元気ですか?
act.7
そのまま、藤原の腕を引っ張り、ラブホテルにでも連れ込みそうになった俺の衝動を止めたのは、今日、初めて会った俺の息子だった。
「…いいかげん家ん中はいれば?」
「わぁ!」
また照れ隠しに藤原の拳が飛ぶ。
さすがに、二度目まで受けると顔が変わりそうだ。何とかその拳を鼻先でかわす。
邪魔をされたかと、残念な気持ちはあるが、今俺たちに必要なのは話し合うことだろう。
五年と言う歳月は、無かったことにするには長すぎる。
藤原に導かれ、家の中へと入った。
家の前まで送ったことはあるが、家に入ったのは初めてだった。
昔ながらと言った感じの居間に通され、薄い座布団を勧められ座る。
「お、お茶いれてきます…!」
居心地悪そうにキョロキョロとしていた藤原が、逃げるように台所へと向かうと、それを待っていたかのように、座る俺の傍に啓太がやって来た。
胡散臭そうに俺を見る。
「なぁ、オッサン本当に俺のオヤジなのか?」
「そう…らしいな」
言った後で、疑問系はねぇだろうと反省する。だが啓太は気にした様子はなく、ハァと、子供らしくない溜息を吐いた。
「じいちゃんが、父ちゃんは今、修行の旅に出てんだつってた。…レースだったらしょうがねぇよな」
どうやら、藤原の親父さんが何やらフォローをしてくれていたらしい。
「オッサン、ホント強ぇし、走ってんの見ててワクワクするもん。母ちゃんも、走ってるオッサン見てて嬉しそうだったしさ、…しょうがねぇよ」
子供なりに、いきなり現れた俺と言う存在を受け入れるには、それなりの葛藤があるらしい。
「今度、サーキットに来いよ」
俺は息子の髪に手を触れ、そしてグシャグシャと乱暴にかき回した。
きょとん、と啓太が俺を見上げる。そんな表情は本当に母親そっくりだ。
「見てぇんだろ?レース。すぐ近くで見せてやるよ」
パッと、子供の顔が輝いた。
小さな身体を抱き上げ、俺の膝の上に乗せた。
「そんで、お前も走れよ?カートで、俺と競争しようぜ」
ふわふわの髪の毛が、俺の顎先に感じる。
ヤバいな。こいつ、母親と髪質がそっくりだ。まるで藤原の髪に触れているようで頬擦りしたくなる。
「…オッサン…本当に父ちゃんなんだ」
ぽそりと、膝の上の息子が呟いた。
「ああ。まだまだ修行中の父ちゃんだ」
「…じゃあ、また出てくのか?」
「レースがあったら出かけはするけどな。お前の母ちゃんが許してくれるなら…ずっとお前らの傍にいたい」
子供の視線が前へと移る。
そこには、お茶を持ってきた藤原が、頬を真っ赤にしたまま顰め面を作っていた。
「…啓介さんって、知能犯ですよね」
乱暴に俺の前にお茶を置く。
「子供から手なずけて…俺が断れないようにするんだ」
俺は密かに、心の中でホッとした。
この言葉は、つまりは許可の言葉と同等だ。
「嫌か?」
そう問い返すと、また藤原は唇を尖らせ、そっぽを向いた。
「イヤじゃないけど…」
そしてそっぽを向いたまま、反撃の言葉を思いついたのだろう。ニヤリと笑いながら俺の方を盗み見る。
「でも、そしたら啓介さん、うちに婿養子ですよ。俺、一人娘だし、嫁になんていかないですからね」
ふふん、どうだとばかりに俺を見る。
俺は茶を啜りながら、あっさりと「ああ」と答えた。
その簡単な返事に、藤原が眉を顰める。
「ああって…婿養子ですよ?啓介さん、ここに住むんですよ?!」
「ああ。問題ねぇよ。俺は次男だし、関東圏ならチームの拠点とも近いし、問題ねぇよ」
困らせたくて言った言葉に、俺があっさり肯定したので戸惑っているらしい。
藤原の視線がふらふらと落ち着かなくさ迷った。
「それとも…お前の方に問題あるのか?」
臆病は止めた。
嫌がられても、藤原の傍にいると…いや、いたいと思ったのだ。
「問題っていうか…」
頬を染め、もじもじとする姿に、ああ、恥ずかしいだけかと納得する。
意地っ張りは素直にならないだろうから、子供を味方にすることに決めた。
「啓太は俺が一緒じゃ嫌か?」
素直に「うん」と答えると思ってはいなかったが、俺の遺伝子はどうやら生意気と言う特性があるらしい。
「一緒に暮らしたことないからわかんねぇ」
そりゃそうだ、と、ガッカリしていると、「う〜ん」と言いながら啓太が言葉を続けた。
「でも、一緒に暮らしてみたいとは思うよ」
クソ可愛いガキだ。さすが藤原の子供だ。
思わず頬擦りをすると、「気持ちわりぃ!」と嫌がられ、膝の上から逃げられた。
「オレ、遊びに行ってくる!母ちゃん、ちゃんと父ちゃんと話しとけよ!!」
生意気で、そして頭の良いガキだ。
俺が鬱陶しかったのもあるが、俺たちのために場を作ってくれたのだろう。
出来すぎな子供だ。たぶん、頼りない母親の分、そして不甲斐ない父親の分、聡くならなければいけなかったのだろう。
罪悪感がこみ上げる
息子にも。そして目の前に居心地悪そうに座る藤原にも。
俺が不甲斐なかった五年間。
そして藤原を傷つけた始まりから。
俺はちゃんと藤原と話をしなければならない。
「聞きづらい事を聞いていいか?」
背筋を伸ばし、居住まいを正す。
俺の罪が消えたとは思わない。
だから向き合わねばならないだろう。突然訪れた幸福感に惑わされず。
「…はい」
俺の空気を察し、藤原も正座をし直す。
「子供、堕ろしたって聞いてたけど…」
問いかけ、その後の言葉が続かない。「何で産んだんだ?」だと、責めているようにも聞こえる。
ああ、そうか、と一瞬悩み、そしてやっと言葉が見つかった。
「…何で産んでくれたんだ?」
すると不思議そうに藤原がきょとんと首を傾げる。
「俺、堕ろすなんて言ってませんよ?最初から産むって言いましたけど」
「は?!」
思いがけない言葉に、俺の口がパカリと開く。
「あ、でも、たしかに啓介さんには黙っててくれって言いました。嫌われてると思ったから、知られたらもっと嫌われるかなって思って…」
そして藤原は思い出したように、居間に置かれた茶箪笥に向かい引き出しを開け、何かを取り出した。
「これ、啓介さんに返さないと」
俺は眉を顰め、テーブルの上に置かれた物に目をやった。
それは貯金通帳だった。名前は藤原拓海になっている。
目線だけで見ていいのかを尋ねると、藤原が頷いた。
開くと、そこには毎月、一定の金額が振り込まれていた。
毎月、10万。
「涼介さんから養育費と慰謝料だって 毎月送られてくるんです。いらないって言ったんですけど、啓介さんのお祖父さんのセイゼンブンヨ?から出ているお金だから、気にしなくていいって」
俺は悟った。
…アニキめ。
初めて、心の底から兄に対し怒りが燃え上がる。
けれど、それはすぐに鎮火した。
「でもこんなの困るし、返そうとしたんだけど……涼介さんが返す相手が違う、って」
律儀に、決まった日に送られる10万。五年間で、それなりの額に膨れ上がっている。
「返したいなら、啓介さんに返せって。それは啓介さんのお金だから」
やはり兄は頭が良い。
藤原に一度に纏まった額を渡せば、頑なに拒絶するだろう。
彼女にも見慣れた金額で、一定額を振り込む形にすればまだ拒否感は薄い。
「…啓介さんは必ず、お前の前にもう一度現れるからって…」
そう言い、俯いた藤原に、俺は兄が自分と言う男の性格を掴んでいることを思い知らされた。
兄への繰言は、兄にすれば良い。
俺は通帳を閉じ、そして藤原の前へ差し出した。
「じゃあ、これは俺からお前へ。啓太のためにこれからも役立てて欲しい」
「でも…」
「お前、子供にかかる金を舐めんなよ?大学まで卒業ってなったら、この金の5、6倍はかかるからな。啓太に苦労かけたくねぇんなら、ちゃんと取っとけ」
藤原は不服そうに唇を尖らせ、けれど通帳を元あった引き出しの中にしまった。
疑問が解消され、あともう一つだけ聞きたいことがあった。
だがその質問は俺を不安にさせる。
だから離れて聞きたくはなかった。
藤原の傍に行き、後ろから抱きつく。
「け、啓介さん…!」
カァ、と藤原の項まで赤くなる。
赤、は食欲を増進させる色だと言う。
なら、俺の中に沸き起こった欲求も正しいのだろう。
赤くなった食材は、飢餓感を煽る。
「……なぁ」
柔らかな身体。
そしてほんのり、温かな身体。
「……俺にさ、最初乱暴されたとき…どう思った?」
藤原がいつから俺を許してくれたのだろう?
知りたかった。
過去の罪。過去の過ちを、どう彼女が感じたのかと言うことを。
けれど俺が予想していた答えと違う言葉を藤原は発した。
「びっくりしました」
「…え?」
「よく分かんないけど…啓介さん怒ってるみたいだし、だからしてるんだろうな〜とは思いましたけど、まさか俺みたいの相手にそんなことするなんて…よほど怒ってるのかな〜、とか」
…おいおい。俺の暴挙はそんな簡単に受け止めていいのか?
「怒らないのか?」
すると藤原は微笑み、俺を振り仰いだ。
「俺も啓介さん利用したんですよ」
ふふふ、と彼女は笑った。
「俺、啓介さんとしてみたかったんです」
何を言いやがった、こいつ?!
俺の顔は今、間抜けなものになっているだろう。
「女にだって好きな人とキスしたいとか…Hしたいって願望はあるんです。たとえ嫌がらせでされてるんだろうな〜ってわかってても、こんな機会もう絶対ないだろうし、チャンスだしやっちゃえって思って」
清純そうに笑いながら、凄いことを言っている。
「まさか、その後もあると思ってなかったから、すごいびっくりしましたけど…。まぁ、でもちょっとだけ、俺みたいのでも良かったんだなぁって…嬉しかったです」
この場合、俺はどう言う反応をすれば良い?
罪悪感で自分を責めてきたのが馬鹿らしいほど、真逆の答えだ。
がっくりと項垂れ、しかし俺は重要なことに気が付いた。
「…おい」
そうだ。
藤原のこの言い方。それだとまるで…。
「お前、最初から俺のこと好きだったように聞こえるんだけど…」
すると、あいつ。
きょとんとした顔で言いやがった。
「え?そうですよ。今さら何言ってんですか?」
純真ってのは悪だ。悪に違いない。
「お前、ふざけんなよ!」
思わず怒鳴る。
するとあいつもムッとした表情になった。
「じゃあ何で俺がヤったとき、お前、あんな膨れたツラしてんだよ!少しは喜べよ!!…したら、俺もお前の気持ちが分かってだなぁ!」
「ふざけてんのはどっちだよ!嫌われてると思ってる相手にされてんのに喜んでたらドン引きじゃん!……ムカつく。すっげ我慢したのに」
怒鳴り、ぷい、とそっぽを向いた。
「我慢すんなよ!」
「するよ!あれ以上きらわれたくねぇもん!」
「嫌ってねぇし!」
「わかんねぇよ!」
ああ、イライラする。
何て俺らは馬鹿なんだ。
クソ。
最初から両想いじゃねぇか。
俺は業を煮やし、藤原を問答無用で肩に担ぎ上げた。
「わぁ!」
「すげぇムカついた。俺の不甲斐なさにも、鈍感さにも。最初っから仕切りなおしてやる!」
「け、啓介さん?!」
そのまま出て行こうとしたところで、自分の車が無いことに気が付いた。
「おい、ハチロクのキー貸せよ」
「ど、どこ行くんですか…」
戸惑いながらも、素直にキーの場所を教える藤原が愛しい。
「ラブホ」
ビクリと、肩の上の身体が跳ねた。
「啓太がいつ帰ってくるかわかんねぇこの家じゃ無理だし、お前にでっかい声で喘がせる予定だから、防音の聞いた場所のがいいだろ?」
ニヤリと、露悪的に笑って見せると、藤原の顔はもう真っ赤になっていた。
「ば、ばかじゃねぇの!」
「馬鹿で結構。俺はお前と今すぐやりてぇんだよ」
家の脇に停められたハチロクに向かい、助手席のドアを開け、放り投げるように藤原を下ろす。
そして自分は運転席に座った。
変な感じだ。
「逃げるなら逃げろよ」
キーを回しながらそう言うと、藤原は真っ赤な顔で大人しく助手席に座ったまま、小さく首を横に振った。
…ヤバいな。
乱暴にしそうだ。
過去と同じ過ちは繰り返さない。
そう言い聞かせないと、本能のままに行動しそうだった。