ぱんだと王子さま
act.5
ふと顔をあげると幸せそうな涼介が拓海をじっと見つめています。
それにドキリと心臓が跳ねた拓海は、けれど目を逸らすことができず、そのまま惹かれあうようにお互いの吐息が感じられるまでに二人の顔が近付き、そして震える唇に互いのそれが重なりました。
姿形が違う者同士のキス。ぴったり、重なり合うようにとはならないキスですが、それでも二人は満足でした。
恥ずかしそうに顔を離し、お互いの目の中に相手の姿を映し微笑みあう。
そんな幸福に、温泉に浸かったままで酔いしれていた時、拓海の体に変化が起こり始めました。
「…拓海?」
急に苦しそうに顔を歪めた拓海に、涼介はいぶかしげに声をかけます。
「りょ、涼介さん…苦しい…」
「拓海?!」
涼介はびっくりして、慌てて拓海の体を湯ぶねから持ち上げようとしたその瞬間です。
涼介が掴んだ拓海の肩の、毛皮がするりと抜け落ちました。
「拓海!」
拓海の体からボロボロと、薄皮が剥がれるように毛皮が抜けていきます。涼介は慌てました。そしてその体をしっかりと抱き締めて、なすすべも無くぎゅっと目を閉じました。
目を閉じた感覚の中でも、腕の中の拓海の毛皮がどんどん抜け落ち、ふかふかだった手触りが華奢でツルリとした感触になっていくのを涼介は感じていました。
全てはあっと言う間の出来事でした。
拓海の呻き声が止み、おそるおそる目を開けた涼介はけれどそこに信じられないものを見つけました。
自分の腕の中の、薄桃色の肌の少年の姿です。
見下ろす視線の先の、ふわふわの色素の薄い茶色の髪。それがゆらめいて、少年の顔が持ち上がります。
「涼介さん…俺…」
少年の声はあの拓海のものでした。小作りな顔の中の愛らしい唇が動き、彼の声を発します。そして涼介を見上げる、潤んだ大きな茶色の瞳。
それを見た瞬間に涼介は気付きました。その瞳が、あの拓海と同じことに。
「拓海…なのか?」
こくり、と拓海が頷きます。
「…お、俺、何か変な感じ…涼介さん、俺、どうしたんですか?」
涼介は無言で、拓海の手を握り彼の目の前にかざしました。
拓海はそこに現れた人間の手にびっくりしました。そして慌てて自分の体を見つめ、毛皮じゃなく人間の体に自分に、信じられないとパチパチと瞬きを繰り返します。
「お、俺…人間になったんですか?」
「そう…みたいだな…」
さすがに何事にも動じない涼介も、目の前の事態には驚き呆然としてしまいました。そして拓海は、そんな涼介の反応に悲しい想像をして睫毛を伏せました。
「…涼介さん、変わっちゃった俺…嫌ですか?」
「え?」
「涼介さん、俺がパンダだったから…だから…」
ウルウルと涙を滲ませ泣き始めた拓海に、涼介はパンダの時よりも抜き差しなら無い感情が湧いてくるのを感じていました。
それは…性欲です。
考えてもみてください。
自分の目の前に裸の少年。そしてそれは、自分が恋焦がれた相手なのですから。
欲情しないはずがないではないですか!
けれど、涼介は狡猾なので、そんな感情を包み隠しにっこりと拓海に安心させるようい微笑みました。
「馬鹿だな。言っただろう?パンダだろうが、人間だろうが、俺は拓海が拓海だから好きなんだって」
「…じゃ、今でも好き?」
不安そうな拓海に、涼介の欲は強くなります。頭からバリバリ食べたいと思うほどに。
「勿論だ。変わるはずがないだろう?」
…むしろ、やりやすくなって好都合?
「涼介さん…」
腕の中の少年は、見ればみるほど涼介の好みです。パンダの時と同じ手触りのふわふわの髪。滑らかな肌に、抱き心地の良い体格。そしてパンダだった時と変わらない、誘うような愛らしい潤んだ瞳に、パンダの時にはなかった清純さを裏切る官能的な唇。
涼介は生まれて初めて神様に感謝しました。
「愛してるよ」
これは紛れもなく涼介の本音です。ただし下心満載ではありますが。
それに気付かず頬を染め、嬉しそうに微笑む拓海は、まさに涼介にとって最高の据え膳。
「お、俺も……愛…してます…」
この瞬間、涼介の理性が焼ききれたとしても誰も責められないでしょう。
いきなり押し倒され、濃厚な愛の行為を仕掛けられてしまった拓海は、もちろんびっくり仰天。
「りょ、涼介さん!や、止めてください!」
「無理だ。我慢しすぎて死にそうだ」
「…し、死に…ハッ!そうだ、涼介さん、病気じゃ…ダメです、安静にしてないと!」
「病気?ああ、確かに病気だったな。だが、原因は恋の病。お前が去ったことで俺は悲しみのあまり寝込んでしまっただけだ。だからそれの治療法はつまり…拓海お前だ」
「は、はぁ?」
「だから俺を拒まないでくれ」
恋とは身勝手なものです。ましてや涼介は性質が天上天下唯我独尊な人でありますから尚更です。
いきなり人間になっただけでも驚きなのに、パンダだった時には考えもつかなかった濃厚な愛の仕儀。拓海はひたすら「わー!」「ぎゃー!」「ど、どこ触ってるんですかー!!」としか叫べませんでした。
とは言えそこは山奥の静かな秘湯。
静寂を切り裂く少年の叫び声に誰も気付かないはずもありません。
温泉の中でバシャバシャと攻防を繰り返す恋人たちを邪魔するドタドタと言う足音。そしてガラッと勢いよく扉が開かれ、案の定、啓介と史裕の二人が駆けつけてきました。
「どうした、アニキ!」
「何事だ、涼介!」
ですがまさか駆けつけた二人も、あの衰弱していた涼介が全裸の少年を押し倒し、いかがわしい行為に耽ろうとしている瞬間を目撃するとは思ってもみなかったでしょう。
そしてさらに、その魅惑的な少年に、
「た、助けて、啓介さん!史裕さん!」
と助けを求められるとは思ってもみませんでした。
「え、ええ?あ、アニキ?!……と…誰?」
啓介たちは、とうとう錯乱した涼介が見ず知らずのイタイケな少年を押し倒し不埒な真似に走ったと思いました。
涼介はチッと舌打ちしながら、二人に向けて悪魔の顔を見せました。
「……安心しろ、啓介、史裕。これは拓海だ」
言われてみてみれば、湯ぶねにプカプカと浮かぶ毛皮の残骸。さらに縋る潤んだ少年の瞳に、あのパンダの眼差しを見つけ、彼らは納得しました。…いえ、正確には納得したのではありません。
『たとえあれが藤原じゃなくても、アニキ(涼介)が満足なんだったら触る神に祟りナシだな』
そう思ったのでした。
なので拓海の助けを求める声は哀れ山の谺に。
「…あ、そうなんだ。出会えて良かったな。じゃ、お幸せに〜」
「ああ。俺たちは結婚することに決めたから」
もちろん男同士と言うことはスルーです。何しろ「俺が法律」なのですから。
「…そうか。じゃ、手続きはこっちのほうでしておくよ」
「そうしてくれ。あと…これから俺たちは新婚旅行だ。分かってるな?」
…ええ。十分に。
二人はニコニコと乾いた笑いと冷や汗をいっぱいに浮かべ、カラカラと扉を閉めていきました。
その扉の隙間から、
「け、啓介さん?史裕さん?!薄情モノ〜!!」
と言う拓海の叫びが聞こえたような気がしましたが、彼らは涼介の恐ろしさをよく知っているのです。
そしてピシャリと閉めてしまった扉の向こうで、拓海は涼介とめでたく結ばれました。
それから一週間後。濃密な新婚旅行を終えた彼らは、順番は逆ですが晴れて結婚式をあげました。
元パンダで男の花嫁ではありますが、可愛らしい花嫁に、国中のみんなが祝福しました。
文句を言うものは、某貴族のお嬢様たちのように国外追放になりました。
「一生一緒にいような、拓海」
「…………はい」
その誓いの言葉通り、常に手を繋ぎ一緒にいる仲睦まじい二人の姿はずっと未来まで見られました。
今でも、峠の山道では、涼介から結婚の贈り物であるパンダカラーの車と、涼介の白い車が仲良く二台で、ごぉぉ、ぐわっ、と走っている姿が見られるそうです。
それを見るたびに、人々はあの愛らしいパンダの花嫁様を思い、ほわっと綻び、そして恐ろしい旦那様を思い出し、ぞわっと悪寒が走るそうです。
そして人々は…特に特に、黄色いカラーの王族の方と、いつも胃の辺りを押さえている宰相の方々は願いました。
『どうかあのアニキ(涼介)に嫌気がさして、藤原がもう逃げませんように…』
けれどそんな願いも取り越し苦労。
唯我独尊のお方の望み通り、二人はずっといつまでも幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。
2006.5.1
※オマケあります(R18)