勘違い狂想曲

act.1


 内の中の熱が解放される。
 燃えるような熱が一気に冷め、内に埋まっていた塊が抜け出る感触に甘い痺れに似た感覚が走る。
 いったん治まったはずの熱が、また上昇しそうな気配に、拓海は必死に息を止め堪えた。
 さっきまでしっとりと馴染んでいた肌が、熱を吐き出した今は汗ばんでいて気持ちが悪い。
 だが、それを感じさせるより早く、彼の体が離れる。
 ピタリと、まるで二枚貝のようにくっついていた体は離れ、「ふぅ」と軽い溜息を残し拓海を振り返りもせず背中を向ける。
 シーツの衣擦れの音とともに、彼がベッドから離れていく。
 手早く衣服の下だけを纏い、上半身は裸のままでシャワールームへ向かう彼の背中を拓海は見つめていた。
 ほどなく、シャワーを浴びる水音がベッドに横たわったままの拓海の耳に響いてくる。

 …何だかなぁ。

 ごろりと、まだ彼が内に入っていた余韻を残しながら、拓海はベッドの上で寝返りを打つ。
 彼と、こんな風にホテルに行くようになってもう何ヶ月も経つ。
 たぶん、付き合っている…のだとは思う。
 優しいし、特別扱いもしてくれる。
 だけど、多忙のせいもあるのだろうが一ヶ月に一度会えれば良い方の彼と、二人きりで会えばいつもこんな風に慌しく体を繋げるだけ。
 会話らしい会話もない。
 おまけに…これだ。
 欲望を吐き出した後はいつも余韻も何もなく、すぐに背中を向けてシャワーを浴びに行く。
 別に、イチャイチャしたいわけではないが、でももう少しくっついていても良いと思う。
 それに…。
 ガチャ、と扉が開く音がして、さっぱりと汗を流し、身繕いを整えた彼が現れる。
「…何だ、まだ寝てるのか?そろそろ時間だから、早く汗を流して来いよ」
 いつもいつも。
 休憩2時間コース。
 泊まらないし、拓海は彼の寝顔すら見たことが無い。
『…こう言うの何て言うんだろう…セフレ?』
 本当にヤるだけの関係。
「……涼介さん…」
 彼の名を呼ぶ。
「何だ?」
 疲れたような彼の声音に、拓海はまた口を閉じる。
「…いえ、何でもありません」
 いつも、いつも聞きたかった。
『俺たち…付き合ってるんですよね?』
 だけど怖くて聞けない。
『まさか』
 と、笑われるのが怖くて。
 だからいつも、心の中だけで呟く。
 素っ気無い彼の背中を見つめながら、ひっそりと。

『涼介さん。…どうして俺と寝てるの?』

 だけど当たり前だが彼の背中は答えない。
 そして彼から返るのはいつも、
「グズグズするなよ、藤原」
 どこまでも素っ気無い言葉ばかりだった。


 拓海が、高橋涼介とこんな関係になったのは、彼が主催するプロジェクトDの親睦会を兼ねた飲み会で、拓海が飲みすぎた事から端を発する。
 未成年とは言え、中学生の頃からこっそり父親の酒を盗み飲み、高校生になった頃には父親の晩酌にも付き合っていた。
 酒には弱くないと言う自負を持っていた拓海だが、得手不得手はあったらしく、日本酒やビールなどの辛口は良いのだが、甘ったるいカクテルの類は悪酔いする体質であったらしい。
『お前はガキだからこれでいいんだよ』
 などと啓介に薦められるままに杯を重ね、気付いたときには世界がグルグル回っていた。
 そんな拓海を介抱してくれたのが、遅れて参加してきた涼介だった。
『呑みすぎだ、バカ』
 怒り口調ではあったが、優しそうな笑みを浮かべ、涼介の膝の上にある拓海の頭を、何度も労わるように撫でてくれた。
『啓介、お前もだ。藤原は未成年なんだぞ。少しは自重しろ』
 啓介に怒鳴りながらも、優しく撫でる手は止まなかった。
 酔いのせいだけではなく顔が赤くなり、心臓がドクドクと早鐘を打ったように鳴った。
『大丈夫か?顔が真っ赤だ。歩けるか?』
 飲み会が終わり、一人で歩くことも出来なかった拓海を支え、涼介が送ってくれることになった。
『…すいません』
 と何度も恐縮する拓海を、「気にするな」と笑みで答え、拓海の体を抱え込むように支えながら歩いた。
 そして五分ほど歩いた頃に、涼介が耳元に囁くように言ったのだ。
『…少し、休んでいこうか』
 繁華街の裏通りにひっそり立つホテルの前で。
 警戒心が無かったわけじゃない。
 何をされるのか、想像できないほど子供でもない。
 だがあの時は、どうなっても良いと思うほどに彼が欲しかった。
 一線を越えることで、彼が手に入ると思っていた子供だったのだ。
 だが実際に、越えてしまった今は、それが間違いであったことに気付いた。
 体の繋がりなんて、想像していたよりも希薄なものだ。
 昔は、セックスをしたら特別なのだと、世界が変わるのだと漠然と思っていたのに。
 何も変わらない。
 いつまで経っても涼介は遠いままの存在だ。
「藤原、早くしろ」
 初めて体を繋げたあの日から、一年近くが経った今でも。
 だるい体を堪え、拓海は身を起こしベッドに足を着く。
 つぅ、と、内腿を流れる体液の感触がやけに空しく感じた。


 体の関係だけでも良い。
 傍にいられるなら、どうでも。
 彼が、本当に好きだったから。
 でも、彼はそれさえも許してはくれなかったらしい。
 その事を聞いたのは、二人の関係が始まり、ちょうど一年になろうとする頃だった。
「…東京…ですか?」
「ああ」
 と答えたのは彼ではない。
 彼の親友である史裕だ。
 プロジェクトDは彼の望む以上の形で終了し、拓海もまた新たなスタートが始まっていた。
 そして涼介は多忙の中、国家試験に合格し、医師としての道を着々と歩み始めていた。
 拓海は、漠然と涼介の勤務先を地元であるここなのだと思っていた。
 だが史裕によると、涼介は東京の病院を候補地としているらしい。
「…遠く…なりますね」
 Dのメンバーは誰も、涼介と拓海が付き合っていることを知らない。史裕も。弟である啓介でさえ。
「まぁ、な。でもせっかく昔と違って勤務先が選べるようになったんだからって、よりレベルの高い所を目指すなんて、あいつらしいとも言えるけどな」
 苦笑する史裕に、拓海は引き攣ったような笑いしか返せなかった。
 何も、聞いていなかった。
 昨日の夜も会ったばかりなのに、拓海は涼介からそんな事は何も聞いていない。
 そしてその瞬間、ずっと抱えていたモヤモヤがストン、と、一気に何かが落ちてきたように納得できた。

 涼介は拓海の事を好きではない。

 ただ、性欲解消にちょうど良かったからで、本気ではなかった。

 こんなすぐに、切り捨てられるほどの。

 泣いて。悔しくて泣いて。悲しくて泣いて。辛くて泣いて。
 涙も枯れるほどに泣きつくして、拓海は決意した。
 離れて行こうと思うのを、無理に引き止めることはしない。
 それが彼の望みなら。
 だけど。
 だけど最後に一度だけでいい。
 恋人らしいことをしたかった。
 だから拓海は決意した。
 涼介に、一生忘れられないほどの思い出を残す。
 恋人として。

 そんな拓海が選んだ方法。

 それが――。


 裸エプロン。


2007.2.20

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