奇跡が起きるまで

ERECTRICL STORM番外 act.7


 商業的な日本のクリスマスと違い、ここのクリスマスは宗教的な意味合いが強い。
 街はクリスマス休暇で静まり返り、医師である兄は職業柄、クリスマスの日の今日も仕事だったが、それでもいつもより早く帰宅できるらしい。
 拓海は今日は休みだ。
 張り切って、朝からクリスマスの準備をしている。
 リビングのテーブルの上には手製のキャンドル。使い古しの料理用の油に、絵の具を混ぜ固めたカラフルなそれらが、殺風景になりがちなテーブルの上を華やかに彩る。
 二人が一緒に住むようになって、初めてのクリスマスだ。
「内緒だよ。ここに隠してあるのは」
 イタズラっぽく笑いながら、キッチンの戸棚に、兄へのクリスマスプレゼントが隠された。その中身は、箱の大きさから見てセーターとか衣服の類だろう。
 テーブルの上に、朝から頑張った拓海の努力の成果が並べられていく。
 クリスマスと言うと、チキンや洋風な料理を思い浮かべがちだが、拓海が作ったのは和食だった。
 味噌と醤油の匂いが室内に広がる。
「オヤジに送ってもらったんだ」
 ダンボール箱いっぱいの調味料と豆腐や海苔などの食材。その懐かしい匂いに、俺もまた顔を箱の中に突っ込んで堪能する。
 心が浮き立つ。
 拓海も同じように浮かれて見えた。
 全ての準備を終え、兄が帰宅する。
 今日は、俺は迎えに行かない。
 拓海がエプロンを着けたまま兄を玄関まで迎えに走る。
 リビングにいる俺の耳に、
「お帰りなさい」
「ただいま」
 いつものやり取りをする声が聞こえる。
 そして二人、連れ立ちリビングへと入ってくる。
「ただいま、啓介」
 リビングに入った兄は、すぐにソファに座る俺の頭を撫で挨拶をする。
「にゃあ」
 そしてテーブルの上に並べられた料理の数々を眺め、兄は嬉しそうに破顔した。
「…凄いな。部屋に入ってきたときから、懐かしい匂いがしてるとは思ったが…」
「クリスマスなんで。特別な料理です」
 昔は当たり前だった料理。
 けれどあの頃とは違う土地のここでは、これが特別になった。
「…そうだな。クリスマスだものな」
 兄が笑う。
 拓海も、つられたように微笑む。
 幸せな光景。
「はい、啓介も。特別なご飯だよ」
 その幸せの中に、俺もまた共にいる。
 俺の前に、切り身の鯛が置かれる。
「おめでたい日には、鯛だよね」
 …それは違うんじゃねぇか?
 思わず首をかしげる。だけど、拓海のそのどこかズレたところも好きだ。
 兄もそう思ったのだろう。
「…確かにおめでたい行事には鯛だが…クリスマスにはどうかな?」
 でも、と兄は続ける。
「そういうところ、拓海らしいよな」
 楽しげに笑い声を上げる。
 その兄の笑いに、拓海が不満そうに唇を尖らせた。
「……馬鹿にしてる」
 違う。
 にゃぁ、と俺は鳴き、拓海の足に頭を擦りつけ、そして兄は拓海の頬にキスをした。
「違うよ。…愛してるんだ」
 その通りだ。


 食事が進み、拓海がこればかりは手作りではなく、買ってきたケーキをテーブルの上に披露する。
 甘い物が得意ではない兄のために、選んで買ってきたビターなショコラケーキ。
 二人用の小さいそれを切り分け、食べる。
 部屋の照明は絞られ、テーブルの上のキャンドルのほのかな光と、クリスマスツリーのLEDランプの青白い灯りが煌いている。
 全てを食べ終え、シャンパンを傾ける兄に、拓海がいそいそと隠し場所からプレゼントを取り出し、兄に手渡した。
「涼介さん、これ…クリスマスだから」
 恥ずかしそうに、頬を染め大きな包みを兄に渡す。
「…俺に?ありがとう。嬉しいよ」
 心からの笑みを浮かべ、兄は包みを外し、中身を確認する。
 現れたのは、予想通りのセーターだ。兄らしい色の、濃紺の暖かそうなそれに、拓海の兄への愛情を感じた。
 兄はすぐに、羽織っていたカーディガンを脱ぎ、代わりにセーターを着込む。予想通り、それは兄によく似合っていて、そして着心地も良さそうだった。
「…良かった。似合いますね」
「このブランド…拓海、高かったんじゃないか?」
 兄はタグから、この服のメーカーを見つけたらしい。それで驚いた顔をしているということは…それなりの値段ってことだ。
「プレゼントですから。それに俺だって働いてるんですから、恋人に奮発したプレゼントぐらい買えるんですよ?」
 自慢げな拓海に、兄が苦笑する。
 そして椅子にかけてあったジャケットのポケットから、さりげなく取り出す。
「じゃあ俺も…甲斐性のある所を見せようかな?」
 コトリ、とテーブルの上に置かれた小さな箱。
 その大きさは、たいていの恋人たちにあるものを想像させる。
 拓海も、それを想像したのだろう。驚き、兄の顔をまじまじと見つめる。
「受け取ってくれないのか?」
 イタズラっぽい兄の言葉に、拓海がおそるおそる手を伸ばし、そして箱を開く。
「涼介さん、これ……」
 拓海の指の中に収まる小さなそれは…指輪。
 プラチナのシンプルな造りのそれは、明らかに用途が普通のものとは違う。とても重要で、そして大切な意味のあるもの。
「うん。結婚指輪」
 そして兄が、そっと自分の手を翳す。
 左手の薬指に、今拓海の手の中にあるのと同じ形のそれが嵌っていた。
「結婚式の真似事はしたけど、指輪はまだだったろう?良い機会だから、拓海にもそれをして欲しいと思ってる。もちろん、正式な意味で」
 俯いた拓海の瞳が潤んでいるのが俺には分かった。
 幸せで、嬉しくて、たまらない表情。
 泣き出す瞬間のその表情は、けれど指輪の文字を見つけた途端、本当に泣き出した。
『R+K to Takumi』
「俺だけじゃなく、啓介とも永遠を誓ってやってくれないか?」
「…涼介さん……」
「あいつの分まで、お前を愛し続けると誓う。だから…お前も啓介と一緒に、俺を愛してくれ」
 感極まった拓海が、テーブルを乗り上げ兄に抱きつき、そして感情のままに熱烈なキスを交わす。
 俺は…目を閉じた。
 そして心の中で願う。

 神様。
 お願いです。
 この喜びを、この感謝の気持ちをどうか伝える術を俺に下さい。

 嬉しくて。
 幸せで―。
 拓海を愛している。
 そして兄も愛している。
 俺は今、ここにこうやって意識だけ残っている理由を見つけた。
 二人に、「ありがとう」と伝えるためにいるのだ。
 そして、「幸せになれよ」と祝福するために。
 奇跡が起きるというこのクリスマスの夜に。
 もしも奇跡が降るのならこの俺に。
 そしてもしも願いが叶うなら、この二人に恒久の平和と幸せを与えてください。
 神様。
 俺は……俺の人生は、とても幸せでした。

 だから、もう悔いはありません。

 神様――。



2006.12.22


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