歓びも束の間。
いきなり横っ面にドンと衝撃を感じる。
何が起こったのか?
瞬きを繰り返し、正面を向けば目にびっしりと涙を浮かべた拓海の手に枕が握られている。
ああ、あれで殴られたのかと、頭の中の冷めた部分が答えを出す。
拓海の顔は耳まで真っ赤だ。
いや、鎖骨まで赤い。
着込んでいた布団が肌蹴け、その艶やかな裸体が露になっているのだが、気付いていないらしい。
「不潔だ!」
真っ赤な顔で、そう詰った。
まるで手負いの猫。
フゥフゥと鼻息荒く威嚇するのだが、しょせん肉食獣である涼介には可愛らしくしか映らない。
「…ひ、酷い…お金で買うなんて…」
怒っているのか?
「そ、そんな人だと思ってなかったのに……不潔だ!」
バシバシと、何度も枕で涼介を叩く。
暴れる度に、可愛らしい胸が涼介の前で揺れる。
ああ、本当に。この子は男を知らない。
涼介は腹の中で笑う。
「りょ、涼介さんだって知ってたら…あんなこと…!」
怒っているのではない。
照れているのだ。
その事実に気付き、思わず「ハハハ」とらしくなく声を上げて笑うと、拓海の動きがぴたりと止まり、枕を放り投げられた。
顔面に向け投げられたそれを、涼介は簡単に受け止める。
その様子に悔しそうに拓海が歯噛みする。また頬に一筋の涙。
「………おかね」
「え?」
頬の涙を、拓海が乱暴に拭う。
そしてスッとそのしなやかな腕を涼介の前に差し出した。
「お金、ください。ど、どうせオレ、買われただけだし…お金貰えばもういいです」
暴れる子猫はヤンチャらしい。
涼介の手の中には納まらず、予想外な行動で振り回す。
「お金…ね…」
恋しい人。
愛しい人。
全てが合わさった涼介の想い人は涼介の嗜虐心を掻き立てる。
清純であるからこそ穢したくなる。
勇ましくあるからこそ泣かせたくなる。
「…幾ら欲しい?」
片膝を立て、その上に手で支えた顎を乗せ、ジッと獣の目で彼女を見つめる。
涼介の反応に、拓海の咽喉が鳴る。泣くのを堪えたような表情。
泣けばいいのに。
そして涼介の名だけを呼び、涼介だけに縋れば良い。
拓海の表情がクルクル変わる。
峠で垣間見た時は、随分ぼうっとしたヤツだと思っていたが、こうやってじっくり観察して見れば素直な性質であることが分かる。
感情が全て表情に出るのだ。押し殺しているつもりだろうが、微かな筋肉の動きからそれが涼介には手に取るように分かる。
――どうしよう?
と目を伏せ悩み、
――酷いことした人だから、困らせてやれ。
と気の強さが、尖らせた唇に現れる。
「ひゃ…百万!」
少女の精一杯の言葉。その可愛らしさに笑みが零れる。
言った後で、「やはり拙かったか…」と戸惑っている様も愛らしい。
「いいよ」
この少女は知らない。
「……え?」
本気の男がどう言うものかを。
「百万ね…安いものだな」
自分で言っておきながら、拓海の大きな目が真ん丸に見開く。
「ひゃ、百万ですよ?」
「ああ。お前の初めてを貰ったんだ。安いものだろう?」
そう。安いものだ。
一生を縛り付ける切欠の代償としては。
涼介は立ち上がり、扉を開けた。
そこには最初に涼介をここに案内した男が立っている。
涼介は札を五枚取り出し、男に渡した。
「この子は俺が預かる」
男がびっくりしたように、手の中の札と涼介、そして拓海を何度も見比べる。
「悪いようにはしない。だから…もうあんたが心配する必要は無い」
戸惑っていた男が、涼介の真剣な眼差し、真剣な言葉に目を伏せる。
ほっと安堵したように溜息を吐き、そして何度も頷いた。
「…そうか…ウン…そうか。だったら問題ないね。アタシもちゃんと御代を貰えたことだしね」
と、手の中の札を閃かせ下卑た笑みを浮かべる。
涼介は奥歯を噛み締める。
男の態度に苛立ちが湧く。
それが、拓海のための演技であると察したからこそ。
拓海が男に対し、義理を感じないよう、切捨て安いように露悪を気取って見せているのだ。
それは偏に、拓海と言う存在が良心を忘れたはずの男に、それを取り戻させるほどの何かを与えたからに違いない。
その感情が恋愛では無いにしろ、嫉妬するに余り有る。
「…じゃあ、問題は無いな」
男が頷く。
「ああ。問題ないよ」
涼介はそれで話は終わりだとばかりに、再び扉を閉める。
その間際、扉の向こうから「月ちゃん、幸せにね」と男の声がしたのに苛立ちが募る。
露悪めいて見せたのなら、最後まで貫けば良いものを…。
舌打ちをしながら拓海を振り返ると、彼女は一連のやり取りが理解できていないようで、ぼんやりとこちらを眺めていた。
「…な、に…え…今…何が…」
拓海の前に跪き、視線を合わせる。
「あ、預かるって、何?!お、オレ、お金いるのに!じゃないとオヤジが…!」
混乱したまま、涼介の袷を掴み揺さぶる。
涼介はその指に上から手を重ね、ゆったりと包み込むように握る。
「金がいるなら俺が用意する」
キョトンとあどけない瞳が涼介を見上げる。
けれどその瞳はすぐに翳った。
「…何だよ、それ……また、オレを買うの?」
クシャリと、泣き笑いの表情で。
無垢で、清純な涼介の想い人。
涼介は己が狡猾な大人である事を感謝した。
「いいや、買わない」
拓海の眦から溜まった涙がポロリと落ちる。
それを涼介は舌で舐め取った。
「助けたいだけだ」
「な…に、ソレ……涼介さん、関係ないじゃん」
小刻みに震え、強がりを言う身体。
張り詰めたそれを溶かし、涼介無しでは生きていられないくらいに溺れさせる。
「関係ならあるだろう?今、作った」
「…そんなの…!」
暴れる身体を押さえ込み、再び布団の上に押し倒した。
「だったら!」
片腕で両の手首を掴み抑え、
「お前は本当に身体を売れるのか?!」
膝で太ももを押さえ込み身体を固定させる。
「知らねぇ男に体中舐め回されて…!」
そして空いた手でまだ乾いていない狭間に乱暴に指を突き入れた。
「ここに!俺じゃねぇヤツのを突っ込むんだ。出来るって言うのか?!」
ぐるりと、内を掻き回すと拓海の身体が跳ねた。
涼介は拓海の首を齧る。獣の衝動そのままに。
くっきりと付いた歯型。真っ赤なそれに舌を這わせ、そして熱い吐息を被せた。
「……許せる筈がねぇだろ…お前は俺のだ。みすみす、他の奴等にヤられんのを黙って見ていられるわけねぇだろうが!」
計算を超えて熱くなっている。
想像しただけで頭が沸騰しそうだ。
怒りに腸が煮えくり返り、想像の中の相手だと言うのに殺意まで芽生える。
「…頷け、藤原」
拘束を解いても、もう拓海の身体は暴れない。
「俺を頼れ、藤原」
肌を這う涼介の指の動きに任せ、ビクビクと身体が跳ねる。
「俺は…お前のためなら何でもしてやる」
ハァハァと荒い呼吸を刻みながら、再び情動が詰まった腰を擦り合わせれば、答えるように拓海の腰も揺らめいた。
「涼介さんは……」
拓海の呼吸も荒い。
狭間を嬲る涼介の指はグショグショに濡れている。
「誰にでも…するの?」
「…は?」
「買った人…みんなにそんなふうに言うの?」
ふるふると大きな瞳が不安そうに揺れている。ギュッと噛み締めた唇に、涼介は笑みのままの形の己の唇を重ねた。
「そう…見えるか?」
似合わない拓海の眉間の皺を指で伸ばす。
「俺が、気まぐれに女を買って、その度に買った女に援助する…そんなヤツに見えるか?」
我ながらずるい聞き方だと思うが、頑固なところのある少女にはこんな切り返し方が正解だろう。
簡単に否定しては、きっと少女の中で疑問は残ったままだろう。
彼女の中で、疑問を消して行くしかない。
「…見え…ないけど…でも…買ってるし…」
「お前だから買った」
首筋にキス。
ムッとした様子の拓海が涼介の顔を押し戻す。
「…ウソくせぇ…」
ああ、ほら。さっき食いしばっていたせいで唇が傷付いている。涼介は癒すようにそれを指でなぞる。
「自慢じゃねぇが俺はモテるぜ」
フッと笑いながら言えば、体の下の拓海の機嫌がますます降下する。
「女が欲しけりゃ突っ立ってりゃいい。それだけで女の方から寄ってきてくれるからな」
拓海の唇をしつこく指でなぞりながら、わざと煽る言葉を発する。
ワクワクする。
まるで小さいガキの愛情表現。
苛めて、そして嫉妬させて…拓海の全部を俺だけでいっぱいにさせたい。
「…っ!何だよ、ソレ!」
カッと頬を怒りに染め、嬲る涼介の指を拓海が噛む。
強い力で噛まれたそこは、うっすらと血が滲んでいる。
涼介はそれを愛おしげに己の舌で舐めた。
その光景に拓海が動揺したように視線を外す。
そっぽを向く拓海のこめかみが無防備だ。
そこに唇を寄せ、耳に囁くように言葉を続ける。
「つまり…買う必要性が無かったって事だ」
浅ましいくらいに勃っている。
自分がどんなに拓海に興奮しているのか。知らしめるように腰を押し付けると、拓海の瞳が泣きそうに潤んだ。
「毎晩毎晩…お前の夢を見ていた…」
そうだ。頭が狂うほど。
「…え?」
「…お前を犯す夢」
夢の中でしたように、肌に吸付き跡を残す。
「俺と同じ男だと…そう思い込んでたはずなのに…止まらないんだ。お前の内に入りたくて…毎晩ココが疼いてた」
明け透けな言葉に、物慣れない少女が戸惑い視線をさまよわせる。
それを許さず、涼介は拓海の顎を掴み、間近で目を合わせる。
情欲に溢れた射抜く眼差し。
それで拓海を縫い止める。
「りょ…すけさ…」
拓海の瞳に怯えが見える。
けれど、彼女は知らねばならない。男の恐ろしさを。
そして二度とこんな手段で金を稼ごうとしないように。
「頭がおかしくなっちまうほどに疼いて、勉強も手に付かなくなって、落ち着くためにここに静養しに来たのに、それでも治まらなくてウロウロしてたらお前に出会った。
似てる、って思ったよ。お前に。身代わりでも良い。お前が欲しくて買った。
でも実際にお前に触れて…身代わりだとか、飛んじまうくらいに…お前にハマった」
涼介は自嘲の笑みを零す。
あの時に感じた感情を表すのは難しい。
考えてみれば当然なのだ。
欲しいのは一つだけ。
それが涼介の腕の中にあっただけの事なのだから。
「可愛くて…愛しくて…まぁ、苛めもしたけどな。俺のでグチャグチャにして、俺だけでいっぱいにさせたかった」
肌から伝わる、拓海の心臓の鼓動が早い。
けれど、涼介の鼓動の早さもまた拓海に伝わっているだろう。
「…なぁ」
「………」
こんなにも、誰かを欲したことは初めてだ。
それが腕の中にある。
これ以上の幸福は無い。
「…いっぱいになってる?藤原の中。俺で」
いや、違う。
まだ…まださらなる高みがある。
拓海が静かに首を横に振った。
「…まだ……足りない…」
「…くっ!」
涼介は呻いた。
欲情に昂ぶった箇所を、拓海の手が包んだのだ。
「これ……」
羞恥に真っ赤に染まる肌。
潤んだ眼差しで涼介を見上げる。
「足りない…」
技巧ではない天然の誘い。
どんなに涼介が狡猾であろうとも、これの前では無力に等しい。
「…負けるよ、本当」
ズリズリと狭い内壁を擦りながら拓海の内側に侵入する。
堪らない充足感。
二人で熱を分け合い、そして溶け合わせる。
全部埋め込み、荒い呼吸を刻む唇を塞ぎ、舌を絡め粘膜を重ねる。
「藤原」
整わない呼吸の合間に名を呼んだ。
奥まで突き入れ、掻き回せば歓喜するように拓海の内部が涼介を絞る。
「いっぱいに…なった?」
涼介の問いに、拓海は快感に潤んだ眼差しのまま頷いた。
そして満足そうに微笑む。
「…うん…いっぱい…」
その表情と、セリフのあどけなさ。
完敗だと涼介は白旗を上げ、拓海の内部で欲望を開放させた。