初恋ひらひら

act.2



 恋、の語源は「乞い」であるのだとうろ覚えの知識で思い出す。
 だが常に受身だった涼介は「乞い」の仕方を知らない。
 急激に恋に落ち、そして相手を欲する想いはあるにはある。
 しかしそれを叶える術を一切涼介は持たない。
 これがバトルであるのならば、あらゆるシュミレーションでもって攻略する方法を考えるが、この方面に於いての涼介は徒手空拳。
 突然ふって湧いた恋に、慌てふためき動揺し、そして何の策も無しに衝動だけで行動した。
「…涼介さん?どうかしたんですか?」
 心配そうに自分を見つめる視線で我に返り、そして恋心が冷淡な容貌を朱色に染め、戦慄く心臓を抱えながら視線を逸らす。
「顔、赤いですよ?大丈夫ですか?」
 拓海の腕が伸び、そしてその指が涼介の頬に触れる。
 思わず、ビクリと震えながら後ずさりをすれば、拓海は驚き眼を見開いた後、少し悲しそうに目を伏せた。
「…すみません、俺…」
 そして悲しさを残した表情のまま微笑み、涼介に頭を下げた。
「あの…俺、もう帰ります。邪魔して、すみませんでした」
 人間の神経の伝達速度は秒速100m。感覚器から神経伝達までに0.01秒かかり、そこから脳内の処理を含め行動に移るまでに0.1秒。
 正に、一流アスリート並の反射速度であったと、涼介は後に自負する。
「待て!」
 去ろうとする拓海の腕を掴んだ。
 そしてカーブやスライダー、ましてやジャイロボールなどと言う変化球を知らない男の投げる球はストレートのみ。
「好きだ!」
 ひらひらと、桜が舞い落ち沈黙が積もる。
 衝動的に告白した後に、涼介は自分が何を言ったのかを自覚した。
 一気に全身は激しく高鳴る心臓の一部になったかのように全身が震え、そして思わぬ失態に色を青く染めた。
「……え?」
 何を言われたのか、理解できないと言うふうに拓海が首をかしげる。
 そしてそのキョトンとした表情を見た瞬間に、涼介の腹は決まった。
 ゴクリと唾を飲み込み、同様を隠しもう一度告げる。
「…お前が好きなんだ、藤原。付き合ってくれないか」
「…………え?」
「もちろん、恋人として」
「………………はぁ」
 パチパチと、大きな瞳を何度も瞬きさせ、ますます拓海のかしげた首の角度は深くなる。
 一見、冷静を装っているが、涼介の胸中はただ事ではない。
 火傷と凍傷が一度に起こっているかの心地。
 拓海の腕を掴む手のひらが汗で滲む。けれど、掴んだ腕を離さない。
 ぼうっとする拓海の顔を真剣な眼差しで見つめ、そして再度問う。
「……ダメか?」
 哀願する響きを込め囁けば、ふ、とあちこちを彷徨っていた拓海の視線が涼介に留まった。
 そして、頬を中心に、じわじわと広がる真っ赤なばら色。
「だ、ダメだなんて…!…って、言うか……マジ?」
 見上げる視線に、拒絶は無い。
 むしろ、ほんのり赤く染まった目尻に涼介の胸の鼓動は高まる。
「本気だ。とりあえず……」
 声は震えていないか。
 格好付けの自分はそんな事ばかりを気にする。
「明日、デートしようぜ」
 鮮やかに笑っても見せる。
 引き攣りそうな思いを隠し。
 願いを込め微笑みながら見つめれば、戸惑いウロウロと伏せた視線を彷徨わせていた拓海がチラリと涼介を見上げ、また俯いた。
 そして。
「………はい」
 小さく頷いた。
 天にも昇る心地。
 それがどんなものかを涼介は体感した。
 けれど、その喜びも束の間。
 夕暮れ。帰宅した涼介は気が付いた。
 かつての恋人たちに言われた言葉。
 そして己に、恋愛のスキルが一つも無いことに。

『あなた…つまらないんだもの』

『気の利いた事も言えないし』

『ロマンティックのカケラもない』

『それに…言えなかったけど、あなた…』


『服の趣味…悪いわよ?』


 天にも昇るほどの喜びは、人生最大の挫折とともにやって来た。
 タイムリミットは24時間。
 涼介の恋愛改革が始まった。





 恋、なのだと思う。
 そう、拓海は感じていた。
 彼を見て赤くなる理由も。
 名前を呼ばれるだけで、ドキドキざわめく胸の鼓動の理由も。
「…夢…じゃ、ねぇよな…」
 布団の中でゴロゴロと何度も寝返りを打ちながら、自分の頬を抓る。
 痛い。
 間違いなく現実。
 春から使い始めた携帯のフリップを開き、届いたばかりのメールを眺める。
 差出人の名前に「高橋涼介」。
『明日二時に迎えに行く』
 そう書かれた文章を眺めるだけで、顔がニヤけて心臓は破裂しそうだ。
『おやすみ』
 文章の最後に書かれたこの言葉だけで、心がふわふわと浮かび上がり眠気も飛んでいく。
 たぶん、好きなのだ。彼のことが。
 恋愛に疎い自分は気付かなかったけれど、少しずつ。ゆっくりと。
 彼を知れば知るほど好きになった。
 けれど恋心が形になったのはあの瞬間。
 腕を捕まれ、
『好きだ!』
 そう告白された時だった。
 冗談だとか。
 嘘だとか。
 そんなふうには思えなかった真摯な声。そして表情。
 だが何より、拓海がその言葉を嘘にしたくなかった。
 漠然と胸に抱えていた感情が、涼介の言葉で形になった。
 ストン、と困難な因数分解の答えを得たような、そんな明瞭感と同時に一気に沸き起こってきた恋心。
 まるで体中が感覚器になったかのように震え、戦慄き、そして涼介の一挙一動に反応した。
 拓海は目を閉じる。
 浮かぶのは、桜の花が散る中に立っていた彼の姿。
 ふわりと、峠では見せない柔らかな笑みと、そして真摯な眼差し。
 明日。
 その彼と一緒に出掛ける。
 明日の事を考えただけで、興奮で眠れなくなり、また拓海はゴロゴロとベッドの上を転がり回る。
 そして頭の中では明日の事のシュミレーション。
「…俺、明日すげぇ変な顔になってそう…」
 ニヤけて。
 緊張しすぎて。
 涼介はどんなところへ拓海を連れていくのだろう?
 大人の、格好良い彼のことだから、拓海たちのように秋名湖だとかでは無いだろう。
 食事も、ファミレスやファーストフードでもないだろう。
 そう考えた時に、ふと気付いた。
 ガバリと枕から顔を上げ、布団を蹴り剥がす。
「…やべぇ…俺、明日なに着てこう?」
 彼に釣り合う服なんて持っていない。
 Tシャツにジーパンにスニーカー。
 それ以外を持っていない。
「スーツ、とか…?」
 まさかそこまで、とは思うが…。
 けれどいつもシャツにジャケット、スラックスの彼とTシャツにジーンズの自分では不釣合いだ。
 彼に釣り合う人間になりたい。
 年齢の差。
 経験の差。
 それらが今拓海を苦しめる。
 古びた箪笥の引き出しを全部ひっくり返し、自分の持つ服を全て広げながら拓海はそれをひしひしと感じていた。







2007.4.8
★special thanks
写真提供M様






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