ERECTRICAL STORM
act.9
散策する入院患者の休息用のベンチに座り、また新たな煙草を取り出す。
「…で?」
煙草を持つ指が震えていないだろうか。出す声は掠れて動揺が見えているだろうか。
「今更それが何だ」
隣に座る秋山の、膝の上の拳にさらに力がこもる。
涼介と視線を合わさず、俯いたままの秋山の顔の、意思の強そうなハッキリとしたラインを描く眉の間に皺が寄っている。
「どうって……」
言い辛そうな様子に、涼介は溜息を殺せない。
何をしたいんだ、この男は?
拓海を手に入れ、まだ満足ではないと言うのだろうか?
「話が無いんなら俺は……」
呆れ、立ち上がろうとする涼介の腕を、だが秋山が掴んだ。
苦渋に満ちた表情と、熱のこもった眼差しが涼介に向けられる。
けれどすぐにその視線が外され、そして悔しそうに秋山は言った。
「…俺じゃ駄目なんだ」
「………」
「俺じゃ…拓海には駄目なんだ」
涼介の腕を掴んでいた手が離される。
そしてその手はまた握りこぶしを作り、膝の上でさっきよりも固く握られた。
「あんたは…分かってたと思うけど…」
項垂れていた秋山の顔が上がる。真剣な目で涼介を見つめる。
「俺は…拓海が好きだ」
涼介はその言葉に返事をしなかった。ただ、ほんの少し目を眇めた。けれど秋山はそれだけで涼介の意を察したのだろう。苦笑し、また項垂れる。
「最初はさ、啓介がアイツに惚れてるって聞いて…正直、男同士で気持ち悪いと思った。だけど…あの二人を見ててさ、羨ましいと思ったんだ。あんな風に誰かを好きになって、そして好きだと思われて…」
涼介は過去の二人を知らない。
だがその片鱗は知っていた。拓海の態度から、変わっていった弟の様子から。
そしていつまで経っても、二人の間に入り込めなかった、自分の焦燥から。
ジクリ、と捨てたと思った感情にまた棘が刺さる。
「…俺は…あんな風に…啓介みたいに想われたかったんだ」
秋山の呟きに、涼介は嘲笑を浮かべる。
…くだらない。
「…つまり、お前はただあの二人を羨んでいただけだと、そう言うことか」
秋山の言葉には、拓海一人への感情が無い。
啓介と言う存在がいてこそ、成り立つ感情だ。
…こいつも啓介に縛られている。拓海と同じように。
だが涼介が拓海に対する感情に啓介はいない。
最初から一目惚れだったのだ。
けれど、後から啓介と言う存在が枷となって付いてきた。
拓海から啓介の影を取り払いたかった。
しかし同時に、拓海にはいつまでも啓介を忘れて欲しくなかった。
その矛盾が涼介を苦しめた。
どちらも出来ず、拓海を手放した。
それがお互いの為になると信じて。
「…そう…なるのかな?そう…だな。あんたの言う通りだ」
涼介の指摘に、項垂れていた秋山の首がさらに下に落ちる。
「けど…あんたとの関係が、あいつの為にならないって事は…間違いじゃないだろう?」
秋山が苦い表情で涼介を見つめる。
涼介は頷いた。
妙な感じだ。
確かに秋山は啓介に似ている。
まるで、啓介と話しているのかと錯覚してしまうほどに。
だから、素直な気持ちで本音を吐露した。
「そうだ。拓海にとって俺は啓介の身代わりだったからな」
啓介への想い、そして素直になれなかった拓海の後悔が、涼介との関係を作らせた。
傷を舐めあい、そして二人で啓介の思い出を抱きしめる。
そんな関係は、どちらかの傷が癒された時点で解消されるものだ。
今回は涼介が敢えて手を離したが、いずれ拓海の傷が癒えれば、彼から涼介を捨てただろう。
だがその時に拓海が涼介を見捨てれるか?
それを考えた時に、涼介は否の答えが出る。
意地っ張りだが優しくて、情が深くて我慢強い彼だから。
「俺がいたんじゃあいつは三年前から一歩も進めない。過去を振り返るなとは言わないが、だが…過去に縛られたままでは駄目だ」
拓海も、涼介もまた。
だから……。
「俺が…言うことじゃないのかも知れないが……」
言い辛そうに秋山が口を開く。眉間にはくっきりと苦悩の皺。
「…俺は…あんたのやった事は間違いじゃないと思う。だけどあんたがたった一つだけ間違いを犯したんだとすれば…」
秋山は目を伏せ、そして深く息を吐いた。
「……あんたが…拓海の気持ちを全く聞こうとしなかった事だ」
拓海の気持ち?
何があったと言うんだ?
啓介への感情と、そして涼介への欺瞞に満ちた情への他に。
秋山が立ち上がり、そして涼介へ背を向ける。
「…やっぱり、これ以上は無理だ。あんたは笑うかも知れないが、俺だって本気で拓海の事が好きだったんだ。だから……」
…だった、と過去形で話す秋山に、漠然と涼介は彼の押し殺そうとする彼の感情を知り涼介の心も痛む。かつて、何度も努めながら果たせなかった自分の感情を思い出し。
「だから…後はあんたが自分で考えろよ」
…今更だ。
…本当に今更なんだ。
「話はそれだけだ。じゃあ…手間取らせてすまなかったな」
去ろうとする秋山に、涼介は目頭を押さえた。
「秋山」
秋山が振り返る。そして鎮痛な面持ちの涼介を見つけ、目を瞠った。
「…もう、遅い」
「え?」
「…俺は…ここを出て行く」
決意を込めた眼差しで秋山を見れば、彼の目がまた眇められる。
「…どこに行くんだ?」
「海の…向こうだよ」
ボストンの大学に行くことはもう決定済みだ。医師としてだけでなく、誰も知人のいない土地で新たに自分を見つめなおしたかった。
「そいつは…また遠いな」
「ああ。すぐに戻れる場所では意味がないだろう?」
そして、拓海がすぐに追いかけられる場所でも。
「あいつには…幸せになって欲しいんだ」
それには、自分や啓介の存在が枷になってはいけない。
「…最初から間違ってたんだよ、俺たちは。
たとえどんなに辛くても、傷は一人で癒さなければならなかった。なのに俺たちは痛みに負け、過去を振り切らずに抱え込んだまま留まった。
酷なようだが、今の状況は本来なら三年前にやらなければいけなかった過程だ。拓海は一人で啓介の事を過去にしなければならない」
そうでなければ進めない。拓海も、涼介も。
「俺がいたんじゃ、あいつはそれが出来ない」
だから、離れる。拓海の為に。
決意を孕み、秋山を見つめる涼介に、秋山の目が揺らぐ。自嘲を込めて。
「…一つだけ聞いていいか?」
「何だ」
「あんたさ、啓介の事が無くても…あいつの事が今みたいに好きだったって言えるか?」
涼介は微笑んだ。
「ああ。言えるよ。あいつを好きになったのは、啓介とのことを知るより前だったからな」
涼介から視線を外し、俯いたまま秋山は首筋を指で掻いた。
「…堪んねぇな、本当に。…負けだ、負け。俺の完敗だ。啓介にも、あんたにもな」
顔を上げた秋山の顔には、子供のような泣き笑いの表情が浮かんでいた。
涼介にはそれを馬鹿には出来ない。彼がそれだけ、拓海を好きだったのだという証なのだから。
「…前に、あんたは啓介とは似てないって言ったけど、…撤回するよ」
拓海を好き「だった」男。
そしていずれ自分もそうなる。この姿は未来の自分。
いつか、彼の隣に誰かが立っていても、泣き笑いだろうと祝福できるように、強く、強くあろうとする姿。
「あんたら二人、そっくりだ」
秋山が空を見上げる。涼介もまた釣られ空を見上げた。
「二人とも、あいつの事が本当に好きなんだよなぁ……」
見上げた空には、よく晴れ済んだ青の真ん中に、眩く輝く太陽の光が見えた。
2006.11.12