ERECTRICAL STORM

act.6


 まだ知り合って間もない頃。
 啓介の名残を二人で抱きしめるように、体を重ねながら弟の話をした。
『啓介とはどんな会話を?』
 悪戯にそう問いかけた涼介の言葉に、拓海は愛しい者を思い出す柔らかな笑みで微笑んだ。
『ケンカ…ばかりでした。
 あの人、短気だったからすぐ怒って…。でも俺も素直じゃないから謝れなくて、で、そのうち焦れた啓介さんが怒った顔のまま言いにくるんです。顔はそっぽ向いたまま、「悪かったな」って』
 そんな二人の光景が目に浮かぶようだった。
『あいつらしい』
 と笑ったのは涼介だ。
 けれど今はそんな思い出話が涼介を苛む。
 啓介がいなくなり三年。
 その長い時間の間に、涼介は拓海と一度も喧嘩をしたことが無い。
 口喧嘩や言い合いなども全くなく、波風のないまま時を過ごしてきた。
 だがそれは決して平和だったのではない。二人とも本音を晒し、ぶつかり合うことを避けていたのだ。「今」を失うことを怖れて。そう涼介は感じている。
 二人の間に横たわる距離。
 それは三年経った今でも、少しも縮まっていない。
 その事を涼介は実感していた。



 拓海を避けている。
 あの日を境に、二人の間に明らかな亀裂が生じていた。
 涼介は寝室とは別に、書斎に簡易ベッドを置いた。
 あれから一度も拓海と寝室を共にしない。
 そして拓海もまたその事について何も言及しない。
 朝は拓海より早く出勤してしまう事が多い涼介のために、拓海は眠い目を擦りながら朝食の支度をし、出かける涼介を見送っていた。
 けれど今はそれが無い。
 ただ、用意された冷たい朝食が涼介に与えられる。
 夜もまた同じだ。深夜近くに帰宅する涼介を出迎えるのは、以前のような眠る寸前の拓海ではなく、そっけないテーブルの上の冷えた食事のみだ。
 待たなくてもいい、そう言ったのは涼介だ。
 けれど拓海はそれに従った。
 それが拓海の答え。そう涼介は受け取った。
 寝室へ行かないのは怖いからだ。
 彼の中に自分への拒絶や、無理を見つけてしまった瞬間に狂いそうになる自分を知りたくなくて。
 そして嫌がる拓海を押さえつけ、無理にでも自分の思いを果たそうとする自分を知っているから。
 同じ家に住みながら、顔も見ない。声すらも聞かない。
 そんな日々が続く。
 そしてそれが二週間を超えた頃、また変化は訪れた。
 格式ある料亭で涼介は酒の杯を傾けている。
 目の前には自分の上司でもある医局の教授。
 今まで、涼介はそんな付き合いや関わりを故意に避けていた。
 だが今回、老獪さを見せる男の誘いに頷いたのは、拓海との擦れ違いで自暴自棄な気持ちになっていたからかも知れない。
 そして案の定、こんな場所に呼び出した男の狙いは、涼介の予想通りのものだった。
 酒を酌み交わし始めてからすぐに、男は世間話のように己の娘の自慢話を繰り返した。
 学歴も有り、気立ても良く、親の欲目を抜きにしても出来た娘だとの声に、涼介は患者に見せる表向きの笑みで曖昧に頷いた。
 話始めるまでもなく、彼の意図は見えている。
 そして一通り語り終えた男は、最後に涼介に銚子を傾けながら言葉を占めた。
「君とは長い付き合いにしたいものだね」
 涼介は彼の酒を受け取りながら笑顔で微笑んだ。
「ありがとうございます」
 何度か、彼の娘だという人物のことは見かけている。
 親が知らぬこととは言え、彼女の評判はあまり宜しくない。
 有名なお嬢様学校に通ってはいるが、勉強は中の下。
 容姿も可もなく不可もなく。
 けれど通う学校のブランドと親の権威で、思い上がりが甚だしく高慢さが鼻に付く。
 訪れた病院でレジデントの若い医師を相手に、
『私を誰だと思っているの?!』
 と怒鳴りつけている姿を最近も目撃したばかりだ。
 けれど涼介の前では媚を売り、猫撫で声で擦り寄ってきた時には虫唾が走った。
 そんな姿を知りながら、けれど涼介は男の意図を知りながら頷いた。
「…ああ、そう言えば××の病院では人手が足りないそうだ」
 地方の、小さな病院の名前を言い、涼介に狡猾さを含んだ眼差しで視線を送る。
「君なら…この意味が判るだろうがね」
 涼介は俯き、表情を隠したまま苦笑した。
 …脅しだ。娘との事を断るなら、地方へ左遷させるのだと言う。
 涼介の脳裏に、拓海の恥らったような笑みが浮かぶ。
 けれどすぐにそんな拓海の隣には啓介の姿が並ぶ。
 欺瞞は終わりだ。
 もう、涼介は拓海の手を離すべきなのだ。
 きっと彼からはその手は離さない。自分と言う存在が、いつまでも拓海に啓介と言う枷で縛りつけ、自由にすることを許さない。
 だから。
 涼介は目の前の男の酒を飲んだ。
「ええ」
 頷き、笑顔と共に。
「…判ってます」
 脳裏から拓海を消す。
 手を離すのは自分からでなければならない。
 涼介は男に聞こえないように、小さな声で呟いた。
「これでいいんだろう…啓介」
 何故か心に浮かんだ弟の顔は、怒っているように見えた。



2006.10.9

1