「好き」のカタチ
好きと言う気持ちの表し方を拓海は知らない。
昔から感情を表すのが苦手だった。
自分の感情を説明するのも苦手で、決して人付き合いが上手な方ではなかったと自覚している。
以前はそれで良かった。
面倒だ、と投げてしまえば良かったのだから。
でも。
今はそうじゃない。
大好きな人がいる。
そしてその大好きな人が、自分のことを好きだと言ってくれた。
拓海はその言葉に頷いただけで、明確な言葉にして彼に返していない。
そう、…彼。
拓海の性別は男だ。
そして大好きな人も男。
社会的には認められない関係だと自覚している。
けれど想いは止められず、そして向こうも、冷静沈着が常な人であったのに、余裕の無い表情で拓海の腕を強い力で掴み、そして言ったのだ。
『藤原が好きだ』
ぎゅっと、そのまま力強い腕に引き寄せられ、見た目よりもがっしりとした胸の中に抱きしめられた。
『…好きなんだ』
頭上から降ってきたその言葉は、とても苦しそうで、辛そうで、それがいい加減な気持ちなどではない、真剣な胸の奥底の叫びなのだと察せられた。
拓海はその言葉を聞いた瞬間、堪えきれず涙を零した。
彼は自分の胸の中でぼろぼろと涙を零す拓海に気付き、
『…すまない、迷惑だったな…忘れてくれ』
拓海を腕の中から開放し、悲しそうな顔のままでそう言った。
だから、拓海は彼の胸にしがみついたまま首を何度も横に振った。
『…ちがいます…』
うまく回らない口で、何度もそう呟いた。
そして泣き濡れた目で彼を見上げ、驚いた表情の彼としっかり目を合わせた。
『俺だって…俺だって…涼介さんのこと…』
その後の言葉は、彼の唇の中に消えた。
そっと頬に触れてきた長く細い繊細そうな彼の指先。その指が、拓海の顎を捉え引き寄せられるままに激しく唇を重ねた。
唇を重ねるまで、拓海は彼が冷静で落ちついた人だと思っていた。だからキスも、穏やかなものであるのだろうと思い込んでいた。しかしその時のキスは、そんな思い込みを一掃させるほど噛み付くように激しいもので、息も出来ないくらいに口内を舌でむさぼられ、唇の端からこぼれた唾液でさえ彼に舐め取られた。
何もかも吸い尽くされ力の入らない拓海の姿に、やっと彼はいつもの調子を取り戻したらしく、余裕のある表情で、しかし色気のある目で、拓海に向かい笑いかけた。
『好きだよ』
彼は最初から拓海にいつも言葉をくれる。
男女の恋愛のように結婚など形に出来ないからこそ、言葉にして気持ちを表してくれる。
けれど拓海は、いまだに彼…涼介に「好き」の一言さえ言えないでいる。
最初は恥ずかしくて言えなかった。
今はタイミングが掴めず言えない。
拓海は自他共に認める不器用な人間だ。
鈍くもある。
恋愛ごとにも疎く、何もかも涼介が初めてだ。
だからどうしても、物慣れた涼介と比べると出遅れる。いつも彼に先を越されてしまい、拓海はいつも頷くだけで良くなっている。
ちゃんと涼介に言葉にして自分の気持ちを伝えたい。
そう思うのはきっと、自分が涼介から「好きだ」と言われてとても嬉しいし、安心するから。
拓海だって彼を喜ばせたい。そして、自分の中のあふれ出しそうになっている好きだという気持ちを、少しでも分かってもらいたい。
そう思っているのだが、なかなかうまく言うことが出来ない。
拓海は落ち込み枕に顔を沈ませた。
実は彼は今、拓海の隣にいる。
二人、同じベッドに眠り、そして裸であったりするのだが。
こんな関係になって、しばらく経つと言うのに、いつまでたっても自分は不甲斐ない。拓海は「うー」と唸りながらも、昨夜の激しさの欠片すら残さない穏やかな寝顔の涼介の頬にそっと指先で触れながら、小さな声で囁いた。
「涼介さん。大好きですからね」
…起きてる時に言わないと意味ないんだけど。
そう思いながらも、自分の横で子どものように眠る涼介が愛しくて、指先で涼介のサラサラの髪の毛を弄びながら言った。
だが次の瞬間、その指先が、繊細ではあるが力強い指を持つ手のひらに包まれる。
「…知ってる」
パチリ、と涼介の目が開いた。
拓海の好きな理知的な切れ長の瞳が、今は楽しそうに緩められている。そして口元には同様に嬉しそうな微笑。
「…え?」
一瞬、状況が分からず、戸惑う拓海であったが、涼介の言葉の意味と、そして彼が浮かべる表情の意味を、だんだんと理解しはじめてくると、みるみると頬が赤くなり、耳も首も、全身に朱色を広げていった。
「…りょ、涼介さん、お、起きて…?」
彼はフッ、と吐息のような微笑を零し、そして「ああ」と嬉しげに笑った。
羞恥に身悶えそうな拓海ではあったが、これはこれで目的は達成できたことになる。
真っ赤な顔のまま、今すぐ逃げ出したい気持ちを抑えて、拓海はじっと涼介に視線を合わせたまま、必至な気持ちでさらに言った。
「…あ、あの、俺…」
「…うん?」
「さ、さっき言ったの…本当ですから」
一生懸命な拓海の様子に、涼介の顔がますます嬉しげに緩められる。
「ああ。分かってるよ。ありがとう、拓海」
そして拓海のむき出しの肩を撫でながら引き寄せ、抱きしめた。
さらさらとした素肌の感触が心地好い。これが汗ばんでくる感触ももう拓海は覚えている。コロンの無い体臭も、汗の匂いも覚えた。体を這う指がどんな動きをするのか、そして冷静そうな外見とは裏腹にベッドの中の彼が情熱的で意地悪であるのも知っている。
もうすっかり馴染んでしまった涼介の腕の中で、拓海はその胸に頬を摺り寄せた。
「…俺、ずっと言ったことなかったから…言いたくて…」
うっとりと目を閉じながら拓海は言った。涼介の指先が拓海の手をとり指先を絡めた。そしてその手を引き寄せ指に軽くキスをする。
「…ああ。拓海が最近、何か言いたそうにしてるのは分かってたよ。でも、こんな嬉しい言葉だとは思わなかったな…」
「涼介さん、いつも俺に言ってくれてるのに…俺、言えないままだったし…」
フッ、と再び涼介が笑った。
「言ってくれてたよ?」
「え?」
涼介の指が、首筋を辿り、拓海の唇の形をなぞる。そして片方の手は、拓海の腰骨のあたりをさまよっている。
「覚えていないんだろうな…。拓海は夢中になってくると、いつも俺の名前を呼びながら『好き』って言って、ぎゅって抱きついてくるんだよ」
「…うそ…」
「本当。…それがもう、可愛くてね。いつもほどほどとは思っているのに、ついついやり過ぎてしまうんだ。だからいつも言ってただろう?『拓海のせいだ』って」
「…そりゃ…言ってましたけど…え?本当に?」
「本当だって。何なら録音して聞かせようか?」
「え、って、や…涼介さん、どこ触って…」
「拓海のせいだろ?あんなこと言われて、その気にならないほど俺は枯れてないからね」
「…で、でも昨日、あんなに…」
「嫌?」
「…じゃないですけど…でも…」
「拓海」
「…は、はい」
「愛してるよ」
…反則だ。
そんな真剣な顔で、そんな真面目な口調で、そんな事を言わないでほしい。
一瞬で拓海の身体から力が抜けた。
顔が寄せられキスをする。
もう最初の時のような乱暴なキスではない。
徐々に煽るように熱を高めていく優しいけれど濃厚なキス。
腰を摺り寄せるように合わされると、もう拓海の身体はあっけなく涼介の思うとおりにされてゆく。
それが何だか悔しくて、拓海は涼介の鎖骨に噛み付き跡を付け、その歯の跡をぺろりと舌で舐めながら目を合わせこう言った。
「俺だって…愛してますから」
その瞬間、涼介が驚いた顔になり、だがすぐに破顔し、初めての時のような、むさぼるように乱暴なキスをした。
好きと言う気持ちを表すのは良いことだけど、少し時と場所を考えようと、拓海は大好きな人の腕の中で思った。
2005年8月29日