勘違い狂想曲
act.3
……鬱陶しいことこの上ない。
数年前に制度が変わり、インターンの研修先が希望地を選択できるようになった結果、優秀な学生の争奪戦が水面下で行われるようになった。
その対象である「優秀な学生」である涼介の元に、スカウトと呼ばれるものが多々来るようになったのは当然だろう。
概ねは良識的ではあるのだが、やはり数が増えればその中に押し付けがましいのもあれば、横柄なのも出てくる。
その対応に振り回され、ただでさえ貴重な涼介の時間が減っていく。
「…チッ」
駐車場に停めてあったFCに乗り込み、乱暴に扉を閉める。
ドサリとシートにもたれ、ハァと溜息を吐きながら天井を見上げた。
ふと、脳裏をよぎるのは最後に会った恋人である彼の顔。
もう二週間も前になってしまう。
慌しい日々のせいで、満足に会うことも適わず、ただ体を繋ぐだけ。
その状況に満足できるほど涼介は淡白ではない。
出来るなら今すぐ、彼のいるところへエンジンを唸らせ駆けつけたい。
…だが。
涼介は再度深い溜息を吐き、髪をグシャグシャに手でかき回した。
怖いのだ、涼介は。
拓海に会うのが。
面と向かうのが。
あの、疑うことを知らない眼差しに晒されるのが。
酔った拓海を、騙すようにして体を繋いだ。
頑固なところはあるが、元来は素直な性格をしているのだと、すぐに気が付いた。
だから、酒に酩酊し、冷静な判断力の無い彼に囁いた。
「俺のことが好きだろう?」と。
今でも忘れない。
そう告げた後の拓海は、きょとんとした目で涼介の体の下から見上げていた。
『…俺…涼介さんのこと…好き、なのかな?』
小さな、迷子の子供が道を尋ねるような表情で。
それに、涼介は「そうだ」とさらに囁いた。
『好きじゃなけりゃ、ここをこんな風にはしないだろう?』
と、ただの生理現象で反応しているそこに、そんなこじつけを付けて。
若いまだ十代の性欲盛んな年なら、触れれば反応するのは当たり前だ。好きではなくとも。
だが、それを告げずに彼を手に入れた。
どうしても、拓海が欲しかったから。
そして慣れない体を無理やりに開いた結果は、痛みに子供のように泣きじゃくる姿となって返ってきた。
酷いことをしていると言う自覚はあるのに、どうしても止められなかった。
痛みに耐え切れず最中に拓海が失神しても。
そしてそれからも、罪悪感に蓋をして、拓海を抱き続けた。
痛がるばかりだった体は、今では快感の涙を零すようになったが、今でも涼介の内には拭えない罪悪感と恐怖がある。
恋愛事に疎い彼を、付け込み騙した罪悪感。
そして騙したことに気付き、涼介を嫌い離れてしまうことを。
怖くて、だから未だにあの申し出に返事を返せないでいるのかも知れない。
拓海の事を思うなら、直ぐに断るべき返事を。
「…東京、か」
彼の傍にいたいと思うのに、欺瞞に気付き逃げられるより先に自分が逃げ出したくなる衝動がある。
そんな複雑な感情の中、飛び込んできた申し出は、条件のこともあるが魅力的に感じた。
『…少し、考えさせて下さい』
そう、返事してしまうほどに。
天井へと向けていた視線を前方へと戻す。
決断は、遅かれ早かれしなければならない。
ただその選んだ道に、拓海をどこまでも縛りつけようとするのは、己のエゴなのだろうか?
悩み、また新たな溜息を零した涼介は、振り切るようにキーを回しアクセルを目一杯に踏み込み、エンジンを唸らせ走り出した。
いつもより乱暴な運転で自宅のガレージの定位置にFCを駐車する。
車を降り、目を玄関へと向ければ明かりが着いている。
…珍しい。
両親は滅多に帰宅できないほど多忙ではあるし、弟の啓介にしても日々忙しなく精力的に動き回っているため留守が多い。
両親は記憶が確かなら今日は帰れないとの連絡があったはずだから、きっと啓介だろう。だが、ガレージにFDは無かった。
では一体誰が?
従妹の緒美だろうか?
疑問に思いながら、玄関扉を開いた涼介の目に、信じられないものが目に飛び込んでくる。
ガチャ、と開け、おざなりのように「ただいま」と言った瞬間に、パタパタと廊下の奥からスリッパの立てる足音が響く。
そして俯きながら靴を脱ぎ、そして顔を上げた涼介は……
固まった。
「お帰りなさい、涼介さん」
にっこり、微笑みながら涼介の鞄を受け取る拓海がそこにいた。
「ご飯、出来てますよ。手を洗ってすぐに来て下さいね」
上から下まで。
涼介はその姿を舐めるように見つめた。
「…た、くみ…?」
信じられず呟いた呼びかけに、拓海がキョトンとしながら答える。
「はい、涼介さん。何ですか?」
前屈みになった彼の剥きだしの鎖骨にまず目が行き、続いて身に付けるエプロンの隙間から覗く小さなピンク色の突起から目が離せない。
「…い、いや…何でも…」
これは夢だ。夢に違いない。
「変な涼介さん。早く手を洗ってきてくださいね」
くるりと、拓海が後ろを向き、パタパタとまたスリッパの足音を立て戻るその後姿は眩い素肌。
綺麗に浮いた肩甲骨と、その下を模る魅惑的な腰のライン。
さらにその下の、固さを残すまるで桃のような輝く双玉。
その狭間に顔を埋め、舐めねぶりたいと何度願ったことか。
まともに直視することすら躊躇われる魅惑の肢体が、今眼前に無防備に晒されている。
これは夢なのだ。夢であってくれ!
早くも、硬化し始めた股間を押さえ、涼介は蹲った。
その顔は満面の…笑み。
夢、最高!夢よありがとう!!
拓海は、涼介の見間違いで無ければ、世に言う男のロマン…。
裸エプロン姿であった。
フリルの付いた薄桃色のエプロンは啓介が用意してくれた。
値札が付いていたので見てみたら、何と値段は一万円。驚き、目を見張る拓海に啓介は自慢げに笑った。
「探したんだぜ〜、この質感とデザイン。もちろんフリルは絶対だよな。色もさぁ、白にしようかと思ったんだけど、やっぱり若妻の雰囲気をふんだんに出しているこのピンクがいいよなぁ」
うっとり、エプロンを手に頬ずりまでしながら語る啓介に、ほんの少しだけ拓海は後悔した。
「あ、あのこんな高いの俺、払えないし…」
「ばぁか、プレゼントするってぇの。それに、上手くいった暁にはアニキから貰うからいいよ」
「…こんなので上手くいけばいいんだけど……」
「ハァ?何言ってんだ。この、俺だぞ?あのアニキと、21年間同じ家で暮らしたこの俺だぞ?その俺の言うことが信用できないってのか?!」
そうか。そう言えばそうだった。
啓介は涼介の弟なのだ。
きっと啓介なら、涼介の好みや傾向なんかもよく分かっているに違いない。
「…すみません、啓介さん。俺、頑張ります!」
「よし!」
『頑張れよ』
の激励を残し立ち去った啓介の後押しを受けて、拓海は啓介が提供してくれたエプロンを手に取り、男は度胸と裸になり身に着けた。
女のように柔らかくもないし、骨ばった体にピンクのフリルのエプロン。
正直、変だとは思うが、こんな男の体を一年近くも涼介は抱いてきたのだ。今更かと諦め、目を背ける。
最初はスースーして落ち着かなかったが、慣れてしまえばこっちのもの。
大事な部分は隠れているし、別に恥ずかしがることもなくなってきた。
帰宅する涼介のために、すぐに食事にできるように料理を始める。
多忙な涼介のために、栄養を考え鍋にした。
これなら、温野菜をたっぷり食べられる。
そして啓介の「アニキは辛いモンとか好きだぜ。キムチとかさ」とのアドバイスを受け、キムチ鍋にすることにした。ベースには自家栽培しているというご近所さんから貰った無臭ニンニクをたっぷり。
ニンニクのエネルギーはそのままに、無臭のため匂いがしない。
疲れた時などはこれを食べるとかなり元気になれる。
疲れているだろう涼介のために、いつもよりもたっぷり投入する。
下味をつけ、ダシを取り、味を調え、お玉に少し掬って味見。
「…うん」
ピリ辛だけど、濃厚な味が広がる。満足できる仕上がりに、頷き微笑むと、ガチャと扉の開く音がする。
どうやら帰ってきたようだ。
お玉を置き、急ぎ足で彼を出迎えに拓海は走る。
この時の拓海はもう自分がどんな格好をしているのか…既に忘れ去っていた。
「お帰りなさい、涼介さん」
だから、いつもあまり表情を変えない彼にしては珍しく、目を見開き凝視する姿を不思議と思いはすれ、自分が変だとは夢にも思わなかった。
「ご飯、出来てますよ。手を洗ってすぐに来て下さいね」
頭のてっぺんからつま先まで、舐めるように見つめられても、いつもいない自分がここにいるのがそんなに不思議なのだろうかと、そんなぐらいにしか思わなかったのだ、拓海は。
クスッと微笑み、首をかしげる。
「変な涼介さん」
固まったまま動かない涼介。
だけど、そんないつもと違う涼介が新鮮で、拓海は嬉しくて浮かれる気持ちを抑えれなかった。
彼に背を向け、キッチンへ戻る足取りが軽くなる。
剥きだしのお尻と、後ろに結んだリボンが軽やかに揺れるほど…。
2007.2.27