優しくされるのが怖かった。
伸ばされ、「良い子ね」と髪を撫でる手が怖かった。
愛情を向けられるのが怖かった。
何故そんなに怖かったもか、理由は分からない。
そんな拓海にカウンセリングの医師は、
『トラウマなのだろう』
と告げた。
母を失った後遺症で、愛情を向ける存在が怖くなったのだろうと。
あの頃は、意味がよく分からず腹が立った。
『じゃあ、僕は一生誰も好きになれないんだ』
そう呟くと、それは違うと医師は遮った。
『病気なだけだよ。治療すれば治るものだ』
その言葉に、まだ幼かった拓海は反発した。
だから、あの医師のところには二度と行っていない。
あの頃、何も判らなかった自分の「おかしな」理由。
母親失ったトラウマ、と言う意味。
優しくされるのが怖かった。
好きになって、母親のようにまた失うのが怖いから。
だから、優しい人は嫌いだ。
一生、誰も好きになれないのだろうと漠然と思った。
自分は異常なのだと、自覚し暗い闇を抱え。
寄せられる想いに怯え、擦り寄ってくる腕を避け。
なのに、人を好きになった。
いや、引き寄せられるように、彼の中の闇に惹かれた。
抱える闇に、一目見た瞬間に気付いた。
瞳の中に。
闇が見えたのだ。
揺らぐ炎。
拓海とは正反対の、昏い闇。
優しい人が怖いから、酷い人を好きになった。
酷い事の後の優しさは怖くなかった。
酷い事への贖罪だから。酷くし、優しくされればされるほど嬉しかった。
罪悪感を抱いている限り、この人は自分から離れられないのだと、そう感じて。
拘束は外され、腕の中には涼介の体がある。
小さな傷ばかりの肌の上。
その傷をひとつひとつ、なぞるように指を這わせる。
「…大きいのは無いんですね」
指で辿り、舌で舐める。
「…女の力だからな。それに…あまり目立つ跡を付けてたら、もっと大事になってたさ」
虐待されたのだと、涼介は言った。
実の母親に。
上流家庭と呼ばれる家に、嫁いだあざとい女は理想と現実のギャップに精神の均衡を崩した。
表では良き妻、良き母を演じ、まだ小さく反抗する術を持たなかった我が子へ全ての不満をぶつけた。
習慣のように行われる虐待。
だが、表向きは理想の家庭のため発見が遅れた。
家のことに無関心で省みることのなかった父親が、ふと涼介の腕に付いた痣に気付くまで。
全ては内々に仕舞われた。
母は離縁され、どこかまた新たな犠牲者を見つけ、狡猾にも再婚したのだと人伝に聞いた。
涼介の中に闇を残し。
「…啓介には…良い母親だったんだ」
涼介には不満を注ぎ、啓介には愛情を注いだ。
だから、彼の中に闇は無い。
「何故俺ばかり…と何度も思った。憎らしくて、まだ小さかった啓介の首を絞めたこともある」
だがすぐに母親に見つかり、何度も叩かれ、殴られ、そして風呂場で冷水を浴びせられ、水の中に顔を突っ込まれ窒息させられそうになった。
それから、涼介は全て一切の感情を捨てた。
愛されることも、不満も、憎しみも何もかも。
全てはあの水の中に沈んだ。
それは子供の自衛の手段だったのだろう。感情を無くしてしまえば、悲しさも苦しさも無くなる。
「…俺はあれ以来泣いたことが無いんだ」
拓海の前で泣きながら、涼介は呟いた。抱きしめる拓海の腕に力がこもる。
「いなくなった後も…何度も夢に見た。あの女の顔が消えず、女の匂いを嗅いだだけで吐き気がする」
そして、
「男でも…泣き叫ぶ顔にしか勃たない。酷い目にあって、俺に哀願する姿を見て初めて満足する」
涼介が拓海の手を掴み、指を咬む。
強く咬まれたそこから血が流れ、その血を涼介が舌で舐め取る。
ざらついた舌と、冷たく滑らかなピアスの感触が指の上に残る。
「…俺は歪んでいるんだ。
暴力は連鎖する。あの女から受けた暴力は俺の中に残り、俺もまた暴力でしか感情を表すことができない」
涼介の頬にまた涙が伝う。拓海はそれを指で拭った。
「…駄目なんだ、俺は。…どんなに優しくしたいと思っていても、痛めつけてしまう。だから…」
俺なんて止めておけ、と涼介が吐息のような小さな声で呟いた。
涼介は拓海の「もの」になった。
だから、今度は拓海が涼介の「もの」になる番だ。
「俺ね、涼介さん。おかしいんです」
抱きしめていた腕を離し、涼介の前に回りこむ。
「変態なんですよ」
ベッドに座る彼の前に座り、彼を見上げる。
驚いた表情の涼介に、愛しさが増した。
「俺はずっと願ってた。涼介さんが俺を…痛めつけ、嬲ること」
慣れない手つきで、彼のズボンのファスナーを下ろす。
萎えた欲望を手に取り、大切なものを扱うように握り締めた。
「涼介さんの足元に這い蹲って…ずっとこうしたかった…」
ゆるく、勃ち上がったそこに舌を這わす。
丁寧に、ゆっくりと血管の一本一本を舌でなぞるように舐める。
固くなっていく欲望。その下の袋をやんわりと指で刺激しながら、先の方に吸い付いた。
口の中の苦い味。
美味しいと感じるのは、自分がおかしいからだ、きっと。
うっとりと、涼介の欲望を舐め続ける拓海に、強張っていた涼介の顔にも笑みが戻る。
「…嬲って欲しい…?こんな風にか?」
涼介のを舐めながら、ゆるりと勃ち上がった拓海の欲望を足で踏みつける。
「…ん、ぐぅ……」
痛みに、涙が滲む。
けれど欲望は萎えない。
グリグリと、足の指で刺激するように踏みつけるその動きに、トロリと欲望の先走りが漏れる。
「…フッ、本当に変態なんだな」
拓海の髪を乱暴に掴み、自身の腰に押さえつけるように乱暴に揺する。
咽喉の奥に先端が当たり、えづいて苦しい。
だけど、彼の足に踏まれた欲望からは相変わらず粘液が漏れている。
苦しさで、頭がだんだんぼうっとしてくる。そして残るのは愉悦だけだ。
涼介の欲望が、口の中いっぱいに膨れ上がる。
ブルリ、と彼の腰が震え、咽喉の奥に熱い奔流が放たれる。
「…ぐ、ごほっ…ぅ…」
飲み込めず、咽る。
ドロリと口の中から零れだそうとする粘液に、涼介の叱責が飛んだ。
「零すな、飲め」
彼の言葉は絶対。
だから必死に飲み込んだ。
「…ぅ、ぐ…ぅん」
ゴクリと飲み込み、溢れ出た粘液も舌や指で拭い舐め取る。
ふん、と涼介がそんな拓海を鼻で嘲笑う。
「…足が汚れた。舐めろ」
拓海を踏みつけていた足が、今度は這い蹲る拓海の顔を踏む。
ぬるりとした感触。そして今の自分に、拓海の愉悦は深まる。
足を掴み、指の一本一本に舌を這わせ、舐める。
「…お前は…誰の『もの』だ?」
高みから見下ろし、涼介が囁く。
足を舐めながら、拓海は涼介を見上げ、そして微笑んだ。
「俺は…涼介さんの『もの』です」
その答えに、満足そうに涼介は微笑み、そして拓海の顎を掴み、キスをした。
幸せだった。
たとえ、世間一般とは違う「幸せ」の形でも。
「…なら…俺のものだという印が必要だよな?」
酷薄な笑み。
支配者の笑み。
けだものの笑み。
そんな涼介が好きだった。
そんな涼介を愛していた。
ずっと。
これからも。
だから拓海は頷いた。
「はい」
答えは、涼介の手の中で煌く細く長い針を見つけても変わらない。
笑顔のまま、這い蹲ったまま再度答える。
「はい。涼介さん。俺はあなたの『もの』です」