嘆きの聖女

act.1



このお話はパラレル色が強く、また拓海の性別が曖昧なものになっております。
あやふやな性別。不可思議な生物が苦手な方はお読みになられない事をお勧めします。
それでも構わない。

そうおっしゃるイロモノ好きな皆様のみお進み下さいませ。




 ずっと同じ夢ばかりを見ている。
 見知らぬ獣に跨り、空を風のように駆ける夢。
 眼下に雲を見下ろし、走り慣れた秋名の道路がまるで蛇のように峠に絡まっているのが見えていた。
『あんなコースになってたんだ…』
 実際に走るのと、上空から見下ろすのでは印象が違う。
 不思議に思いそう呟くと、跨る獣がクスクスと笑った。
 真っ白な獣。
 手触りの良い毛並みに、うっすらと銀色の縞模様が見える。
『お前はいつも勘で走っているからな』
 真実を言い当てられ、ムスっと唇を尖らせると、不機嫌を察したのだろう。獣がスピードを増し、急上昇を始める。
『うわっ!』
 思わず叫び、獣の首にしがみ付く。
『拗ねるな、拓海』
 ――…タクミ。
 じわ、と、拓海の胸にモヤモヤとした感覚が広がる。
 いつもそうだ。
 この獣に名前を呼ばれると、ムズムズして居ても立ってもいられない心地になる。
 最初は戸惑っていただけだが、半年もこの獣の夢を見続けた今となっては、自分がこの獣に名前を呼ばれて照れているのだと気が付いた。
『…うるせぇよ』
 それをごまかすように、わざとぶっきらぼうに返しても、この獣にはもうお見通しなのだろう。
 獣の笑いは深くなる。
『愛らしいことだ、拓海』
 クスクスと楽しげに笑い、獣は拓海を雲の上に降ろす。
 フワフワの、まるで極上の布団のような心地の雲の上で、拓海は真正面から白い獣を見つめる。
 細く優雅なシルエット。
 銀色の鬣に、フサフサの長い尻尾。一見、馬のようにも見えるが、その額には一本の大きな角が付いている。
 真っ直ぐ天に伸びた、白磁のような角。
 獣が首を傾け拓海に顔を近づける。
 鼻先を合わせ、ペロリと拓海の頬を舐めた。
『…くすぐったい』
 獣は拓海の頬から首筋へと移動し、クンクンと首の匂いを嗅ぐ仕草をする。
『…まだか。待ち遠しい事だ』
 これはいつもの事。
 獣はいつも拓海の首の匂いを嗅ぎ、望む匂いではないのかガッカリする。
 いつもはただ聞き流しているだけのその言葉を、今日はなぜか聞き返してみた。
 こうも毎回聞かされているのだ。不思議に思っても仕方が無い。
『あんたは…何を待ってるんだ?』
 すると獣は、獣なのにニヤリと、まるで人間のように唇を歪め笑った。
『お前が………になる日をさ』
『え?』
 聞き取れず、獣の顔に耳を近づけた途端、トン、と獣の前足で押された。
 グラリと体勢が崩れ、不安定な雲の布団から体が真っ逆さまに空へと落ちる。
『…ちょっ!うわっ!』
 手を伸ばし、優雅に空に浮かんだままの白い獣に助けを求める。
 けれど獣はその長い尻尾をバサリと振り、
『またな、拓海』
 と踵を返した。
 ――落ちる!
 落下の恐怖に、拓海はギュッと目を閉じ、衝撃を待った。
 そして。

 ドスン。

 激しい音とともに落下したそこは、地面ではなく自分の部屋の床の上だった。
 目を開け、見えたのは部屋の天井。
 パチパチと何度か瞬きを繰り返し、ぐるりと視線を周囲に巡らす。
 床の上に落ちた体。
 ベッドから零れ落ちかけている布団。
 夢の中と、現実の自分が漸く合致し、何が起こったのかを把握する。
 ベッドから落ちたのだ。
 打った腰を撫でながら体を起こし、拓海は小さく舌打ちした。
「ちくしょ…あのヤロウ…」
 夢の中の出来事とは言え、あの獣に突き飛ばされた事でベッドから落ちたような気がした。
 そして、ふわぁと大きく伸びをしながら、拓海は夢の中の出来事を反芻した。
「今日も見たなぁ、あの夢」
 もうずっと同じ夢ばかりを見ている。
 毎日ではないが、二、三日に一度と言う頻度でいつもあの白い獣が出てくる夢を見る。
 最初に見たのはいつだったか。
 そうだ。秋名のハチロクとして、拓海がバトルを重ねるようになったあの夏の日からずっと。
 最初は不思議な夢だと思った。
 けれどこうも頻繁に見続けると、ただの夢と片付けるには不可思議で、だが同時に拓海は本来の柔軟性でこの夢を受け入れ始めている自分を感じていた。
 夢の中で必ず出会うあの獣に、友情と言うか、家族めいたものさえ感じる。
 特に、夢の中という現実感の無い存在のせいか、あの獣には何でも打ち明けられた。
 秋名のハチロクとして走り始めた拓海の葛藤や悩み、迷いも、そして恋愛に関する相談も全てだ。
 獣なのに、知的で落ち着いた雰囲気を感じさせるあの獣は父親に並ぶ、いや父親以上に素直になれた分、一番の良き相談相手だった。
 親しくなり始めていた女の子に裏切られた時も、エンジンブローで心が挫けそうなときも、慰め、励ましてくれたのはあの獣だ。
 小さな子供のように、あの獣の首にしがみ付いて涙を流した。
 そしてあの高橋涼介から、新チームへ誘われた時も背中を押してくれたのはあの獣だ。
 自信が無いと、弱音を吐く拓海に獣はカラカラと何でもないことのように笑った。
『お前の知る高橋涼介と言う男は頭が良くて凄い奴なのだろう?だったら、お前の実力など向こうはもうお見通しだろうよ。
 案ずるな。お前はただ走れば良い。
 甘えて、高橋涼介に育てて貰えば良いのだよ。
 お前に出来る精一杯をすれば良い』
 その言葉に勇気を貰い、チーム参加を返事したのは先日の事だ。
 拓海はポリポリと頭を掻きながら、部屋を出て階段を降りて行く。
 階下の居間の奥の作業場から、父親の働く音が聞こえている。
「……何だかんだ言って、俺アイツに甘えてるよなぁ」
 たぶん、あの獣がいなかったら拓海は今も走っていない。
 どこかで挫折して、ヤケになって、車を降りていた。
「もしアイツがいなくなったら…俺、どうすれば良いのかな…」
 頻繁に見ている夢。
 見ている今は良いけれど、しょせん夢なのだから、いつ見なくなってしまうのか分からない。
 あの獣に会えなくなる――。
 そう考えた瞬間、拓海の胸にズキリと痛みが走る。
 ジワリと、目頭まで熱くなって、振り切るように拓海は何度も首を振った。
「考えても仕方ない。今はちゃんと見れてるんだから…」
 でも、もし見なくなったら…。
 昔、幼い頃に母親を失った時と同じ喪失感が胸に湧く。
「俺、変なのかな…?」
 考えただけで悲しくなって、拓海は手の甲で乱暴に目元を拭った。
 相手は夢の中の登場人物だぞ?こんなに悲しく感じてどうする?
 あえて気分を変えるように、拓海は今日の夢を反芻した。
「そういや、あいつ何言ったのか聞こえなかったなぁ」
 いつもあの獣が囁く「まだか」と言う言葉。
 その意味を聞いたのだが、答えが聞こえなかった。
「何になる日って…言ったんだ?」
 う〜ん、と悩んでいると、父親である文太の怒声が響く。
「おせぇぞ、拓海!ちゃっちゃと用意して配達に行きやがれ!」
 怒鳴られ、拓海はハッと意識を戻す。
「今行く!」
 慌ててパジャマ代わりに来ていたスウェットを着替え、洗面所でザッと顔を洗う。
「もう一回聞いてもアイツ意地悪だし、素直に教えてくれねぇだろうし…」
 そういや今日は突き落とされたんだっけ。
 ちょっとムカついていたのを思い出し、拓海は唇を尖らせ上がり框に置きっぱなしになっているスニーカーに足を突っ込む。
「おせぇぞ」
「…うるせぇ」
 苛立ったまま文太の差し出す水を湛えた紙コップを受け取り、乱暴に運転席のドアを閉める。
 そしていつもより若干荒く走り出していくハチロクを見送りながら、残された文太は煙草を咥えた口元を歪め、首を傾げた。
「何イラついてんだ、アイツ?」
 フゥ、と煙草の煙を深く吐き出し、そしてまた首を傾げる。
「…アイツ……あんなに肩が薄かったか…?」
 以前より、拓海の背中が小さくなったような気がした。
 前は細くはあったが、18の男らしい骨格だったのだが、今はそれよりも華奢になったような気がする。
 痩せたか…?
 いや、それにしては…。
 眉を顰め悩み、けれど文太はまたフゥと煙を吐きながら頭を掻いた。
「…ま、いっか」
 毎日の様子を見ていれば病気じゃないのは分かる。だったらもう考えない事にした。
 しかし、その後。
 文太は考えるのを止めた自分を、ほんの少しだけ後悔することになる……。



 イライラが止まらない。
 あの夏の日に裏切られたと感じた女の子とは、何となくまた親しくなったが、もう以前のように純粋な気持ちで見ることが出来なくなっていた。
 慕われているのは分かる。
 でも不思議なくらいに、前に感じていた「可愛い」とか、そう言った感情が湧いてこない。
 友情めいたものは感じる。けれど恋愛にはならない。
 彼女だけではない。
 バレンタインの日。他の女の子からも告白をされた。
 チョコレートも幾つか貰った。
 そのどれもに興味が湧かない。
 前は、ちゃんとそれなりにドキドキもしていたのに、なぜだろうか?
 拓海は「チッ」と舌打ちし、まだ雪の消えた歩道の石ころを蹴った。
「相談したいのに…何で出てこねぇんだよ、アイツ…」
 拓海は夢を見ていない。
 いや、見ているのだが、あの獣が出て来ないのだ。
 前は頻繁に出てきていたのに、もう一週間も見てない。
 獣に会えない。
 それだけでイライラするし落ち着かない。
 もうあの獣に会えないのだろうか?
 以前、一瞬だけ感じた不安が胸を過る。
 …嫌だな。
 嫌だと思う。
 あの獣に二度と会えないのは。
 あの真っ白で優美な姿。
 空を駆ける姿は誰よりも早く、そして優雅だった。
 ジワリと、目が滲む。
 何泣こうとしてるんだよ、俺。
 悔しくて、ゴシゴシと目を擦りながら唇を尖らせる。
 どうせ、アイツは俺がこんな思いしてても笑うだけだ。
『そんなに寂しかったのか?
 愛らしい事だ、拓海』
 とか何とか、獣のくせに笑みの形に口を歪めながら。
 そうだ、そうだ。あんな意地悪なヤツ、知るもんか。
 自分に言い聞かせながらも、それでも胸はズキズキ痛む。
 そして心なしか、お腹も痛みを感じ始めてきていた。
 以前からジワジワと腹痛めいた痛みを感じる事が稀にあった。
 けれどそれは断続的ではないし、痛みの度合いも低く、気のせいかな、と思える程度のものだったが、あの獣の夢を見なくなってから、その痛みは増している気がした。
「これも全部、アイツのせいだ…」
 八つ当たりのように吐き捨てると、車道を過る白いものが視界を入った。
 思わず、あの獣なのかと視線を向ける。
 けれど見えたそれは勿論あの不可思議な生き物ではなく、白い車だった。
 けれど、あの獣に近い印象の、拓海が憧れて止まない車。
 ただの車じゃない。
 RedSunsと記されたステッカーを貼る白いFCなんて群馬に一台きりだ。
「涼介さん!」
 拓海の声が聞こえたかのように、FCは歩く拓海の少し前で停車する。
 慌てて、拓海がFCに近寄るとナビシートの窓が下がった。
 その窓に顔を寄せ、中を覗き込むと運転席には予想通りの人物が乗っている。
 高橋涼介。
 その人だ。
 真っ黒で艶やかな髪と端整としか表現できない美貌。
 大きな体格を窮屈そうにバケットシートに収めているその姿を確認した途端、拓海は頬を赤らめた。理由なんて無い。涼介の姿を見ただけでこれはもう条件反射のようになっているのだ。
「藤原」
 名前を呼ばれ、まるで犬のように喜んでいる自分がいる。今自分に尻尾があったなら、千切れんばかりに振っているだろう。
「良かった。今お前の家に行こうかと思ってたんだ」
「俺の家?」
 あ〜、ヤベ。俺、絶対いま顔が真っ赤だ。
 心臓までドキドキしてきた。女の子と初めてキスしたときよりドキドキしてるってどう言うことだよ?
「ああ。一先ず…乗れよ。落ち着ける所で話そう」
 涼介が春から開始するプロジェクトD。
 その打ち合わせと言う事で、個人的に何度か会う事は既にあったが、いつまで経っても彼と言う存在に慣れない。
 涼介は拓海にとって憧れであり、そして尊敬して止まない人なのだ。
 そして今回、その涼介と対であると言って過言ではないこの優雅なマシンに乗るのは初めてだ。
 気後れを感じながら、身を乗り出しドアを開けてくれた涼介に促されるように助手席に乗り込んだ。
 ――うわ、マジやべぇ。すっげドキドキする。
 シートベルトを締めながら、拓海はあからさまにキョロキョロしないよう車内を見回す。
 自分の車とは明らかに違う車内の様子と、シートの下から伝わる振動。
 滑らかに走り出した車の中で、拓海はひたすら緊張していた。
 そんな拓海に、堪え切れなかったように涼介が小さな笑い声を漏らす。
「え、あの…な、何か…」
「いや…」
 クスクスと笑い出した涼介に、拓海は自分に何か変なところがあるのかと、不安になって髪や顔を押さえる。
 寝癖はねぇよな。顔に食い残しでも付いてるとか…。
「そうじゃない。本当に高校生なんだなと思ってな」
「あ…!」
 拓海は学校帰りだったために学ランにダッフルコートと言った姿だ。
 慌てて、恥らうようにダッフルコートの袷を握り締め、制服を隠すようにする。
 そんな拓海に、ますます涼介の笑い声が増す。
「隠すなよ。悪くない。ただ、俺がまるで悪い大人になった気分だと思っただけだ」
「悪い大人…ですか?」
 なぜ涼介がそう思うのか?不思議に思って、首を傾げながら隣を見ると、切れ長の瞳でこちらを見る涼介と目が合った。
 ――う、うわ…。
 流し目と言うのだろうか?凄い威力だ。一気に拓海の顔が今まで以上に真っ赤になる。
「いたいけな高校生を誑かして連れ去っているように見える」
 何を言われたのか理解できなくて、キョトンと瞬きを繰り返す。
「……え?」
 フ、と涼介の息を漏らすような笑い声が聞こえる。
「俺がそう感じただけだよ」
「はぁ…」
 よく分からないままに、拓海は曖昧に頷いた。
「まぁ、実際それと変わりはないけどな」
 ニッコリと、見つめ微笑まれて、また拓海の顔の赤味が増す。
 ――やっぱすげーカッコいい、この人…。
 初めて言葉を交わしたあの日から、そう感じた気持ちは今も変わるどころか増している。
 ――俺、変なのかな…?
 ああ、そういや、あの獣にもそれで相談した事があったっけ。
『涼介さんの顔を見るとつい赤くなっちゃうんだけど、俺、変なのかな?』
 獣はフン、と鼻で笑い、そして言った。
『拓海はその涼介とか言う男をどう思っているんだ?』
『えっと、カッコいいし、それにすげー人だと思ってる…けど?』
『それだけか?』
『それだけって?』
 獣はまた鼻でフン、とつまらなさそうに笑い、そして呟いた。
『…つまらんな』
『え?』
『いや、問題は無いと言ったんだ。男だろうと女だろうと関係はないだろう。俺が拓海を見て可愛らしいと思うように、お前もその涼介とか言う男を見てカッコいいとそう思う。それだけの事だろう?』
 可愛いって何だよ!と、拓海が怒って、あの時は有耶無耶になって…。
 ふと、あの獣の事を思い返し、寂しさが甦る。
 そして寂しさと同時に、胸と同時に腹もジクジクと痛み出す。
 ――何か、ワケ分かんねぇ…。
 悲しくなって唇を噛み俯いた。
 だから拓海は見ていなかった。
 拓海を横目で窺っていた涼介の口元が歪んだことに。
 その唇は確かに笑みを刻んでいた。


 涼介に連れて行かれたのは近くにあるファミレスだった。
 まずは何か食べろと促され、けれどジクジクと続く胃痛にさっぱりとした物を頼むと、「それだけで良いのか?」と言われ、涼介は驚く事に三人前ほど注文しそれら全てを自分の胃袋に収めていた。
「…涼介さん、すげー食べるんですね」
 その健啖ぶりに驚きを通り越し感嘆していると、涼介はほんの少し照れたように笑った。
「見かけによらずと言いたいんだろう?生憎うちの家系は良く食べるんだよ。しかし、食べても太らないのは良いところだけどな」
 へぇ、と感心しながら、確かに彼の弟は食べそうな顔をしていると納得した。
「それより、俺は藤原の小食が心配だけどな。あまり食も進んでいないようだし…体調でも悪いのか?」
 ツ、と指先で拓海の皿を指し示され、拓海は困ったように眉を寄せた。
 確かに皿の上はいつまで経っても減っていないが、涼介に比べたら誰もが小食になってしまうような気がする。
「そう言うわけじゃ…」
「嘘吐くな。道で歩いている時も顔色が優れなかったが、車の中でも辛そうな顔をしていただろう?どこか悪いところでもあるのか?」
 気付いていたのか。
 拓海は俯き唇を噛む。
「隠すな。ドライバーの健康管理も俺の仕事だ。黙っていて悪化されては春からのプロジェクトにも関わる。出来るなら正直に言ってくれないか?」
 プロジェクトの事を持ち出されると、黙っているのが心苦しくなる。
 けれどやはりこんな愚にも付かないことで悩んでいるだけなのにと、躊躇いも生まれる。
「何か悩み事でもあるのならそれも言って欲しい。心は体にも影響する。頼りないかも知れないが、これでも医学部だ。心理学は講義だけだが齧ってはいるからな」
 拓海は上目遣いで涼介を見上げる。
 そして安心させるように優しく微笑む涼介に励まされ、コクリと頷いた。
 ――涼介さんならきっと笑わない。
「あの、変な話なんですが……」
 と、拓海は初めてあの夢の話を誰かに打ち明けた。
 頻繁に現れる白い獣。
 そしてここ一週間ほどその夢を見なくて不安でいる事。
 それらを拙い言葉で伝えると、涼介の眉間にほんの少しだけ皺が寄っていた。
「あの、涼介さん…?」
 やはり変な奴って思われただろうか?
 不安に思いながらも顔を見ると、涼介はどこか気まずそうに眉を顰めている。
 チラ、と拓海と目を合わせ、そして困ったとばかりに溜息を吐く。
「やっぱ…変ですよね、俺…」
「いや、そうじゃない」
 そして涼介はハァと大きく溜息を吐き、背中を背もたれに預ける。
「気を悪くしないで欲しいんだが……」
「…はい」
「最近…セックスはしてるか?」
 ――今、何言ったこの人?
「……!!」
 言われた言葉の意味を飲み込んだ瞬間、火のように拓海の全身が真っ赤に染まる。
「…な!あ、あの…!!」
 そんな拓海の様子から答えを察したのだろう。涼介は次の質問を投げかける。
「それでは…恋人は?」
「い、いません…けど…」
 それが何だと言うのか?
 恥ずかしいやら気まずいやら。
 半分八つ当たりで涙目で涼介を睨むと、涼介の眉が萎れたようにシュンと下がった。
「いや、悪い。藤原が怒るのも無理の無い話だ。だが…」
 そこでまた涼介は言い淀む。
「専攻は違うからはっきりとした事は言えないが…心理学に於いて一般的に『空を飛ぶ』と言うのはつまり…」
「つまり?」
「性的欲求不満の現れなんだ」
 頭の中でヒコヨが飛んでいる。
 ピヨピヨと五月蝿く鳴きながらクルクルと頭上を飛ぶそれを、拓海は意思の力で追い払った。
 けれど涼介の爆弾発言は続く。
「しかも、藤原の夢の中には空を飛ぶ角の生えた獣が出てくる。形状から見て、ヨーロッパなどで言われるユニコーンとか、その類だと思うんだが…」
「ゆにこーん?」
 聞いたことがある。確かに、言われてみればそんなもののようにも思えるが…。
「そしてこれは言い辛い話なんだが…ユニコーンはファリック・シンボルの現れと解釈されている」
「ふぁりっく…何ですか?」
「男性器だ」
「だ……?!!」
 赤かった顔が一気に青褪める。
 嫌な予感に顔が歪む。
「藤原はその動物に跨り空を飛ぶと言う夢を見ていると言う事はつまり…男性を対象にした性的欲求不満を抱えていると言う見解が得られる」
 言っている涼介も困惑顔だが、言われた拓海もさらに困惑している。
 いきなりそんな事を言われ、普通でいられる男がいたなら教えて欲しいほどだ。
「失礼な話だが…藤原は女性に対し性的欲求は感じているか?」
 どうしよう、どうしようと焦りながら、素直に拓海は首を横に振った。
「さ、最近はあまり…」
「その夢を見てから?」
 首を今度は縦に動かす。
「で、でも、俺、別に男相手にしたいとか思ったことないし…」
 俺なに喋ってんだろ?混乱しながらそれでも言い訳めいた事を口にすると、涼介はまたも知りたくない情報を拓海に告げる。
「いや、この場合藤原の同性愛的資質が問題なのではなくて……つまり藤原の内面のアニマの具現化では無いかと思われる」
 また分からない言葉が出てきた。
「あにま?」
「ああ。アニマとはユングの…つまりは昔の学者だが、唱えた説で、男性の人格に存在する女性性を指す言葉だ。これは元来無意識な性質で、主に異性に対し投影される影のようなものなんだが……」
 何いってんのかわかんねぇよ、涼介さん。
「藤原の場合は、それが異性に向かずに自己人格として主張してきたのでは無いかと考えられるんだ」
 それってどう言う意味?
「分かりやすく言うなら…そうだな」
 ああ、ダメだ。もう考えたくない。
「藤原の内面が女性化してきているのではないかと、そんな結論に至る」
 じょせいか……。
 もうダメ。俺、限界。
 クラリと、混乱のまま眩暈を感じ、拓海はその衝動に身を委ねた。
 バッタリと、いきなりテーブルに突っ伏し気を失った拓海に、涼介は「藤原?!」と慌てたような声をかけたが、拓海の意識が全くないと知った瞬間、口元をニヤリと歪めた。
 拓海から、待ちわびた匂いが香り始めている。
 介抱する振りで首筋に顔を近づけ、しっかりと匂いを嗅ぐ。
「……漸くか。待ちわびたよ、拓海」
 気を失った拓海の体を、涼介は宝物のように抱き締め抱え上げた。






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