FAMILY
父の日バトル
さいきんのお父さんは妊婦です。
啓介おじさんが言うには、兄のときやぼくのときもやはりそうだったそうです。
お母さんが「うっ…」とつわりになると、なぜかお父さんまで「うっ…」とつわりになるのです。
おじいちゃんが言うには、仲の良い夫婦は時々そんな「つられつわり」と言うものがあるらしいです。
はっきり言って、とてもうっとうしいです。
毎日毎日お母さんのお腹に耳を当てて、聞いているだけですまず、お父さんは職権を濫用して、ア○リカの有名俳優のように、あかちゃんを見る超音波の機械を購入しようとしたのです。
でもそれはお母さんにこっぴどく叱られてやめました。
アメ○カの俳優さんも、それが問題になってクルーズ法と言う、個人で医療器具を購入できないという法律ができるそうです。
どこの世界にも親バカと言うのはいるのだな、とぼくは思いました。
でもまだそれだけならかわいらしいものなのですが、さいきんのお父さんは妊婦なのです。
あの悪魔のようだったお父さんが、さいきんは顔もおだやかになって、ぼくにまでやさしい顔を向けたりするのです。
ぼくはこの世の終わりかと思いました。
ぼくはお母さんに、
「さいきんのお父さんって変だよね」
と聞きました。
お母さんも「そうだね」と答えてくれました。
「でも、お母さんはあんなお父さんも嫌いじゃないよ」
ぼくはさとりました。基本的にお母さんは、しゅみが悪いのだと。
「晴海の時も隆介の時も、あんなふうにならなかったんだけどね。涼介さんも丸くなったってことかな?」
お父さんが丸くなる?
そんなことは、ぼくはお父さんが三度うまれかわってもありえないと思っていました。
ぼくがびっくりしていると、お母さんはそんなぼくの頭をなでました。
「いつも涼介さん、隆介に張り合ってるけど、本当は隆介のこと可愛いんだよねぇ」
お父さんがぼくのことをかわいい?
そんなことは天がさかさまになってもありえません。
「本当だよ?隆介も、晴海みたいに涼介さんに甘えてみればいいのに」
そんな気持ち悪いことをするぐらいなら、無知でおろかなやからに、愛想をふりまくほうがまだマシです。
思わずぼくは顔をしかめてしまいました。お母さんはそんなぼくの額をぺシリとたたきました。
「じゃ、お母さんから隆介に課題だね。今度の父の日に、お父さんに甘えること。いいね?」
天使のような笑顔でそういうお母さん。ぼくはちょっとうらめしく思いました。
ですがお母さんの言いつけをやぶるわけにはいきません。
ぼくは思い切って、お父さんの体にぶつかるようにしがみついてみました。
お父さんはびっくりした顔をしてましたが、すぐにぼくを抱き上げ、「どうした?」と聞いてきました。
ぼくは素直に、
「お母さんの課題で、お父さんに甘えなきゃいけないんだ」
と答えました。
するとお父さんは、めずらしく声をあげて大笑いをしました。
「拓海には叶わないな」
まったくもってそうです。
そしてお父さんはぼくを膝の上に乗せて、まるでお母さんにするように後ろから抱きしめました。
「…お前、大きくなったな」
「当たり前だろう?ぼくだってもう7さいだ。大きくならないでどうするんだよ」
ちょっとすねた口調で答えるぼくに、お父さんは張り合わず、ぼくの頭をその大きな手でぐしゃぐしゃとかき混ぜながら撫でました。
「…そうだな。あれからもう七年か…。お前が生まれた頃は本当に小さかったのにな」
そのしみじみとした口調に、ぼくは何だかいたたまれないものを感じてきました。お腹のあたりがムズムズします。
「お前を抱っこしたのなんて、どれぐらいぶりだろうな…」
「ぼくの記憶にないぐらい、遠い昔のことは確かだね」
「可愛くないガキだな…」
チッ、と言う舌打ちに、やっとお父さんらしくなったなと安心しました。
ですが、またすぐに落ち着かなくなりました。
「けど…そう言うところ、紛れもなく俺の子だよな…」
お父さんがぼくをぎゅっと抱きしめます。
その腕のあたたかさに、ぼくはお母さんから感じるものと同じものを見つけてしまいました。
「…そうだよ。…でも、お母さんとの子供でもあるんだ」
こういうのはイヤだな、と思いました。
ぼくはお父さんとはずっと張り合っていたいのです。
ただの子供になるのは、お父さんにおいていかれるようで、とてもさびしくてイヤだと思いました。
「そうだな。拓海と、俺の子なんだよな…」
クスクスとぼくの背中で笑うお父さん。その声のひびきに、またお父さんらしくなってきました。きっとまたフラチなことを考えているのでしょう。
「どうせなら晴海みたいに、拓海に似れば良かったのに…」
残念そうなためいき。ぼくはムカっとしました。
「でもお母さんも晴海ちゃんも、ぼくがお父さん似でうれしいって言ってたよ」
ムキになってそう言うと、お父さんはフン、と鼻で笑いました。
「そりゃそうだ。拓海も晴海も俺を愛してるからな」
カチン、としました。
「フン、過去の愛情にあぐらをかいて、愛想を尽かされないように注意しなよ。誰だって年食ってくたびれたのより、新しいもののほうがいいに決まってるからね」
「フフン、それこそ誤解だな。使えば使うほど、それに対する愛着と言うのは湧いてくるものだ。例えば、拓海のハチロクなどを見ろ。あれはもうクラシックカーの領域だが、拓海は今も大事に乗っているじゃないか」
「仕事仕事で、家庭を顧みない父親は、一番妻から愛想を尽かされるんだよ?この前も晴海ちゃんに、「また明日」って言われてたよね」
「ぐっ……、あ、あの時は忙しくて…」
「そうだね。仕事は忙しいものだよ、だから安心して留守にしなよ。その間は、このぼくがお母さんと晴海ちゃんを守るからね」
「…子供に何ができるって言うんだ」
「夕ご飯のお手伝い」
「……フン」
「食事の後の皿洗い」
「……フフン」
「お母さんと一緒にお風呂に入って…」
「……っ?!!」
「お母さんの背中を流してあげるとか?」
「……何だと…?」
「ああ、そうそう。添い寝もしてあげたね。お父さん、知ってた?お母さん、ぼくと眠るとぼくをぎゅってするんだけど、ちょうどぼくの顔がお母さんの胸のところにあたるんだよね。フカフカで気持ちいいよね。お母さんの胸って」
「……お前…」
「子供だからって侮っていると、いつか痛い目を見るよ。ぼくを侮らないことだね、お父さん」
それからバトルの開始です。
お父さんがぼくのほっぺたを引っ張り、ぼくがお父さんのすねを蹴り、
「このクソガキ!」
「このエロオヤジ!」
とバトルしていると、ちょうどお母さんが帰ってきてしまいました。
取っ組み合いをしているぼくらを見て、お母さんは目を丸くしていました。
とっさに、ぼくとお父さんは「怒られる!」と思い、小さくなってしまいました。
ですが、お母さんは怒りませんでした。
バトルしているぼくらを見て、お母さんはクスクス楽しそうに笑い出したのです。
「本当に、涼介さんと隆介は仲が良いね」
それは誤解だと思いましたが、お母さんが楽しそうなので黙っていました。
「涼介さんも隆介も、あまり本音って晒さないじゃない。でもお互いだとすぐにムキになるし。それだけ仲良しってことで、本当に羨ましいよ」
幸せそうに笑うお母さん。
お母さんは天然ですが、決して鈍いわけではないのです。
「拓海には叶わないな」
お父さんが笑いながらお母さんを抱きしめました。
ぼくも、「お母さんには本当に叶わないや」と思い、お父さんの足を蹴って、二人の間に割り込み引き剥がしました。
「お前……」
「お母さん大好き!」
「もう、隆介、お父さんを蹴っちゃダメでしょう。ほら謝って」
お母さんが言うからしょうがない。ぼくはお母さんにしがみついたまま、お父さんを振り返り謝りました。
「…悪かったな」
でもぼくの謝り方はお母さんのお気に召さなかったようです。
「こら!隆介、そんな謝り方はないでしょう?!」
たとえ大好きなお母さんでも、ぼくにだって言い分はあります。
「でもお母さん、お父さんの謝り方っていつもこうだよ。ぼくはお父さんを見習ったんだ」
そしてお母さんは言いました。
「そういうお父さんの悪いところを、見習っちゃいけません!」
この言葉に、お父さんは再起不能になりました。
「…あ!…そうじゃなくて、悪いって言うか、偉そうって言うか、隆介には真似してほしくないかな~って言うか…」
お母さん。フォローになってません。
その日一日、お父さんはずっといじけたままでいました。
妊婦なお父さんは、どうやらいつもよりいじけやすいみたいです。
そして次の日の朝。
「拓海、大好き!」
なぜかぼくの真似をしているお父さんがいました。
ぼくはいい年した大きな大人が、子供の愛らしさを武器にした仕草をするのを、とても気色悪いと思いました。
ですが向けられたお母さんは、
「もう、涼介さん、何やってるんですか」
と言いながらも、まんざらでもなさそうだったのがショックでした。
あんな気色悪いお父さんに、嬉しそうなお母さんを見て、ぼくはお母さんは本当に趣味が悪いんだなと実感しました。
そして今日もお父さんは、お母さんが「うっ…」と気持ち悪くなると、一緒に「うっ…」と気持ち悪くなっています。
妊婦なお父さんはとてもうっとうしいです。
でも、前よりそんなお父さんを気持ち悪いと思っていないのは、ぼくだけの秘密です。
2006.6.11