FAMILY

夏のドライブ


 一学期が終わり、兄とぼくが夏休みに入りました。
 どこかへ遊びに行こう、と兄が言い出し、それにお母さんも安定期に入ってきたことで、「じゃ、車でちょっとドライブに行ってこようか」と話はまとまりました。
 楽しいお母さんとぼくと、そして兄の運転で行くドライブ。
 ぼくはものすごく楽しみだったのですが、朝、起きると一気に暗い気持ちになってしまいました。
 なぜなら、ニコニコ顔のお父さんが、ハンドルを握り「さぁ、出発だ!」といたからです。
 ぼくは聞きました。
「どうしてお父さんがここにいるの?今、病院が忙しかったんじゃないの?」
 夏に入ったことで、体調を崩しやすい人が増えたみたいで、最近のお父さんはとても忙しそうだったのです。
 だけどぼくは忘れていました。
 お父さんは、お母さんに関することにのみ、不可能を可能にしてしまうことに。
「ああ、たまたま休みが空いたんだ」
 白々しい嘘を吐くお父さん。思わずぼくは目が細くなりました。
「でも、本当に良かった。昨日涼介さんに電話した時は、まだ忙しそうだったのに」
「フッ、せっかくの家族旅行なんだ。きっと神様がご褒美をくれたんだろう」
 きっとお父さんの言うその「神様」には、曲がりくねった角と、真っ黒な尻尾があるに違いありません。
 そんなわけで、せっかくの三人だけのドライブは、いつも通りの家族みんなでドライブになってしまいました。
 行き先は、兄の希望で赤城山です。
「赤城って昔、お父さんのホームコースだったんでしょう?お父さんの全開ドライブって、僕、見てみたいな」
 そんな言葉にお父さんは気を良くし、お母さんも、
「涼介さんが赤城を走るのを見るの、すごい好きだったなぁ…」
 の言葉で、年甲斐もなくお父さんは真昼間から全開ドライブと言うやつをしました。
 ぼくはお父さんを褒める言葉をあまり言いたくはありませんが、確かに走っているときのお父さんはすごいと思います。
 お父さんの走りは、お母さんとも、啓介おじさんとも違う走りです。
 いつもお母さんと啓介おじさんの走りになれているぼくは、正直、お父さんってこんなにすごかったんだと、ちょっと見直しました。
 けれど、
「お父さんって、昔、赤城の白い彗星って呼ばれてたんだよね」
「………っ!!」
「うん、すごいカッコ良かったんだよ。…最初、聞いたときはびっくりしたけど、後から涼介さんの走りを見たら、すごい納得したんだよねぇ」
「…は、晴海、それ誰から聞いたんだ?」
「え?池谷さん。お父さんが昔、お母さんに挑戦状を出したときの話をしてた時に。池谷さん、『あの赤城の白い彗星から、薔薇の花束と一緒に挑戦状が送られてきたときはびっくりしたぜ』って言ってたから、白い彗星って何?って聞いたら、お父さんのことだって、池谷さん、白い彗星のファンだったからすごい熱弁してたよ?」
「…そ、そうか…」
「あ、涼介さん!危ない!」
「……あ、ああ、すまない」
「…涼介さん?疲れてるんですか?何だったら運転、変わりましょうか?」
「い、いや、大丈夫だ」
「本当ですか?」
「……平気だ」
 …白い彗星。
 ぼくは後部座席で、ずっと笑いを堪えていました。
 お父さんの走りは正直すごいと思いますが、そのネーミングは違った意味ですごいと思いました。
 バックミラーでチラチラとぼくの視線をうかがうお父さんと、ミラーごしに目を合わせ、お父さんゆずりの笑顔をぼくはしてやりました。
 そのときのお父さんの悔しそうな顔を、ぼくは一生忘れないことでしょう。
 そしてこれから先、大人になってもぼくは、絶対にお父さんのような恥ずかしいネーミングはつけないでおこうと心に誓いました。
 そんなちょっとあぶなげな運転で赤城を走り、ぼくらは赤城神社のある大沼に着きました。
「せっかく来たんだから、赤城神社にお参りに行こうか?」
 とお父さんが言いました。
 そうしようかと降りた時に、兄が湖に浮かぶボートを指差しながらこう言いました。
「ねぇ、あれ乗りたい!」
 兄の指差す先には、なんとも言えない風情の白鳥型の足こぎボートが浮かんでいました。
「…あれか…」
「…晴海ちゃん、あれ…?」
 思わず、ぼくとお父さんの空気が同じになりました。
 そのスワンボートは普通の白鳥ではなく、不思議な物体を背中にくっつけていたからです。
「うん!だって、白鳥の上にヒヨコがくっついてるんだよ?すごいかわいいよね?」
 かわいくありません。とても微妙です。そしてお父さんとぼくには、そのヒヨコで、同じ人物を思いうかべていました。
「…啓介だな」
「…うん、啓介おじさんだね」
 そんな微妙なボートに乗るのはとてもいやだったのですが、兄がかわいく首をかしげながら、
「ね?乗ろうよ」
 と言った瞬間に、お父さんとぼくはうなずいていました。兄は魔性です。
 でもお母さんは、
「私はいいから、みんなで乗ってきなよ。ここで見てるから」
 と言いました。確かに、妊婦なお母さんに、この足こぎボートは辛いかもしれません。
 なのでぼくは、
「じゃ、ぼく、お母さんといっしょにおるすばんしてるよ」
 と言うと、もちろんお父さんが反論してきました。
「フッ。拓海のことはこの俺に任せて、子供はおとなしくボートで遊んできなさい」
 お母さんとのおるすばん権を巡って、お父さんとぼくの間でバチバチと火花が散ります。
 けれど、そんな時に兄は言いました。
「もう、父さんも隆ちゃんも喧嘩しないの!じゃ、間を取って、ぼくがお留守番するから。二人でボートに乗ってきたらいいよ。ね?」
 かわいく首をかしげる兄。
「い、いや、晴海、それは…」
「はるみちゃん、それはちょっと…」
 何だかおかしな方向になってきたぞ、と思うぼくらにさらに追い討ち。
「あ、そうだね。それがいいよ。涼介さんと隆介って、なかなか二人だけの写真とかないから、ちゃんと撮ってあげるね」
 ニコニコ、かわいらしい天使の笑顔でお母さんがそう言いました。
 …………大変なことになりました!
 ぼくは人生最大のピンチを感じましたが、天然なお母さんと兄は気付きません。
「あ〜」だの「う〜」だの唸るぼくらをキレイに無視して、お母さんたちはぼくとお父さんとのスワンボートで二人のツーショットを撮ることを決めてしまったみたいです。
 どうして、最初兄が乗りたいといっていたボートに、ぼくとお父さんが乗ることになって、そして恥ずかしいことに写真まで撮られなきゃいけないのでしょう?
 そしてそしてとても悲しいことに、ぼくとお父さんは、楽しそうなお母さんと兄の笑顔をくもらせるくらいなら、多少の不都合はがまんしようと考えてしまう、そんなお母さんバカ、兄バカなのです。
 結局、ぼくとお父さんは屈辱のスワンボートに乗ることになりました。
 背中に啓介おじさんモドキを乗っけての湖ドライブです。
「…いいか、隆介。拓海たちにまともな写真が撮られないくらいに、沖のほうまで出るからな」
「…分かったよ。がんばってね、お父さん」
「…お前、漕がないつもりか?!」
「…乗り物の性能と言うのをよく把握しなよ、お父さん。このボートは子供が漕ぐには、多大な努力が必要になると思うけど」
「フッ、そうだな。お前の短い足じゃ無理か」
「フン、十年後にはお父さんの身長を抜かすからね。その時は覚えてなよ」
「そんな先の未来よりも、今が大切なんだがな。現在のお前は足が短い。その事実から目をそらすなよ」
「そらしてなんかないさ!でも言わせてもらうなら、ぼくは他の同級生たちよりはるかに身長は高いし、足も長いんだよ!お母さんにもこの前ほめられたんだから!隆介は大人になったら、すごいカッコよくなるんだろうね、って」
「フフン、『涼介さんに似て』って、言葉が付いてただろう?」
「あいにく、そんな言葉は無かったよ」
 にらみ合うぼくたち。その瞬間に声はかけられました。
「涼介さん、隆介、こっち向いて!」
 愛らしいお母さんの声に、ぼくらは条件反射で反応するようになっています。思わず振り向いた瞬間に、焚かれたフラッシュ。
「はい、撮れた〜。もうちょっと撮るから、二人ともくっついて」
 ……一生の屈辱です。
 ぼくとお父さんは、お母さんたちにひきつった笑顔を浮かべながら、無言で足を動かしました。ギコギコ、ボートはものすごい勢いで沖へと向かいます。
 お母さんたちは、そんなぼくたちに「まだ撮りたかったのに…」と呟きながら、手を振っていました。
 ぼくはちょっとだけ親不孝をしてしまいましたが、どうしても人間、がまんできることとできないことがあるのです。
 そしてはるか沖まで出たぼくたちは漸く一安心。
 やれやれと安堵の溜息を吐いたぼくらに、けれどまた新たな事態が起こりました。
 はるか先の、陸地の方、お母さんたちがいる背後から、どうみても軽薄そうな男たちがお母さんたちに近付いてくるのが見えたのです。
「大変だ!お父さん、カスどもがお母さんたちに近付こうとしている!!」
「何だと?!」
 次の瞬間、お父さんは赤城の白い彗星ではなく、スワンの白い彗星になりました。
 ぼくはお父さんをあまりすごいと思わないようにしているですが、あのときはお父さんをすごいと認めました。
 まるでモーターボートのように波を立てて疾走するスワンボートは、大沼に一つの伝説を残しました。
 そしてその後、ナンパされかけたことに気付かないお母さんたちを連れて、赤城神社にお参りに行きました。
 出産をひかえるお母さんのために、ぼくと兄は腹帯付きの安産のお守りを買いました。
 そしてお父さんは、一人で何だかコソコソしているなと思ったら、こっそり絵馬を買ってぶら下げていました。
 ぼくはお父さんを尊敬したことはありません。
 その気持ちも分かりあいたくありません。
 けれど、

『拓海が健康で、無事に子供が生まれますように     高橋涼介』

 お父さんが絵馬に書いたその願い事は、ぼくの願い事と同じものでした。


2006.7.15


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