Darling
act.3
イライラが止まらない。
熱い陽射し。熱せられた車内のシートとハンドル。そしてエアコンを付ければ、熱気が頬に直撃し不快さを増す。
だが何より、涼介の気分を不愉快なものへと落としているのは、この夏の暑さのせいだけではない。
脳裏から消えない従妹のあの言葉。
『私も一緒に行くからね』
告げられた言葉の意味が理解できず、「どこにだ?」と聞き返せば、無邪気に彼女は笑った。
『海よ。涼兄たち。みんなで海に行くんでしょう?緒美も行くからね』
まず最初に止めたのは啓介だ。
『ふさけんな!何でお前が来るんだよ!!』
啓介の怒鳴り声など意にも介せず、緒美は悪戯っぽい笑みを浮かべる。
『あら?だって拓海ちゃんも行くんでしょ?緒美、拓海ちゃんと海に行きたいんだもの』
その言葉に、啓介が傷付いた心をふてくされた表情で隠し、そっぽを向いた。
従妹の言葉に、焼け付くような気持ちを味わいながら、次に口を開いたのは涼介だった。
『…悪いが、海にはチームの親睦会と言う形で行くんだ。緒美は連れていけないよ。それに、あんな男ばかりのところにお前を連れて行ったら、俺が叔母さんたちに叱られてしまう』
大人の振りをして諭す自分。それに自己嫌悪を感じながらも、それで緒美を押さえつけるつもりでいた。
だが従妹は素直に頷いてくれはしなかった。
『大丈夫よ。お母さんたちにはちゃんと言ってあるもの。涼ちゃんたちが一緒なら安全ね、ですって』
『緒美…』
『それに、拓海ちゃん、涼兄たち苦手みたいだし。チームのみんなにも馴染めてないんでしょう?緒美が一緒に行ったら、拓海ちゃんも楽しめていいじゃない。ね?』
少女ならではの傲慢な理屈と、そして残酷な言葉。
『拓海ちゃん、涼兄たち苦手みたいだし』
その言葉に、涼介がどれだけ激しい傷を負ったのかを知らない。
だから、涼介は反論できず緒美の我侭を受け入れてしまった。
そして啓介も、
『勝手にしろ!』
と結局投げやりになり受け入れた。
…イライラする。
何もかもだ。
藤原拓海と言う人間を中心に、涼介の平静だった感情が粟立った波のようにかき乱される。
あの日、微笑み『嬉しい』と言ってくれた彼と、自分が苦手だと、強張った顔で涼介の前に立つ拓海の顔がオーバーラップする。
絶対に手に届かないものを欲する空しさと切なさ。それに無性に苛立ち、そして悲嘆する。
自分はこんなに情けない人間だったろうか?
アクセルを踏み、スピードを上げるFC。けれどすぐに赤信号に捕まり減速する。
まるで自分の恋のような状況に、涼介は熱したハンドルに顔を伏せ、自嘲の笑みを零した。
信号が赤から青に変わり、後ろからクラクションを鳴らされる。
自分の恋にも、こんなふうにクラクションを鳴らされ、追い立てられたなら何かが変わるだろうか?
だが、追い立てられ走り出したFCの窓から、ふと見えた光景に涼介の苛立ちはまた蘇り、そしてまたも深い傷を負う。
FCは人通りの多い駅前を走っていた。車道脇を闊歩する人々の群れの中に、ずっと頭から離れない彼を見つけた。
買い物帰りなのだろう。デパートの紙袋を手に持ち、嬉しそうに連れ立ち歩く拓海と、そして緒美の姿。
暑さだけではない、焼け付くような心と体。
決定打を喰らったような気がした。
二人からあえて目を逸らし、涼介は自身の存在を誇示するようにらしくなく街中でアクセルを吹かした。
「…今の音…」
「何、拓海ちゃん?」
拓海は振り返り車道を見つめる。
そんな拓海に、緒美もまた立ち止まり振り返る。
「…あ、ゴメン、今、FCの音が…」
「FC?…ああ、涼兄の車のこと?変な言い方するよね、涼兄たちとかって。拓海ちゃんの車も、ハチロクとか呼ぶでしょう?」
「あ、うん。オレも最初わかんなかったけど…今はやっぱりそう呼ぶほうがしっくりくるよ」
「ふぅん?それより、涼兄いたの?」
「え、と、違うと思う。啓介さんもそうだけど、涼介さんも街中であんまり吹かすこととか無いし」
「へぇ…。緒美にはよくわかんないよ、車のことなんて。ね、それより拓海ちゃん、その水着で良かった?緒美的には、すごい似合ってたと思うんだけど」
「うん、大丈夫。オレ一人だと、どれ選んでいいかわかんなかったし…」
「いいよ〜。拓海ちゃんとデートできて、緒美も楽しかったもん。また一緒に買い物とかしようね」
「うん」
緒美が拓海の腕に腕を絡める。華奢な体躯の彼女。絡めた自分の肘に、小柄ながらも弾力のある彼女の胸が当たる。それに拓海は頬を赤らめ、そして憧憬の眼差しを向けた。
ショーウィンドウに映る自分たちの姿は、まるきり恋人同士のように見える。
それに悲しさと、そして諦めの溜息を拓海は零した。
「拓海ちゃん?」
「え、あ、ああ。別に何でもないよ」
不思議そうに自分を見上げる緒美に、拓海は安心させるように微笑んだ。
そして、そんな拓海の意識を緒美から奪うように、またFCの嘆きのような咆哮が街に響いた。
自分を苛めるように、涼介は海に行く当日まで予定をびっしり詰め、何も考えられないくらいに自分を忙しくさせた。
家に帰ることもしばしばで、海行きの当日、久々に帰宅した兄の顔色に啓介は眉をしかめた。
「アニキ、顔色悪いぜ」
「そうか?最近満足に寝てないからな。そのせいだろう」
何でもない事のように荷物を纏め、FCのキーを持つ涼介を啓介が止めた。
「待てよ、アニキ。まさか自分で運転していくつもりか?」
「そのつもりだが」
「…マジかよ。そんな今にもぶっ倒れそうな顔で運転したら、絶対途中で事故るぜ。
いいから、アニキは俺の隣に座る!」
そう言い、涼介の荷物を無理やり奪い、FDの後部座席に放り投げ、そして助手席に涼介を押し込んだ。
涼介は溜息を吐いた。啓介の自分を心配する気持ちに負け、それを受け入れる。
けれど何もせずにナビシートに座っているだけだと、やはり余計なことが頭をよぎった。
走り出すFDの車内。啓介の好みのアップテンポの曲が流れ、高回転のエンジンが伝える振動が伝わる。
なまじ、運転技術のある人間は他人の運転を嫌がる。
涼介もその通りで、助手席に座り安心していられる人間は少ない。以前は啓介の運転にもまだ危うさは感じていたが、今は安心して任せられるだけになっている。
運転にも性格が出る。
同じ兄弟と言っても、涼介と啓介ではやはり刻むものが違う。
そう言えば…と涼介は思い出した。
以前に、松本が言っていたのだ。
『藤原が面白いことを言ってましたよ』
何だ?と問い返すと、そう笑う男でもない奴が、楽しそうにクスクス笑った。
『どう例えていいか分からなかったんでしょうね。史裕さんの車に乗ったときに、藤原が感想を聞かれてこう答えたんです。
「民謡みたいだった」って。言われてみれば、史裕さんの運転って、緩急が激しいですよね。民謡のリズムに似てるって言えば似てる。
藤原は知識は乏しいけれど、感覚としてそういうのが染み付いているだと感心したんですが、例えが例えだけにおかしかったんですよ』
へぇ、と涼介が答え、彼もまた松本のように微笑んだ。
『それで興味が湧きまして、啓介さんの運転はどうだったっかを聞いたんです。そしたら「よくわかんないですけど、ガー、ワー、うるさいロック?」だそうです』
松本が笑う。そして涼介もまた笑った。確かに、まだ啓介の運転はがなり喚きたてるだけのロックと同等のものがある。だがそれに旋律を加わらせるのが今の自分の仕事だ。
しかし松本の言葉はそれで終わりではなかった。意味ありげに笑いながら、涼介に楽しげな視線を向ける。
『そして、藤原に涼介さんの運転も聞いてみたんです』
拓海の目に、自分はどう映っているのか。それに緊張しながらも、平静な顔のまま涼介は「へぇ、俺も?楽しみだな」と強がった。
そして松本は言った。拓海の言葉を。
「オレ、頭悪いからよくわかんないですけど…涼介さんは……ワルツみたいだって、そう思います」
「…ワルツ、か…」
呟かれた言葉に、啓介が反応した。
「え?何?」
うっすら開けた目を、また涼介は閉じた。
「…いや、なんでも無い」
円舞曲(ワルツ)。華やかで優雅な舞踏曲。それに拓海は自分を例えた。
今の自分が運転したら、きっと拓海にはワルツとは感じられないだろう。不協和音の騒音。それだけでしかない。
黙りこむ涼介に、啓介もまた何も言葉を発しない。ただ前を向いたまま運転を続けている。
不思議なことに、涼介の耳には啓介の運転は今、激しいビートを刻むロックだとは感じない。レクイエムのような悲壮さを感じる。
その感覚を肯定するように、黙り込んだままの啓介が口を開いた。
「緒美、さ…」
「ああ」
「藤原の…車で来るってさ」
真っ直ぐ前を向いた啓介に目を向ける。その表情からは感情は窺えないが、運転からは窺えた。
煙草を取り出し口に咥え、火を点け煙を吐き出す。その一連の啓介の仕草を横目で見ながら、涼介は弟に向かい手を差し出した。
「俺にも、煙草」
たまにしか吸わない煙草。疲れた時や気分転換ぐらいにしか今では吸わないそれに手を伸ばす。
無言で啓介が涼介の手に煙草を渡す。そして啓介と同様の仕草で、涼介は火を点け煙を吐き出した。
拓海の運転を音楽に例えれば何になるだろう?
涼介はそう考えた。
松本の話を聞いたときから、ずっとそれを思っている。
内に秘めた情熱と、そして激しさを併せ持ったドライビング。
今頃、緒美は彼の奏でる音楽を聴いているのだろうか?それを思うと、煙草の煙のせいではない胸が焼け付きそうになり息苦しい。
車内に二人分の煙が篭り、涼介は窓を少しだけ開け煙を逃がす。
その隙間から、ほんのりと海の香りが漂っていた。
2006.8.10
※ご注意
作中の運転を音楽に例える下りは(特にワルツ)管理人が深く影響を受けました「湘南爆総走族」より頂いております。
身勝手な言い分ではありますが、どうか「パクり?」とは受け取らず、引用と思って下さると有難いです。