嘆きの聖女
act.2
――あ〜、チクショウ。腹イテェ…。
最初はジクジクだった痛みが、今はズキズキと激痛に変わり耐え切れず寝たままの状態で腹を抱える。
痛みを紛らわすように何度も寝返りを打つが、もちろん消えるようなものではない。
ツゥっと額から伝う汗がやたらと冷たい。
まるで腹が焼けて爛れていくようだ。
『…っ、いってぇ…』
呻き、またゴロリと体勢を変えると、脂汗の滲む頬に温かなものが触れた。
閉じていた目をうっすらと開く。
『痛いか、拓海』
あの獣だ。
会いたかったあの白い獣。
『…うん、いてぇ…』
獣は拓海の頬に口を寄せ、滲む汗をペロリと舐めた。
『…かわいそうに。だが、変化さえ済めばすぐに楽になる』
『へん、か…?』
変化?
そういや、誰かも似たような事を言っていたような…。
『覚えているか?女性化していると言われただろう?』
『言わ…れた…』
女性化。
誰が言ったんだっけ?
痛みで頭が上手く働かない。
『待ちわびたよ、拓海。お前の体が熟すのを』
ジュクす?何を言ってるんだろうか。
獣が拓海の首筋に鼻を寄せ、匂いを嗅ぐ。
そして獣らしくない表情でニンマリと笑った。
『漸くお前が俺のものになる…』
痛みに縮こまる身体。
それを獣は蹄の付いた手足で器用に押さえ込み、拓海の身体を開いた。
両手足を獣に押さえつけられ、大の字にさせられる。
獣の顔が首筋から胸元へと移動する。
額の大きな角が拓海の衣服を切り裂き、上半身を露にさせた。
『な!何するんだよ!』
突然の事に、拓海は痛みを忘れて暴れるが、がっちりと押さえ込んだ獣の身体はビクともしない。
『拓海』
耳元で囁かれる。
獣とは思えないほどの低音の艶のある声。
ゾクリと思わず身体を戦慄かせながら、拓海は漸く気が付いた。
この声……。
そうだ。誰かに似ている。
誰だったろうか?
目の裏にハレーションのように白と、黒の残像が浮かぶ。
誰……。
『俺の伴侶』
拓海の目の前で、獣の角がキラリと煌く。
そして、つ、と寄せられた角は、拓海の腹部に近付き、音も立てずに拓海の腹の中へと吸い込まれていく。
『…え、…あぁ!!』
――熱い…熱い…身体が溶けそうだ。
恐ろしくて、怖くて拓海は目の前の身体に縋りついた。
手を伸ばし、掴んだそれは獣の足では無かった。
手のひらだ。指のある、人間の。
長い、器用そうな指。
この指を拓海は知っている。
『な、んで…』
『大丈夫。すぐ終わる』
『なん、で…?』
目の前にいるのはあの獣ではない。
拓海の知っている人。
ポロポロと拓海の目じりから涙が零れ落ちていく。
冷たい指先が拓海の涙を拭う。
『目を閉じて』
落ち着いた声。その声に命じられ、拓海は素直に目を閉じた。
『心配ない。目を開ければもう痛みは消える。だから……』
ふと、唇に温かいものが掠めた気がした。
『……俺を信じろ』
全身を覆っていた熱がどんどん小さくなっていく。
痛みがスゥっと消え、安堵に小さく溜息を零した。
「は、ぁ…」
そして目を開けた時、拓海の世界が変わった。
ぴちょん、ぴちょん、と水滴が落ちる音と独特の消毒臭に包まれた真っ白な部屋。
まるで夢の続きのような色に、拓海の頭は現実を認識できずにぼうっと彷徨う。
呻き、身動ぎすると冷たいシーツの感触を肌に感じる。
サラリとした滑らかなそれは、拓海の身の回りでは触れることもないシルクだ。
「ど、こ…だ…?」
声を出すと、咽喉に引っかかったような違和感。
ぐるりと、周囲を見回し、上半身を起こす。
真っ白な、けれど豪奢な造りの部屋。
シーツからして明らかに化繊のそれとは違う質感の銀に近い白色。
一見、豪華なホテルのような部屋に見える。けれど拭えない違和感もある。
「…いってぇ」
腕を動かした途端、チクリと痛みが走る。
何だろう?と痛みの走った腕を見れば、そこには管に繋がれた針が刺さっている。
「これ……」
管の先を仰ぎ見れば、点滴のパックへと繋がっていた。
水滴が落ち、管を通って拓海の腕へと注ぎ込まれている。
そして枕元にはコードの延びた簡素なスイッチのようなもの。
「これ……ナースコール?」
ベッドの上からでも知らせられるそれは、拓海の記憶が確かなら病室に備えられているナースコールだ。
「…病院?」
点滴にナースコール。拓海の知る病室とは明らかにレベルの違う高級感だが、そうとしか考えられない。
戸惑い、ナースコールを持ったまま呆然としていると、ドアが開く音がした。
「…おぅ。起きたのか、拓海」
現れたのは良く見知った人物で、拓海はようやく安堵の息を吐いた。
「親父……」
ガリガリと首を掻きながら、文太がベッドサイドに歩いてくる。その手元には何枚かの紙が握られていた。
「それ…」
拓海の視線で、文太は何を言いたいのか察したのだろう。「あ?これか?」と紙束を持ち上げた。
「お前の入院手続きの書類だ。家に帰ってハンコ探さねぇとな…あー、めんどくせぇ」
「入院って…俺…」
聞き捨てならないセリフに、拓海は目を見開く。
そして自分に何か怪我でもあるのかと、痛みを探る。
そう言えば、あんなに痛かった腹痛が消えている。
身体も快調なくらいだ。
なのに何故?
すると初めて文太は言い辛そうに顔を歪めた。
もしかして見えない病気なのだろうか?
自覚症状が無いだけで、深刻な……。
「お前、分かるか?」
「何が…だよ」
「自分の身体だよ」
「カラダ?」
何を言いたいのだろうか?
すると文太は、ハァと大きく溜息を吐き、観念したように口を開いた。
「お前、自分のチンポ見ろ」
「はぁ?!!」
何言ってるんだ、親父!
いきなりのとんでもない発言に戸惑うよりも先に怒りが湧くが、意外に真剣な父親の表情に、拓海はブツブツ文句を言いながらもシーツをめくり、薄い短い浴衣のような室内着の袷を開いた。
下着は付けていなかった。
だから、開いただけで丸見えだ。
最初は気付かなかった。
何も無ぇじゃん。何言ってんだよ、親父…と、怒鳴りそうになった声が放つ直前で消える。
「あ、れ……」
気のせいだろうか?
拓海は確認のために直に指で触ってみる。
握る。
「………」
「…分かったか?」
拓海の全身から、ブワッと冷や汗が浮き出る。
気のせいなんかじゃない。
握った感触で分かる。
言い難いが、触れる機会は何度もあった。だから分かる。
「ち、っさく…なってる…」
喋っている、そんな自覚もなしに呟きが漏れた。
気のせいなんかじゃない。
拓海の股間のそれが縮んでいる。
一回り小さな、子供のような大きさのそれに。
拓海の呟きを聞き、文太がまたハァと大きな溜息を吐いた。
「……それだけじゃねぇだろ。良く見ろ」
「………」
まだ何かあるのかよ!?
泣きそうな気持ちで、拓海はマジマジと自分の股間を見つめた。
しかし、何も……いや。
指で、小さくなった性器の下に触れる。
「……な…」
「分かったか?」
「……な……」
…割れてる。
割れてる!
「……何だよ、コレ!!」
拓海は思わずシーツを蹴り上げる。
大股を開いて、しっかりと露になった股間を眺める。
「……見ての通りだろ」
文太が、目を逸らしながら答えた。
「…ったく、お前、女にもなっちまったんだから、もうちょっと恥じらいとかねぇのかよ…」
そしてブツブツと呟いた言葉は、しっかりと拓海の耳にも届いた。
――女になった?
誰が。
この股の間の割れ目…まさか?
『藤原の内面が女性化してきているのではないかと、そんな結論に至る』
そう言ったのは誰だっけ?
「俺……」
――ジュクす?へんか?
誰が言った、それを…。
認めたくない。
だが現実に、拓海の元からあった性器は小さくなって、新たな裂け目が生まれている。
開いていた股をパチンと勢い良く閉じる。
そしてもう一度、そうっと開いてみたら……。
「……やっぱある」
もちろん変わって無い。
見た通り変化したままだ。
拓海は泣きそうな気分で、父親の顔を見つめた。
「…親父」
「…何だ?」
「俺……どうなってんの?」
文太は泣きべそをかいたような、久しぶりに見る拓海の幼い表情に、気まずそうにボリボリと頬を掻きながら言った。
「…まァ…何つーんだ?男の部分に、女の部分がオマケみてぇにくっついちまったみたいだな」
オマケ?
何だ、ソレ?!
その瞬間、プチリと拓海の中で何かが切れた。
「ふざけんな!」
手元にあった枕を、ブン、と勢い良く投げつけ、怒鳴る。
しかし羽毛と思われる高価な枕は、拓海の怒りとは裏腹に、ふぅわりとしたスピードで文太に飛び、当たり前のようにそれを避けた。
「おっと」
「避けんなよ!」
渾身の力で投げた枕は文太には当らなかった。
悔しくて、拓海はベッドから飛び降りる。
けれど腕に刺さった点滴が邪魔をする。
だから拓海はそれを勢い良く引き剥がした。
「オイオイ、お前なぁ…」
呆れたような文太にも構わず、拓海は自由になった腕で殴りかかろうとしたが、これもまた呆気なく文太に避けられる。
「だから、お前ェ女にもなっちまったんだから、もうちょい大人しくだな…」
「うるせぇ!」
今度は蹴り。
すると膝上までしかない裾がビラリと捲れ上がって、隠したいはずの拓海の下部が露になる。
それに、また文太は「オイオイ…」と嘆きながらも、これまた避ける。
「避けんなよ!」
「避けるだろうが」
「それは避けるだろうね」
怒鳴りあう親子の会話に、新たな人物の声が混ざる。
「え?」
あれ、と思った瞬間、拓海の身体が背後からフワリと持ち上がる。
そして拓海が見たのは、開いた扉から逃げ出そうとする父親の姿だった。
「後はアンタに任せる。まったく…俺が言っても聞きゃぁしねぇ」
ボスンと、ベッドの上に叩きつけられるように落とされる。
「その様ですね。僕の方から拓海君にはしっかり説明しておきますよ」
「ああ。頼むよ。じゃあな」
ベッドに落とされた拓海の視界に真っ先に見えたのは白色。
あの獣のような…けれど、とても人工的なその色は、白いシャツの色だとすぐに気付く。
そして視線を上に上げ、服の上の顔を見上げる。
扉が閉まり、父親が逃げた病室には拓海と、彼の二人きり。
ニッコリと、微笑んだ端整な美貌が拓海を見下ろしている。
彼は微笑みながら、乱れた拓海の部屋着の裾を直し、銀色のシーツをかける。
「父親と言えども、あまりあられの無い姿を見せるのは頂けないな」
見上げるその顔の主は、意識を無くしたあのとき最後に見た顔。
そして。
「…涼、介、さん?」
夢の中で、拓海を抑え込んだあの人の顔。
「まったく…とんだじゃじゃ馬だな」
クスクスと優美な顔が微笑み、ヒヤリと、冷たい指先で宥めるように拓海の頬を撫でた。
そして指が、拓海の唇にも触れる。
ズキリと、心臓が甘く痛む。
「だが、俺の妻には相応しい…」
拓海は漸く気が付いた。
どうして気が付かなかったのか。
この声。
そして切れ長の怜悧な眼差しの奥の理知的な濃紺色の瞳。
それら全て、あの白い獣と同じものである事に。
「待ちわびたよ、拓海」
獣と同じ声で、獣と同じ笑い方で涼介は微笑み言った。
「お前が……女になる日をね」