに…ずっと一緒にいるって…なのに何でいなくなるんだよ!」
 そして一人で寂しさに打ち勝つこと。
 子供のように泣きじゃくる拓海を、涼介は静かな気持ちで見ていた。
「…置いていかないでよ…俺を一人にしないで…」
 拓海が泣きながら手を差し出す。ここで手を取っては、三年前の過ちの繰り返しだ。
 だから…何も言わずに見続ける。それが涼介に出来る、今の最大限の優しさだ。
 けれど拓海はいつまで経っても受け取られない手に焦れ、叫んだ。
「…一人にされるくらいなら、俺も一緒に死にたかった!」
 その言葉に衝動的に拓海の頬を叩いていた。
 赤く染まる頬の色に、自分が加減なしに叩いたことを知る。けれど…悔しかった。
 そう言った拓海に。
 何故、分からない?
 叩かれ、呆然としたように見つめる拓海を涼介は肩を掴み揺さぶった。
 そして感情のままに言い放つ。
「…お前は一人じゃないだろう」
 そして拓海の胸に手を当てる。
「お前のここには…啓介がいる」
 拓海の動きが止まる。そして涼介の指先を見つめた。
「お前の内には…啓介がいるんだ。拓海のずっと傍に。そして…俺の内にもな」
 涼介はそこで初めて微笑んだ。泣き笑いのような、歪んだ表情で。
「実体が無いからと言って、愛情が薄れるわけじゃない。むしろ形を変え、感情そのものが自分の一部になる。啓介はお前の内にいるんだ、拓海」
 拓海の体を抱きしめる。愛情ではなく、親愛の感情で。
 腕の中の拓海の体は、雨で冷えたせいだけではない。微かに震えていた。
「…いつまでも感傷に浸ったまま過ごすな。今のお前を見たら、あいつはきっと怒るぞ。何やってんだ、ってな」
 拓海が体が激しく震えだす。子供のように顔を歪め、声を上げ泣きじゃくる。
 涼介の胸に縋り、大声で泣く拓海に涼介はまた微笑んだ。今度は、さっきよりもましな表情で。
「俺は啓介に怒られたくない。だから…前へ進む。お前も進め。もっと…広い世界を見ろよ」
 留まるな。
 思い出だけでなく、もっと未来へと。
 前へ歩いて生きろ。
 もっと…啓介や、自分などに捉われず広い世界を見て欲しいのだ。
 啓介の、そしてそれが涼介の願いだ。
 誰よりも愛している彼の幸せだけを願っている。
「だから……」
 …啓介。
 …お前が言えなかった言葉を、俺が代わりに言う。
「もう傍にいれなくなるが…拓海の幸せだけを願っている」
 だから…これだけは許して欲しい。
「元気でな」
 この腕の中の、啓介が愛した彼を、自分もまた愛し続けることを。
 たとえ傍にいれなくとも。
 自ら彼を突き放そうとも。
 啓介のように、いや啓介よりも深く、誰よりも愛しているのだと自負することを。
 腕の中の拓海を解放する。
 温もりが消え、冷えた空気だけが涼介の中に留まる。
 ぎゅっと拳を固め、けれど微笑み、そして背を向けた。

「さよなら」

 ぼんやりとしたまま、拓海は迷子のような表情で涼介が去るのを見続けていた。




2006.11.20

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