初恋ひらひら

act.3



 悩みに悩んで、拓海は結局いつものTシャツにジーンズを着た。
 それでも一応気は使って、真新しいTシャツを選んだ。
「もうこれでいいや!」
 と、部屋の中を服だらけにした結果選んだ服ではあったが、約束の時間が訪れる刻限になると、だんだんとソワソワと落ち着かなくなる。
 鏡の前で自分の姿を確認し、
『やっぱりあっちの方が…』
 と迷っているうちに、店の前にロータリーサウンドが響く。
 ドキリと鼓動が跳ね、アタフタと鏡の前で最終確認をする。
「拓海〜!客だぞ!何やってやがる?!」
「今行くって!」
 大丈夫かな?
 涼介さん幻滅したりしないかな?
 怖れと、それでも堪えきれない喜び。
 階段を駆け下り、土間に置きっぱなしになっていた掃き古しのスニーカーに足を突っ込んだところで気が付いた。
「…ヤベ、靴…」
 服に手一杯で、靴のことにまで気が回らなかった。
 こんな事なら、昨晩のうちに洗うとか出来たのに…。
「拓海、いい加減にしやがれ。何してんだ!」
「い、今行くって!」
 でも、もうしょうがない。
 これを履いていくしかないのだ。
 拓海は他に履いていけるような靴を持っていない。
 つま先にスニーカーを引っ掛け、踵が入らないままに外に向かう。
「…まったく。しょうがねぇなぁ、あいつは」
「構いませんよ。そんな怒らないでやって下さい」
 涼介の声がする。
 ドクン、と激しく心臓が鳴った。
 店の扉を開けると、真っ先に目に付いたのは白。
 FCの白いボディが店の前にある。
 そして次にやっと目に入ったのは、爽やかに微笑む大人の彼の姿だった。
 呆然と店の前で涼介を見つめる拓海に、涼介が気付き、微笑み片手を上げる。
「藤原」
 生成りの白いシャツに、ピンストライプの黒のジャケット。
 そして下は珍しくジーンズで、しかもところどころ破れたダメージジーンズ。
 靴は、革靴ではなくレザー地のスニーカーだ。
 いつもの、彼らしくあるようで、らしくない服装。
 それに思わず拓海は見惚れ、そして釣り合わない自分に気後れを感じた。
「急がせて悪かったな。じゃ、行こうか?」
 涼介が文太に軽く頭を下げ、FCの助手席のドアを開けた。
「どうぞ」
 手馴れた動作と、服装。
 それに鼓動を高鳴らせながら、チクリと痛みを覚える。
 年齢の違いだけではない、経験の違い。
 それを感じて。
 拓海は複雑な表情で涼介に促されるままにナビシートに腰を降ろした。





 長年の習性でポーカーフェイスを保っているが、心中は焦り、怖れ怯えている。
 拓海が一瞬見せた暗い表情。
 それが涼介の緊張を走らせた。
 昨晩。
 啓介の部屋を漁り服を探した。
 だが同じ兄弟とは言え、似合う服は違う。
 啓介の物で涼介が似合うものは無かった。
 しかし若く十代の拓海を相手に、涼介のいつもの服装が釣り合わないものである事は理解している。
 だからジャケットとシャツだけは自前で、ジーンズは啓介の秘蔵のヴィンテージのジーンズ。そしてスニーカー。
 スラックスを合わせるより、カジュアルに纏めたつもりだったが、十代の感性にはまだ届かなかったのだろうか。
 ステアリングを握る手に力がこもる。
「どこか行きたいところはある?」
 平静を装い、ナビシートに静かに座る拓海に問いかける。
 涼介の脳内では、拓海のあらゆる要望に答えるべく、全てのシュミレーションは済んでいる。
 映画でも、海も、買い物でも、ドライブ、もちろんカラオケでも。
 しかしそんな拓海の答えはそんな涼介の予想とは違うものだった。
「…え…別にどこでも…」
 困惑、と言うよりもどこか面倒くさそうな表情に、涼介の手のひらに汗が滲む。
 …もしかして。
 …俺をウザいと思っているのか?!
「どこ…と言われても…困ったな…」
 心の中では嵐と、地震が一度に起きたような有様なのに、言葉や表情には気だるげな空気しか表さない。
「え?あ、そうじゃなくて、俺…あんまり遊びに行かないから、どこ行ったらいいかよく分かんなくて…」
 焦った様子で言い訳する拓海に、ほんの少しほっとするが、けれど臆病な恋心は「もしや気を使っているだけで…」などと暗いほうへと思考が向かう。
「別にそう難しく考える事はないよ。藤原は何か観たいものとかはないのか?」
 涼介の中では、この言葉は映画などを指したものだった。
 しかし、拓海は違った。
「見たい…ですか?…あ、そうだ」
「何?」
 ふと、垣間見た拓海の表情は華やかなものだった。
 うっすら頬を染め、照れくさそうに微笑む。
「桜」
「……え?」
「桜、見たいです」
 その愛らしさに魅了される。
 一気に脳内にアドレナリンが分泌し、こめかみが熱くなる。
「桜、ね…」
 たとえ、桜の名所など一つも知らなくても。
「そうか。分かった」
 色々考えていたシュミレーションに無い、シチュエーションであったとしても。
 その笑顔の前では、どんな不可能も可能に出来ると、興奮状態にある涼介は自信満々の笑顔で頷いた。



 つまんない奴だと思われたかな…。
 ステアリングを難しい表情で握っている涼介の顔をチラリと眺める。
 運転中と言うのもあるのだろうが、朗らかだった雰囲気が消え、今の彼の表情は厳しい。
 どこに行きたい?
 と聞かれ、拓海は答えることが出来なかった。
 元々外に出るのが好きなわけでもなく、休みの日には一日中ゴロゴロしていたタイプだ。
 そんな拓海が涼介を満足させられるような場所を言えるはずもない。
 しかし「別にどこでも」と答えた瞬間、涼介が眉をしかめた。
 まるで、「何だこいつは?」と言いたげに。
 焦って、彼に告白されたあの日の桜を思い出し、「桜」と答えたのだが…きっと面白みの無い奴だと思われたに違いない。
 明らかに、さっきよりも涼介の口数が減り、眉間の皺の刻みが深くなっている。
 拓海は自己嫌悪に、ハァと溜息を吐いた。
 途端、涼介はビクリと奮え、拓海の強い視線で見つめてきた。
「……え?」
 その眼差しの強さに戸惑い、涼介を見つめ返すと、彼は気まずそうに視線を外した。
 そして拓海は気が付いた。
『…デート中に溜息吐くなんて…嫌な奴だと思われたんじゃ…』
 まるでつまらないと言っているようなものではないか?
 そうではない。そう伝えたくても怖くて何も言えない。
 泣きそうな気持ちを堪え、拓海は俯きギュッと握り締めた膝の上の自分の拳を見つめた。


 …人生最大のピンチ。
 それが今涼介の上に降りている。
 桜が見たいと言う拓海の要望に、安請け合いをしたのは良いが、名所など一つも知らず興味も無かった涼介だ。
 ただいたずらに車を走らせながら悩んでいたのだが、拓海の溜息に全身に冷や汗が流れた。
 …バレたのだろうか?
 桜の名所一つ知らない、つらまない男だと言うことが?
 チラリとまた拓海を横目で窺えば、暗い表情でずっと俯いている。
 最悪である。
 大好きな人を楽しませたい。
 そんな気持ちは無限大にあるのだが、……結果としてこんな表情をさせている。
 ぐ、っと奥歯を噛み締め、涼介は悩みを捨てた。
 そして下らないプライドも捨てる。
「藤原」
「…え?」
 顔を上げた拓海の表情は悲しそうなものだった。ジクリと胸が痛む。
「ちょっと電話をしなければいけない用事を思い出したんだ。少しあのコンビニに寄っていいかな?」
 そう言うと拓海はホッとした表情で眦と口元を緩めた。
「はい。構いませんよ」
 駐車場にFCを停車させ、「すまない」と断り車を降りる。
 そして携帯を取り出し、車内で大人しく待つ拓海を伺いながら電話をかけた。
 2コール目で相手が出る。
『…何だよ、アニキ』
 出たのは涼介の弟の啓介だ。
 問答無用に、涼介は用件のみを語る。
「桜の名所を教えろ」
『…ハァ??』
「桜の名所だ。知らないのか?」
『いや…知ってるけど…そういやさぁ、俺の大事なジーンズとスニーカーがねぇんだけど、アニキ知らねぇ?』
「知っている。それより早く教えろ」
『知ってるって、どこにだよ…。おっかしぃなぁ、俺、どこにやったんだろう?』
 あの部屋の散らかり具合で、何か物を探すのは難しい。しかし啓介はこの服だけは大事にちゃんと仕舞ってあった。
「心配するな。俺が履いている」
『ハァ?何で!』
 涼介は焦っている。焦って、しかもテンパってもいる。
 だから…キれた。
「うるせぇ!俺の人生がかかってるんだよ!つべこべ言わず、早く桜の名所を教えろ!!」
『…え…あ、ああ』
 涼介のいつにない激昂した声音に、啓介は戸惑いながらも涼介の望む情報を与えた。
「…分かった。ありがとう、啓介」
 ほっとし、電話を切ろうとする涼介の耳に、啓介の呟きが聞こえた。
『アニキ…出かけてるのって…もしかして…マジ?』
 今までの恋愛遍歴を全て知っている啓介だ。
 今日、デートに行くとは伝えてあったが、いつもの涼介を知っているだけにそう重く感じてはいなかったのだろう。
 だが。
「ああ」
 声だけで、真剣な思いを伝える。
「マジだ」
 そう答え、涼介は電話を切った。




2007.4.22
★special thanks
写真提供M様






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