奇跡が起きるまで

ERECTRICL STORM番外 act.1


 1メートルほどの高さのクリスマスツリーに飾られたイルミネーションとオーナメント。
 赤くてまん丸な、キラキラと光る玉が気になって、思わず手を伸ばすとツリー全体がユラユラと揺れてしまった。
「こら、啓介!」
 そして早速拓海に『俺』が叱られてしまった。
「拓海、別にいいじゃないか。まだ小さいんだから…遊びたいんだよな、啓介」
 味方する兄の後ろに隠れ、「そうだそうだ」とばかりに鳴き反論する。
「ダメです!涼介さんは啓介に甘すぎます!小さい頃の躾が肝心なんですよ?」
 けれど拓海の勢いは止まらず、『俺』を持ち上げ、目を見て叱る。
「お前ね。どれだけうちに来て物を壊したと思ってんだよ。ほら、これなんてボロボロだろ?」
 拓海の指差すそこには、ボロボロになったソファの生地。爪と牙で裂かれ、中のクッションが見えている。
「だから…触っちゃダメ。せっかくキレイなのに、壊したりしたら可哀想だろ?」
 可哀想、と言う表現が拓海らしいと思った。
 だから素直に謝る。
「…うなぁん」
 ゴメン、と頭を下げ、もう一人の『俺』に彼に謝るよう促した。
 相変わらずだな。
 拓海は怒ったら怖い。
 きっと今俺が同居している、このもう一人の『俺』も学んだ事だろう。
 俺が今いるのは「啓介」と言う俺と同じ名前の猫。
 そいつは今から一ヶ月ほど前にやって来た。
 路地裏に捨てられていたのを、仕事帰りに拓海が見つけたのだ。
 茶トラの、薄汚れたやせっぽちの汚い猫だった。
『可哀想だったんだ。ほっとけなくて…』
 震える猫を腕に抱え、猫と同じ縋るような眼差しで見つめる拓海。兄がそんな拓海の願いを放って置けるはずが無い。
『名前…付けないとな』
 苦笑して、猫はその日から兄と拓海だけの二人きりだった家の、新たな家族になった。
 けれど、まさか名前に俺の名を使われるとは思ってもみなかった。
 最初、その名を拓海が提案した時、兄は僅かに暗い表情になった。
 けれどすぐに、思い直したように微笑んだ。
 猫に俺の名前を付ける。
 それは拓海にとって、俺がもう「恋人」ではなく「家族」のような、大切だけれど唯一ではない存在になった事を示している。
 そして兄が、俺の名を猫に付ける事を許したのは、自惚れではなく、兄が俺の事を愛してくれているからだろう。
 些細な嫉妬よりも、悲しみよりも、俺を追慕する気持ちが強かったからだ。
 もう一人の俺は、名前が悪かったのかヤンチャで、拓海にいつも怒られてばかりいる。
 そして兄は、そんな俺を庇う。
 まるで昔の再現みたいな光景に、無いはずの俺の胸も温まる。
 俺は死んだ。
 もう体はない。
 あるのはこうして、後悔が残した意識だけ。
 今の俺の状態がどんなものであるのか、よく理解はできていないが、大切な恋人の存在と、そして嘆く兄の心に引きずられ、今もこうして意識ばかりが二人の間を彷徨っている。
 あの二人が、どんな風に関係を持って、そして離れ、また再会し、共にいるようになった全てを俺は見てきている。
 俺と言う存在に縛られ、動けないでいる二人に苛立ちが増し、けれどそこまで想われていた俺と言う存在に喜びを感じ、けれど結局願ったのは二人の幸せ。
 今の二人は、俺の望み通りに幸せになっている。
 寄り添い、確固たる場所を作り、心を交し合っている。
 なのにもう安心して良いはずなのに…俺は消えない。
 まだ何か気になるのだろうか?
 よく分からないながらも、俺はここにいる。
 もう一人の、「啓介」と言う名前の猫の中に入り込み。
 もどかしい心を抱えながら、二人の間に「家族」として。



2006.12.15


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