Darling

act.2


 プロジェクトDでは何回か親睦会が開催されている。
 Dのメンバーのほとんどがレッドサンズから来てはいるが、だが全てではない。そんな彼らとの交流を深めるために、啓介や史裕あたりが主催となり、飲み会を開く。
 拓海も、その会には何度か出席はしたが、未成年と言うこともあり酒も飲めず、また場が盛り上がっている最中に、
『朝、配達があるので…』
 と中座して帰る。
 それを見るたびに、涼介は拓海の要領の悪さに危惧を覚える。
 宴会の席で、シラフな人間ほど嫌がられるものは無い。また、途中退席なども同様だ。
 涼介はそんな拓海の態度に、レッドサンズのメンバーから不満をぶつけられることが度々ある。
『あいつ…俺たちをバカにしてるんですよ…』
 酔っ払った人間は本音が出やすい。酔った席での発言と認識はしながらも、心のどこかにそう感じているからこそ出る言葉だ。
 だから、酒の席が駄目なのならば、それ以外の形で行おうと考えたのは涼介だが、それをレジャーに変えたのは啓介だ。
「海?」
 何を言われたのか理解できないのか、目の前で大きな瞳が何度も瞬く。
 そんな拓海に言い聞かせるように、涼介はしっかりと頷き再度同じ言葉を繰り返した。
「そうだ。海に行かないか?」
「海…ですか…」
 涼介の言葉に、拓海は困ったように俯いた。
「Dのメンバーとの親睦会の延長みたいなものだ。藤原は飲み会だと、どうしても途中で帰ったりしてしまうだろう?遊びの形式なら、居やすいかと思ったんだが…無理か?」
 困った風を装い尋ねれば拓海が頷くと思った。
 けれど申し訳なさそうな顔をしながらも、拓海は首を縦に振らなかった。
「すみません、海はちょっと…」
「海は苦手?」
「いえ、そう言うわけじゃ…」
 断られる可能性を考えなかったわけではない。断られた場合は、「仕方ない」と諦めようと思っていたのに、実際に拓海が頷かないとムキになる自分がいた。
「じゃあ、どうしてだ?こう言っては何だが、藤原はDの中で親しい奴もいないみたいだし、いつまで経ってもよそよそしいままだろう?そう言うお前の態度に、反感を持つ奴が少なからずいるって事を…分かってるのか?」
 まるで脅しだ。
 けれど涼介の思惑通り、拓海は驚き顔を上げた。そして躊躇する気持ちがその表情に現れた。
「でも…俺…」
「そんなに俺たちが気に食わないか?仲良くはしたくないと?」
「そうじゃありません!ただ…その…」
 縋るような目つきで自分を見つめる拓海。その視線に、胸がざわめくのを涼介は押し殺し、平静な顔のまま押し崩した。
「だったらいいだろう?Dが始まってもう四ヶ月が経っているんだ。そろそろプライベートな面を見せてもいい頃だと思うが」
 そう言えば、拓海の視線が悩み揺れた。
 どこまでも固い殻で覆ったような拓海の態度。それに一番焦れているのは涼介だ。
「藤原」
「は、い…」
「決めた。強制参加だ。絶対に来いよ。お前が来なかったら、チームに馴染む気がないと見做して、それなりの対応をとらせてもらう」
「…ちょっ!涼介さん!!」
 咄嗟だったのだろう。拓海が涼介の腕を強く掴んだ。けれどすぐにハッとしたように手を離し俯いた。
 いつまで経っても近付かない距離。それがこんなにもどかしい。
 ザワザワと騒ぐ心のままに、涼介は離れてしまった拓海の腕を、逆に自分から掴んだ。
 あのハチロクのハンドルを、この腕で操っているのかと疑いたいほど細い。けれど掴んでみると、その細さの中にも、しっかりと秘められた芯のような固さに満ちていた。彼の心と同様に。
「…怯えるなよ。確かに俺は藤原に対し無理なことを押し付けることは多い。だがお前にそうやって怯えられると、俺だってどうしていいのか分からなくて困るんだ。だから…」
「りょう、すけさん…?」
 上手い言葉が出てこない。自分はこんなに不器用だっただろうか?
「だから、その……仲良くして欲しいんだ」
 そして悩んだ末に出てきた言葉は、まるで子供の願い事のようなもので、我ながら言葉の下手さに思わず涼介は赤面した。
 けれどそんな涼介は、拓海の厚い殻をほんの少しだけ解させる効果があったらしい。
 その言葉に拓海は真っ赤に頬を染め、そして照れた表情のままに、ふんわりと柔らかな笑みを見せた。
 涼介の目はその笑顔に奪われる。望んだ拓海の笑顔は、思ったよりも涼介の心を捉えた。思わず注視していると、今度は気まずそうに俯き上目遣いに涼介を窺う。
「…す、すみません、笑ったりして…」
 涼介の視線に、責められていると勘違いしたのだろうか。謝る拓海に、呆然としていた涼介は一呼吸遅れたが、「いいや」と首を横に振る。
「そうじゃない。ただ…藤原が俺に笑いかけたのは、初めてだと思ってな。いつも、俺の前ではこんな顔ばかりしてただろう?」
 と、さらに拓海の強張った顔の真似をしてやれば、拓海の表情がまた柔らかなものになる。
「だから、嬉しかったよ。藤原の笑顔が見れて」
 そして涼介は微笑んだ。いつもの、作った笑みではない自然な笑顔。拓海の顔がまた、真っ赤な色に染まった。今度は首筋まで。
「あ、の…」
「うん?」
「…俺、海、行きます」
「…そうか」
 そう言えば海の話題から、こんな展開になっていたんだなと今更思い出す。思わぬ拓海の笑顔に、らしくなく本来の趣旨を一瞬忘れていた。
「お、俺も、あの…!」
「えっ?」
「う、嬉しかったです…涼介さんの笑顔、見れて…」
 ドキリ、と鼓動が跳ねた。染まったその頬に、艶っぽさを感じたのは自分が拓海を好きだからだろうか。そしてその言葉に、深い意味を求めてしまうのは、自分が愚かだからだろうか。
「…涼介さんは……俺が………でも、嫌いませんか?」
 そしてそんな動揺が、囁くように呟かれた拓海の言葉を聞き漏らした。
「藤原、今……」
 けれど聞き返そうと口を開いた瞬間、横から別の人物の声が入ってくる。
「アニキぃ、ケンタや他の奴等も行くってよ。結構集まったぜ。バスでも借り切ったほうがいいんじゃねぇ?」
 ズシと肩に重みを感じ、聞きなれた声が涼介の聴覚を奪う。
 横目で確認するまでもなく、そこに現れた人間が弟の啓介である事は涼介にはわかっていた。
 そして柔らかかった拓海の表情が、また強張ったものに変化するのを涼介は見ていた。気付かれないよう小さく溜息を吐き、そして啓介に向き直る。
「そうか。場所や細かい準備はお前らに任せるよ。お前のほうが得意だろう、こう言う事は」
「まあな、任せとけって」
 そしてふと啓介の視線が自分から離れ、拓海に向かう。
「…藤原も、行けるって?」
「ああ。そうだな、藤原」
 問いかけると、戸惑いがちではあるが、拓海はしっかりと頷いた。その答えに安堵する。
「ふぅん?お前、泳げんのか?浮き輪とか貸してやろうか?」
 啓介がいつもの調子で拓海をからかう。すると拓海は、涼介の前では絶対に見せないようなムッとした表情で言い返した。
「いりません!ちゃんと泳げます」
「スクール水着とか着てくんなよ」
「着ませんよ。でも、水着持ってないんで、買ってこないといけないですけど…」
「ふぅん?俺の昔の、貸してやろうか?」
「…サイズ合わないんで、遠慮します」
「大丈夫だろ?俺の中学ン時のだからさ。なぁ、アニキ?」
 自分では決して有り得ない、拓海と軽妙に会話する啓介に、胸のモヤモヤを抑えていた涼介は、だからその言葉に一瞬反応が遅れた。
「うん?…あ、ああ。そうだな。だがそれだったら啓介のよりも、俺の方がいいんじゃないか?俺のでよければ貸そうか?」
 そしてまるで啓介に張り合うように、そんな事まで付け加えて言ってしまう。
「アニキのを?アニキ、それって…」
 いつもの涼介らしからぬ言葉と反応は、啓介に不審を感じさせたらしい。けれどこの時の涼介にはそれに対処する余裕が無かった。
「い、いいです!俺、ちゃんと買いますから!じゃ、俺、今日はこれで…失礼します」
 逃げるように去る拓海の背中を見つめながら、涼介は今日何度目かになる溜息を吐いた。
 そんな涼介に、啓介のキツい眼差しが刺さる。
「何だ、啓介」
「別にィ。ただ、アニキはやけに藤原に贔屓するんだなって思ってさ。俺が昔、アニキに水着貸してくれっつったら、アニキなんて言ったか覚えてねぇの?」
 覚えている。だがあえてそれを言わない。
「…どうだったかな?」
「『弟とは言え、誰かと同じものを共有するのは耐えられない』、そう言っただろ」
「そうだったか?だが、もう使わなくなったものだ。別に貸すのは構わないぜ」
「じゃ、ケンタが貸してくれって言ったら?」
「お前のを貸せよ。その方が中村は喜ぶだろう?」
 のらりくらりとした返答に、それ以上追求しても出てこないと悟ったのだろう。舌打ちをして啓介はもたれていた涼介の肩から手を離す。
「…ま、いいけどさ。俺も、別にあいつが嫌いってワケじゃねぇし…」
 涼介は、啓介に視線を移した。複雑な表情。
 あらゆる意味で、拓海は啓介のライバルだ。
 車に関しても、そして緒美に関しても。
 だが一番哀れなのは、報われない従妹の恋人である同性の少年相手に片思いをする自分だろう。
 涼介はまた溜息を吐いた。


 動揺する心を抑えながら、拓海は携帯に手に取った。
 そして最近、頻繁にかけている相手、高橋緒美の番号を呼び出し、電話をかける。
 数回のコール音の後、すぐに彼女は電話に出た。
『拓海ちゃん?』
 明るい、柔らかな少女の声。望んで止まないその声に、緊張を強いられていた拓海の心が和らぐ。
 そして拓海は、日課になりつつある今日の出来事を報告した。
 いつもはそう語ることも無い拓海だが、今日は違う。
『海?拓海ちゃん、涼兄たちと一緒に海に行くの?』
「うん。行こうかと思う」
『でも、海なんて…』
「あのさ、緒美ちゃん…」
 高橋さん、と呼んだら「涼兄じゃないんだから!」と怒られた。そして「緒美さん」と呼んだら、「同じ年なんだし、呼び捨てでいいよ」とまたも怒られた。
 かと言って呼び捨ても出来ず、結局「緒美ちゃん」と呼ぶ形に収まった。
 今はもう呼びなれてしまったが、やはり最初は恥ずかしかった。
『何?』
 涼介が主催するチームに誘われ、そして勉強会のため何度か訪れた高橋邸で、彼女に出会った。
 最初から彼女は気付いてくれた。
 だから、すぐに拓海も心を開いた。
 そして今では、お互いを「ちゃん」付けで呼び合う仲にまで進展してしまった。
 彼女には感謝している。常に拓海の傍らにいて励ましてくれたことを。
 でも、あれから四ヶ月。拓海は決意した。
「……涼介さんに…本当のこと、言おうと思う」
 拓海の言葉の中の決意に気付いたのだろう。電話の向こうの緒美の言葉が一瞬詰まる。
『…拓海ちゃん…本気?』
「…うん。これで、チーム辞めさせられても、しょうがないと覚悟してる。でも…もう嘘つきたくないから…」
『…そう。分かったわ。頑張ってね、拓海ちゃん!』
「うん、ありがとう」
 拓海は詰めていた息を吐く。緒美に背中を押されたことで、本当の意味で拓海の覚悟が生まれた。だが、拓海の予想以上に背中を押す力は強すぎた。
『そうとなったら、私も海に行くわ!』
「えっ?!」
『当たり前じゃない!拓海ちゃんの問題は私の問題よ。絶対に私も行くからね』
「で、でも、男ばかりだし…」
『大丈夫よ。涼兄や啓兄もいるんだもの。立派な保護者でしょう?』
 緒美の申し出に拓海は困惑を覚えたが、正直、一緒にいてくれたら心強くもある。
 だから、頷いた。
「…うん。ありがとう…」
 拓海に生まれた決意と覚悟。
 それが波乱の始まり。そして改革の始まり。
 けれど。
 これが全ての幸福の始まり。



2006.7.29


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