ERECTRICAL STORM

act.10


 三回忌の日。
 その日はまた雨が降っていた。
 まるで三年前の再現のような天気に、涼介は皮肉を覚える。
 斎場で滅多に顔を合わせない親戚一同に頭を下げ、僧侶の読経を聞きながら過去を振り返る。
 兄弟と言うのは一番最初のライバルだ。
 年が離れているせいかそう顕著ではなかったが、啓介は自分によく張り合ったし、そして涼介もまた自分とは正反対な生き方をする啓介に対し、憧れと羨みの感情を抱いていた。
 けれど幼い頃の涼介は、素直に小さな弟が大好きで、そして啓介もまた賢い兄を慕っていた。
 まだ覚束ない足取りでしか歩けなかった啓介の手を引き、色んな物を見せた。
『ほら、啓介。いわし雲』
『いわしぐも?』
『ああ、あの雲が出ると、明日は雨になるんだよ』
『へぇ〜。すっげーな、にいちゃんなんでもしってるんだ』
 知ったかぶりの知識を弟に教え、キラキラした目で見つめれられるのが嬉しかった。
 けれどずっと自分の後ろを駆け足で付いてきていた弟の、自分への呼び名が「兄ちゃん」から「アニキ」に変わる頃、弟は自分から目を逸らし、暗い目をするようになっていた。
『うるせぇんだよ!俺はアニキじゃねぇんだ!』
 キラキラと尊敬の眼差しで見上げていた瞳に、険が生じ、そして憎しみの感情を込めて睨みつけてくる。
 そうなって初めて、涼介は後悔と言う感情を覚えた。
 尊敬する兄。
 そんな存在を誇示しすぎ、啓介と言う個性を押し潰してしまった事を。
 踏み間違えた亀裂はなかなか埋まらず、いつしか諦めの感情でしか接することが出来なかったのだが、ある日を境に弟の笑顔が増えた。
 笑いながら涼介に話しかけてくる。
 小さい頃のように。
『なぁ、アニキ』
『何だ?』
『その…さ、…ゴメン』
『…いきなりどうした?』
『いや…俺、馬鹿だからさ、アニキに迷惑かけてるのに、アニキにも意地張って怒鳴ってばっかだったからさ。だから…謝っておこうと思って』
 気まずそうに、けれど真正面から真っ直ぐな感情で謝る姿に、かつて幼い頃に叱られた後の彼の姿を思い出す。
 半泣きなのに、謝りながらも「でも俺は悪くない!」と言わんばかりの姿を。
『…啓介は馬鹿じゃない』
『は?』
『いや、確かに馬鹿だが…お前はいつも間違ってない』
『…アニキ?』
『間違っているのは俺たちだ。だから、謝るのは俺の方だよ。啓介…悪かった』
『な、何でアニキが頭下げんだよ!謝ってんのは俺だろ?!』
『いや…謝るのは当然だ。啓介は啓介なのに、俺の価値観をお前に押し付けて、お前を押し潰そうとした。お前は、お前なのにな』
 頭を下げる涼介に、啓介は驚きながらも、けれど照れ笑いのような表情を浮かべた。
『…参ったな。アニキまでアイツと同じこと言うんだもんなぁ…』
 照れくさそうなその表情が、涼介の言葉への反応だけでなく「アイツ」と言う存在のせいでもあったのだろう事を、その時の涼介は察した。
 そして啓介に良い友人が出来たのだと、そう思い嬉しかった。
 明るくなる弟。前向きになり、自身の悪いところを素直に認め、頭を下げる勇気を持つ。
 ギスギスして冷たかった家に温度が宿り、色が蘇る。
 能面のようだった両親にも表情が戻り、啓介の笑顔に釣られるように彼らにも笑みが生まれる。
 幸せだった。
 あの瞬間は、確かに家族にとって幸せな時間だったのだ。
 けれど――。
 涼介は目を閉じ、そして肉の塊としてしか認識できなかった三人の最後の姿を記憶の淵に沈ませる。蘇る、血と漏れた車のオイルの混ざった匂い。
 幸福は一瞬だった。
 あとに残ったのは、冷たい寂寥感と…そして掴めない恋情への焦燥。
 啓介を変えた「アイツ」は、涼介も変えた。
 だがたとえ偽りだろうと彼を抱きしめていたあの時間を、涼介は幸せだったのだと断言できる。
 彼の目が、自分を見ていなくとも。
 あの温もりが傍にある。
 それだけで良かった。
 それだけで満足していれば良かった。
 けれど、聡い大人と呼ばれる人種の涼介は気付く。
 自分を見ない。
 そして前を見ず、いつまで経っても過去を振り返り続ける彼の眼差しを。
 彼の目は、三年前のあの日。
 火葬場で煙になって空へと昇る啓介を見つめたまま止まっている。
「涼介」ならば、そんな彼を許す。
 けれど、きっと「啓介」はそんな彼を許さない。
 殴ってでも、きっと彼に前を見せようとした筈だ。
『何やってんだよ、しっかりしろ!』
 泣きながら。抱きしめながら。誰よりも深い愛情で以って拓海を突き放す。
 かつて、啓介をそうやって導いてくれた彼だからこそ。
 涼介と拓海の関係は虚構のようなものだ。
 何も始まっていなかった。
 始まってすら、いなかった。
 ずっと、啓介と拓海。二人の恋が続いていただけだ。
 二人の恋愛は終わっていない。
 ずっと。いつまでも。
 たとえ片方がいなくなっても。


 涼介は閉じていた目を開ける。
 歪む視界に、涙を流していた自分を知る。
 そして読経が止み、静まり返るフロアに居並ぶ人々に告げた。
 ここを、捨て逃げる事を。
 この町を。
 家を。
 思い出を。
 親戚も、地位も、身分も何もかも。
 そして何より、心から愛する、大切な彼を。
 涼介は頭を下げ、謝罪した。
「……勝手をして…申し訳ありません」
 謝るのは、自分の弱さへの許しが欲しいからだ。捨て去ることでしか、彼を突き放すことが出来なかった自分への。
 錯覚だろうが、姿が…声が聞こえるような気がした。
 苦笑しながらも、けれど愛情に満ちた表情で笑う弟の姿を。

『アニキは悪くねぇよ』

 涼介は顔を上げた。

『悪いのは俺だ。置いて…先に逝っちまった俺が悪いんだよ』

 涙はもう止まっている。
 そして自分が、微笑んでいることも感じていた。

『…だから、アニキは悪くねぇんだ』

「……啓介」
 雨の日は嫌いだった。
 辛い記憶が蘇るから。
「これで…いいんだろう?」
 見上げる空は曇天に無数の雨粒。
 雨は苦手だ。
 けれど、零れ落ちる涙を隠してくれる。
 そんな優しさを持っていることに、今日はじめて気が付いた。



2006.11.14

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