Darling

act.5


 拓海たちがいる場所はすぐに分かった。
 けれど涼介はすぐに声をかけられない理由があった。
 それは、そこにいたのは拓海と緒美の二人だけでは無かったからだ。
「…誰だ、あの女」
 舌打ちとともに啓介が吐き捨てる。
 戸惑い顔の拓海の脇にべったりと張り付き、親しげに甘ったるい笑顔で拓海を見上げる。
 年齢は拓海と同じくらいだろうか。だが童顔な顔に似合わず、その身体は成熟した女の艶のようなものを感じさせた。全身から媚を溢れさせたような、涼介が最も苦手とするタイプの女だ。
 そんな拓海と見知らぬ女の脇に、不機嫌そうな表情の緒美がいる。
 ざっと見た感じ、元彼女と再会ししてしまった、そんなところだろうと予想する。
 奥手そうに見えても、拓海ももう高校を卒業した19歳だ。過去、彼女の一人や二人はいたのだろうと思ってはいたが、こうも現実に見せ付けられると辛いものがある。自分のような男の、割り込む余地が全くないことを思い知らされて。
「…んだよ、アイツ…」
 だが落ち込む自分とは反対に、怒りを燃やす男がいた。啓介だ。
 啓介には、緒美をないがしろに拓海が元彼女とベタついているように見えているのだろう。
 実際に拓海も、困った顔をしながらも女に向けて嬉しそうに笑みを見せている。
 その瞬間、涼介は不快感を覚えた。
 拓海に対し、理想や夢を抱いていたつもりはないが、傍に現在の恋人がいながら、前の恋人にまで良い顔を見せるような優柔不断な真似をするのだとは思っていなかった。
 漠然と拓海は恋人に対し真摯であると、そう思い込んでいたらしい。しょせん拓海もそこらによくいる男たちと同じだと言うことか…。けれど不思議なことに不快感を覚え、幻滅した気分は感じても、一向に恋心が覚めないのはこれがもう病の域に達しているからだろうか。
 そして啓介もまた、拓海に対し涼介とは違った意味で不快感を覚えているようだった。
 緒美にベクトルが向いている啓介にとって、彼女をないがしろにした態度を取る拓海は悪でしかないのだろう。
 どんどん限界が近付いている。破裂しそうな感情。
 些細な刺激でも、今すぐに爆発してしまうだろう。
 そんな涼介の危惧が現実となったのは、女が拓海の身体に抱きつき、そしてその頬にキスをして満面の笑みで立ち去った時だった。
 彼女のキスに対し、拓海もまた照れくさそうではありながらも嬉しそうに微笑み、そんな彼女に手を振り返している。
 涼介は啓介を止めようとは思わなかった。
 啓介だけではない。涼介もまた、その瞬間に堪えていたものが破裂してしまっていたのだから。
 走り出す啓介。
 そして拓海と緒美の前に怒りの形相で立ち、叫んだ。
「何やってんだよ、お前!ふざけんな!!」
 拓海より10センチは高い身長で、持ち上げるように胸倉を掴む。
「け、啓介さん?!」
 戸惑った表情の拓海。それを涼介は冷ややかな気持ちで見ていた。全ては、拓海が自分で招いたことだ。殴られるくらいは当然だろう。
 好きなはずなのに残酷になれるのは、好きだからこそ許せないことがあるからだ。いわく、可愛さ余って憎さ百倍、と言ったところだろうか。
「啓兄?!何やってるの!」
 咎める緒美の声も、啓介を止めることは出来ないだろう。
 涼介には次に起こるだろう事態が予測できていた。
 間違いなく啓介の拳は拓海のために振り上げられ、拓海はそれによって殴り倒されるだろう。
 けれど。
 胸倉を掴んでいた啓介の動きが止まった。怒りのオーラが一気に消え、現れたのは戸惑いの感情。
 上からマジマジと拓海を見下ろしていた啓介は、きょとんとした表情のまま、無意識なのだろう、拓海の胸の部分に手を当て、そして掴んだ。
 次の瞬間。
「…っ!!!」
「…ってぇ!!!」
 涼介には何が起こったのか理解できなかった。
 殴られるはずだった拓海は無事で、逆に啓介が拓海に殴られ、頬を真っ赤に腫らして砂浜に呆然と転がっている。
 怒りのオーラに満ちていたのは啓介ではなく、今は拓海。
 憎悪と言ってもよい眼差しで倒れる啓介を睨む。
 しかし次の瞬間、怒りは消え、現れたのは零れるような涙。ボロボロととめどなく溢れ出す透明な液体とその儚げな表情に、涼介は状況も忘れ見惚れた。
 誰かを美しいと、そう感じたのはこの時が生まれて初めてだ。
 そして拓海は、涙を無造作にぐいと拭い、啓介たちに背中を見せ走り去った。
 啓介も、涼介もまた何が起こっているのかわからず呆然としたままだったが、拓海が走り去った瞬間に呪縛が解け、停止していた脳が活動し始める。
 真っ先に動いたのは緒美だ。
「け、啓兄の変態!エロ親父!!サイテー!!」
 啓介の殴られた方の頬を平手でぶつ。その音に我に返り、涼介は衝動のままに走り出した。拓海が消えた方向へ。
「…え、えっ?!だ、だって、藤原…あれ…ええっ?!!」
 戸惑った啓介の声が背後でしていたが、涼介にはそれを聞く余裕はなかった。
 ただ、遠ざかろうとする拓海の背中を追いかける。それに意識を集中していた。
 車と同様、拓海の足は速い。
 砂浜で走りにくい環境にあるのに、平地と同様の身軽さで走っていく。
 基本的に運動能力が人並み外れて優れているのだろう。
 そんな事を考えながら、涼介は拓海の背中を見続けていた。揺れるパーカーの裾。柔らかそうな髪が踊り、その動きの激しさを伝えている。
 追いかける。
 その行動に涼介は男としての本能を刺激される。
 かつて、バトルしたときも涼介は拓海の後を追った。
 それと似た高揚感を今の涼介は味わっていた。
 思えば、あのときから拓海に対し特別な感情を抱いていたのかも知れない。
 ハチロクから降り立ったあの少年を見たときに感じたのは、興味と好奇心だけだった。
 あんな走りをする人間とは思えないほどの若さと、そして華奢な体躯の少年。
 全て計算通りだった涼介の、計算を初めて壊した人物。
 あの時のバトルには負けたが、今回のこれには決して負けない。
 追いかけ、そして捕まえる。
 少しずつ近付く背中。腕を伸ばせば、服の端は掴めるだろうか。
「藤原!待て!!」
 声をかける。息が荒くなっているのは、運動不足からではなく、それだけ激しい運動であることの証拠だ。
 涼介が叫ぶと、一心不乱に走っていた拓海の身体がビクリと跳ねた。そこで漸く追いかける涼介の存在に気付いたのだろう。
 一瞬、背後に気を取られた瞬間に、砂に足を取られ体勢が傾いた。
 転ぶ!
 きっと拓海本人が一番そう思っただろう。けれど涼介がそれをさせなかった。
 身体をバネのようにしならせ、拓海に向かい飛びついた。
 そして倒れる寸前の拓海の身体を抱え込み、自分の腕の中に仕舞い込む。
 もう、離さないほどに強く。
「……やっと…捕まえた…」
 それが涼介の本音。
 腕の中の体は、見た目よりも細く、そして涼介の腕の中にまるで最初から決まっていたかのようにしっくりと馴染み収まった。
「…藤原」
 嬉しさに拓海の名前を抱え込んだ耳元に囁けば、腕の中の拓海の体がビクリと震えた。
 離したくないと、そう強く願った。
 腕の中にいるというこの幸福感。
 涼介はそれを享受した。



2006.8.12


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