Darling

act.7


 大海の底から。
 厚い殻に覆われた貝殻の中に。
 ずっと潜んでいた類まれなる美しい真珠を見つけ手に入れた気分だ。
 そして肝心の真珠は、自身の美しさに気付かず、あまつさえ醜いとさえ思っている。
「緒美ちゃんだけです。最初から、オレが女だって気付いてくれたの…」
 純粋で、真っ直ぐで、そのくせ頑固で意地っ張り。
 どんなものにも替えがたい唯一無二の宝物を涼介は手に入れた。
「ずっと、男だと思われたままでいいと思ってたのに、緒美ちゃんが励ましてくれたから…だから…こんなオレでも…涼介さんのこと、好きでいてもいいのかなって…そう思うようになって…」
 そして宝物を手に入れた男の心理として、それを誰にも奪われないように隠すというものがある。
「だから、今日、みんなにちゃんと言おうと思ってたんです。オレが、女だって」
 涼介は傍らの宝物に手を伸ばす。その手触りのよい髪に頬を寄せ、そして真珠の手触りに似た肌を抱き寄せる。
「…ダメだ」
「え?」
 腕の中の宝物が、戸惑い大きな瞳で自分を見上げる。
 真実を知った今となっては、どうして彼女を男だと思い込んでいたのか不思議なほどだ。厚い貝殻のような男っぽい格好もさることながら、男社会と言っても過言ではない走り屋の世界で、卓越したドライビングセンスで並居る男たち全てに勝利を治めていった事。それらが涼介たちの目を曇らせることになったのだろう。
 男尊女卑の傾向は無いが、女にあんな走りが出来るはずないと、心のどこかでそう思っていたのだ。
 だから、そんな思い込みのない緒美はすぐに気付いたのだろう。
 拓海が女であることに。
「ダメ、って何がですか?」
 そして涼介は予想する。
 走り屋の世界において女性の数は圧倒的に少ない。車にかまけて彼女どころではない男も多く、偏見かも知れないが女に不自由する男はそれこそ無数に存在する。
 そんな場所に、「本当は女でした」と、自分の宝物を曝け出せるか?
 答えはもちろん否だ。
「チームのみんなに、藤原が女だとバラすのは駄目だ」
「え、でも…」
「もちろん峠でもそれは伏せておく。真実を知っている奴等には俺から緘口令を布かせてもらう」
「は?あの、けど…」
「藤原は、大事な物とかはみんなに見せびらかせるタイプか?それとも、引き出しの奥に閉まって誰にも取られないように隠しておくタイプ?」
 突然の質問の理由が分からないながらも、拓海は「う〜ん」と悩みながらもちゃんと答えをくれた。
「隠しておくほう…だと思いますけど。友達のイツキとかは、見せびらかすほうだったから、いつも誰かに取られて悔しがってたのとか、見てますから」
 涼介はニッコリと微笑んだ。その笑みに拓海の頬が染まる。今まで自分の周りにはいなかったその純情な反応に、涼介は自分の宝物が一時も目が話せない存在であることを確信する。
「奇遇だな。俺もそうなんだ。だから、分かるだろう?」
「何がですか?」
 きょとん、と見上げる潤んだ瞳。それが可愛くて仕方がない。心のままに目元にキスを降らせれば、そこは綺麗に朱色に染まった。
「りょ、涼介さん!」
 一転、おとなしそうな雰囲気を払拭し、強気な目で自分を睨む。けれどその目元の赤さが、彼女が本心から怒っているのではないことを伝えている。
「大事なものは誰にも取られないように隠しておくってことさ」
「はぁ…」
「分かってねぇな、藤原のことだよ」
「お、オレ?!」
 ずいぶん鈍い。けれど考えるとこの鈍さが有難い。確信を持って言えるが、今まで拓海に対し自分と同じような感情を持った人間は少なからずいるはずだ。それに気付かず、厚い殻に覆われたままだったのは、この彼女の鈍さの故だろう。
 そして殻は涼介の前で剥がされた。もっとも魅力的な方法で。
「大事だろう?恋焦がれてやっと手に入れた恋人だ。誰かに取られたら困るからな。今まで通り、気付かれないように隠しておいてくれよ」
「…オレなんて、誰も欲しがらないと思いますけど…」
 …本当に分かってねぇな、こいつ。
「いるだろう?現に、ここに」
「そ、それは…!」
「藤原が男だと思いこんでいても、お前が欲しいと思ってたんだぜ?しかも、緒美と付き合ってると思いってもいたのにな」
 腕の中で、拓海の体が小さくなり、そして真っ赤に染まる。その照れた態度が可愛らしい。
「…涼介さん…趣味…悪いです」
 この宝物は自分が真珠であることを知らない。いつまでも自分が路傍の石ころであると信じて疑わない。
 その誤解を解いてゆくのは楽しみではあるが、今はまだこの物慣れない心を愛したい。
「そうか?俺は世界一趣味が良いと思うけどな」
「変です、絶対」
「変でもいいさ。幸せだから」
「………」
「だから、藤原が女でいるのは俺の前だけにしてくれ。不安になるから」
「………」
「もちろん、他の奴にこんな水着姿を見せるのは禁止な」
「…み、見せれません、こんなみっともない体」
「そうか?綺麗だよ」
「…そんな事言うの、緒美ちゃんと涼介さんだけですよ」
 その言葉に、ムッとしてしまうのは自分に余裕がないからだ。
「…緒美?緒美にこの身体を見せたのか?」
「は?…いえ、見せてないですけど…」
「なら良い。俺より先に見たと思うと、悔しくて仕方がないからな」
 思い出せば、しょっちゅう拓海にくっついていたのでさえ腹が立つ。そう言えば…、と涼介は思い出した。
「あの女…」
「はい?」
「さっき一緒にいた女だよ。藤原にキスをしていった」
「…え、と、茂木?…高校の同級生ですけど…」
「彼女は見たのか?藤原の体」
 ベタベタと拓海に触り捲り、あげくキスまでしていった。腹ただしいなどと言うものではない。あの瞬間に殺意が湧いた。
「…は、はぁ。見たことあると思いますけど。体育の着替えのときとか…」
 体育の着替え…それは楽しいな。
 叶うなら、その場にいて着替えを堪能したかった。
 思わず、体操服姿の拓海を想像し、ニヤリと笑みが零れる。
「……涼介さん…あの、もしかして、緒美ちゃんや茂木に、妬いてるんですか?」
「そうだが?」
 まさか肯定の返事が返ってくるとは思っていなかったのだろう。驚いた顔で拓海が見つめる。
「え、でも、女の子ですよ?」
「女だろうと何だろうと、ベタベタされると腹が立つ。本当は誰にも触らせたくないのに…」
 そう呟いた瞬間に思い出したことがあった。迂闊なことに、手に入れた喜びで忘れていたのだ。
 とても重要なことを。
「藤原」
「はい?」
「そろそろ行こうか?啓介たちも心配してるだろうからな」
 思いを通じ合って、なんだかんだと時間が過ぎている。
 立ち上がり手を差し出せば、拓海がおずおずと握り締めてくる。
「あの、涼介さん?」
 砂浜を二人で歩く。遠ざかっていた人ごみに近付くにつれて、拓海の涼介の手を握り締める力が弱まっていく気がした。まだ気後れしているのだろう。涼介は不安を払うように、その手を握り締める力を強くする。
「何?」
「もしかして…啓介さんって、緒美ちゃんのこと…」
 さすがに気付くか。あんな激情を向けられれば。
「ああ。好きなんだろうな。なかなか素直になれないみたいだが」
「…やっぱり。じゃ、悪いことしましたね。誤解させて」
「別にいいさ。誤解なんだから」
「でも…」
「藤原の存在が無ければ、啓介も緒美への気持ちに気付くことが無かっただろうからな。良い意味で刺激になったと思うが。…もちろん俺もな」
 緒美と付き合っている。
 そう思い込んでいなければ、涼介も拓海への恋心を自覚しなかった。
 あんなに悩んでいたが、全て上手く収まってしまえば、全て必要な要因であったのだと思う。
「緒美ちゃんと啓介さん…うまくいくといいんですけど…」
「別にいいさ。あいつらのことなんて」
 その返事に、拓海が気分を害したように唇を尖らせる。
「…冷たいんですね、涼介さん」
「他人の恋路なんて、下手に加わったら馬に蹴られるからな。それに、俺も散々苦労したんだ。あいつらも同じくらい苦労してもらわないとな」
「でも、心配じゃないんですか?」
「なるようになるだろう。緒美が啓介のことをどう思っているのかまではよく分からないが、嫌いではないだろうし」
「緒美ちゃんはたぶん、啓介さんのこと好きですよ」
 意外なことを聞いた。
「そうなのか?」
 啓介と緒美の仲は喧嘩友達だ。昔から彼らを見ている自分には、兄妹のようにしか見えないが、第三者である拓海からはどう見えているのだろう?
「はい。緒美ちゃん、啓介さんにはよく怒ってますし」
「どういう意味だ?」
「だって、緒美ちゃん啓介さんにだけ怒りますよ。他の人や、涼介さんにもそんなの見たことないし、オレ、それって緒美ちゃんの特別だからって思ったんですけど…違いますか?」
 どうだろう?と涼介は考えた。
 思えば、緒美と涼介は従妹同士のせいか傾向が似ている。
 愛想の良さでごまかしながら計算高い。笑顔で人を誘導しながら自分の意思を通す。何より拓海を気に入っているという時点で、似通ったものがあると認めても良い。
 自分に置き換えれば、どうでも良い他人は愛想だけで対応し決して本心を見せることはない。本音を見せるのは余程親しい人間に限られる。緒美も涼介に対しても甘えてはくるが、そう言われてみれば本音を晒したことは無かった。
 けれど啓介だけは別だ。
 常に本気で喧嘩し、子供のように言い合いをする。
「そうだ…な」
 思わず頷く。後は、その事実に緒美が気付いているのかどうかだが。今のところの涼介の見解では、緒美がそれに気付いている可能性は薄いだろう。良い意味でも悪い意味でも、そういった方面に興味が薄いのだ。
 けれど、と涼介は考える。
 そんな緒美に良い意味で刺激を与えるのも面白いかもしれない。
 涼介は気付いていた。
 緒美は拓海が涼介を好きだと知っていたはずだ。そして涼介が拓海を好きだということも。
 確実に彼女は、そんな二人の想いを知っていて、わざと煽るように自分の前でベタベタしていたのだ。
 …復讐する人間が二人に増えたな。
 その時の涼介の笑いは幸い拓海には見えなかった。
 そして、
「あ、涼介さん、あれ緒美ちゃんたちですよ」
 と笑顔の彼女が見上げた瞬間には、拓海にだけ見せる優しく甘い笑みに変えていた。
 拓海の指差す先には啓介と緒美の姿。
「拓海ちゃん!」
 と叫び、駆け出す緒美と、気まずそうな啓介の姿があった。
 涼介はまた微笑んだ。
「さて…始めるか」
 その呟きの意味を、拓海が理解することはきっとこれから先、一生ないだろう。



2006.8.14


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