ERECTRICAL STORM

act.1


 夜半過ぎから降り始めた雨は、曇天模様となって朝まで残った。
 雨は苦手だ。
 辛い記憶を呼覚ませるから。
 滑り落ちたシーツの隙間から現れた剥き出しの肌に、冷えた空気が染みる。
 ブルリと身震いをし、ベッドの下に落ちクシャクシャになったシャツを取り羽織る。
 裸で眠る習慣は無い。
 ただ、昨晩裸になった自分が、そのまま眠ってしまっただけの事だ。
 隣に眠る、同じように剥き出しの肌を晒したまま事切れるように寝入ってしまった人物を起こさないように、そっとベッドから滑り出る。
 床の上には、自分の物だけではない、彼の服も混ざるように散らかっていた。
 涼介は自嘲の溜息を零し、落ちていた服を身に着ける。
 昨夜は疲れていた。
 医者と言う仕事柄、急な呼び出しも多く、二十四時間拘束されるのも珍しくない。昨日はそんな日々が続き、まともに自宅へ帰る事も叶わず、肉体的にも精神的にも疲労していた。
 涼介は自分が脱がせた散らばる服を纏めながら、傍らに眠っていた少年と呼んで差し支えない彼の顔を見つめる。
 健やかそうな顔に、色めいた疲労の後が残っている。
 何も知らなかった彼に、そんな顔をさせるようになったのは、彼より遥かに大人のはずの自分だ。
 少年期を脱出したばかりの華奢でありながらしなやかな体。色素の薄い柔らかな手触りの茶色の髪。その同色の睫毛の下に覆われた、今は閉じられた瞳が、髪と同じ薄茶色の色をしているのを知っている。
 その瞳に見つめられると、冷静で理知的と評され、そう自認していた自分が、子供のように胸を弾ませどうしようも無い衝動に襲われることも。
 昨夜は、そんな彼の瞳に耐え切れずにその体を貪った。
 抱き締め、その肌の全てに舌を這わせ、欲望を自分より一回りは小さなその体に埋め込んだ。
 細く、だが意外と力強い腕が、涼介の背中に回され、彼と同じくらいの力で体を抱きしめる。
 耳元に、吐息と一緒に囁かれた自分の名を呼ぶ声が蘇る。
『……涼介さん…』
 涼介は再びベッドに引き戻したくなる自分を感じ、苦笑しながらゆるく首を振った。
 昨夜の記憶をなぞらえていただけで、また欲望が蘇りそうになる自分が浅ましい。
 適当に服を身に着け、寝室にあるクローゼットから新たな服を取り出し、部屋の扉を開ける。
 だがドアノブのささやかな開閉音で、ベッドの上の少年の瞳が開いた。
 潤んだような、大きな茶色の瞳が自分を見つめる。
 身を起こしたその白い裸身からシーツが滑るように零れ落ち、若さと艶やかな色に染まった肌を露にさせた。
 同性の、しかも二十歳前の男の裸に欲望を感じる自分がいるなど、三年前まで予想もしていなかった。
「…涼介さん?」
 昨夜、囁かれたのと同じ声が、寝起きの掠れた声で自分の名を呼んだ。
「まだ早い。寝てろよ」
 そう言うと、ベッドの上の彼は、不満そうに唇を尖らせた。
「…やだ。起きる」
 だが彼の足が、床に着いた途端、腰がヘナヘナと砕け落ちる。
 涼介は慌ててその体を支え、また彼をベッドに戻した。
「…無理だよ。今日はまだ寝てろ。仕事、昼からなんだろ?」
 最初に出会ったのが、彼がまだ詰襟の制服に身を包んだ高校生だったからだろうか。涼介の中では彼が、高校を卒業と同時に働き出し、もう社会人になったと言うのに、まだまだ子供であるのだという意識が抜けない。とは言え、自分より十歳も下の彼を、子ども扱いするなと言うほうが無理だろう。
「ゴメン…無理させたな」
 彼の柔らかな髪を撫で、自戒を込め溜め息を零す。
 自分の腕の中で、悔しそうに歪める彼の顔が愛おしい。
「今日は涼介さんより早く起きて、絶対に朝ご飯作ろうと思ってたのに…」
 けれど、自分のその想いは言えない。
「いいさ。昨夜たっぷり付き合ってもらったからな」
 わざと茶化すように言うと、彼の顔が真っ赤に染まり、そして涼介に枕を投げつけてきた。
「…ヤらしいんだよ、あんた!」
 彼は怒った時だけ敬語が消える。その瞬間が好きだった。
 自分が、彼と対等に立てたようで。
「それより、今日は月命日だから、墓参りを頼むな」
 彼に、いなくなってしまった弟と同じ扱いを受けているようで。
 涼介の言葉に、染まっていた彼の頬の赤みが消える。続いて現れたのは寂しげな瞳。
「…そっか。もう今日なんだ」
 好きだ、と言えない。
 彼が弟を思い出すたび、こんな表情をする限り。
「…ああ。不肖の息子と兄貴で申し訳ないが、俺は行けそうも無いから」
「涼介さん、忙しいですもんね…。分かりましたよ。掃除と、お花を添えておけばいいんですよね」
「ああ。頼むよ、拓海」
 拓海が微笑む。
 どこか傷を残した笑顔で。
 彼こと藤原拓海は弟の恋人だった。
 だから言えない。
 たとえ、その弟が、三年前に他界していたとしても。





The sea it swells like a sore head and the night it is aching
愛は痛む頭のように腫れあがり 夜が疼く
Two lovers lie with no sheets on their bed
二人の恋人はシーツもないベッドに横たわり
And the day it is breaking
朝が明けてゆく

On rainy days we`d go swinning out
雨の日にはよく泳ぎにいったもの
On rainy days swimming in the sound
雨の日にはよく音の中で泳いだもの
On rainy days we`d go swimming out
雨の日にはよく泳ぎにいったもの

You`re in my mind all of the time
きみはいつもぼくの心の中にいる
I know that`s not enough
それだけじゃ足りないことはわかってる
If the sky can crack there must be someway back
空に皹が入れば 帰り道もみつかるはず
For love and only love
愛に そう愛だけに向かう道が

Erectrical StormErectrical Storm

Baby don`t cry  どうか泣かないで



song by U2 「ERECTORICAL STORM」






 記憶にある限り、嫌な思い出のすべてに雨が降っている。
 風邪を引いた日も。楽しみにしていた遠足が潰れた日も。
 そして…弟と、そして両親が同時に他界した時も。
 三年前の初春。
 まだ涼介は二十四歳で、医師国家試験が済み、自宅で結果を待っているばかりの頃だった。
 涼介の家は某大手企業に勤める父と、弁護士として働く母。そして医師を目指す涼介、そして大学進学を控えた高校三年の弟と四人家族だった。
 そんな家族が、涼介だけを残し他界したのは、通常よりも高い生活水準のおかげで無駄に広い邸宅の庭の、梅の木の花が芽吹いてきた頃だった。
 あの日も雨が降っていた。
 大学の合格が決まった弟の啓介は、買ってもらったばかりの車で両親を乗せ初ドライブに出かけた。
 あの頃の啓介は落ち着いていたが、一時期、優秀な兄、そして共働きのせいで構えない両親に反発し、学校にまともに行かず、喧嘩に明け暮れ、警察沙汰になることも多々あった。
 そんな啓介が、ある時期を境にどんどん家族に対し心を開き、そして今では素直に両親や、涼介とも会話をするようになった。
 両親が、そんな啓介に車を買ってやったのは彼らなりの弟に対する謝罪と喜びの現われなのだと思う。
 そして弟もそれを素直に受け取り、納車されたばかりのあの日、いつもなら「オヤなんか連れて行けるかよ」と悪態を吐く口を閉ざし、逆に「乗せてやろうか?」と照れながら笑った。
 涼介は、不器用すぎて素直に会話する事も出来なかった両親と弟の緩和を微笑ましく思った。だからそんな彼らの時間を大切にしてやりたいと思い、あのとき涼介はその車に同乗しなかった。
『お前の運転なんて恐すぎて。それに、乗ったら俺はうるさいぞ。お前がそれに我慢できるんなら乗ってやってもいいけどな』
 涼介はこの年の離れた弟が可愛かった。
 忙しい両親に代わり、彼の面倒を小さい頃から見てきていた。
 小さかった頃は純粋に懐いてきていた彼が、だんだん成長するに従って、周囲の口さがない噂や陰口などにより、出来の良かった自分と比べられ、明るく快活だった彼の顔に暗い影が投じられていく。その変化を悲しく思い、だがどうする事も出来なかった歯痒いあの気持ちを知っている。
 だから涼介は今の時間を大切にしたかったのだ。
『やっぱいい!アニキは乗せてやらねぇ。どうせ乗ったら、そこはああしろこうしろってウルセーんだろ?』
 ふてくされた弟の顔は、涼介の目には小学校の頃から変わらない。あれこれ指図されるのを嫌うくせに、何かあると自分を頼るのだ。
 だからあの時も、結局涼介が行かないと言うと、文句を言っていたのに寂しそうな顔をした。
 それが、啓介の最後に見た表情になった。
『事故らないよう安全運転で行けよ』
『判ってるよ!』
 車の中から怒鳴り返す声。
 それが最後の言葉になった。
 啓介は約束通り事故を起こしはしなかった。
 だが、事故にあった。
 降りしきる雨により、悪い視界と滑る路面。その悪条件に、無謀運転の啓介と同じ年の免許を取ったばかりの若いドライバーに、交差点で横から突っ込まれ、跳ね飛ばされた先に運悪く対向車線にいた大型トラックにぶつかった。
 三人とも、即死だった。
 車に潰された原型を留めない三人の体を、涼介は一人で確認した。
 医師を目指しているため、命を失った人の体には慣れている。だから怯えはしなかった。
 ただ、その肉の塊が、自分の親と、弟であると認められなかっただけだ。
 まるで解剖実習の際の検体を眺めているようで涙さえ流れない。
 彼らが死んだのだと言う実感さえ湧かないままに、周囲がどんどん彼らが死んだのだという事実ばかりを涼介に突きつけて、そして葬式の日。涼介はただ義務的に喪主としての勤めを果たし、参列者に頭を下げた。
 悔やみの言葉も、励ましの言葉もどこか遠くで聞こえているかのようだった。
 葬式の日も涙雨。
 火葬場の煙突から上る三人分の白い煙が、雨空にもうもうと立ち上る。
 降る雨に、
『きっと空も泣いているのね』
 と誰かが言ったのを聞いた。
 自分が泣けない代わりに空が泣いているのだろうか。涼介はそう思い、火葬場の裏手から、傘も差さずに空を見上げた。
 薄暗い空から、次々と落ちてくる冷たい水滴。
 どんどん自分を濡らし、心と同様、体を冷えさせる。
 雨が髪を濡らし、したたり落ちる滴が涙のように頬を濡らす。
 それを無造作に手で拭い、涼介がそろそろ中に戻ろうかと思ったときに…彼を見た。
 涼介と同じように、傘も差さず、濡れたままじっと立ち上る白い煙を見つめる彼を。
 彼は啓介と同じ高校の学生服を身に着けていた。
 だが彼の体格や顔つきから、啓介の同級生で無いことは悟れた。どこかまだ幼さを残している。
「君……」
 啓介の後輩だろうか?
 そう思いながら、涼介は声をかけた。
 何かをするつもりではなかった。ただ、弟と同じ制服を身に纏う少年の幼い姿に、弟を追慕しての事だった。
 少年が振り向いた。
 雨に打たれ、きっと涼介よりも長くここにいたのだろう。ずぶ濡れで、まるでたった今、海から這い上がってきたかのように。
 茶色の髪の下の、青ざめた白い肌。儚げな雰囲気なのに目だけが爛々と、睨むように涼介を見つめてきた。
「………」
 少年は何も言わなかった。
 すぐに視線を涼介から煙に戻し、あの睨むような強い眼差しを煙に注ぐ。
 まるで。
 一瞬でもそこから目を離したくないと言うように。
 あの煙を、その目に焼き付けるように。
 彼の頬を濡らす水滴が、雨だけではなく涙が混じっていることに涼介は気付いた。
 泣きながら、今にも倒れそうな雰囲気なのに、彼はじっと強い意志で弟を見続けていた。
 この世から形さえ無くなってしまう弟を。
 その瞬間、涼介は理解した。
 両親が、あの弟がこの世にはもういないのだと言うことを。
 そして、自分はたった一人残されてしまったのだと言うことを。
 出なかった涙が、自然と溢れていた。
 雨に紛れて、滂沱の滴が目から溢れ頬を濡らす。
 涼介は結局、その煙が消えるまでずっと少年と一緒に雨の中を見続けていた。
 彼と同様、涙を流しながら。
 あの火葬場で見た少年。
 彼が、弟の恋人だと知ったのは、色々と落ち着き始めた初七日の日の事だった。
 少年の名が、藤原拓海と言う事も。



2006.6.15

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