高橋涼介の恋人

act.2



 授業が終わり、校舎の外に出た拓海は、校門の前で人だかりが出来ているのに気付いた。
 めんどくさいなと思いながら、何気なくチラリと人だかりの中心を見て、拓海は溜息を吐いた。
 目に眩しい黄色。
 真っ黄色の車に、金色の髪。
 背は高くて一般的高校生男子の中から飛びぬけており、彼の周りに集る女子生徒の眼差しから窺えるように、端整でありながらどこか野性味を帯びた、甘さと鋭さが同居した容貌をしている。
 騒がれるのは好きではない。
 あの中心にいる彼とは反対に。
 だから無視して通り過ぎようとしたのだが、目ざとい彼が拓海を見つけてしまった。
「おい、拓海!何無視して行こうとしてんだよ!!」
 場の中心にいたのは涼介の弟であり、拓海の五歳年上の幼馴染の啓介だ。
「ほら、乗れよ。わざわざ迎えに来てやったんだからさ」
 別にいいのに…。
 口の中でモゴモゴと呟きながら、けれど逆らうことなく拓海は彼の愛車に乗り込んだ。
 逆らうと、後で面倒くさいことになるのを知っているから。
「別に迎えに来なくて良かったのに…」
 助手席に座り込むなり、文句を言う。
「いいだろ、別に。お前がちゃんと高校生やってんのか、見ときたかったしさ」
 よく喧嘩もするが、拓海にとって啓介は兄のようなものだ。
 ほんの少し照れくさいのもあり、余計にぶっきらぼうに拓海は答える。
「俺が騒がれるの、好きじゃないの知ってんだろ?明日になったらきっと言われるよ。あの人誰、とかさ」
「あ?近所の兄ちゃんって言っとけよ」
「他人事だと思って…」
 ふてくされる拓海を、けれど啓介はカラカラと笑い飛ばして吹き飛ばす。
「いいだろ、別に。それよりお前、今日何食べたい?」
「何食べたいって…どうせ俺が作るんだろ?」
 啓介は壊滅的に家事が下手だ。
 いつもこんなシチュエーションの場合、料理を作るのは拓海の役目になる。
 まだ、涼介がいたなら、彼と拓海の分担となるのだが…。
「当たり。今日はアニキも仕事で遅いって言うしさ。俺ハンバーグがいいんだよなぁ」
 涼介がいない。
 予想していた事だけど、ほんの少しチクンと胸が痛む。
「子供かよ。ハンバーグって」
「いいだろ。俺はお前と違ってエネルギーをたくさん消費するんだよ。だからハンバーグな。ケチャップ味のやつ!」
 言い出したら聞かない。
 本当にどっちが子供だか分からない。
「はいはい。分かったよ」
 仕方なく頷きながら、拓海は啓介に気付かれないように小さく溜息を吐いた。



 啓介リクエストのハンバーグは三人前作った。
 涼介の分だ。
 けれど全部啓介に食べられてしまった。
「涼介さんの分なのに!」
 拓海が怒ると、啓介は悪びれもせず、「別にいいじゃん」と言った。
「どうせアニキ帰ってこないぜ?仕事が忙しいってのもあるけど、女とデートでもしてんじゃねぇの?メシなんていらねぇって」
 女…。
 チクチクと胸が痛む。
「…涼介さんって…」
「あ?」
「…やっぱ恋人とか、いるのかな」
 沈む拓海に気付かず、満腹で満足した啓介は、伸びをしながらどうでも良いように答える。
「いるだろ、やっぱ。香水の匂いさせてたりするしな」
「香水…」
 やっぱり事実なのだ。
 ズンと拓海は落ち込み、視界が潤んでくる。
「何だよ、お前、まさかショック受けてんの?」
 拓海の様子に、やっと気付いた啓介が顔を無遠慮に覗き込む。
 その顔を押し退け、拓海はそっぽを向いた。
「いいでしょ、別に」
「や、いいけどさ……もしかして…あの小さい頃の約束とか、まだ本気にしてんのか?」
 啓介は拓海と涼介が恋人同士になったあの約束を知っている。
「あんなの恋人ごっこみたいなもんだろ。アニキだって本気になんてしてねぇだろうし…」
 啓介が戸惑っている。
 まさか、あんな昔の子供の約束を信じていたなんて思ってもみなかったのだろう。
 そうだ。きっと涼介もそう。
 だけど拓海はずっと信じてた。
 自分は、涼介の恋人なのだと。
「………帰る」
「は?」
「…帰ります。後片付け、啓介さんやっといて下さい。それぐらい出来るでしょ」
「ちょ、待てよ、お前…」
 このままいたら、みっともなく大泣きしてしまいそうだ。
 引き止める啓介の腕を振り払い、玄関で靴を履き扉を開けた瞬間、目の前に大きな壁が立ち塞がった。
 ドスンとぶつかり、玄関に倒れこむ。
「拓海?大丈夫か?」
 目の前から声が降ってくる。
 その声はずっと拓海が待ち望んでいた人のものだった。
 座り込んだまま顔を上げ、見上げるとそこにはスーツ姿の涼介がいた。
 十年前より背が高く。綺麗と評されていた顔は年齢を重ねることでシャープさを増し端整なものに。そして十年前と変わらない、艶やかな黒髪と切れ長の瞳が拓海の前にある。
「…涼介、さん?」
 これは現実だろうか。
 疑いながら問いかけると、目の前の人は十年前と変わらない優しい笑みを浮かべた。
「ああ。ただいま」
 そして座り込んだままの拓海に手を伸ばす。
「俺のせいでぶつかってしまったんだな。怪我はないか?」
 手を掴まれた瞬間、ものすごい力で引き上げられる。
 そして状態を確認するように、拓海の肩や、打ちつけた腰の部分に彼の手が這った。
 思わず、ビクリと身体が跳ねた。
「拓海?」
 不審そうな涼介に、必死に拓海は平静を装い、頷いた。
「だい、じょうぶです。あの…涼介さん、お帰りなさい」
 強張った表情のまま笑みを作ると、彼は安堵したように微笑んだ。
「ああ。拓海は…もう帰るのか?」
 靴を履き玄関にいる拓海に、涼介はそう予想したのだろう。
 拓海は無言のまま頷いた。
「そうか。啓介は?いないのか?」
「アニキ、お帰り」
 気まずそうに、啓介が廊下の向こうからやってくる。
 そんな啓介に涼介は睨み、何をやってるんだと叱った。
「拓海を一人で帰すなよ。危険だろう?ちゃんと送ってやりなさい」
 ズキンと拓海の胸が痛んだ。
 どうしてだろう?
 この間まで、送ってくれるのはずっと涼介の役目だったのに。
 今はもうしてくれないのだろうか。
「あ、の…」
 発作的に声をかけ、振り向いた涼介の顔を見てで我に返った。
 小さな。小さな弟になろう。
 瞬間的にそう思った。
 昔のように小さな拓海に戻って、そうすれば昔のようになれるだろうか。
「俺、啓介さんの運転ヤだよ。怖いもん。送ってもらうなら涼介さんの方がいいな」
 小さな子供のときと同じ、無邪気な我がままを言う。
 けれど。
「俺…か。いや、実はちょっと疲れていてね。すまないが啓介の運転で我慢してくれ」
 宥めるようにそう言われ、もう小さくなくなってしまった拓海は、それ以上のダダを捏ねることも出来ず項垂れた。
「……はい」
「悪いな、拓海」
 小さな子供にするように、涼介は拓海の頭を撫でた。
 その瞬間、袖口から香った匂いに、拓海の全身が凍る。
「…拓海?」
 香水の匂い。
 涼介のではない。
 明らかに、女性の香水の匂いが涼介からした。
 じわ、と涙が滲む。
「な、何でもない。俺、もう眠くなってきたみたい」
 わざとらしく、ふわぁと欠伸をしながら、滲んだ涙を指でさりげなく拭う。
「そうか。じゃあ、啓介、頼むな」
「ああ。じゃ、行くぞ」
「うん。しょうがないなぁ。啓介さんの運転で我慢する」
 俺は上手く嘘が付けているかな?
「言ってろよ。ほら、来い」
「おやすみ、拓海」
「おやすみなさい、涼介さん」
 玄関の扉が閉まった途端、涙がまた滲んだ。
 そんな拓海の頭を、啓介が褒めるように撫でた。
「……良い子良い子」
 バカにしてるのか?悔しくて睨むと、予想に反して、痛そうに顔を歪める啓介がいた。
「…ごめんな。とりあえず、謝っとく」
 拓海は泣き笑いの顔のまま微笑んだ。
「啓介さんのせいじゃねぇもん」
 俺がバカだっただけ。
 言葉にしなかった部分が聞こえたように、啓介の手がまた拓海の頭を撫でた。
 小さな子供のままでいたかった。
 そうしたらこんな痛みも知らずにいたのに。
 今更のように現実を知り、拓海は静かに涙を零した。





2010.1.11


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