勘違い狂想曲

act.5


 リビングのテーブルに、温かそうな土鍋が鎮座する。
 涼介の目の前で、拓海が身を屈め蓋を開ける。
 それは良いのだが…眼前に真っ白な臀部。

 気が…遠くなりそうだった。

 本当なら、今すぐ食事など放って、目の前のこの美味そうなコレをむしゃぶり喰いたい。…が、それをして泣かれるのは恐ろしい。
 だが欲望は抑えきれず、つい、目の前の桃のような熟れたそれに指を滑らせる。
「……ぁ」
 ビクリ、と綺麗に肩甲骨が浮いた背中が奮え、ガシャンと陶器がぶつかる音がした。
 頬を最中のように高潮させた拓海が、悪戯な涼介の指をパシリと叩きながら振り返る。
「…もう、悪戯しないで下さい。そんなにお腹が減ってるんですか?」
 ある意味…飢えている。非常に。
「今すぐ盛り付けますから、もうちょっとだけ待ってて下さい」
「……ああ」
 ゴクリと生唾。
 早く食事を済ませ…頭の中ではそんな事しか浮かばない。
 土鍋の蓋を開け、お玉を持った拓海が手際よく鍋の器に盛っている。
 お世辞や欲目ではなく、その匂いや見た目から、さすがに拓海には劣るがとても美味そうに見えた。
「…美味しそうだな」
 紛う事なき、本音の呟きだった。
 拓海は恥ずかしそうに、盛り付けた器を手に持ち、そして箸を握った。涼介には渡さず。
「口に合うといいんですけど…」
 そう言いながら、拓海が箸を操り豆腐を箸で掴む。
 あの官能的な、ふっくらとした唇が尖り、フゥフゥと息を吹きかけ湯気の立つ豆腐を冷ましている。
 そして……。
「はい、涼介さん」
 そのまま、自分の口元には運ばず、涼介の顔の前に豆腐が差し出された。
 首をかしげ、窺うように、

「あ〜ん」

 世間一般に、クールとみなされている涼介ではあるが、彼にも「萌え」と言うのは存在する。
 裸エプロンに然り。
 学生服に然り。
 そして…新婚若妻風、然り!!

 もちろんそんな拓海の仕草は、涼介の内なる「萌え」を甚く刺激した。
 ブチィと何かが切れる音が涼介の中でして、そして彼はクールの仮面を脱ぎ捨てた。
「あ〜ん」
 切れ長の、釣り目勝ちの目をだらしなく下げ、口元は馬鹿みたいに緩んだ笑顔。
 パッカリと大きく口を開け、まるで拓海のような白にほんのり朱色を乗せた豆腐を一口で食べた。
 口の中に広がる拓海…ではなく、豆腐。
 至福、と言うものがあるのなら、きっと今のこれがそうだ。
「…美味しいよ、拓海」
「良かった、じゃ、次は…って、涼介さん?」
「うん?」
 ぐい、と腰を引き寄せ、無理やり自分の膝の上に座らせる。
 やはり、「あ〜ん」は膝の上に乗せてするのが一番「萌え」るのだ。
「どうした?」
 ニコニコ、常の彼らしくない満面の笑みで問い返す。
 その笑顔に、少し戸惑いながらも、拓海は唇を尖らせ抗議する。
「…食べさせにくいです」
「いいじゃないか。俺はこうしたい。…嫌か?」
 少し、悲しそうな表情を作り、拓海を窺う。もちろん彼が「嫌」と言えないように。
 案の定、拓海は困ったようではあったが首を横に振る。
「……ヤ、じゃない、けど…」
 可愛くて、純情で、なのに色っぽい。
 今まで、涼介は恋愛方面において理想とするものを持っていなかった。
 興味が薄かったのもあるが、何よりそれが実現不可能である事を夢見るよりも先に理解していたから。
 だが、漠然と胸の奥深くに秘めていた理想、それが今ここに具現されている。
 拓海と言う形を得て。
 いや、存在全てを以って。
 彼に、恋心を抱いたのは確かだが、満足と言う形には程遠かった。
 最初が無理やりなのもあるが、どこか遠慮を捨てない彼に、涼介自身も怯え踏み込めなかったのもある。
 けれど今の拓海からは遠慮も何もなく、甘え、そして全身で誘惑をしてくる。
 滑らかな剥きだしの肩に顔を寄せ、匂いを嗅ぎ、唇でその肌に触れる。
 ピクリと、微かに彼の体が震えた。
「…涼介…さん?」
 これは、束の間の夢。
 自分の妄想が見せた、きっと夢なのだろう。
 何故なら、これが現実のはずが無い。こんな…有り得ないぐらいに「オイシイ」拓海の姿など!
 夢なのならば、涼介も素直になれる。
 だから、微笑んだ。
 これ以上ないくらいに、幸せだという感情をいっぱいに込めて。

「愛してるよ、拓海」

 目の前の拓海の大きな瞳がいっぱいに見開き、そしてその目尻からポロリと大粒の涙が零れ落ちる。
 綺麗だな、と一瞬見惚れていると、器をテーブルの上に置いた拓海が、手ぶらになった途端に飛びついてきた。
「…うわっ」
 ぎゅう、とありったけの力で抱きしめられ、勢いよくソファの上に押し倒される。
 胸に顔を埋め、グリグリと子供のように頭を擦り付ける。
「…好き…」
 呟きが聞こえた。
「…好き…すげぇ、好き…」
 ジワリと、顔を埋めたシャツが濡れている。
 そっと、その柔らかな茶色の髪に指を絡め抱きしめると、彼が微かに震えていることに気が付いた。
 愛おしさが増す。
 あふれ出しそうなほどに。
 壊れそうなほどに。
「…涼介さんが…好き…」
 拓海が顔を上げる。涙で無き濡れた目。真っ赤になった頬。艶っぽく濡れた唇。
 けれど何より、その瞳に込められた思い。
 精一杯の、拓海の涼介への「好き」の気持ち。
 それに胸を射抜かれ、息が止まる。
 ゆっくりと。
 その瞳が近付き、涼介の顔へ重なる。
 目を閉じることすら忘れた。
 見開いたままの涼介の眼前に拓海の顔。
 睫毛が多くて長い。綺麗な肌をしている。
 そんな具にも付かないことが脳裏を掠めた瞬間、唇に触れた、しっとりと温かく濡れたもの。
 それが拓海の唇なのだと、気付くのに涼介は三秒くらいの時間を要した。



「愛してるよ、拓海」

 たとえ嘘だとしても、初めて彼の口からそんな言葉を紡がれた。
 それが嬉しくて、幸せで、拓海はずっと堪えていた我慢を忘れた。
 涼介の前では、女の真似事のように体を繋げているが、拓海とて男。
 目の前に恋しい人を前にして、大人しくしていられるほど枯れていない。
 襲いたい気持ちくらい、ずっと持っていたのだ。
 本能のままに彼を押し倒し、そして硬直したままの涼介の唇を塞ぐ。
「…好き…すげぇ、好き…」
 ボロボロと、みっともなく涙を零しながら堪えていた感情を解放する。
 好きなのだ、本当に。
 彼が好きで、ずっと独り占めにしたかった。
 周りで騒ぎ立てる女性たち。恋心を抱きながら見つめる視線。何もかもに腹を立てた。
 その身体を抱きしめ、
『これは俺のもんだ!』
 とずっと叫びたかったのだ。
 けれど、それはずっと許されなかった想い。
 自分を「好き」でもない相手に、そんな事を叫ぶほど愚かにはなれなかった。
 空しくて、そして怖くて。
 けれど…今ならどんな愚かにもなれる。
『愛している』
 それが今だけの彼の戯言だと知っていても、拓海は心臓が止まりそうなほどに嬉しかったのだ。
 嬉しくて、嬉しくて…だから後の事や、他の雑事など忘れた。
 今は…
「…涼介さんが…好き…」
 目の前の彼しか見えない。


2007.3.4

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