空の色は陰気です 時は不穏な五月です

act.2


 赤城の白い彗星こと高橋涼介と出会ったのは、夏の夜の秋名の峠。
 氾濫する車のヘッドライトが照らす中、ひときわ目立つ黄色い車と白い車。彼はその白い車から降り立った。
 まず最初に目に付いたのは長い足。すらりと伸びた上背。そして最後にその上に乗った顔。男に使うにはおかしいかも知れないが、拓海はそのとき綺麗な人だと思った。
 日本人には珍しい長身と体格、そして切れ長の目の端整な容貌。だがそれだけではなく、彼には独特のオーラのようなものがあった。人を惹きつける、そして逆に人を寄せ付けない、精麗で高潔な雰囲気。彼の隣に立った同じ体格で同じ容貌でありながら、まるで太陽のようなオーラの弟とはまるで正反対の気質。
 拓海は彼のその雰囲気に一瞬で呑まれ、そしてふと目が合った瞬間にざわめく自分の胸の鼓動を感じた。
 誰かに興味を覚えることも無く恋など知らない拓海にとって、その感覚は生まれて初めてのことで、あの日の事を思い出すだけで染まる頬の理由を、ずっと理解できないままでいた。
 だが乗り気ではなかった車の運転を楽しいと思い、何度かバトルを繰り広げることで、ぼーっとしているだけだと思っていた自分の性格に、負けず嫌いと言う項目を付け加えてすぐに、彼から真っ赤な薔薇の花束が送られた。宛名は自分ではなく車の名前だったが、それでも生まれて初めてもらった花束は、商店街の馴染みの花屋の奥さんに教えてもらいドライフラワーとなってまだ拓海の部屋に飾られてある。
 たとえようも無い怖さと興奮。高揚した気持ちがミスを生み、追い詰められた涼介とのバトル。何故か制したのは拓海だった。だが押さえきれない気持ちのまま、車を止め言葉を掛けた自分に、彼は最初は苦笑し、けれど最後には笑顔で去っていった。
「――広い世界に目を向けて行けよ…」
 真っ直ぐに、黒い眼差しを注がれて、拓海はずっと落ち着かなかった自分の気持ちの理由を知った。
 遠ざかる白い車のテールランプを見つめ、「切ない」という気持ちも覚えた。
 拓海は、生まれて初めて自分が恋に落ちたことを知った。
 けれどそれが甘く辛い日々の始まりでもあった。
 彼とバトルする前に、池谷らから彼に関する色んな情報を得た。
 いわく、カリスマ的な走り屋であるとか、大病院の御曹司であるとか、彼も医者を目指し医大に通っているとか、はたまたその容貌のみにおいても彼の優秀すぎる遺伝子は、人を寄せ付けて離さない、など。
 何もかも、小さな豆腐屋の男みたいな姿の自分とは違う。
『気に入った』なんて言われたけど、それで喜べるほど拓海は自分を過大評価してはいなかった。むしろ過小評価しすぎとも言える。
 彼が『気に入った』のは、間違いなく走り屋としての自分。『男』である藤原拓海だってことぐらい理解できている。
 峠にいる人たちが自分を男だと誤解していることを拓海は分かっていた。そんなつもりは無かったが、女にしては長身で少年のような体格から、普段着に拓海は男性物の服を多用している。やはり女の友達などと遊ぶときには、それなりに女っぽい格好を心がけていたが、幼馴染であるイツキなどと一緒だと、そう気をつけることもなく、楽な男物のジーンズにトレーナーの組み合わせが多い。
 あの時もそうだった。
 初めて彼と出会った秋名の峠で。
池谷らから『男ばかりだから』と言われ、出来るだけ女だと分からない格好で来いといわれた。拓海本人としては、そんな気をつけることでもないと思ったが、真面目で実直な池谷からしたら、ハシクレとはいえ一応女の子である拓海を気遣ったのだろうと思い、楽なこともあり素直にいつもの服装で行ったのだ。
その後も、わざと男っぽい服装で行ったのは、やはり池谷からの忠告もあったが、今さら女の子っぽい服装をするのが気恥ずかしかったのだ。
いや、そうじゃない。あの人を意識しているだとか、媚を売っているだとか、幻滅されるのが怖かったのだと思う。ただでさえ子供な自分。女だからと見下されるのが嫌だった。
走り屋は男性社会だ。圧倒的に男が多く、女は運転などせずにギャラリーに興じているのが常で、拓海はそんなギャラリーたちと同等に思われるのが嫌だったのだ。
だから想いはすれど、拓海は自分の恋が叶うなどとは夢にも思っていなかった。一生片想いでもいいや、なんてネガティブな思考でいて、なつきに怒られたのもこの時期で、何だかやるせなさを感じて、むざむざ赤城まで出かけてランエボの挑発に乗り、エンジンブローという悲劇まで生んでしまった。
だがあの事件をきっかけに、拓海が自分の走りに目覚めていったのも事実である。
あの時感じた悲しさと悔しさ。あの人のホームコースである赤城で起こした自分の醜態。どん底にまで落ちた人間は、あとは浮上するのみのようで、拓海も迷走する心の葛藤を元来の負けず嫌いで乗り越えて、どんどん走ることへと傾倒していった。
そしてその結果。
拓海は夢でしかなかった『恋』を、叶えてしまった。
未だにあの涼介が、自分のどこが良くて『好きだ』などと世迷言を言ったのか理解できないでいるが、少なくとも涼介に自分の走りが認められていることは確かだった。
もちろん走ることは好きだ。だから彼が発起した新チームにも参加した。けれど今の拓海を速く走らせる原動力となっているのは、『涼介さん喜んでくれるかな』という気持ちだった。
 容姿には自信がなく、また性格も頭もとりわけいいとも思えない自分。
 そんな自分が涼介みたいな人と付き合えているのは、ひとえに自分が彼の理想通りの走りが出来ているから、と拓海は思い込んでいる。
 こう言ったところが、啓介などに『天然』『鈍い』と揶揄されても仕方ないところでもあるが、拓海にとってはそれが真実だった。
 そして彼女のそんな思い込みが、悲劇を生む……。




2005.7.27

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