嘆きの聖女

act.4


 こう言うのを何て言うんだっけ?
 拓海は開かない扉をガタガタと揺らし、そして諦め溜息を吐いた。
 答えは……監禁。
 初めてのキスの感触に呆然としている間に涼介は消えた。
 何か言っていたような気がするが、拓海は自分の身に起こった事を処理する事が出来ず、聞き取る事が出来なかった。
 そして消えた後に、病室を出ようとした拓海は、鍵が掛かって扉が開かない事を知った。
 窓から出ようにも、最上階にあるこの部屋から出るのは自殺行為だ。
 コツンと、扉に額を当て目を閉じる。
「よくわかんねー…」
 この病室はトイレも、簡易シャワーも完備されているから生活面で困る事はない。
 拓海が困っているのは、理解不能な自分の感情だ。
 自分が今置かれている状況に関する戸惑い。
 身体の変化。
 何より、甘く痛むこの胸の理由。
 見ているとドキドキして、好かれていないと知って悲しくなる…。
 拓海は確かに鈍い方だが、ここまで顕著だといくら何でも気が付く。
「……好き…なのかな、俺」
 たぶん、そう。
 夢の中で拓海の傍にいてくれた獣に安心感を覚え、現実の涼介に憧れ胸をときめかせた。
 元々、どちらにも淡い恋心めいたものを抱いていたのだろう。
 だから、その二つが同じだと知った瞬間、拓海の中でそれはしっかりと恋になったのだ。
「好き……」
 噛み締めるように呟くと、涼介のあの端整な顔が浮かび、そしてそれが間近に迫ったあの瞬間を思い出す。
 ぬるりと、口の中を這い回った舌の感触…。
「…う、うわ…」
 一気に顔だけではなく全身が朱に染まる。
 キスをした。キスをしてしまったのだ、あの涼介と。 
 しかもただのキスではなく、拓海の想像もしてなかったねちっこいやつだ。
 キスの上手い下手は経験の無い拓海には判別できないが、涼介は上手いのだと思う。
 ゆるりと口蓋を嘗め回され、息苦しさに喘いだ舌を甘噛みされた。
 拓海の呼吸を読むように押して、引いて、時に痛みを与え、頭の中がぼうっとして、背中の辺りからピリピリした感触が走り、勝手に腰が揺れ始めていた。
 拓海はあの時の事を思い出すと、羞恥で居ても立ってもいられなくなる。
 ベッドに寝転び、枕を抱き締めゴロゴロと身悶えた。
「…涼介さん、気付いてたかな…」
 気付いてただろうな。
 いやらしいヤツって思ったかな。
 今度は枕をバシバシと叩き、八つ当たりをする。
 胸がドキドキしていた。
 あの自分よりも大きな身体に組み敷かれて。
 熱っぽい切れ長の目が自分に迫り、圧し掛かってきた瞬間、拓海のお腹がキュウと甘く締め付けられたような気がした。
 拓海は自分の腹を抱え呻いた。
「俺…心ん中まで女になっちゃったのかな…」
 そうだ。
 拓海は喜んでいた。
 無理やり、涼介に組み敷かれキスをされたこと。
 いつにない強引さとギラギラした目の色に、怖れを感じながらも心が甘く震えた。
 拓海は頭の中で色んな事をグルグル考えた。
「涼介さん、俺を妻にするって言った…」
 もう自分の身体は確かに変わっている。
 男性器もあるけど、女性器もある妙な身体。
 涼介は拓海がそうなるから、妻にすると言った。
「責任感、かなぁ…。涼介さん医者だから」
 正確には、未来の医者。
「こんな妙な身体になっちゃったから…放っておけないんだろうな…」
 涼介は優しい人だから。
 拓海は知ってる。
 意地悪だけど、本当は涼介が優しいこと。
 拗ねてむくれて、涼介の前ではそう思えなかったけど、こうやって一人になると彼の事が良く見える。
 しかし、問題はそこではない。
「俺、涼介さんの妻になるって事は……Hもするって事だよな…」
 たとえ同情だろうと、妻になるということはそうなるはずだ。
 涼介と、キス以上のことをする…。
 そう考えただけで、また拓海はゴロゴロとベッドの上で身悶える。
「う〜…」
 ――Hって…Hって…俺のこのぺったんこの胸を触るってコトだよな。
 拓海は自分の平べったい胸に触れる。
 そこは男のまま、女のような膨らみはない。
 ――Hって……もしかしなくっても、俺のこの割れ目に涼介さんのチンコ入れるのか?
 童貞だとて、セックスの仕方くらいは分かる。
 女の人の割れ目に、自分の股間にぶら下がっているものを入れることくらい。
 拓海はおそるおそる自分の割れ目に手を伸ばした。
 そしてギュッと目を瞑り、その割れ目の中に指を入れようとしてみた。
「………痛ぇ…」
 痛いし、ものすごく狭い。
 指もまともに入らないのに、ここにチンコが入る?
「……無理」
 うう、と拓海の目に涙が浮かぶ。
 きっと涼介のは身体の大きさに見合って、大きなものだろう。
 なのに自分の割れ目がこんなに狭かったら、きっと涼介は面倒に思うに違いない。
 女の人のような柔らかな膨らみもない胸だし、割れ目は狭いし、きっと涼介はすぐに嫌になってしまうだろう。
 涼介が自分の事を好きじゃないと知ってショックだったが、嫌われてしまうのはもっと嫌だ。
 グスグスと、想像しただけで悲しくなって、拓海はベッドの上でシーツに目を覆いながらすすり泣いた。
「こんなカラダ……やだ…」
 どうせなら完全な女になりたかった。
 中途半端なこの身体では、涼介を楽しませる事が出来ない。
 それが悲しくて拓海は泣いた。
 けれど。
 すぐに涙は止まった。
 病院の最上階のはずのこの部屋の窓が、外からガラリと開いたからだ。
 ビックリして窓を見た拓海が見たのは、闇夜に輝く金の色。
 ゆらりと、光の固まりのようなそれは開けた窓から侵入し、そして…。
「…よう」
 拓海が見知っている人物の姿になった。



 拓海はボキャブラリーが少ない。
 会話下手と言うのに加え、天然という要素も含んでいるため、時たま素っ頓狂な表現をしてしまって、他からの失笑を買う事が多々ある。
 そしてそれを今回もやった。
 突然窓からやってきた侵入者。
 なのに、
「…変質者?」
 つい、そう表現してしまった。
 当然、変質者と呼ばれた侵入者は怒る。
「誰が変質者だ!」
 グワ、と怒りを見せる男に、拓海はキョトンと首をかしげた。
 なぜ彼が怒っているのか理由が分からない。
 何よりそもそも、
「…啓介さん?」
「おう」
 気さくにそう返事したのは、拓海が良く知っている涼介の弟、啓介だった。
 何故彼がここにいるのか?
「何で…ここに?」
 確か、ここは最上階だったはずだよな。
 窓から外を眺めたから、確かなはずだ。
 けれど変質者、もとい不審者宜しく窓から侵入してきた男は、あっけらかんと何でもないことのように答えた。
「ああ。あんまりアニキが落ち込んでるからさ。よほどモメてんのかと思って、心配してきたんだよ」
 アニキが落ち込んでる…。
 それを聞いて、拓海の心もズゥンと落ち込む。
 ――そっか…やっぱ涼介さん分かっちゃったんだ…。俺とHしても楽しくないって事…。
 得てして、負の感情に取り込まれている時には、悪い考えしか浮かばないものだ。
 拓海の場合はそれに「勘違い」と言う要素も含め、全ての言葉が悪い風にしか捉えられなくなっていた。
「禁を犯して会いに来たんだぜ?本当は契約前の聖女に会いに来るのはタブーなんだけどさ。このままだとアニキが可哀相だし…」
 そうだよな。涼介さん可哀相だよ。
 こんな楽しくないカラダの奴を妻にするなんて…。
 目が潤むと同時に、鼻水もズルリと垂れた。
 ズズズと啜っていると、啓介が呆れた顔で拓海の顔を覗き込む。
「お前…ヒデェ顔してんな」
 のしのしと歩き、拓海の居るベッドの上にドスンと腰掛ける。
 酷い顔と言われ、拓海は自分が泣いていることに気付いた。
 手の甲でゴシゴシと目を擦っていると、啓介が手を伸ばし、ベッドサイドにあったティッシュを箱ごと渡す。
「ほらよ」
 拓海はそれを受け取り、ズルズル零れ落ちる涙、ではなく鼻水をチーンとかんだ。
「……色気ねぇな…」
 呆れたような啓介の呟きに、拓海はムッとしながらも、そう言えば涼介も同じような事を言っていたのを思い出した。
『…まったく…色気もクソもないな』
 色気がない→Hっぽくない→Hしても楽しくない
 そんな図式が頭にポワンと浮かび、また悲しくなって涙がポロリと零れ落ちる。
 再び泣き始めた拓海に、啓介が慌てたように拓海の頭を撫でた。
「わ、わりぃ。そんな泣くなよ、なぁ」
 ヨシヨシと撫でる手は乱暴で、ゆったりと包み込むように頭を撫でてくれた涼介の指を思い出し、また涙が込み上げる。
「う〜」
「なぁ…そんな泣くなって。確かにいきなり女にもなっちまったお前のショックも分かるけどさ、アニキはイイやつだし。絶対にお前を幸せにしてくれるって」
 涼介がイイやつだって事は十分知っている。
 だから悲しいんじゃないか。
 拓海は頭を撫でる啓介の手を振り払った。
「……アニキを恨んでる?」
 おそるおそる聞いてくる啓介に、拓海は「?」と思いながらも首を横に振った。
 何で涼介を恨まなければならないのだろう?
「…じゃあ、そんなにその体になった事がイヤなのか?」
 これは本当。
 拓海は首を縦に動かした。
 ハァ、と啓介の溜息が聞こえた。
「ま、な…。いきなり女にもなっちまったなんて、受け入れられないよなぁ…」
 ひっくひっくと愚図り、またチーンと鼻をかむ。
「だって…」
 それは確かにショックだった。
 けれど一番ショックだったのは…。
「こんなんじゃ……涼介さ…楽し…ない…」
「…は?」
「イロケねぇ…って言った。涼介さんも、イロケないって…」
「ちょ…ちょっと待て、お前…」
「それって…Hくないって事だろ?」
「…な、何言ってんの、お前…??」
 いきなり、プチリと切れた。
 自分から言っておきながら、「何言ってんの?」だと?

「だから!Hしても楽しくないってことじゃんか!!」

 ぎょっとした顔で、啓介がほんのり頬を染めて言い返す。
「おま…!何言ってんだよ!!」
「あんたこそ何言ってんだ!」
 ブン、と怒りのままに放った拳が風を切る。
 どうやら啓介に見切られ、避けられたらしい。それがまた悔しさを煽る。
「Hだの楽しくないだの、今はそんな話じゃなかっただろうが!」
「そんな話だったじゃんか!」
「どこが?!」
「胸もねぇし、俺の割れ目がちっさくって涼介さんのデカチンが入らねぇって話だろ!?」
「…………は?」
 啓介の目が真ん丸に見開かれる。
 ポカンと口を開けたまま、固まる啓介は全く無防備だった。
 そんな啓介に、拓海の「男らしい」部分がニヤリとほくそ笑む。
 ――あ、隙あり。
 先ほど避けられた分まで。
 拓海は怒りを込めて拳を奮う。
 過たず、拳は啓介の顔面にジャストミート。
 …の、はずだった。
 しかし拳はまた空を切る。
 いや、正確には、残像のような啓介の姿を切り裂いた。
 まるでホログラムか何かのように、実体のない啓介の姿が拓海の拳に分断され、ユラリと揺らめき、そしてスゥっと溶けて消えた。
 まるで幽霊のようなそれに、今度は拓海がキョトンと目を真ん丸にしていると、部屋の隅にまたあの金色の光が集まり、そして拓海の見知ったあの啓介の姿へと変化する。
 呆然とする拓海の目の前で、啓介になった光は、がっくりと四つん這いの状態で項垂れていた。
「………聖女って……コエー…」
 拓海には意味不明の呟きを漏らしながら。



 再度言うようだが。拓海のボキャブラリーは少ない。
 的確に、現象や物事を言い表す能力は極めて低いのだと、拓海と長い付き合いの人間はすぐに知ることになるのだが、まだまだ啓介ではそれを知るまでには至っていない。
「…啓介さんって…」
 ボヤンとしたまま拓海が呟く。
「……すげぇ変な人なんですね」
 ある意味、間違いではないが、的確ではないというか、大雑把すぎると言うか…。
 案の定、そう表現された啓介はまたもガックリ項垂れた。
「……変って…お前なぁ…」
 不満そうな返しに、実際幽霊みたいなことをしといて十分変じゃないか、と拓海も不満に思う。
「お前、アニキから何も聞いてないのか?」
「……?」
 アニキ?涼介さん?
 何か色々聞いた気がするけど、どれだったろうか…。
 キョトンと首を傾げると、その表情で答えを察したのだろう。
 啓介はハァと溜息を吐きながら立ち上がる。
 そしてユラリと手を閃かせた。
「……え?」
 啓介の指先が金色に発光し、その形が崩れていく。
 そう言えば、この部屋に入ってきたときも、金色の光で、それが人間の形になった事を拓海は思い出した。
 驚く拓海を確認しながら、啓介は言い聞かせるように、ゆっくりと告げた。
「俺もだけど…アニキも、人間じゃねぇんだよ」
 にんげんじゃねぇんだよ。
 言われた言葉が理解できなくて、一瞬考え、そして飲み込むように頭に浸透させる。
「………」
 そして理解した瞬間、息を飲んだ。
 脳裏に浮かぶのは、啓介の発光した姿ではない。
 あの夢の、涼介の白い獣の姿。
「…ツノのあるどうぶつ…」
 思わず、漏れた拓海の呟きに啓介が頷いた。
「ああ。あれが俺らの本体…っつーか、姿の一つかな。魂魄だけになると、どうしてもあの姿の方が楽だし、強い力を使う時にはあの姿にならねーと無理だしさ」
 言われた啓介の言葉の内容は半分くらいしか判らない。
「…啓介さんも、あんな風になるの?」
 夢の中の獣。
 あれは夢の中だけの存在ではないのだろうか。
「なるよ。アニキと色は違うけどな。あ、ただし、今なれってのは無理だからな。アニキに殺される…」
 拓海はまた首をかしげた。
「…何で涼介さんに殺されんの?」
 すると啓介はハァとまた溜息を吐く。
「俺はまだ未熟だから…。あの姿になっちまうと、どうしても本能の方が凌駕しちまうんだよ。一気に理性なくなって見境なくお前に襲いかかっちまうぞ」
 襲う…。
 拓海の頭の中では、まだ自分が女だと言う意識は無い。
 だから襲うと言われ、性的な危機感ではなく、喧嘩紛いのそう言った意味で捉えた。
 ギュッと拳を握り締めて啓介に向かいファイティングポーズ。
 啓介はそんな拓海に「そうじゃなくって…」と反論する気も無くなってしまったようで、無言のまま首を横に振った。
「…お前…ちゃんと自分のことアニキに聞いたんだよな?」
 え〜と。
 チンコがちっさくなって、割れ目が出来て…。
「ハンインヨウ?」
「ああ」
「妻にするって言った…」
 だけど、自分の割れ目はちっさくて、涼介のチンコは入らない。
 思い出してまた悲しくなり、目がウルウルしだす。
 啓介はそんな拓海にウッと息を飲みながら、その次の言葉を待つ。
 が、拓海はまたズズズと鼻を啜るだけでその後が無い。
「……え、と…そんだけ?」
 チーンと鼻をかみながら、拓海は言われた言葉を反芻する。
 他にあったっけ?…無いよな。
 なのでコクンと頷くと、啓介がガクッとよろめいた。
「アニキ……何も言ってねぇんじゃん…」
 言ってない?何を??
 パチパチと瞬きし、啓介を見つめると、観念したように口を開いた。
「俺らが…人間じゃないってのは言ったよな」
 さっき聞いた。
 だから拓海は頷いた。
「俺らはちょっと特殊な一族でさ。まぁ、色々決まりごとみたいなのがいっぱいあるんだけど、その中で一番厄介なのが『伴侶』に関する事なんだよ」
 はんりょ…。
「それ…涼介さんが俺に言ってた…?」
 でも、『はんりょ』ってどう言う意味?
「啓介さん」
「ああ」
「…はんりょ、って何?」
 今までの拓海の反応から、耐性が出来たのだろうか。啓介はその質問にあまり動揺を見せなかった。
 むしろ、予想範囲内と言ったふうに頷く。
「まぁ…判りやすく言えば『妻』だけど、俺らの場合はそれだけじゃない。一生を共にする相手の事で…運命の相手…って言った方がいいのかな」
「うんめい…」
 それってスゲェ…。
 ちょっと落ち込んでいた気分が浮上する。
 しかし、
「でも、涼介さん俺が女になるからツマにするって言った…」
 それって女になるからってだけで、自分じゃなくても良いはずだ。
「ああ。それが一番重要なんだよ」
 啓介が頷く。
「俺たちはケガレが無いってのを重要視する。まー…ぶっちゃけ言うなら処女っつーコトなんだけどさ」
「ショ…!」
 カァと拓海を頬を赤らめた。
 処女。
 確かにそうなるのだろう…。
「じゃ、じゃあ、俺が、その…ショ…だから、ツマにするってコトですか?」
 真っ赤になりながら、どうしてもショ…の後の言葉が言えない拓海に、啓介は呆れた顔をした。
「お前、デカチンは平気で言えて、処女が言えないって………やっぱ童貞か?」
 その言い方に怒りを覚え、拓海は傍らにあった枕を掴み投げた。
「うっせぇ!」
 その反応に啓介はニヤリとしながら、「別に馬鹿にしてるワケじゃねぇよ」と宥めた。
「むしろ、それが伴侶として必要な条件なんだ」
 啓介を睨み、眇めていた拓海の瞳がまた真ん丸に見開かれる。
「え?」
「俺らが重要視するのは体だけのことじゃない。魂もそうなんだ。
 まァ…俺も難しいことはよくわかってねぇんだけどさ、男の性は陽の気で女の性は陰の気。その両方を併せもった人間の気は、片方しか持ってない人間と違って偏りがなくて魂的に聖性が高いらしいんだ。
んで、おまけに処女で童貞。
 身も心も、マッサラってのが俺たちの伴侶の必須条件になるんだよ」
 ふ〜ん、と拓海は聞きながら、やはり小難しいことは理解できない。
 そして考え、やはり啓介の答えからは、自分でなければいけない理由になってない事に気付いた。
「じゃあ、やっぱ俺みたいなのがいれば、別に俺じゃなくっても良かったって事じゃないですか」
 ムッツリと、唇を尖らせ拗ねる拓海に、けれど啓介は首を横に振った。
「それは違う。半陰陽の遺伝子を持ってても、自分に合わないと相手は変化しない。
 お前が変化したっつーのはつまり、アニキと相性が合ってたって事になるんだ。まぁ、有り体に言えば運命の相手ってヤツだよ」
 啓介の言葉に、拓海の瞳がキラリと輝く。
「そ、それって…じゃあ、俺が本当に涼介さんの運命の相手だってこと?!」
「ああ。じゃなきゃ変化しない」
 それって…それって!!
「じゃ、じゃあさ」
「あ?」
「俺とHして楽しくなくっても、涼介さんは大丈夫ってこと?!」
 いきなり目を輝かせ、身を乗り出した拓海とは逆に啓介が仰け反った。
「お、お前なぁ…さっきからHしても楽しくねぇだの…何でそう思うんだよ」
 続く啓介の「ヤってもねぇくせに」と言うセリフに、拓海はムスっと膨れた。
「…ヤんなくても判る。だってえっちくねぇもん。俺…」
「まぁ…確かにイロケはねぇけどさ。でも聖女なんだからオツリが来るだろうが」
 ほらやっぱり。イロケが無いって思ってるんじゃないか。
 けれどそんな不満よりも、先ほどから何度か聞く不思議な言葉の意味が気になった。
「…セイジョって何ですか?オツリって…何で?」
 自分の体の不思議もそうだが、さっきから謎だらけで拓海のキャパシティは越えている。
 一つ一つ飲み込むように、自分の体が変化したこと。涼介たちが人間ではないことを漸く納得したが、いまだ自分のようなハンパな体を涼介が好きになってくれる自信が無い。
 縋るように、拓海は目の前の啓介に頼るしかなかった。
 真っ白なベッドの上で潤んだ瞳で、上目遣いに見上げる。
 拓海は意識していないが、病院用の室内着は脱がせやすいものになっており、着崩れした袷から滑らかな首筋から鎖骨。胸部いたるまで覗き見えており、たとえ拓海が女性性を持っていない少年だけだったとしても、純真であるからこそ窺える無垢な色気を放っている。
 そんな拓海に、啓介の咽喉がゴクリと鳴った。
「……ヤベェな…」
「え?」
 拓海が首を傾ける。
 柔らかな髪がサラリと零れ落ち、傾けた拍子に服もずり落ち、肩のラインが丸見えになる。
「啓介さん?」
 見てしまう光景を振り払うように、啓介が何度も首を横に振る。
 拓海はそんな啓介に、「啓介さんって挙動不審だよな〜」と呑気に考えていた。
「あ、いや…聖女ってのは…変化したお前みたいなのを言うんだ。変化させた相手はもちろん、契約前…つまり誰ともHしてねぇままの聖女は、その聖らかさで俺たちを無条件に惹き付ける。だからHしてねぇ聖女と会うのは変化させたヤツだけって決まりがあって…」
 啓介の首の振りが激しくなる。
「……契約前の聖女は甘い蜜みたいなもんだ。すげぇ美味しそうなニオイを放って、惹き付けてやまねぇ…」
 甘い蜜。
 じゃあ、涼介さんはカブトムシみたいに吸付いてくれるのかな?
「胸…なくても涼介さん喜んでくれるかな?」
 さっきからずっと啓介の視線はアチコチを彷徨い、そして拳は固く握り締められ微かに震えている。
 自分の胸を、まるで愛撫するかのように撫でる拓海に、啓介の目の輝きが増したが、けれど拓海は気付かない。
「…胸、なんて…関係ねぇだろ。…アニキはスレンダーなのが…好みだしな」
 無理やり、引きつったような啓介の笑み。
 拓海はそんな啓介の言葉に気持ちが浮上するが、けれど一番重要なことを思い出し、手のひらを胸から自身の股間に這わせた。
「…フジ…ワラ…っ」
「…Hって涼介さんのチンコを、俺のこの割れ目に入れるんですよね」
 うるうると、潤みきった瞳で、懇願するように啓介を見つめる。
 そして股間に這わせた手を、ゆっくりと、その形さえ知らしめるように動かせた。
「でも、俺のこの割れ目…すげぇ狭くって、こんなんじゃ涼介さんのチンコ、入らないです…」
 明け透けなセリフと、扇情的な仕草。
 それが男に対し、どんな効果をもたらすのか拓海は知らない。
 突然、金の光が勢いを増した。
 そして、次の瞬間、拓海は叩きつけられるようにベッドの上に倒される。
 自分の体の上に獣がいた。
 夢の中とは違う、見知らぬ獣が。



 割れ目が出来たからと言って、一気に意識まで女になるわけではない。
 涼介に恋したことで、乙女心は多少は出てきたが、拓海の基本の意識は男のままだ。
 だから、突然、角の生えた金色の獣に変貌した啓介を見ても、
「あ、すげぇ…本当になった」
 と思うくらいで、何も危機感など感じることもなかった。
 そして、その獣に圧し掛かられても。
 ――へぇ〜。目まで金なんだ。
 でも俺は啓介さんの色より、やっぱ涼介さんの白い方が好きだな〜。
 と、呑気に考えていた。
 圧し掛かる金の獣がハァハァと荒い呼吸を吐く。
 それにベロリと、首筋を舐められ、ようやく拓海は「気持ち悪い…」と不快の感情を抱いた。
「啓介さん、どいて下さい」
 ぐい、と獣の足を掴んでどかそうとするが、強い獣の力は押し戻すことすら出来ない。
 ハァハァと、呼吸を荒げた獣は構わず拓海の首を舐め、そして鎖骨に舌を這わせる。
 ゾワゾワと、背筋を這ったのは嫌悪感。
「…止めろって!」
 怒鳴り、睨んだ拓海の眼前に見えたのは、ギラギラとした、獣としか表現できない啓介の目。
 拓海はそこでやっと本能的な恐怖を覚えた。
「……嫌だ、何…?」
 金の獣の前足が、拓海の部屋着の前あわせになっている部分をはだけさせる。
 いくら呑気でも、いくら天然でも、ここまで来ると理解するより、感じる。
 自分が襲われているのだと言うことを。
 そして先ほど、啓介が言っていた「襲う」と言う言葉の本当の意味を知る。
 強い力に押されながら、拓海は必死に手足をバタつかせ抵抗する。
「…ヤだ…い、やだ!涼介さん、涼介さん!」
 無意識に、涼介の顔が思い浮かぶ。
 涼介を思い浮かべ、何度も名を呼び助けを求めた。
「涼介さん!」
 何度目かの叫びの時、フゥっと圧し掛かっていた獣の重みが消えた。
 それと同時に、壁にドスンと強く何かがぶつかる衝撃音が聞こえた。
 ギュッと恐怖に閉じていた目を開けると、視界に見えたのは金と…そして真っ白な光。
 壁にぶち当たったのだろう金の獣が、呻きながら横たわっている。
 そして拓海の前に守るように立ちはだかった白い獣が、ゆっくりと金の獣に歩み寄り、横たわる胸に足をかけ、力を込めて踏みつけた。
 拓海の胸がドキドキと、恐怖とは違う鼓動を刻み始める。
 優美な白い獣。
 きらめく銀の鬣と、うっすら浮かぶ縞模様。
「……どういうつもりだ、啓介」
 獣から放たれた声は、あの人間の涼介と同じものだった。
 それにまた拓海の心臓がドクンと鳴る。
 ぶる、と首を何度か振った金の獣が、白い獣を見上げ、ハッとしたように目を見張る。
「……俺…」
 フ、と白の獣が見下ろし鼻で笑う。
「聖女に狂ったか?」
「ゴ、ゴメ…アニキ…俺…」
「…あれは…俺のだと知っていたはずだ」
 白の…いや、涼介の声は静かだった。
 静かだけに、その怒りの深さが窺える。
「…俺が見付け…俺が覚醒させた俺だけの聖女。知っていたはずだ、啓介!」
 ぐ、と啓介を押さえつける前足の力が強まったのが判った。
 ヒヤリと、ドキドキしていた気持ちに抜き身の剣のような感覚が走る。
 涼介が怖かった。
 怖いけど、でも…。
「お、俺はただ、アニキと藤原の仲が上手く行けばって…うぁぁっ!」
 ゴキンと、鈍い音が部屋の中に響く。
 涼介が何をしたのか、拓海は感じ取っていた。
 激しく呻くのではなく、静かに低く呻く啓介に、拓海は確信を深める。
 肋骨を折ったのだと。
「お前が俺を心配してくれたのは分かってるよ。だが……結果はこうでは…意味がないどころか、最悪だと思わないか、啓介?」
 骨を折ったというのに、まだ涼介の前足は啓介の胸から外れない。
 また力が込められようとしたのを見て取り、拓海はベッドから飛び出した。
「涼介さん!」
 前足で啓介を押さえ込む涼介を突き飛ばし、庇うように前に立ちはだかる。
 キュゥと、爛々と輝く紫の瞳が悲しそうに細められるのを拓海は見た。
 夢の中の獣。
 それが今、目の前にいる。
 うっとりとしそうな心を押し殺し、拓海は涼介をしっかりと見つめた。
「………啓介を庇うのか?」
 悲しそうな目をした白い獣。
 この獣のこんな目は初めて見る。
 それを嬉しいと思うのは、涼介の意地悪が移ったのだろうか?
「啓介さんを庇うんじゃありません」
 チラリと、背後の啓介に目をやり、また涼介に視線を戻す。
「俺が庇うのは涼介さんです」
 きっぱりと言うと、涼介は眉根を寄せ、信じられないとばかりに拓海を凝視した。
「そりゃ、啓介さんはいきなり強姦魔で、変質者かも知れないけど、涼介さんの弟じゃないですか」
 拓海は知っている。
 涼介と啓介が、どれだけ仲が良いのかを。
 峠で、ミーティングで彼ら二人の遣り取りを見聞きするたびにそれを実感していた。
 だから、止める。
「……啓介はお前を穢した」
 涼介の声が震えていた。
 視線を追うように、自分の体を見た拓海は、前を肌蹴させられ、べったりと啓介の唾液に濡れていることに気付いた。
「あ、本当だ。きたねぇ…」
 さも嫌そうに、ゴシゴシと自分の服で拭い始めた拓海に、涼介の厳しかった視線が和らぐ。
 そして拓海の背後の啓介も「きたねぇって…」と、痛みだけではない涙を流した。
「…だいたい拭きましたけど…まだダメですか?」
 もう大丈夫だろう。
 そう思うくらいに拭き、涼介を窺うと、目の前の涼介の目の色が変化していた。
 紫から黒に近い濃紺へ。
「……拓海」
 震える声で、拓海の名を呼ぶ。
 まだダメなのだろうか?
 首をかしげ、涼介を見上げる拓海の眼前で、涼介の体が白く翳る。
 ぼんやりと獣の姿が形を失い、白い光の中から、拓海が見惚れる優美な指先が見える。
 スルスルと、指先から手のひら。
 そして腕へと変化した光は拓海に伸び、やがて人間の涼介の姿へ変化した。
 伸びてきた腕が、拓海の体を捉え抱き締める。
 ギュッと力強く抱き締められ、頬に涼介の吐息を感じた。
「わ…わ、わわっ!」
 ドキドキするなんてものじゃない。
 このまま心臓破裂しそうだ。
「拓海…」
 耳元で名前を囁かれる。
 その瞬間、拓海はストンと何かが落ちるように「もう、いいか」と思う自分を感じた。
 たとえ同情でも。
 たとえ自分とのHが楽しくなくて、涼介に嫌われても。
 自分は涼介を好きだから。
 だからこうして触れられるなら、どんな形だろうと我慢ができる。
 スリ、と抱き締める腕に身を預け、頬を寄せ、拓海は満足そうに微笑んだ。






1