嘆きの聖女

act.5


 知らない間に啓介は消えていた。
 涼介に抱き締められる姿を見届け、痛みを堪えながら微笑んでいた金の獣。
 きっと唐突にやって来たのと同じように去ったのだろう。
 涼介の腕の中で、拓海は目を閉じ彼を享受する。
 いつ涼介を好きになったのだろう?
 初めて言葉を交わしたあの時から、カッコいい人だと思っていた。
 すごい人なのだと言う周りの言葉。
 そして知れば知るほど、その言葉に嘘はなく、憧れる気持ちは強まった。
 そうだ、と拓海は思い出す。
 あの白い獣が訪れたのは、涼介とバトルしたあの夜が最初だった。
『藤原拓海?』
 見上げる視界に、勇壮に立つ白い獣。
 その優美さと雄々しさに、思わず拓海は呟いたのだ。
『…FCみてぇ』
 なぜ勝てたのか?不思議なほどに速い…と言うより強い車だった。
 拓海の中ではあのバトルは自分の勝利と言う意識は無い。
 ただひたすら、自分を置いていこうとする白い車の後を追いかけていただけ。
 目の前の獣は、そのFCを彷彿とさせる色と、何より強さを秘めていた。
 拓海の呟きに、獣は人間のように唇を歪め、
『光栄な表現だ。お前は俺が恐くないのだな』
 そう問いかけた。
 拓海は頷き、そして見知らぬ獣に、嬉しそうに今日のバトルの相手の話を語ったのだ。
『今日さ、すっげ速い人とバトルしたんだ。すげぇおっかなくて…でも一番ドキドキした。そんでさ、乗ってる人もすげぇカッコよくってさ…』
 今思えば、本人相手に涼介の褒め言葉を並べていた事になる。
 恥ずかしい…けど、たぶん拓海は涼介を褒めることを止められない。
 うっとりと、涼介の腕の中に身を預けたまま、拓海はそんな事を思っていた。
 色んな涼介に惹かれ続けていたけど、悲しげな顔で自分を求める涼介には愛しさを感じる。
 いつも完璧な涼介の、拓海と同じような弱さを見たことで、よりいっそう涼介が身近に感じられる気がした。
 ふふふ、と笑い涼介の頬に頬を寄せると、「拓海…」と切なげな声音とともに首筋を舐められる。
「……ぅふ…」
 思わず出た声は吐息のようで、あまりのHくさい声に、拓海は赤面する。
「……啓介の匂いがする」
 ベロベロと、犬のように涼介の舌が首を這う。
 啓介に舐められた時は不快しか感じなかったのに、今はゾクゾクして仕方がない。
 下腹部が熱くなり、じっとしていられず身を捩った。
「ここも……匂う」
 鎖骨に歯を立てられた。
「…ふぁ!」
 痛みだけではない。全身を走る甘さに、拓海は思わず叫ぶ。
 未体験のゾワゾワとした感覚に怯え、目の前の体を反射的に退けようと腕を伸ばし突き放そうとした手のひらの感触に、拓海はギョッと目を見開いた。
 服じゃ…無い。
 涼介の胸に当てた拓海の手のひらは、涼介の小さな乳首に触れていた。
 微かに感じる突起と、滑らかな肌の感触。
 ダイレクトに伝わる熱に、拓海は反射的に手を離し、目の前の体をマジマジと見つめた。
 涼介の顔に向けていた視線が、首に移り胸へ…そして臍の下に移ったとき、拓海は思わず叫んでいた。
「わぁ!」
「拓海?」
 さっきまでうっとりしていたのに一転、慌て出した拓海の様子に、涼介が怪訝な目を向ける。
 しかし拓海こそ言いたい。
 なぜ、そんな冷静でいられるのか。
「りょ、涼介さん、何で真っ裸なんですか!!」
 そうだ。涼介は一糸纏わぬあられもない姿だった。
 その均整の取れた肢体に、きっちりと付いた筋肉。好悪の感情抜きにしても、その美を表現した裸体には、一種の芸術作品のような崇高ささえ感じられるほどだった。
 しかし、拓海が着目したのはそんな美しさだけではない。
 ――涼介さんの乳首、何でピンクなんだよ!
 日焼けしていない白い肌にピンクの小さな突起は、拓海の中のオスの部分を刺激する。
 ――エロい。涼介さん、すっげエロい!
 それから視線を逸らすように、下へ向ければ、凶悪なほどに拓海の予想通りのモノが目に入る。
 ――やっぱ涼介さんデカチンじゃん!
 そこは拓海の予想通りの大きさ。
 形状から見ても、まだ反応もしていない平常時でこれなら…拓海はブルリと身を震わせた。
 ――あんな狭いトコにやっぱ入んねぇって!裂ける!!
 そう思いながらも、涼介の下部を見ているとなぜかお腹がキュゥンとする。
 胸がドキドキして、何だか下腹部当たりに熱が集まっているような気がした。
「なぜ裸なのかって……それは無から有を生み出す事は出来ないからな」
 意味わかんねぇって。
 必死に目を逸らし、離れようとしたいのに、涼介の腕がそれを許さない。
 ――ヤバいって。涼介さんの…太ももに当ってるって!
「さっきまで俺がどんな姿してたのかを思い出せ」
 意識を逸らそう。そうしよう。
 拓海は心の中で頷き、涼介の言葉に必死に答える。
「えと……角のある動物になってた…」
 拓海の必死さとは裏腹に、涼介はまるで車の事をレクチャーするように、鷹揚に頷き拓海に理解を促せる。
「そうだ。あの姿になっていた時の俺は…服を着ていたと思うか?」
 ――何でそんな余裕なんだよ!
 心の中で叫びながら、拓海は無言のまま首を横に振る。
「だろう?必然的に、人間に戻った俺は衣服を着ていないことになる。理解できたか?」
 ほんの少し、言葉の中に笑いを含んだものを感じた。
 意地悪されてる…。
 そう気付いたのは直感みたいなものだ。
 拓海がみっともなく取り乱し、慌ててる姿を見て楽しんでいる。
 悔しい。悔しい悔しい悔しい…!
 自分ばかり涼介を好きで、裸なんて目の前にすると狼狽して。
 涼介さんだって少しは動揺すればいいんだ!
 さっきまで激昂し凶悪なまでに心を乱していた涼介の姿も忘れ、拓海は湧いた憤りに身を任せた。
「たく…っ!」
 目の前の綺麗な肌にガブリと噛み付く。
 思い切り歯を立て、カハァと口を離すと、涼介の白い肩に拓海の真っ赤な歯型がしっかりと残った。
 拓海は満足そうに頷き、そして自分が付けた跡を労わるようにペロリと舐めた。
 したやったり、とばかりに微笑み涼介を見上げると、涼介の瞳がまた紫に変化していた。
「……意図しての事じゃないだけにタチが悪いな」
 狼狽する涼介が見たかったのに、拓海が見たのは恐いくらいに張り詰めた涼介の姿だった。
 怒らせたのだろうか?
 一転、身を縮めた拓海の肩を掴む涼介の腕の力が増す。
「その無垢さが悪だと言うのなら…俺が穢してやろうか?」
 涼介の目が、先ほどの啓介と同じくらい…いや、それ以上にギラギラとした光を放っている。
 いきなりポンと、物を投げるようにベッドの上に放り投げられる。
 ビックリして逃げようとするより早く、涼介の大きな体躯が拓海の上に圧し掛かっていた。
 腕を取られ、足は涼介の体に押さえ込まれ暴れる事も出来ない。
「……や…」
 啓介のときに感じたような、恐怖と不快感は無い。
 けれど、怯えと不安はあった。
「……本当なら…お前が俺を受け入れてくれるまで待つつもりだったのに…人の気も知らねぇで煽りやがって…」
 涼介の呻くようなセリフ。それに拓海は重要な問題を思い出し、カチリと固まる。
 受け入れ…受け入れ…。
 チラリと、視線を下腹部にやる。
 そこに見えたのは、膨らみ、起き上がった涼介のシンボル。
 それは予想以上の大きさ。長さ。
 サァっと拓海は青褪め、渾身の力でもがき始めた。
 そんな拓海に、涼介はチッと舌打ちし、さらに強い力で拘束する。
「…暴れるな」
「無理!」
 また涼介が舌打ちし、拓海の体に乗り上げるように押さえつけた。
「…誘ったのはお前だ。たとえ俺を好きじゃなくても…受け入れてもらう」
 だーかーら。
 そうじゃなくって。
 拓海はギッと涼介を睨んだ。
「好きだけど!」
 唸るように叫ぶと、拓海の突然の告白に涼介の動きが止まる。
「けど、入んねーもんは入ねーもん!」
 ぽかん、と拓海を見つめる涼介の口が、無意識に言葉を紡ぐ。
「…好き…?俺を…?」
 拓海を拘束する力が緩んだ。
 その隙に、拓海は涼介の体の下から逃れ出る。
「好きッスよ、俺は。けど…無理なもんは無理!」
 涼介の目が眇められる。その瞳には、もう獣めいた激しさは無く、今は気遣うような労わりの色が満ちていた。
「…俺とセックスするのが恐い?」
 セックスが…ではない。
 拓海は潤み始めた目をごまかすように俯いた。
「だって…」
 けれど、涼介は拓海の顎を掴み、顔を隠すのを許さない。
「だって?…そりゃあ、拓海はずっと男だったのだから、女のように愛されるのは恐ろしいかも知れないが…」
「そ、そうじゃなくって!」
 涼介の言葉を遮り、拓海は衝動のままに、拓海の煩いの原因になっているソコを指差した。
「涼介さんのチンコがデカいのが悪いんだ!」
「は…?」
 涼介が、唖然としたように口をぽっかりと開け、目を見開く。
 拓海は「うううう」と唸りながら、またもソコを指差す。
「そんなデカいの…入んねぇもん…」
 入らない→楽しくない→嫌われる
 その三段論法は今は拓海の中の恐怖だ。
「涼介さんに嫌われるぅ…」
 ううう、と泣き出した拓海に、涼介が焦ったようにその涙を拭いながら顔を覗き込む。
「どうしてそうなる?!俺が嫌うって…。むしろ、俺の方が嫌われて然るべきだろう?」
「なんで?」
 さも不思議そうに問い返され、涼介の方が戸惑う。
「何でって…俺が拓海に望まぬセックスを強要するからだろう?セックスするのが…恐いんだろう?」
 俯いた視線の先に、涼介のいったん萎えた凶器が目に入る。
「…どっちかって言うと…Hしたい。涼介さんのチンコが俺の割れ目に入るのかなって思うとドキドキする…」
 ゴクリと、目の前の涼介が生唾を飲み込み、萎えた凶器の嵩が増し立ち上がる。
 その大きさを再び目にし、拓海はまた「うわぁん」と泣いた。
「だ、だけど、俺の、割れ目…ちっせぇから、涼介さんの…入らねぇし…」
 嗚咽混じりの拓海のそのセリフに、漸く涼介は拓海の憂いの全容を理解したのだろう。
 はっきりと頷き、そして拓海の顔を持ち上げ目を合わせる。
「つまりは…お前は俺が好きで、セックスもしたいが、自分の未熟な性器では俺のペニスが入らないかも知れないと、それを危惧して拒んでいるだけなんだな」
 涼介の真剣な眼差しに射抜かれ、拓海は気圧されたように怯むが、けれどその通りなので頷いた。
 すると涼介は、拓海の上で「ハァ…」と大きな溜息を吐いた。
 ――やっぱりダメなのだろうか?
 不安に思う拓海の心はしかしすぐに晴れる。
「馬鹿ばかしい」
 ドサリと、脱力したような涼介が拓海の上に圧し掛かってくる。
「…涼介さん?」
 拓海はその体を抱きとめながら、首筋に埋められた涼介の顔を窺おうとする。
 いつも大人の顔しか知らない彼が…笑っていた。
 とても嬉しそうに。宝物を手に入れた子供のように。
 心から喜びを露にして。
「結局は…両思いなんじゃねぇか」
「え?」
 一瞬、その言葉の意味が理解できなくて。
 けれど、唇に降った優しいキスと、満面の笑みを浮かべた涼介に遅ればせながら理解する。
「俺もお前が好きだって事だ」
 ブワァ、と、拓海の全身が朱に染まる。
「む…」
「何?」
 クスクスと、楽しげな笑い声を上げながら涼介が拓海の顔中にキスを降らせる。
「む、胸がなくても…?」
「問題ないだろう?こうして…」
 ――ヤらしい!涼介さん、ヤらしい!
 非常に卑猥な指先が拓海のはだけた部屋着の袷から胸元を悪戯する。
「弄れるモノは付いてる。問題ないな」
 自然と、ふわぁぁと、気の抜けたみたいな甲高い声が拓海の唇から漏れる。
「で、でも割れ目、ちっさくてチンコ入んないッスよ?!」
 湧き出る恥ずかしい声を隠すように、もっと重大な事を叫ぶように伝えるが、やはり答えは「問題ない」の一言だった。
「お前のここは…」
 胸元を這っていた指が、ゆっくり臍を弄りながら下へと向かう。
 そして現在、拓海しか触れたことが無い新たな器官へと指を這わせた。
 スルリと撫でられ、拓海の口から出るのはもはや掠れた吐息だけだ。
「俺のために作られたもの。俺のものが入らないはずがないだろう?」
 ――う、うわー…うわ…。
 漏れ出る声が恥ずかしくて、拓海は慌てて自分の口を手のひらで塞ぐ。
「それに…狭いと言うなら…広げてやるよ。俺が、しっかりとね」
 フフフ、と淫靡な笑みを浮かべた涼介の顔が、拓海の下腹部へ向かい狭間に落ちる。
 それが拓海の限界だった。
「う…」
 ペロリと、舌が狭間に触れた瞬間、拓海の中の羞恥心が爆発した。

「ギャー!」

 叫び共に、ドスンと響いた鈍い音。
 我に返り見ると、圧し掛かっていた涼介がいない。
 どこへ行ったのかと探せば、彼はベッドの傍らにいた。
 正確には、蹴り落とされていた。
 真っ裸の涼介が、顔に蹴られた跡を残した涼介が、呆然と何が起こったのか、理解できないと言った風情で固まっていた。



 結論だけを言うのならば、セックスはしていない。
 ベッドから蹴り落とされると言う目にあった涼介は…非常に簡潔に纏めるのならば…萎えた。
 再び事を起こそうと言う気が、すっかり失せてしまうほどに。
 そして拓海は、予想以上の大人の卑猥さに怯え尻込みしてしまった。
 けれど、事には至れないが、ようやく晴れて両思いになった二人。
 離れがたくて、何となく手を繋いで同じベッドで横になる。
 今の涼介は服を着ているが、最初は素っ裸のまま横になろうとしたのを拓海が拒んだ。裸のままの涼介の横に平気で眠れるほど拓海はそう言ったことに慣れていない。
『しかし服が無いんだから仕方ないだろう?』
 と言い張る涼介に、拓海はだったら…と自分の着ている部屋着を脱いで渡そうとしたら、涼介はまたもや目を瞠り、そして大きな溜息を吐いた。
『……仕方ない』
 そして病室内にあったクローゼットのような扉を開き、中に仕舞われていた拓海と同じ作りの部屋着を取り出し着込む。
『…これでいいか?』
 そんな涼介の様子に、涼介は露出狂の気があるのだろうかと本気で心配になった。
『涼介さんは裸でいるのが好きなんですか?』
 そう、真面目に問いかけた拓海に、涼介は苦笑しながら答えたのは…。
『俺が裸でいたら、お前も裸で居やすいかと思ってね。俺は拓海の裸が見たいから』
 と言うとんでもないものだった。
 結論として、拓海の中で涼介は露出狂の、スケベの、そして意地悪だと言う認識が為された。
 思い出し、少しむくれて、けれど湧き起こる幸せな気持ちに笑みが零れる。
 ふふふ、と笑いながら手を握り、拓海は指先から伝わる涼介の感触を味わった。
「拓海?」
 傍らに眠る涼介の訝る視線を感じる。
 今はもう紺色に変化した綺麗な目を見返しながら、拓海は照れたような笑みを浮かべる。
「こう言うの…イイっすね」
「こう言うの?」
 涼介の質問に、拓海は握る力を強める事で答える。
「繋がってるところから…涼介さんにゆっくり近付いていってる気がする」
 嬉しそうに微笑む拓海に、涼介は苦笑を浮かべながら、同じように繋いだ手に力を込める。
「もっと…手っ取り早く近づける方法はあるんだけどな」
 その意味が、さっきしようとした行為だと言う事が分からないほど鈍くない。
 正直、したい。けど…まだ恐くて恥ずかしい。
「けれど、拓海のペースに合わせるさ。また蹴られても困るからね」
 クスクスと、悪戯っぽく笑われ、拓海は笑顔から一転、ぷぅっと膨れる。
「だって…涼介さんエロぃから…」
「好きな相手を前にしてエロくならないでどうする?」
 それはそうだ。自分だって確かにエロくなる。
 けど涼介の場合は、何と言うか、溢れる色気が過多すぎて、全く経験値の無い拓海は戸惑ってしまうのだ。
 ブスっと膨れて唇を尖らせた拓海に、涼介は一しきり笑っていたが、けれど不意に笑みを消し真摯な眼差しが拓海に注がれる。
「…ゆっくりでいいから…慣れてくれ。そしていつか…俺を受け入れて欲しい」
 言われた言葉の内容を理解し、カァっと一気に頬を染める。
 だけど…それは拓海にとっても望むところなのだ。
「……はい」
 しっかり、涼介の目を見つめて頷くと、涼介が痛みを堪えたような表情を浮かべた。
 ――あれ?
 何でそんな顔するの?
 もう一度よく見て聞きたかったのに、拓海はもう涼介の顔を見ることが出来なかった。
 その腕に抱きこまれ、見えるのは涼介の頬と耳、続く滑らかな首のラインだけだ。
「……拓海が俺を選んでくれて良かった」
 しかし、響く声音は切なさを秘めたもので、拓海の胸にも痛みが走る。
 ――何で?
「……拓海が俺で変化をしてくれて…良かった」
 ――何でそんな悲しい声を出すの?
「…涼介さん?」
 顔を見たいのに、それを拒むように涼介の拓海を抱き締める腕の力が増す。
「……好きだ」
 呟かれた告白に、拓海は「うん…俺もです」と答え頷いた。
 拓海の返事に、ますます涼介の腕の力が強まる。
 浮かんだ疑問と、涼介の態度。
 けれどそれら全て、抱き込まれる心地よさと、涼介の感触に誤魔化され忘れた。
 心地よい熱と、適度に締め付ける腕の感触。
 思えば、誰かにこんな風に抱き締められ眠る記憶は子供の頃以来だ。
 目を閉じて、拓海は今日の事を振り返る。
 色んな事が一気に起こった一日だった。
 何だかよくわかんねーけど、女になったみたいで。
 男でもあるし、女でもある。
 そんな妙な状況になって戸惑わないわけにはいかないが、けれど涼介がそんな自分を望んでいたらしいと知り、拓海は「ま、いっかー」と納得した。
 変化しなかったら、自分は涼介の妻にはなれないのだったら、戸惑いはあるけど今がいい。
 うん。
 だから、大丈夫。
 大変だった気もするが、あっと言う間に幸せになった一日だった気がする。
 涼介の腕の中で、深く心地よい眠りの底に沈んでいく。
 ゆったりとした心地よい黒。
 何となく、涼介さんの髪の色に似ている…。
 そう思いながら、闇に身を預ける拓海の閉じた真っ暗な視界に、ふと小さな灯が見えた。
 金色の光。
 ――啓介さん?
 見覚えのある光に、拓海は夢の中でその光に近付く。
 間近で見たその光は、確かに角のある金の獣だった。
 けれど啓介ではない。
 啓介には無い、勇壮なまでの雄々しさと慈愛に満ちた眼差し。
 涼介とも、啓介とも違う空気を纏った獣に、拓海は不思議そうに首をかしげた。
『…誰?』
 獣は表情を変えない。ただ口だけが微かに動いた。
『誰、と言うより、何、と尋ねた方が正しいな』
『…意味わかんねぇ』
 その答えに、拓海はきっとこの獣は涼介の親戚に違いないと確信を深める。
『涼介さんの親戚?』
『何故そう思う?』
『だって、言ってることが涼介さんと同じ。意地悪な答え方だもん』
 そこで、初めて獣の表情が変わった。面白そうに唇を歪め、目に笑みが宿る。
『なるほど。型外れの異端には、異端の聖女が付くか…』
 何となくその言葉に侮蔑を感じた。
 自分への、ではなく、自分の伴侶である涼介に対し。
『……何かムカつく』
 拓海の怒りを感じ取り、またも獣は面白そうに唇を歪める。
『伴侶を貶されて怒ったか?だが真実だ。あれは異端。お前はこれから先、あれを選んだ事を後悔するだろう』
 本当にカチンと来た。
『うっせぇよ!イタンだの何だの、よくわかんねーけど、涼介さんは涼介さんだろ?!何でアンタにそんな事いわれなきゃいけねーんだよ!』
 後悔はするだろう。
 何しろ、男だった自分に女の部分までくっ付いてしまったのだ。
 だけど、それが涼介の為なのだったら仕方ないと、拓海は納得したのだ。
『後悔だの何だの、するかもしんねーけど、俺は絶対に涼介さんを選ぶよ。涼介さん以外はぜってーヤダ!』
 唇を尖らせ、子供の癇癪のように叫ぶ。
 言葉は上手くないが、叫んだ事は心からの真実。
 夢の中だからこそ嘘が吐きようが無い。
 すると獣は、今まで表情を変えなかったのが嘘のように、大きな声を上げて笑った。
『成る程。ここまで純粋な聖女は貴重だ。涼介は幸せ者だな』
 さっきまでの抑揚の無い声とは違う、柔らかな声音。
 涼介、と名を呼ぶ声には紛れも無い愛情が満ちていた。
 もう一度、拓海はそんな獣に問いかける。
『……誰?』
『さてね。そのうち会うだろうさ。その時お前の傍らには涼介がいるだろう』
 涼介と関わってから、よく判らないことが多すぎる。
 けど、きっと涼介には判っているのだろう。
 だから、拓海は考えない。
『うん。そうする』
 元々、考える事は苦手だ。
 ぼんやりしていると言われるし、何かに対する興味も薄い。
 拓海の今までの人生で一番興味を惹かれたこと。
 それがあのFCとのバトルであり、そのドライバーである高橋涼介だ。
 自分が及びも付かないほど遥か先まで考え、決められた予定調和のようにバトルを組み立てる彼のスタイルは拓海には決して出来ないやり方で、だからこそ彼と一緒にいたいと思う。
 涼介といると、自分の欠けていた部分が分かる。
 ああ、涼介さんは凄いな…。
 そう思いながら、自分に無い部分を全て持ち合わせた涼介に惹かれて止まない。
『…嫌がられても…一緒にいる』
 そんな涼介が思いがけずに手に入った。
 手放させないのは拓海の方だ。
 だから嫌われても、厭われても、しがみ付いて離さない。
 決意を込めて呟いた拓海の言葉に、満足そうに獣は頷き夢の中から消えた。
 あとは柔らかく包み込むような闇。
 拓海はその温もりに包まれながら、やがて夢も見ない深い眠りの淵に落ちて行った。



 ふと、明け方に目が覚めた。
 いつも配達をする時間に、条件反射のように目覚めたのだろう。
 時刻はまだ3時を示していた。
 いつもと同じように起きようとして、いつもと違う事に拓海はすぐに気が付いた。
 柔らかなシーツの感触と、ふかふかのマット。
 そして傍らに感じる何かの気配。
 ちらりと、顔を横に向けると涼介がいた。
 けれど、ただの涼介ではない。
 白い、あの角のある獣に変貌した涼介だった。
 理知的なあの眼差しは閉じられ、真っ直ぐ伸びた鼻先からは規則正しい呼吸音が聞こえる。
 小さく、拓海の邪魔にならないように四肢を折り曲げ、横たわるように眠る獣に、拓海は笑みが浮かんだ。
 可愛いな。
 そう思った。
 しかも、この獣は寝る前に着ていた拓海と同じ部屋着を、窮屈そうに纏っているのだ。
 何だ、と思った。
 意地悪そうな事を言っていたけど、本当は涼介が裸でいたかったのは、眠る時に獣の姿に変わってしまうかも知れなかったからか。
 そう理解して、素直にそう言わなかった涼介に可笑しさが込み上げる。
「意地っ張り」
 わざと意地悪い事を言って拓海を誤魔化して、本当の事を言わない。そんな涼介に堪らない愛しさが込み上げる。
 何だろう?
 強くて、綺麗な人だとずっと思っていた。
 けれど、知れば知るほど、涼介の弱さや、脆いところを垣間見て、どんどん憧れ以上の感情が湧き起こる。
 好き、とかそれだけでは治まらないほどの強く染み出てくるようなこの感情。
「…後悔…か」
 白くて、綺麗で…けど、どこか脆さを抱えた獣。
 拓海はその滑らかな鬣を手で梳き、顔を近づけ頬を摺り寄せた。
 夢の中で出会った獣。
 不思議な獣。
 後悔はするだろう。たぶん。しないとは言い切れない。
 自分のこの体に嫌悪する日が来るかもしれない。
 異常である事を、漠然とだが理解もしている。
 けど……。
「傍にいる…絶対」
 離れたくない。
 その思いだけは絶対だから。
 拓海は誓うように、涼介の体に身を寄せ、また深い眠りの中に沈んでいった。






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