勘違い狂想曲
act.4
ゆらゆらと、お尻を隠すように喋々結びにしたエプロンの紐が揺れる。
ゆらん、と動くたびに涼介の顔も揺れ、目尻がやに下がる。
にこにこ、笑顔でキッチンに立つ拓海の後姿を、手を洗ったばかりの涼介は信じられない思いで目を擦る。
錯覚ではない。
だがまだ幻ではないと限らない。
この手で、触れてみなければ。
そろそろと近付き、そして背後から抱き締める。
「……あ」
…幻ではない。
この感触、この手触り。そしてこの匂い。
間違いなく、生身の拓海だ。
ぎゅっと腰を抱きしめていただけの両の手が、まるで相反する磁石のように片手ずつ上と下へと移動していく。
お臍の下腹部の辺りと、なだらかなカーブを描く胸筋へとそれぞれ手のひらが移動する。
柔らか布地の上を滑り、ベッドの中で何度も確かめた拓海の敏感な部分を弄るために。
「…ダメ、です、まだ野菜が煮込めてないのに…」
その手を嫌がり、拓海が身を捩るがそれは涼介の欲望を煽る事にしかならない。
「…飯より…先にこっちの方が食べたいな」
そう言いながら、悪戯な手が無防備に近い布の中に入り込もうとした瞬間、ポタリと、冷たい滴が手のひらの上に落ちる。
「…っく…ぅ…ひっく…」
「た、拓海?!」
さっきまで笑顔だった拓海が、何故か今は泣いている。
ピンクに染まっていた頬には透明な涙の滴が伝い、まるであの最初の時の泣き顔のように涙を零している。
慌てて手を離し、オロオロとなすすべも無く慌てふためく。
「ご、ごめん、何か悪いことをしたか?!」
「…涼介さん…俺のご飯…食べたくない?」
「………え?」
じっと、泣き顔の拓海が涼介を見上げている。
だが涼介は、意味が分からず首を傾げると、またポロリとその目尻から涙が零れる。
「やっぱり食べたくないんだ……」
ショボンと項垂れ、ゴシゴシと乱暴に目を擦りキッチンから出て行こうとする。
慌てて、涼介はその拓海の腕を掴んだ。
「ま、待て、拓海!いったい何が…」
「だって…涼介さん俺のご飯食べたくないって言った…」
ぐすぐすと、裸エプロン姿で子供のようにぐずる拓海は…涼介の欲を非情に刺激する。
けれどそれを押し殺し、彼の言う意味をやっと理解した涼介は勢いよく首を横に振った。
「違う!食べたい!!」
「…無理、しなくて良いです。どうせ俺の手料理なんて…」
唇を尖らせ、拗ねる拓海はさらに涼介の欲を増させる。だが…今は…耐える。
「無理なんてしていない。俺のために作ってくれたんだろう?」
コクン、と頷く拓海。またもその姿は……だが我慢。
「嬉しいよ。ありがとう、拓海」
俯いていた顔が上がる。
見上げるその涙で潤んだ眼差し…しかし我慢。
「迷惑…じゃない?」
「迷惑なものか!」
不安に怯える子供のような彼を抱きしめる。…が、腰部分は微妙に離しガード。
「拓海が俺のために料理なんて…まるで新婚のようで嬉しいよ」
新婚、と言う言葉に拓海の頬がぽぉっと赤く染まる…が、我慢。
「お腹空いたな。何を作ってるんだ?」
煩悩を食欲で誤魔化すために、鍋を覗き込む。
「あの…」
拓海の笑顔が戻った。目尻にまだ涙は残っているが、頬を高潮させ口元は嬉しそうに笑みを模っている。
「キムチ鍋です。涼介さん、辛いのが好きだって聞いたから」
「……そうか…」
…恐ろしい威力だ。誤魔化していたはずの煩悩がさらにパワーアップして溢れそうだ。
「涼介さん、何だか前屈みじゃないですか?」
「…あ、ああ。ちょっと疲れているのかな?」
適当な言葉。なのにそれを信じた拓海は驚き眼を見張る。
「そんな!じゃ、座ってて下さい。すぐに作りますから!!」
ぐいぐいと、無理やりソファの上に座らされる。
涼介を押さえ込む前傾姿勢の拓海。涼介の視線の先に可愛らしいピンクの突起が見える。
…舐めてぇ。
ゴクリと、生唾飲み込み、このまま押し倒してしまおうかと、獣の本能を解き放とうとした涼介に、だが拓海の先制パンチ。
「…あ、そうだった。忘れてました」
パン、と手を合わせ、そして涼介を見つめ、にっこり微笑む。
「…お帰りなさい、涼介さん」
…ちゅぅ。
「…………」
「すぐに出来ますから待ってて下さいね〜」
パタパタと、遠ざかるスリッパの足音。
だが、涼介はその後姿を見ることは出来なかった。
今のは……。
今のは…!!!
もしかしなくても、「お帰りなさい」のチュウ??
しかも唇に。
あの拓海からだ。
今まで、キスはおろか拓海から積極的な行為は一切見られなかった。
だから涼介も、彼を騙している罪悪感を抱いているままだったのだが…。
「…やべぇ……」
この感動は、股間に表れた。
「……出る」
何が?…とは書かない。
失敗しなたなぁ、と拓海は頭を掻きながら煮立った鍋の中に野菜を入れていく。
啓介から、涼介が帰ってきたら真っ先にカバンを受け取り「お帰りなさい」のキスをしろとレクチャーされていたのだ。
それを忘れ、遅れてやってしまったがあれで良かったのだろうか?
心配になり、後ろを振り返るとソファに座っていたはずの涼介がいない。
「…あれ?」
まさか、怒ってどこかに?
不安に、また涙が滲みそうになったが、「ジャー」と言うトイレの水が流れる音の後に、リビングの扉を開けて涼介が戻ってきた。
見れば、さっきと服装が違っている。
『…何だ、トイレに行って着替えてきただけか』
安心して、また前を向き料理を再開する。
『……新婚、みたいって言われた…』
そうすると、またさっき言われた言葉蘇る。
こっそり、自分でもそう思って喜んでいただけに、涼介の口からも言われたことが嬉しかった。
もしも自分が女なら、結婚してこんな風に料理を作る生活を手に入れられるんだろうか。
だが、自分は男。
彼も、こんなイタ寒い努力をしている拓海を傷つけないために言っただけで、本当は――。
また潤みそうになる目を擦り、
『今はそんな事考えちゃダメだ。涼介さんを喜ばせることに専念しなきゃ!』
振り切り、また料理に意識を戻した。
2007.2.27