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ERECTRICAL STORM

act.4


 薄い氷の上を渡るような生活。
 些細な衝撃で、それは脆くも崩れ去ってしまうだろう。
 だから涼介は細心の注意を以って、この生活の維持に努めてきた。
 けれど自分のそんな思惑とは別に、波紋は起きる。
 導かれる運命のように、それは唐突に。
 涼介がそれを見たのは偶然だった。
 たまたま早く仕事が終わり、帰りに拓海の好物だという菓子を土産に買おうと寄り道をした。
 その時にふと目に付いた運送会社のトラック。その社名で、拓海の勤め先のものだと気付き目を留めた。
 まさか本人が乗っていないだろう。そう思った瞬間に、助手席のドアが開き、ひょっこりと見慣れた顔が現れる。
 思わぬ偶然。自然と顔が綻んだ。
『拓海』
 仕事中であると知りながらも、手を挙げ声をかけようと口を開いた瞬間、運転席側のドアが開く。
 拓海と同じ制服、同じ帽子。けれど体つきは拓海よりしっかりと出来上がり、精悍な顔つきから、たまに耳にする拓海の指導役でもある先輩であるのだと分かった。
 後部にある荷台のドアを慣れない手つきで開こうとする拓海を、その先輩は笑いながら押しのけ自分で開ける。すると拓海は涼介には見せない子供の顔で拗ねて唇を尖らせた。
 先輩は笑みのまま、そんな拓海の額を小突いた。最初は拗ねて怒っていた拓海も、けれど直ぐに笑顔になって先輩に笑いかける。
 そんな光景を、涼介は固まったまま見続けた。
 ドクドクと心臓が嫌な感じに鼓動を早める。
 ――拓海は俺の前ではあんな顔をしない。
 見た事のない拓海の、年相応の表情。
 それはまるで彼が啓介と一緒にいるかのような錯覚を涼介に感じさせた。
 凍りついたまま、じっと二人を凝視する視線に、拓海ではなく先輩の方が先に気付いた。
 ひたり、と目が合う。
 瞬間、じゃれて和んでいた彼の目が、拓海を守るスタンスのものへと変化する。
 その変化の意味を、悟れないほど涼介は子供じゃない。けれど、それは余りにも涼介には知りたくない事実だった。
 先輩が拓海の耳に何かを囁く。拓海の目が涼介へと向けられた。
 その視線に、笑みを浮かべにこやかに手を挙げれたのは、今まで培ってきた外面のおかげだ。内心では動揺し破綻の恐怖に怯えているのに。
「…涼介さん」
 拓海の唇が自分の名を呟く。けれどその声音に、喜びは無かった。ただ、戸惑い困ったように自分を見つめる。
 けれど視線が合った以上、ここで何も声をかけずに去れない。二人の前まで歩き、そして心を押し隠し笑みを浮かべた。
「偶然だな。仕事中か?頑張れよ」
 如才ない大人の態度で、年下の弟に向けるような言葉を拓海にかける。拓海は気まずそうに、涼介と先輩を見比べる。
「あ、はい…あの…」
「もしかしてこの人が、藤原が世話になっているって言う、啓介の兄さん?」
 言い辛そうな拓海よりも早く、先輩が口を開く。そこから出た名前に、涼介は驚きを隠せなかった。
「啓介……?」
 唇が戦慄いた。
 先輩が笑った。挑発する獣を感じさせる笑み。
「あれ、藤原から聞いてませんか?元々俺が紹介したんですけどね、この仕事。啓介の知り合いだからってんで」
 聞いていなかった。涼介は拓海から就職する旨と、就職先を決めたことを事後承諾のように聞いただけだった。
「いや…何も」
 戸惑いながら拓海を見つめれば、拓海はそんな涼介の視線を避けるように目を逸らしたままだった。
「…君は…啓介の知り合いか?」
 地面が揺れる。
 いや、揺れているのは心だった。
 ずっと平穏なまま続けていくのだと思った生活が揺らぎ始めている。
「酷いなぁ。覚えてないんですか?俺もちゃんと葬式には参列したんですけど」
 じっとその顔を見つめる。記憶の中、あるのは線香の香りとじっと睨むように見続けていた拓海の記憶だけだ。
「でも、しょうがないか。あの時アンタ、何も目に入ってないみたいだったし」
 目の前に運送業で荒れた頑丈な手の平が差し出される。
「秋山渉です」
「秋山……君が?」
 そう言われ、涼介は記憶の淵から彼の名前を思い出す。
 何度か、喧嘩沙汰で警察から補導を受けた際、弟の喧嘩の相手の名前がそうだった。
 それがいつしか友情になったのか、啓介から「秋山」言う名前の友人のことを楽しそうに話すのを聞いた。
『あいつ、すっげー真っ直ぐなの。不器用っつーか。すぐに熱くなるしさ。でもすっげーイイ奴なんだ』
 弟の友人は多い。けれど中でもその「秋山」とはとても気が合っているようだった。
 その時、涼介はこう答えた記憶がある。
『そうか。じゃ、お前と似ているんだな』
 啓介の語る「秋山」評は、まるでそのまま啓介を指しているようだった。だから笑いながらそう言うと、思いのほか憤慨していたのを覚えている。
『…んだよ、ソレ!俺はアイツほど無謀じゃねぇよ!』
 似ているからこそ気が合ったのだろう。だけどそれを認めるには、向こうの欠点まで見すぎているのだろう。それほど仲が良いと言う証拠だ。
 そして過去の記憶は現在に繋がる。
 今、目の前にした秋山は、確かに涼介に啓介を思い出させた。
 その真っ直ぐな精神。
 引くことを知らない情熱も。
「涼介、さん…ですね」
 かつて、涼介が「敵わない」と感じた、啓介そのままに。
 秋山の手が、傍らの拓海の頭に置かれ、自分へと引き寄せる。涼介にはそれが、啓介が拓海の所有権を主張したかのような錯覚を感じさせた。
「いつもコイツが世話になってます」
 拓海のスタンスに立った物言い。本来ならそれは、保護者と言う立場にもある涼介が秋山に向け言わねばならない言葉だ。けれど敢えて秋山はそう言うことで涼介を挑発しているのだ。それが判らないほど子供ではない。そしてそれに対し、激昂するほど涼介は啓介のようには生きられない。
「いいや、こちらこそ。拓海は君に世話になっているようだね」
 大人の狡さを覚え、笑顔でそう返せる自分に反吐が出る。
 秋山はそんな涼介の態度に、不愉快そうに眉間に皺を寄せた。
「……ふぅん、アンタ、啓介に本当に似てないんだな」
 啓介だったら、今ごろ秋山に対し「ふざけんな」とでも怒鳴っているところだろう。
 だが、涼介は啓介のようになれない自分を知っている。嫌と言うほど。
「……生憎、兄弟とは言え別の人間なので」
 秋山の目を見つめながら答えた。彼の目は探るように涼介を見続けている。
 その秋山の目の中に、じり、と炎のような怒りを感じた。
「…んな事は知ってるよ…俺は」
 …俺は。
 その言い方に、涼介はヒヤリと剥き身の剣を突き当てられた心地になる。
 この男は知っている。
 啓介を交えた、涼介と拓海の曖昧な関係を。
 思わず、涼介は視線を拓海に移した。その表情の中に、ずっと仕舞っていた質問の答えを探して。
 けれどそれは見つからなかった。
「渉さん!」
 拓海が秋山の腕を引っ張る。その身近な人間にする気後れのない仕草に、拓海と彼との距離を知り、胸がジリジリと焦げる。
「あの、涼介さん、俺ら仕事中なんで…もう…」
 その表情に涼介が見たのは、今この場で邪魔をしているのは自分なのだという事実だった。秋山と、拓海の二人を。
「あ、ああ…悪かったね」
 それに思った以上にダメージを受けている。
 いや、秋山と言う存在自体が。
 拓海が秋山の腕を引っ張り涼介に背中を向ける。涼介は取り残された気分を感じた。
 じっとその背中を見つめていると秋山が振り向いた。
「そうだ、あんたコイツの保護者なんですよね!」
 いきなり何を言うのか、と拓海が戸惑い秋山を見つめる。
「コイツ、いつもあんたが待ってるからって、飲み会にも全然付き合ってくれないんですよ。だから、保護者のアンタに断っときます」
 やけに保護者と言う言葉を多用する。それに含まれた意図に、歯軋りを堪え涼介は平静さを装った。
「コイツ、今日飲みに連れてっていいでしょう?」
 挑発だ。明らかに。
「渉さん!」
 拓海が咎めるが、涼介にも、秋山にもそれは聞こえなかった。
 握り締めた拳に爪が食い込む。
「いいじゃないか。お前、毎日家事ばかりしてるんだろう?たまには気晴らしも必要だよ。そうでしょう?タカハシさん」
 困惑の表情で拓海が自分を見つめる。口元は笑いながら、目だけは射抜くように鋭い秋山の視線に晒され、涼介は怒りに震え、けれどすぐに蘇る理性がそれを阻んだ。
 …何をやってるんだ、俺は。
 出来るなら閉じ込めたいのだ。誰にも見せず、自分だけのものにしたい。
 けれど涼介にはそんな権利は無い。
「拓海」
 拓海が涼介を見つめる。その視線の先が、ずっと自分だけのものであればいいと思うのはきっと我がままなのだ。
 だから…。
「…そうだね。たまには家事を離れてゆっくりしてきなさい」
 大人の振りをしてその手を離すことしか出来ない。
 拓海は涼介の言葉に、俯き、けれど小さく頷いた。
 そしてまた背を向け立ち去ろうとする。
 そんな涼介に秋山が鼻で笑ったのが見えた。
『馬鹿だな、アンタ』
 言わずとも、表情がそう語っているのが判った。
 そしてその燃えるような瞳が涼介に訴える。
『俺ならそんな事はしない。欲しいものに遠慮なんかしない』
 …出来るものならとっくにそうしてたさ。
 涼介に出来たのは本心を押し隠し、作り笑いを浮かべるだけだ。
 遠くなっていく二人の背中を見ながら、涼介もまた踵を返した。
 胸に去来するのは失ってしまった弟の面影。
「…やっぱり似てるよ、啓介。お前とあいつ…」
 薄い氷に皹が入る。
 ぐらぐらと地面が揺れる。今にも壊れそうなそれを涼介はしがみ付くように歩く。
「お前はまた…怒るかも知れないが」
 …でも似ていた。
 ただ血の繋がりだけしかない自分なんかよりも、ずっと。
 涼介は拓海のために買った菓子を捨てた。
 自分は愚かだとこの二年間、ずっと思っていた。
 けれど今の涼介は、初めて自分を哀れだと感じていた。



2006.10.4

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