その頃拓海は、今までお目にかかったことの無いような広いバスルームで戸惑っている。
銭湯のように、とまではいかないが、一般家庭にはあるまじき広さの浴槽と、そしてスタイリッシュなデザインのそこは、古びたタイル張りの我が家のそれとは似ても似つかない。
改めて、涼介との生活の違いを思い知らされたようで、ほんの少し悲しくなる。
だが同時に、この風呂場を涼介も使用していたのかと思うと、胸のざわめきが止まらない。
置かれたシャンプーやボディソープの香りに、「これが涼介さんの匂い…」なんてトキめくし、体を擦るスポンジにさえ「これが涼介さんの体に触れてるんだ…」と思えば、ドキドキは戦慄きに変わる。
こっそりと、自分もまたそのスポンジで泡を作り擦ってみる。
関節キス、なんてものはあるが、まさか関節スポンジ、なんてのは無いよな。
『…って言うか、これ、啓介さんも使ってんじゃん』
何となく喜びは半減。
だけど、普通に腕や肩を擦っているだけの時はよかった。
敏感な腹や、太もも。そして内腿の部分をこすっている時に、あらぬ妄想が繰り広げられていく。
拓海の脳内では、このスポンジを握る手は自分ではなく、あの細く長い指を持つ彼だ。
拓海の前に着衣のまま跪き、そしてゆっくりと丁寧に拓海の肌の上をなぞる。
「……ぅん…」
ビクビクと拓海の背中が跳ねる。
そんな拓海に、妄想の中の涼介はうっとりと微笑む。
『…拓海、気持ちが良い?』
恥ずかしさに目を逸らす拓海に、けれど涼介は笑うだけで気にしない。なぜなら…。
『別に返事は良いよ。体は正直だからね、ほら、こんな風に』
と、すっかり硬くなった欲望をスポンジでなぞる。
「…ゃぁ、りょ、涼介さん…」
『おかしいな。ちゃんと洗っているのに、ヌルヌルするね』
涼介に触られている。
それだけで拓海のそこは、先走りの液を漏らし始めている。
『どうしてかな?ちょっと見せてごらん』
「だ、ダメです、やぁ…」
『隠すなよ、病気かも知れないだろ?』
強引な手が、股間を隠す拓海の腕を引き剥がす。
そしてまじまじと浅ましくも立ち上がり液を漏らす拓海のそこを見つめ、指先が先端の割れ目の部分をクルクルとなぞる。
『…ふぅん。ここだね。ここからヌルヌルしたのが漏れているんだ』
「…っあぁ…やぁ、ん…」
『体を洗っているだけなのに、こんなにお漏らしするなんて…妙だな』
真剣な眼差しでそこを見つめながら、涼介は割れ目を爪先で引っかく。
痛みと、そして脳天まで突き上げるような刺激に、拓海の先端からはさらに液が溢れ出す。
『…もしかして拓海は淫乱症なのか?』
大真面目に囁かれ、拓海は必死に首を横に振る。
『そう?それにしては漏れすぎだろう?それとも…俺に触られているからこうなるのか?』
その言葉に、拓海は壊れた人形のように首を縦に振り続ける。
妄想の中では涼介に弄られているそこ。
けれど現実には、スポンジと共に自身の手でそこを握り締め、上下に擦り上げる。
バスルームの静かな空間で、拓海の手が立てる淫猥な水音と、荒くなった呼吸音が響く。
「…っ、はぁ、あ、あぁ…ぅ、涼介さ…」
『言って。拓海。誰にでもこうなる?それとも俺だから?』
脳内で同じ言葉がリフレインする。
心からの拓海の叫び。
「…すき…」
快感が強まる。
「…すき…りょうすけさんが、すき…」
ジン、と走った痺れは下腹部に一気に集まり、爆発寸前にまで熱を高める。
「…だから…おねがい、もっと…さわって…」
ぎゅ、っと指先で股間を握る。頭の中が真っ白になり、限界が間もなく訪れる、その瞬間。
バン!
と静かな室内に激しい物音が響いた。
驚き、股間を握り締めたまま扉を見れば、そこには乱れた髪形で、そして何よりギラギラと、熱く激しい熱を孕んだ涼介がそこにいる。
これは夢かな?
きっとこれは拓海の妄想の中の出来事。
だって彼がこんな風に、自分を見つめるだなんて有り得ないことだから。
けれど、すぐに拓海はそんな思い違いを知らされることとなる。
いきなり目の前に現れた涼介は着衣のままバスルームに飛び込み、そして濡れたままの拓海の体を抱きしめ、噛み付くようなキスをした。
潜り込む舌の熱さと、吸い付くように絡んでくるその動き。
肌を撫でまわる指先が、まるで火のように熱い。
咽喉を何度か嚥下させ送り込んでくる唾液を飲み込むのだが、唇の端からはつぅっと飲みきれなかったそれが筋を作り零れ落ちる。
その筋を、唇を離した涼介の舌が追いかける。
首筋まで舐めとられ、拓海は甘い溜息を漏らす。
そしてギラギラと、ケダモノのような目をしたままの涼介が囁く。
拓海の目を見つめ、咽喉の奥から搾り出すかのような唸る声で。
「……拓海」
妄想ではなく現実に、彼に名前で呼ばれるのはこれが初めてだった。
そしてこんな、獰猛な表情の顔の彼を見るのも。
「…ヤらせろ」
言葉を脳が理解しないままに、勢いに押され拓海は頷いた。
たぶん再起不能だというくらいに、地の底まで落ち込んだ。
まるで燃え尽きたボクサーのように真っ白になり、床に倒れこみ起き上がる気力も無い。
胸に沸き起こるのは不躾な啓介への怒り。
けれどそれよりも深く絶望が心を占めていた。
いくら何でも、これから口説こうと思っている相手に自慰の姿を見せるだなんて…。
これではただの変態だ。
藤原拓海。
あの少年の前では、涼介の完璧だった計算の全てが覆される。
それに惹かれたのもあるが、今はそれが恨めしい。
そんな灰のようになってしまった涼介に、
「アニキぃ、実はさ……」
と、またも啓介がノックもなしに無造作に扉を開け入ってくる。
けれど涼介には起き上がる気力も無い。
床の上にへたり込んだままの涼介を、一瞬びっくりしたような目で見つめた啓介だ、しかしすぐに立ち直り、ゴホンと恭しく咳払いをし、言った。
「あのさ、アニキ」
「………………何だ」
地を這うような声だった。
それに啓介は少し気圧されるが、それで怯むようなら涼介の弟など21年もやっていられない。
「今、藤原が風呂に入ってんだ」
ピクリ、と涼介の眉が跳ね上がる。
…風呂、だと?
あの体から衣類の一切を取り払い、生まれたままの姿で湯を浴びる…あの行為か?!
「あいつ、茶ァひっくり返してビショビショに濡れてさ」
…ビショビショ…濡れる…。
「シャツどころかパンツまで濡らしちまって」
…パンツまで…濡れる?!
「だからさ、あいつに着替え持っててやってくんねぇ?」
ゆらり、と涼介は立ち上がった。
そして目の前に立つ啓介の胸倉を掴み、怒鳴る。
「…貴様、拓海に何をした?!」
「は、ハァ??!」
「拓海が…ビショビショに濡れただと?!貴様、口では言えないような卑猥なことを、あいつに仕出かしたのか?!」
胸倉を掴まれ、血走った目で怒鳴る兄の姿を見つめる啓介の目が思わず点になる。
『アニキが壊れた!!』
そう感じてしまった啓介は、決して間違いではない。
だが、これで怯むようでは、この涼介の弟を生まれた頃よりやっていない。
自身を落ち着かせるように大きく深呼吸し、そして胸倉を掴む兄の肩を宥めるように叩く。
「アニキ、落ち着け」
「…落ち着け、だと?!」
「ああ。だって、藤原をビショビショにすんのは俺じゃなくて…アニキだろ?」
「………俺、が?」
「ああ。藤原は風呂に入って待ってんだぜ。アニキも分かってんだろうけど、あいつはアニキに惚れてる。絶対だ。
アニキに惚れてる奴がマッパでうちの風呂に入ってんだ。…分かるだろ?」
「な、何をだ?」
兄の勢いが緩む。胸倉を掴んでいた手を離し、眉間には深く皺を刻みながら戸惑い視線を彷徨わせる。
「…決まってんだろ?」
啓介はそんな兄の背中をバシンと叩き、そして耳に顔を寄せ囁いた。
「…あいつはアニキが来るのを…待ってんだよ」
彷徨っていた視線が、啓介へと向けられる。驚愕の表情を浮かべた涼介に、安心させるように啓介は頷き微笑んだ。
「ほら、早く行けよ。藤原に恥、かかせんなよ」
その言葉に押され、まるで夢遊病者のようにフラフラと涼介は階下にあるバスルームへと向かう。
…まさか。
…まさか、な。
そう思いながらも足は止まらない。
そしてヨタヨタと辿り着いたバスルームで、涼介は信じられない拓海の言葉を聞くこととなる。
「…すき…」
「…すき…りょうすけさんが、すき…」
「…だから…おねがい、もっと…さわって…」
一気に欲望は沸点上昇。
グツグツと煮え立った本能が理性をぶった切る。
バン、と勢いよく扉を開けば、驚きながらも、ほんのり薄桃色に染めたその白い肌を惜しげもなく晒し、まるで欲情に穢されたかのように白い泡をところどころに纏った拓海がいる。
その大きな瞳は潤み、そして下腹部の男性器は間違いなく興奮状態にある。
そして先ほどの言葉。
これで煽られぬ男はいないだろう。
本能のままに裸の彼に飛びつき、喰らいつくようなキスをする。
存分に舌を絡ませ、互いの唾液を味わい、味見をした獣は唇を舌で舐めながら唸った。
「…ヤらせろ」
獲物は素直に頷いた。