ERECTRICAL STORM

act.3


 月日は流れていく。
 両親と弟の死の事実を受け入れ、彼らがいない生活にもだんだん慣れていった。
 帰宅してすぐに、彼らの遺影に手を合わせることが習慣付いてしまったのも、いつからだったか。
「お帰りなさい、涼介さん」
 神妙に目を閉じる涼介の背中に、弾んだ拓海の声がかけられる。
 いつも午前を回ることが多い涼介の早い帰宅に喜んでいるのだろう。拓海は浮かれて見えた。
「ただいま」
 振り返り、ネクタイを緩めると、すかさず拓海がその手を涼介へと差し出す。
 当たり前のように、外したネクタイをその手に渡す。
「お疲れ様。ご飯もう出来ますよ。それとも、先にお風呂にしますか?」
 涼介は苦笑した。まるで新婚のような会話だ。けれどそんな会話が彼らの間に定着するようになってもう暫く経つ。
「そう…だな。じゃ、先に風呂に入るよ」
 日々の過労から、ギシリと軋む体。凝った首を抑えながらそう答えると、拓海の指が心配そうに涼介の頬に触れた。
「…無理、しないで下さいね」
 その表情に溢れた不安。一度大切なものを失っているからだろうか。拓海は時々涼介に対してもこんな顔をすることがある。
 一度、過労から酷い風邪を引き込み、寝込んだことがあった。
 あの時のことを涼介は覚えている。高熱で意識が朦朧とする中ずっと自分の手を握り続けていた。
 うっすら、浮上する意識で、涼介はその時の拓海の顔を見た。
 まるで迷子のような表情で、涼介を縋るように見つめていた。
 何度も貪ったことのある弾力のある唇が開かれ、ぽつりと呟く。
『…一人はやだよ』
 いつも拓海は涼介の前だと気丈な表情ばかりを見せる。弱さを見せず、なかなか素直に甘えてくれることもない。柔らかな面差しとは違い、大人びた態度。それが拓海の魅力でもあったが、それが涼介に拓海との距離感を作らせていた。
 けれどあの時の拓海は、年相応の、いやそれよりも小さな子供のように見えた。
『置いてかないで…』
 そして拓海の唇が名を紡ぐ。
『…啓介さん』
 泣きそうな表情で、弟の名を呟いた。
 涼介は理解した。
 寝込む自分の姿に、拓海は最後を看取ることすら出来なかった啓介を重ねたのだと。
 そして拓海は啓介の前だと、年相応の少年の顔になる。自分の前では、気丈なところしか見せないのに。
 あの言葉を聞くまで、どこか涼介は期待していたのだ。拓海が、純粋に自分を愛してくれているのだと。
 けれどそれが間違いであることを悟った。
 二人の間を繋いでいるのは啓介の存在だけだ。それが無かったなら、今こうしていることは無かっただろう。
「…涼介さん?」
 頬に触れていた拓海の顔が、さらに心配そうになる。
 その声に涼介は心の淵に沈みこみそうになっていた意識を眼前に戻した。
「…ああ、いや…何でもない」
 曖昧に、ごまかすように目を逸らす。追求してくれればいいのに、涼介のごまかしに、拓海も触れていた指を離し、そして目を逸らした。
 遠慮がちな仕草。踏み込めない距離。
「…お風呂の用意、してきます」
「ああ…」
 涼介は溜息を吐いた。バタバタと自分から逃げるように慌しく背中を見せる拓海をチラリと見つめる。
 その背中に腕を回し、引き寄せ問い詰めることは簡単だ。
『俺は啓介の代わりか?』
 けれどそれをするには涼介は臆病すぎた。小さい頃から優等生で、親の期待さえ外れることをしなかった自分にはそんな度胸は無い。
 だが、
「…啓介なら…するだろうな」
 苦い笑みが零れる。
 無謀なところは多々あったが、啓介は一度思い込んだら恐れず突き進むことがある。その真っ直ぐさが、親と衝突を生み出し、そして涼介に侮蔑と憧憬と言う相反する感情を宿らせた。
 啓介のことは好きだった。弟として愛してもいた。だが上手く立ち回ることもせず、ぶつかってばかりの啓介を涼介は密かに馬鹿にしていた。見下していたのだ、啓介を。だがそれと同時に、自分には決して真似の出来ない生き方をする啓介に対し、憧憬に似た感情も抱えていた。
 思えば、兄弟なんてこの世で一番最初のライバルだ。
 小さな頃から素直に自分と張り合ってこようとする啓介。
 涼介に負ければ素直に「悔しい」と泣き、「次は絶対に負けないからな」と泣いていたのが嘘のように強気な目で睨んでくる。
 それに反し、涼介は表情豊かな啓介と違い、素直に感情を表すことが出来ず、周囲の「優秀な子」と言う言葉に対し憤りを感じていても、作り笑いで誤魔化すことばかりを覚えていた。
 感情を素直に現す啓介を見下しながらも、そうなれない自分を嫌悪し憧れる。
 小さい頃からそうだった。
 いつか、そう…いつか。
 もしも啓介と同じ舞台で張り合うことになったなら、勝利するのは啓介だろうと、涼介はそう思っていた。
 啓介には適わない。
 それは小さい頃から根深く住み着いた、涼介のコンプレックスだった。



 同じベッドに二人横たわった時に、手を伸ばしてきたのは涼介ではなく拓海だった。
 躊躇いがちに涼介のパジャマに手を伸ばし、ボタンを外す。
「…拓海?」
 拓海からの誘いは珍しいことではない。過去に対する不安からだろうか、涼介の熱を欲し縋りついてくる。
 涼介は拓海の好きなようにさせた。その柔らかな髪を撫で、拓海の動きを受け入れる。
「…涼介さん、疲れてない?」
 既に拓海の声は欲に甘く掠れている。
「ああ。だから拓海がエネルギーをくれるんだろう?」
 薄暗がりの中でも、その頬が赤く染まったのが見えた。
 拗ねたように唇を尖らせる。
「エネルギーって…逆に疲れると思うんだけど…」
 キスは啓介が。
 でも深いキスと、そしてセックスは涼介が教えた。その体に刻むように。
 自分しか知らない体は、いつまで経っても二年前の時のまま純真さを残す。
「適度な運動は体にいいんだよ。それとも、明日起き上がれないくらいに疲れるまでして欲しいって催促か?」
 意地悪い涼介の言葉に、表情は見えなくても雰囲気で彼がムッとしたのが分かった。
 寄せていた顔が首筋に埋められ、チクリと痛みを感じた。
 首の、顎に近い部分だ。明日にはそこに、クッキリと跡が残るだろう。服では隠れない場所に付けられたキスマーク。それが彼の精一杯の仕返しだろう。
 だが。
 狡い大人にはそれが煽る原因にもなる。
 涼介は拓海の上にのしかかる。
 得意げに微笑んでいた彼の表情が驚きに変わる。
「そんなに強請られたら、しないわけにはいかないな。…覚悟しろよ」
 キスマークぐらいで恥ずかしがるような年ではない。逆に、堂々と晒せば余計な秋波が減って好都合だとさえ思う。
「ね、強請ってません!」
 ジタバタと自分の下で暴れる体。細く見えるが、昔よりしっかりと筋肉が付いているのは自分の目で、そして手触りで確認している。
「…強請っただろう?」
 唇を寄せ、囁くと暴れていた体がピタリと止まる。そして躊躇いがちに伸びてきた腕が自分の首に回り、しっかりと巻きついた。
 たった一人の人に惹かれる。
 その事を涼介は拓海に出会うまで知らなかった。
 恋の真似事のようなことは何度かあったが、拓海のように心から欲するということは無かった。
 それこそ、周囲には千も、いや万もの人が溢れているのに、何故かたった一人にだけ心惹かれてしまう。
 それこそ磁力か何かのように。
 初めて会ったときに、目を引かれ離せなかった。そしていつまでもその記憶が消えず、心に根付いて占拠する。
「…拓海、…拓海」
 何度も名前を呼び、二年かけて教え込んだ快楽を彼の体に呼び覚ます。高性能な楽器のように、すぐに音を立て響くその体。この体に溺れている…。そんな表現が正しいほどに、涼介はいつの間にか焦燥を忘れ、心ごと拓海の中に深く沈みこんだ。
「…りょう、すけさん…」
 拓海もまた背中に爪を立て、涼介の名を呼ぶ。
 焦がれるほどに。
 溺れるほどに。
 彼無しでは生きていけないほどに愛しているのに、それを伝えることが出来ない。
 二人の間に、啓介の影が消えない限り。
「…拓海……」
 二年前。
 拓海と関係を持った時も、雨だった。
 蘇る悲しい記憶と同じシチュエーション。感傷と、寂しさと。色んなものが混ざり、二人を結びつけた。
 あの時、拓海は涼介に抱かれながら啓介の名を呼んだ。
 涙を流し、涼介の肌に爪を立て、啓介を求めた。
 拓海にとって自分は啓介の身代わり。その事は分かりきったことだった。
 けれど涼介には違った。
 拓海に触れて、彼に啓介の名を呼ばれ、気付いた。
 あの瞬間。
 雨の中、じっと睨むように火葬場の煙を見つめていた拓海。
 その姿を見た瞬間から、彼に惹かれたのだということを。
 だから啓介の携帯を見て、あの少年が弟と付き合っている事実に、必要以上にショックを受けたのだ。
「…涼介、さん」
 拓海が涼介の名を呼ぶ。
 彼が弟の名を呼んだのはあの最初の時だけだ。
 けれど涼介の耳には、自分に抱かれながら、啓介の名を呼んでいた拓海の声が、姿が消えない。
 二年の歳月が経った、今でも変わらず。



2006.10.1

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