朝も昼も夜も
ふと気が付くと笑っていることが多い。
『珍しいな、高橋がそんなふうに笑うなんて』
人からそう言われ、自分が笑っていることに気付いた。
『最近、いいことでもあったのか?お前この頃楽しそうだよな』
楽しそう…。実際に楽しいのだろう。自然に、笑顔がこぼれるほどに。
『彼女でも出来たか?』
彼女、ではない。
その問いに首を振れば、
『そうか?前よりも、こう…色気みたいなモンが増してるみたいなんだけどな』
『…好きな奴はいるよ』
自分の言葉に、相手が目を丸くしたのにさらに笑いを誘われた。
そうだ。
彼女ではない。
けれど恋人が出来た。
恋人の名前は藤原拓海。
今まで敗北など知らずにいた涼介に初めて勝った人物だ。
それなのに相手は、まるで勝ったという自覚も無く、奢りも無く、謙虚なままで、そして涼介が今まで見たことがないくらいに純粋な、だがごく普通の少年だった。
恥らった顔を可愛いと思い出したのは、いつからだったろうか?
初めてチームに誘った時?いや、もっと前からだったろうか?思い出せないほどに、ずっと前からそう思っていたような気がする。
現在、同じチームに所属し、自分は大学、向こうは仕事となかなか会えないでいるが、だからと言って想いが薄れるだとか、相手を疑うとか気持ちのすれ違いは無い。
もしかしたらこの先、そんな事もあるのかも知れないが、Dの活動の合間、拓海に会うたびに、彼は花がほころぶような笑顔を見せてくる。
その表情は、全身から『会えて嬉しい』と表現している。
あの顔を拓海が見せている間は、涼介は彼に不安を覚えることは無い。
ただ、寂しがらせてはいないか?
それだけが心配ではあったが、先日彼に会った時に涼介がそう問いただした時、彼は首をかしげながら、しばらく考え込んでいる様子ではあったが、すぐに頬が朱色に染まり始め、そして照れくさそうな顔で微笑んだ。
『…俺…変なんです。…寂しいとか、やっぱ思う時はあるんですけど…でもそんな時、涼介さんの声だとか思い出して…、その…腕の感触だとかも…思い出したりして…それで、俺、涼介さんいないのに、何かずっとそばにいるみたいな気がして…だから…あまり寂しいとか、そりゃ思うんですけど、でも…』
『ずっと、そばに?』
『はい。…だから、俺、がんばれるんです。いつも…』
涼介は拓海の身体を腕の中に抱きしめた。
かつて自分が付き合いのあった女性のように柔らかでも華奢でもない身体。少年期を過ぎ、もう男性としか言いようのない体格の拓海。見かけよりも筋肉が付いていることは、服の下を隅々まで見た涼介は知っている。その筋肉がどう動くのかさえも。
涼介は同性愛者ではない。
昔からその手合いにはよく誘われることも、女性の時と同様多かったが、一度もその気になったことも無く、逆に嫌悪感さえ抱いていたはずだった。
それなのに今の自分は同じ性別の彼に心底から惚れ切っている。
はじめは自分の神経を疑ったが、すぐに諦めた。
見るたびに、思い出すたびに、彼を愛おしいと思う。その気持ちは紛れも無く真実であったのだから。
愛おしい気持ちから、すぐに触れたいという気持ちに変わり、そしてそれは強い独占欲にまで成長した。
誰にも触れさせたくない。誰にも渡したくない。誰かと楽しそうに話しているだけで苛立ち胸がざわめく。
現在まで恋愛と呼ばれるものは何度かこなしてきた。だが拓海の時のように、こんな我を忘れる感覚は味わったことが無い。いつも冷静な自分のままで、そして主導権はいつだって自分が握っていた。
なのに拓海の前では、小さな子どもよりもタチが悪い。
微笑みかけられただけで胸が躍る。指先が触れ合っただけで思考が停止し、余裕や冷静さなど全く無い。衝動のままに彼を抱き寄せて、そして自分の欲望のままに行動する。
彼の一挙一動に、自分の全てが支配されている。感情の起伏が激しく、つまらないことで拗ねたり笑ったり、彼と出会う以前の自分ならばあり得ない姿を晒している。
以前の自分ならば、たかが恋などに右往左往する人の姿など一笑していただろう。
だが今の自分ならば……。
「…アニキ、ヤらしい…」
ふと聞こえた言葉に思考を中断された。
声の主は分かっている。何しろ生まれた時からの付き合いだ。
「…笑ってたか?」
「ああ、もう、そりゃスケベったらしい笑いで」
フッ、と涼介は苦笑を漏らした。
啓介の言葉は遠慮がない。直情的ではあるが頭は悪くない弟だ。自分が今、誰を思っていたかなど分かっていての発言だろう。
「思い出し笑いはスケベだっつーけど、アニキのは犯罪っぽいよなー」
「…啓介」
「でも、あいつのは違った意味でヤバかったぜ」
あいつ…。
その言葉が指し示すものは一つだ。涼介の片眉が釣りあがる。
「アニキからも気をつけるように言っとけよ。あいつ、アニキの名前出しただけで、すっげぇ色っぽい顔で笑うしさー。…ありゃ、正直ヤバいと思うぜ」
苛立ちが顔に表れていたのだろう。啓介が面白そうに笑った。
「…怒んなよ。忠告してるだけだぜ、俺は」
「…ああ。分かってる…」
不機嫌をかみ殺し、そう答えた涼介に啓介はさらに笑いを零した。
「…前はアニキ、顔に感情なんて全然出さなかったから、俺にもアニキが何思ってるのかなんて分かんなかったけど、今はすっげぇ分かりやすいな」
「…みっともないか?」
「いんや。俺は今のアニキのほうがいいと思うよ」
にやり、と口に煙草を銜え、啓介は意味ありげに涼介を見つめた。
「一生懸命になるのは、悪いことじゃねぇだろ?」
以前、涼介は啓介にこんな言葉を発したことがあった。
『お前のようにすぐに熱くなれるほど俺は単純には出来ていない。一生懸命になれるほどの何かが俺には無い』
かつて、レッドサンズ時代の頃。連戦連勝の日々の中、激昂しやすく、そのためミスの多い啓介に言った言葉だった。
弟への訓示のようで、自身への自嘲の言葉だった。
奢っていたのだろう。
勝つことが当たり前になりすぎていて、バトルに勝利しても何の達成感も沸かなかった。当初、県外遠征を計画したのは、少しでも自分を奮い立たせればと思ってのことだった。だが今は……。
この弟が。そして拓海が。
彼等がどこまで行けるのが見てみたい。
彼等ならばきっと、自分が到達できなかった世界を見ることが出来るだろう。
そう思いうかべる涼介の脳裏に浮かんだのは、自分を見て、嬉しそうに微笑む拓海の姿。
『…涼介さん』
そして声。
『…俺…変なんです。…寂しいとか、やっぱ思う時はあるんですけど…でもそんな時、
涼介さんの声だとか思い出して…、その…腕の感触だとかも…思い出したりして…
それで、俺、涼介さんいないのに、何かずっとそばにいるみたいな気がして…
だから…あまり寂しいとか、そりゃ思うんですけど、でも…』
『ずっと、そばに?』
『はい。…だから、俺、がんばれるんです。いつも…』
自分の腕の中に、隣に、拓海がいるような気がした。
…俺も、お前と一緒だと言ったら、彼はどんな顔をするだろうか?
考えただけで気持ちがあふれ出しそうになる。
そしてそんな気持ちは、しっかり顔に出ていたらしく、またもや啓介に指摘された。
「アニキ、またヤらしい顔になってる!」
涼介は苦笑しながら立ち上がった。車のキーに手を伸ばし、玄関へ向かう。
「どこ行くんだよ、アニキ」
分かりきっていながら聞く弟に、涼介はこれ以上ないくらいに、幸せそうな笑顔で答えた。
「藤原のところ」
涼介の顔を見た啓介は、虚をつかれたように目を丸くしたが、すぐに破顔し、
「ごちそうさん」
笑った。
『はい。…だから、俺、がんばれるんです。いつも…涼介さんがそばにいるから』
『実際にはいないだろ?』
『…そうだけど、でも…いるんです』
『どこに?』
『俺ん中です』
『………』
『ずっといますよ。朝も昼も夜も』
―――朝も昼も夜も。
―――心の中にはずっと恋人が住んでいる。
2005年8月28日