空の色は陰気です 時は不穏な五月です

act.7


 入った瞬間に店内の空気が変わった。
 その原因は、静と動の対照的な美丈夫な青年たち。
 応対に出た店員も空気に飲まれ立ち尽くす中、黒髪の青年はスタスタと店内を迷いなく歩いていく。そしてそれと反対に、後ろから付いて歩く金髪の青年は、嫌そうに、どこか逃げたそうに歩いていく。
 そして目指した場所には、頬を染め、潤んだ眼差しをした、入れるなら相手の別の場所の愛しの恋人。しかし、その隣には無粋な南瓜がくっついていた。
 その姿を見た瞬間、背後にいた啓介もまた顔を青ざめる。
 ここで初めて事態の深刻度に気が付いたらしい。
 テーブルに着き、楽しそうに談笑していた彼らの動きが止まる。
 顔は驚愕の表情のまま固まり、呆然と表れた二人、特に涼介を見つめていた。
「…た、たかはし…りょうすけ…?」
 拓海の肩を抱いていた南瓜が、青ざめた顔でそう呟いた。その瞬間、彼らの間に広がったのは「…あの」と言う感情。先ほどもその話題が出たばかりの人物だ。
 カリスマ的な噂の人物の登場に、皆うろたえた子鼠のようになった。
 ほくそ笑むなつき以外は。
「…ふ、藤原さんの彼氏って、まさか…」
 恐るおそる問いかける南瓜。答えたのは拓海ではなく目の前に現れた伝説の男。高橋涼介だった。
 涼介はにっこりと、だが恐ろしいほど冷えた微笑を浮かべた。
「はじめまして。拓海の婚約者の高橋涼介です」
 優雅にサングラスを外し、微笑みながら言うのだが、どう見てもその目には殺気があふれている。しかも男性陣に向かってそれは放たれた。拓海の肩に手をかけていた南瓜は、慌ててその肩から腕を離した。
 涼介のセリフに、みんなの視線が拓海に向かう。
 拓海は俯き、小刻みに震えていた。それは誰が見ても庇護欲を刺激する愛らしい小動物の仕草。そして涼介は、周囲に向けていた視線とは違う、優しい眼差しで拓海を見つめた。
「拓海、大丈夫?迎えに来たから一緒に帰ろう?」
 だが拓海はフルフルと頭を横に振った。
「……嫌?」
 悲しそうな表情をする涼介。ちなみにこれは演技だ。しかしまんまと拓海は騙されて、涙で潤んだ目で涼介を見上げ言った。
「…だって…涼介さんの迷惑になります…」
「迷惑?どうして?」
「…だって、私みたいのが涼介さんと一緒にいたら、涼介さん恥かきます」
 うっとりと女性陣が見惚れるような笑みを拓海に向け浮かべながらも、涼介は彼女の隣に座っていた南瓜に向かい、「どけ」と射殺さんばかりの視線を向けて、席を奪った。そしてもちろん彼女の隣に座り、当たり前のように肩を抱く。拓海のほうも慣れた仕草でその腕に頭を預けた。
「…まったく。いつも言ってるだろう?俺の拓海は世界中に自慢したいくらい魅力的だって。疑ってたのか?」
「…だって、私なんて車走らせるぐらいしか取り柄ないし…」
「ああ。それも拓海の魅力の一つだな。けどそれだけじゃないだろう?」
「…何もないです」
「あるよ。現に俺は拓海に一目ぼれだったからな」
「嘘」
「本当。秋名で初めて見た時、一瞬で心を奪われた。嘘だと思うなら、啓介にも聞いてごらん?」
 そこで一つ目の弟の有効な使い方。促された拓海は、気まずそうに立っている啓介に視線を向ける。
 うわー。ヤベェくらいに色っぽい表情してんな、こいつ…。そんな事を思いながらも、啓介は兄の意向に逆らわず、大人しく頷いた。
「おう。マジだって。俺はいまだかつてあんなに動揺した(おかしくなったとも言う…)アニキを見たのは初めてだぜ」
 これでいいんだろう、アニキ?と視線をやれば、どうやら及第点は取れたようだ。兄は軽く頷いた。
「…涼介さん、本当?」
「ああ。史裕にも聞くか?」
 フルフルと頭を振る拓海。そして涼介をじっと見つめながら、ぽっと頬を染め、涼介の理性を壊すような発言をする。
「…私も…一目ぼれでした…」
 うっとりと幸せそうに微笑みながら、涼介に抱きつく拓海。奇しくも、その時啓介となつきは同じことを思った。
『ヤベェ。ぜってーコイツ酔ってる…』
『すごい酔ってるわ…。あの恥ずかしがりやの拓海くんがこんな事をするなんて…』
 そしてラブ劇場を繰り広げる涼介と拓海。
「涼介さん、私のこと嫌いにならない?」
「ならないよ。どうして?」
「だって、男の人と一緒にいたよ。涼介さん嫌がるでしょ、そういうの」
「…ああ。まぁそれはね。でも拓海は俺が好きだろう?」
「はい」
「だったら問題はないよ。拓海にはね……フフ…」
 その時、男性陣は本能で察した。
『…殺される?!』
 そして女性陣も理解した。
『この人に勝つのは無理!』
 密かに拓海の彼氏が現れたなら、粗探しして苛めてやろうなんて考えていたのは遠い星の彼方。こんなのに関わったら、絶対にひどい目に遭わされる…。
 固まる彼等。同情の眼差しを向ける啓介。
 しかしその中でもなつきは、まだ予め事態を予想できていたため余裕があった。
 先ほどの涼介の発言の中で気になった一言について詳しい説明を求めた。
「…あの…さっき高橋さん、拓海くんの婚約者って言ってたけど、もうそんな話にまでなってるんですか?」
 実はなつきにもこれは初耳。と言うより拓海も初耳。しかし現在の彼女は酔ってるためそんな判断力がない。
「ああ。もう双方の親同士の間で話は済んでいるし、彼女の二十歳の誕生日には式を挙げる手はずになっているよ」
「………」
 得意げなその顔は、まるで宝物を見せびらかす子供のようでありながら、目にあふれた殺気と不穏な空気が周囲に恐怖を与えた。
 特に、その言葉を聞いて誰より恐怖したのは高木の彼氏こと南瓜。
 案の定、涼介の視線は、先ほどまで拓海の肩を抱いていた彼に向けられる。
「俺の拓海が迷惑をかけたようだな。後で礼をするから、名前と住所を教えてくれるかな?」
 …どんな礼ですか…。戦慄に人々が凍りつく中、ぽやんとした酔っ払い拓海が問題発言。
「…えーっと、高木の彼氏さんです。涼介さんの後輩みたいですよ。医学部だそうです」
 言うな!言わないでくれ!!南瓜の願いも空しく、ぽやぽやしながら語る拓海。にっこりと微笑む涼介。それは拓海以外の誰が見ても分かる、悪魔の微笑み。
「…そうか。なるほど。お前がすべての元凶か…」
 彼の未来は閉ざされた。啓介はそれを確信した。そして言われた当人も。
「それで、その友人の恋人とやらが何故拓海のそばにいたのかな?通常なら恋人のそばにいるべきものではないのかな?」
 これは彼に向かって言っている。そして彼の恋人でもある高木に向かっても同様だ。
『お前のもんならしっかり管理していろ。それが出来ないようなら別れちまえ!!』
 確かに、高木はそんな言葉を聞いたような気がした。
 高木は彼氏に浮気癖があることを知っていた。けれどあえてそれを追求しなかったのは、ウザいと思われて捨てられるのが恐かったためだ。友人たちの間でも一番有望だとされていた男を捕まえて、イイ気になっていたのかも知れない。
 そして目の前には、最高だと思っていた自分の彼氏よりもはるかにランク上の男。
 彼はしかも密かに彼女が、可愛くはあるが女性としての魅力では見下していた感もあった拓海の婚約者。
 彼女は昔よりも綺麗になった。それをしたのは目の前の男。そしてたぶん、噂では誰にも本気にならなかった男に、ここまでさせたのは彼女の力なのだ。
 高木は理解した。
 本当のイイ男は、本当のイイ女でないと捕まえられないことを…。
 ぼろぼろと高木の目から涙がこぼれる。マスカラやアイラインが落ちて、涙の色は黒いがそんなことは気にならない。
「…ご、ゴメンなさい…あたしが、飲み会の話したときに、一緒に来るって言うのをちゃんと断っていれば…こんな迷惑かけること無かったのに…」
 本当は見せびらかしたかったのかも知れない。強く断れなかったのはそのためだ。自分がバカだから、男もバカなのが捕まるんだ。そう思った。
 一瞬、場がしんとする中、拓海がぽやんと首をかしげた。
「…なんで高木泣いてるんだ?」
 しゃくりあげながらも答える高木。
「だって、藤原に迷惑かけたもん…」
「迷惑?」
 どんな?とでも言いたげに高木を見つめる拓海。それに答えたのは彼女ではなく拓海の向かいにいたなつきだった。
「…もう、拓海くん、あの男に口説かれてたでしょ。それで高木が申し訳ないって泣いてるの」
「くどかれてる?…俺、口説かれてたのか?!」
 …拓海の言葉遣いが男仕様になっている!
 それに気付いたのはなつきと白石の二人。そして彼女たちは戦慄した。
 そう。それは奇しくも高校一年のときの再現。
 彼女が男言葉になったとき。それはつまり……。
「……高木は彼氏のせいで泣いてるんだな…」
 いきなり口調が変わり、ぽやんとした雰囲気も一掃した拓海。その変貌に、涼介や啓介、その他の彼らも瞠目する。
 そして、拓海の行動は早かった。
 何しろ、彼女は酔っ払い。
 酔っ払いの特徴として、感情の起伏が激しくなったり、高揚しやすくなる傾向が多々見られる。そして拓海もその通りで、……つまりは、彼女はとてもキレやすくなっていた。
 あっという間に南瓜男をグーパンチ。ゴキといい音をかまして、彼はテーブルの向こうに吹っ飛んでいった。
 その光景を人々は唖然と見守った。
 そして吹っ飛んだ男を追いかけ、胸倉を掴んで今度は鳩尾にパンチ。
「…高木、泣かしてんじゃねぇよ!」
 女性と侮ることなかれ。何しろ拓海は重いステアリングを握っているため握力も強く、また運送業のため力もある。さっきまでの儚げな美少女風情はどこへやら。そこにいたのは、男前っぷりの高い猛者の姿だ。
 そして、「バーカ、立てよ!」と怒鳴る。
 …懐かしいなぁ。と思ったのはなつき。
 過去、彼女は高校一年の頃、付き合っていたサッカー部の先輩を拓海にボコボコにされた。理由は何度聞いても教えてくれず、そのまま気まずくなって喧嘩別れのように離れてしまった。
 しかし後日、その場にいたサッカー部の後輩たちに聞いたところによると、拓海はなつきを下品にからかう先輩に腹を立て、キレて殴ってしまったらしい。それを聞いたなつきは彼女を責めた事を後悔したが、今さらどんな顔をして…と思ってしまい、それから何だかやけくそみたいに男と付き合って、あげくに援交まがいのことをして過ごしていた。
 それを止めたのは、やっぱり拓海が心配するからで。
「…拓海くん、変わらないなぁ…」
 呟いたなつきに、事情を知る白石も、
「そうだね」
 なんて頷いた。
 しみじみと昔を思い出しながら、日向の縁側で昼寝する猫のようになっている彼女たちを尻目に、事態はどんどん悪化する。
 拓海の攻撃は止まず、今度は蹴りをかまそうとする彼女を慌てて啓介が押さえ込み、邪魔をされたことに腹を立てた拓海が啓介の鼻に裏拳をぶち込み、手を放した隙にまた殴りかかろうとするのを、今度は他の男性陣が止めようとするが、全員あえなく股間蹴り。それを見ていた店員も、股間を押さえて、止める手を躊躇する。
 まったりする女性陣。股間を押さえる男性陣。
 そしてそれらの波のすべてから外れた男が、うっとりとしながらこう呟いた。
「俺の拓海は愛らしいな…」
 しかしそんなズレた発言をする彼も、一般常識は心得ている。さすがにそれ以上暴れては、拓海が障害で訴えられる恐れもあることを理解していた。
 するすると暴れる彼女の背後から近寄って、腰に手を回した瞬間体を百八十度回転させて、自分の方を向いた瞬間、顔を近付け互いの唇を重ねた。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
 まったりしていた女性陣も、股間を押さえ恐々としていた男性陣も、鼻に裏拳をぶち込まれふてくされていた弟も、フランス映画のように熱く濃厚なラブシーンを繰り広げる二人を、口を開けて呆然と見つめていた。
 店内中がシンとする中、唇を離した涼介は、ぐったりとしてしまった拓海を胸に抱え込み、そして彼女の耳元に囁いた。
「あんな男に一瞬とは言え拓海の感情をぶつけて欲しくはないな。拓海の全ては俺のものだから」
 …砂吐きそう!
 皆がそう思った。
 しかし言った相手は低音美声の群馬の白い彗星。ビジュアル的には許された。しかしシラフでそんなセリフを言う人間を、彼等は生まれて初めてお目にかかった。
 そして生まれた時からずっと一緒だったクールだった兄の、そんな変貌をまざまざと見せられた弟は、「アニキ…とうとうそんな世界にまで…」とたそがれた。
「でも、ムカつきます!」
 まだ怒りは収まっていないような彼女に、白い貴公子と化している涼介はさらに彼女に言った。
「ああ。拓海の怒りは分かるよ。だから大丈夫だ。後はこの俺が、社会的に制裁を加えていくから」
「涼介さんが?」
「ああ。殴るだけが痛みを与える方法じゃないんだよ。もっと有効的に、確実に相手にダメージを与える方法なんて幾らでもあるからね。俺に任せてくれないか?」
 頷くな!藤原!!
 そう心の中で叫んだのは、きっと南瓜だけではないはずだ。
 しかし彼女は首を縦に動かし、
「はい。涼介さんにお任せします」
 最悪の選択を果たしてしまった。
「…ああ。大丈夫。任せてくれ」
 もはや南瓜男は青ざめて、意識が遠い彼岸にまで飛んでいる。
 なつきや白石たち女性陣は、「ある意味、最恐カップルだわ…」としみじみ納得し、啓介は心の中で般若心境を唱えていた。
「…さて」
 彼らを振り返った涼介の顔は、かつて某GSの店長が表現した通り…「魔王」だった…。




2005.7.31

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