間近に見るその建物は普通の一軒家に見えた。
昔は海老茶だったのだろう、色が落ちところどころ剥げかけた土壁。
今時珍しい木枠の引き戸の扉を開け、涼介の身長には少し低い鴨居を潜ると、裸電球のボンヤリとした灯りが見えた。
玄関で靴を脱ぐのかと、一瞬考えた涼介を尻目に、先導していた男が土足のまま上がり框を踏む。
「さ、こっちだよ」
男に導かれるように、涼介もまた靴のまま進む。
ギシギシ軋む廊下を歩くと、あちこちから獣のような男の声。そして淫らな女の声が微かに漏れ聞こえてきた。
つまりは。
ここはそう言う場所なのだと涼介は知る。
襖戸の奥の部屋の中で、何が行われているのか想像に難くない。
浅ましい獣のような行為に侮蔑の感覚が湧き起こると共に、さっき垣間見たあの少女に、自分がその行為をする事に背徳染みた興奮が徐々に湧いてくる。
男が一階の奥の部屋でぴたりと止まり、涼介を振り向く。
「この部屋だよ」
ドクンと鼓動が鳴り、咽喉の奥に唾液が溜まった。
「お客さん。アタシに前払いで1万円。残りは女の子に上げておくれね」
男の言葉に、涼介は金額を聞き忘れていることに気付いた。
「幾ら上げればいいんだ?」
場慣れしていない涼介の率直な言葉に、男は満足そうに頷いた。
「相場は…そうだね。他の女の子たちだったら1万5千円ってとこだ」
安い、と瞬間的に思った。
あの少女は、そんな端金で体を売るのかと、憤りのようなものさえ感じる。
「けど、あの子は初めてだからね。それに色を付けてやってあげると嬉しいね。結局、値段は終わった後のお客さんの満足度によって変わるから。基本はその値段だけど、キッカリしか払わないお客さんはいないよ」
ニヤニヤと笑う男の表情に、先払いの分のこの一万が男の取り分で、後払いの分が丸々女の取り分になるのだろうことを悟った。
故に、女は自分の取り分を増やすため、あざとく立ち回るのだろうことも。
「…なるほどな」
頷いた涼介に、男が狡猾な顔で見上げる。
裏も、表も知り尽くした男は、涼介が暗に含んだ言葉の意味を、余すことなく悟った事を知ったのだろう。
そして狡猾な顔が和らぎ、扉の向こうへ視線を移す。気遣わしげに。
けれどその視線がまた涼介に戻ったとき、その瞳には満足げな色しかなかった。
どうやら、男は本当にらしくなく扉の向こうの処女を心配しているらしい。
そしてそんな彼の御眼鏡に涼介は合格したらしい。
男が襖に手をかける。
「月ちゃん。お客さんを連れてきたよ。開けるけどいいかい?」
小さな、小さな声だった。
「……はい」
微かに、中の少女の声が返ってきた。
『……何だ?』
その声を聞いた瞬間、カァっと全身に火が点ったようになった。
下腹部に熱が溜まり、覚えのある衝動が湧き起こる。
裸の女を前にしても、淡々とした感情しか起こらなかった涼介が、たかが少女の声一つで欲情している。
そんな衝撃的なほどの衝動は涼介にとって生まれて初めての事だった。
「開けるよ」
男が言葉と同時に、襖を開ける。
スッ、と開いた扉の向こうから漏れたのはほのかな灯り。
男が身体をずらし、涼介に譲るように扉の前から引いた。
フラフラと、涼介は夢遊病者のように扉の中に入り込む。
部屋の端に見えたレトロな行灯。
その薄ぼんやりとした灯りは現代の照明に慣れた目には不自由で、だからこそ全てを不明瞭に隠し、現実身を薄れさせ罪悪感を消した。
窓は真っ白な障子。
そして四畳ほどの狭い部屋の中心を占める朱色地に白のカバーを掛けた粗末な平べったい布団。
その上に。
少女が座っていた。
時代劇に見るような朱色の襦袢にそのほっそりとした身体を包み、長い髪を洗いざらしに垂れ流し、俯いた顔に濃く影を映し出している。
その顔は白かった。
薄暗い部屋の中で、その肌の白さばかりが目に映る。
瞬間的に思ったのは、「違う」と言う感情。
あの少年に似ていると思った。
それは間違いだったようだと涼介は思う。
峠で見た健康的なあの少年とは全く違う、淫靡な空気を背負った少女。
目の前にいるのはあの少年では無い。
涼介は少女を目の当たりにしたことで、その確信を強める。
けれど、少年に抱いていた…そして少女に感じた衝動はそのまま涼介を包んでいた。
心臓が戦慄く。
舌なめずりをし、アレが欲しいと獣の部分が命令する。
少女が布団の上でゆっくりと姿勢を変え、涼介の正面へと居住まいを正した。
俯いていた顔が上がる。
伏せていた瞼がゆったりと持ち上がり、長い睫が作り出していた影が消える。
ひたり、と。
視線が合った。
ぼんやりとした灯りの中、その顔立ちまでは分からない。
けれど薄暗闇の中でも、その瞳の輝きは見て取れた。
「あの……」
背後で、男が襖を閉じるのを気配で感じた。
けれど涼介は振り向けない。
魅入られたように、正面の少女から目が離せない。
「よろしく…お願いします…」
正面に三つ指を立て、少女が深々と頭を下げる。
サラリと長い髪が零れ落ち、真っ白な項が涼介の前に現れる。
ゴクリと、意図せず咽喉が鳴った。
この少女を裸に剥き、組み敷き激しく突き上げる自分の姿が目に浮かぶ。
あの肌は全て白いのか。
あの帯の下の身体は。
胸は。
腰は。
そしてあの狭間は。
頭に血が上り、痛いくらいに下腹部に熱が集まる。
ドクトクと戦慄く鼓動が耳にやけに響いた。