Z


 頭がおかしくなるほどに貪り、拓海の中に情欲を注ぎ、狂おしいまでの劣情の全てを彼にぶつけた。
 いつの間にか、昏倒するように意識を失い、再び気が付いたのは、激しく自分の部屋のインターフォンを鳴らす音によってだった。
 ふと見れば外はもう明るく、ごまかしようのない眩しい陽射しが部屋の中を照らしている。
「…酷いもんだ」
 自嘲気味に呟く。部屋は荒れ、精液と血に汚れたベッドの上の拓海の体中にはキスマークと言うには物騒な、肌を裂く噛み跡が余す事無く埋められている。
 涼介は両腕を拘束されたまま、意識をなくしている拓海の頬を撫でた。
 血と、精液と涙で汚れたそこを、拭うように指を滑らせる。
 …離したくない。
 改めてそう思った。
 たとえこれが、自分の身勝手な欲望でしかないと知りながらも。
 唇を歪め、笑みを浮かべる。そして拓海の唇に顔を寄せ、起こさないよう触れるだけのキスをした。
 だがそんな狂気を孕む穏やかな時間は突然奪われた。
 鳴り響いていたインターフォンが止み、ガチャリと鍵が開錠する音がして、玄関の扉が開かれる。慌しい足音に、涼介は顔を上げ侵入者へ視線を向けた。
  この部屋の合鍵を持っているのは二人だ。拓海と、そしてもう一人…。
「…どうしたんだ、啓介?今シーズン中だろう?」
 涼介はゆったりと床に落ちていた服を拾い上げながら、切羽詰った表情で侵入してきた啓介へと声をかけた。
「…どうしたんだじゃねぇよ、アニキ。電話もマトモに通じないし、人が僅かな休みの間に心配して帰って来て……って、それ…」
 ガシガシと機内で付いたのだろう寝癖をかきむしりながら、啓介が顔を上げる。そして部屋の惨状を見た瞬間、彼の言葉が止まった。そしてベッドの上の拓海を見つめ、その顔から血の気がみるみる失せていく。
 恐れを知らず突き進んできた弟の顔に、怯えが走るのを涼介は冷静な頭で見ていた。
「…勝手に入ってくるなよ、啓介」
 今更だろうが、拓海の体にシーツをかけ隠す。そして自分もまた、床に落ちていたシャツを着ようとするのだが、乱暴に脱いだ為だろう。ボタンは千切れ、あげく血と精液に染まっている。仕方なく、涼介は落ちていたズボンだけを身に着ける。
 だが啓介は兄の言葉など聞いていないようで、泣きそうな表情で首を横に振り続けた。
「…何…やってんだよ、アニキ…」
 搾り出すように発せられたその声が、昔、彼がまだ子供であった頃、泣くのを我慢していた時の声に似ていて、涼介はおかしく思い笑みを浮かべた。
「何笑ってんだよ、…なぁ!」
 その笑みに激昂した啓介が、涼介の肩を掴み揺さぶる。
「アニキ!何やってんだよ?!…こんな、…こんな事…」
 涼介の胸に顔を押し付け、くぐもった声を上げる啓介を涼介は何も感じることが出来なかった。
 …どうしてこいつはこんなふうに慌ててるんだ?
「…それ、藤原だよな」
 昔のように、彼を宥めようかとその体に手を伸ばした瞬間、啓介の手は涼介ではなく、傍らの拓海に向かい、彼の両腕の拘束を解き抱き上げた。
 涼介の穏やかだった時間が終わる。
「触るな!それは俺のだ!!」
 啓介の腕にしがみ付き、奪おうとするが、ずっと食事も睡眠も満足に取っていなかった体は、啓介を阻めない。
「ふざけんじゃんねぇよ、アニキ!こんな事して……。こいつは俺が連れてく。それでいいだろ?」
「嫌だ、拓海は俺と一緒にいるんだ!」
「いいかげんにしろよ!…どうしたんだよ、アニキ…マジにおかしくなっちまったのか?」
 …おかしく?ああ、とっくにおかしい。今、拓海がいなくなってしまったら壊れる自信もある。
 啓介の前で、恥じる事無く滂沱の涙を流す。
「……愛してるんだ。連れて行かないでくれ…」
 懇願する。啓介の足に縋り、みっともなく這い蹲る。
「…愛してたら…何してもいいのかよ?…コイツ、ボロボロに壊して、飽き足りずに死んじまってもいいって言うのかよ?!」
 フッ、と涼介は笑った。今更だ。
「いい」
「…?!」
「構わない。拓海が死んだら、俺も死ぬだけだ」
 啓介の顔が、泣きそうに歪む。けれどすぐに意思を持った眼差しで涼介を射る。
「…そんなの間違ってる」
 涼介は反論しようと口を開いた。だがそれよりも先に、新たな人物の声がした。
「…間違ってても…いいんです」
 声の主は拓海だった。
 うっすらと瞼を開け、部屋の隅で蹲る涼介の姿を見つけた瞬間に微笑む。
 身動ぎし、呆然とする啓介の腕から逃れ、酷使されたせいで立ち上がれない体を這わせながら涼介の下へ行き、その体を抱き締めた。
「間違ってても…いいんです。…俺は…すごい幸せなんです」
 抱き締めながら、啓介を振り返る。
 その強い眼差しに、啓介が臆したように怯む。
「…でも、お前アニキに…」
 拓海が自分の体を見下ろし、涼介の痕跡と傷を見つめる。だがすぐに彼は笑った。その跡を誇らしげに、いとおしむように見つめながら。
「俺が望んだんです。全部」
 そしてきっぱりと、見つめながら頷いた。
「拓海…」
「藤原…」
 呆然と、涼介も啓介も彼の名前を呼ぶことしか出来なかった。
「だからいいんです」
 拓海の笑顔は眩しいものだった。
 感情があまり豊かではなく、たまに笑う姿が、あどけない子供のようだった。滅多に喜怒哀楽を見せない拓海が、こんなふうに笑うのを、啓介も、涼介も見たことがない。
「俺はずっと、涼介さんが俺だけのものになればいいって…ずっとそう願ってきた」
 涼介の頬を撫でる。至福の表情で。
「分かりますか、啓介さん?俺が今、どんなに嬉しいか?」
 涼介と拓海の離れていた指が絡む。
 握り締め、離れないように固く結ばれる。
「俺、すごい幸せなんです。だって…」
「拓海…!」
 涼介の腕が拓海の体を抱き締める。背中に回った指が、爪を立て、拓海の肌を傷つける。でもそれさえも拓海は喜び微笑んでいる。
「…やっとこの人が俺だけのものになった」
 その凄絶なまでの笑みに、啓介は目を逸らし、首を振った。
「……俺には分からねぇ…」
「分からないほうがいいです。…とても苦しくて、辛いから」
 啓介が泣き笑いの表情で溜息を吐く。
「…お前ら、おかしいよ。狂ってる」
 だけど、と言葉が続く。
「…それで、幸せなんだな?」
 拓海が微笑み頷いた。
 涼介が子供のように泣きじゃくり、拓海の体に縋りつく。
 大切にしたい。もう間違えたくない。離れない。
 色んな言葉が脳裏を駆け巡る。
 けれどこの感情を的確に表す言葉を、涼介は一つだけしか知らなかった。
「…愛してる」
 微笑む拓海の表情に、彼がずっとその言葉を望んでいたことを涼介は知った。
「…俺も…愛してます」
 そして涼介もまた、それを欲していた自分を知り、縋る腕に力を込めた。




back

next