黒王子と白ぱんだ

啓介の受難


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 麗らかな春の陽射しを浴びながら、啓介はゆったりと午睡を楽しんでいました。
 毎日毎晩。王弟殿下であらせられる啓介は、夜遊びばかりで今のこの時間はとても眠いのです。
 ましてやこんな天気の良い春の日。眠くないはずがありません。
 ぽかぽかの布団の上で、惰眠を貪る猫のように眠る啓介。彼はとても幸せでした。
 …この瞬間までは。
「…啓介さん。啓介さん、起きてください」
 ゆらゆら、眠る自分を揺り動かす声がします。
 うっすらと目を開けますと、自分の顔を覗き込む、愛らしい少年が啓介の前にいました。
『…あ〜?誰だ、これ?でも、何かすっげぇエロカワイイ…って…』
 ぼんやりした頭のまま、目の前の少年にニヤついてしまった啓介。ですが彼はすぐに気が付きました。
「…って、藤原?!」
 そうです。啓介を起こしていたのは、彼の兄である涼介のお嫁さんの拓海でした。
 ガバっと啓介は起き上がり、そして警戒の眼差しで周囲をキョロキョロ見回しました。
「啓介さん?」
「…あ、アニキは?」
 そうです。今では拓海と言えば涼介。拓海の傍にはいつも涼介はいるのです。
「涼介さんですか?えっと、隣の国の王様に会いに行くって出かけてますけど…」
 啓介はその返事を聞いて、ほっと溜息をつきました。
 なぜなら彼の兄である涼介は、自分のお嫁さんが他の男といるだけで、問答無用にその相手を奈落へ落としめようとするのです。
「隣の国…ってことは、じゃ、須藤か…」
 けれど啓介は、頭の中に拓海の言葉を反芻させて、「恐ろしい…」とある一人の男の不幸を哀れみました。啓介は、涼介が隣の国の王様である京一に何をしに行ったのかを知っているからです。
「啓介さん、啓介さん。それより俺、聞きたいことがあるんです。涼介さんと一緒だと聞けなくって…」
 パンダだった時のままの愛らしさを残す兄嫁に、啓介は顔を緩ませながら頷きました。
「おう、何だ?」
 啓介は笑顔で答えました。兄嫁とは言っても、拓海は啓介より3つも年下です。お兄さんになったつもりで、どんと胸を張ってそう答えたのですが、啓介は拓海を侮っていたのです。
 彼は、どんなに愛らしくても、あの涼介と互角に渡り合える生涯の伴侶なのです。
「おなにーっていつするんですか?」
「…………(ガタン、ゴチ、ドスン)…はい??」
 びっくりして啓介はベッドから転げ落ちてしまいました。
「涼介さんが、人間の男は、みんなおなにーをするんだって言ってました。啓介さんもするんですよね?」
「お、オナニーって、あの…オナニーか?」
 落ち着こうと思い、啓介はベッドの傍においてある水差しの水を飲みました。
「はい。え〜と、自分で『せいき』を擦って『せーえき』を出すおなにーです」
「ブホォッ…!!」
 でも拓海の言葉で、水は全部ベッドの上に雨のように降りました。
「…あの…俺、変なこと言ってますか?」
 そんな啓介の反応に拓海はべそをかきました。何しろ拓海はパンダから人間になったばかり。自分では普通のことをしているつもりですが、やはりおかなしなことがあるのだろうかと、ずっとおっかなく思っているのです。
「…へ、変って言うか…それは…アニキが教えたんだよな?」
「はい。涼介さんが丁寧に教えてくれました」
 啓介は涼介と生まれた時からのお付き合いなので、すぐに分かりました。何も知らない拓海に、涼介が少々外れた性教育をしてしまっていることに。
「い、意味は分かった。けど…何でいきなりそんな事聞いてきたんだ?」
 …オナニーをしているのか?その答えにはもちろんYESです。ですが人間、答えにくいこともあるのです。なので啓介はこんな時の人間の常套手段、「ごまかす」と言うことをしました。
 そしてそんな駆け引きには疎い拓海は、啓介の思惑通りごまかされてくれました。
 けれどそれはあまり啓介にとって救いにはならなかったようです。
「だって、毎日涼介さんが『あいぶ』してくれるから、おなにーってしないじゃないですか。本当はああいうのって、どんな時にするのかな?って不思議に思ったんです。必要ないですよね?」
『…分かってたけど、やっぱりこいつら毎日してたか…』
 啓介はエフン、オホンと咳払いをしました。
 そして真面目に答えていいものかと悩んでしまいましたが、真剣な拓海の様子に、諦めて真面目に答えることにしました。
「…そりゃお前…触ってくれる相手がいない奴とか、ずっとシテなくて溜まった時とか、色々だよ」
「…溜まる?って何ですか?」
「溜まるってのは…あー…あ、そうそう、せーえきだよ」
「…せーえき…溜まるんですか?」
「ああ。ずっと出してないとな、ここらへんが重くなったみたいになるんだよ」
「…重くなるんですか…大変ですね…」
「ああ。だから定期的に出してやんねーとな」
「じゃ、啓介さんも定期的に出してるんですか?」
「ああ……って、ハッ!何頷いてんだ、俺?!」
 啓介の同様も知らず、拓海は何やら考え込んでいます。
 何だか啓介は嫌な予感がしてきました。そしてそれは当たっているのです。
「啓介さん」
「……ナンデスカ」
「……じゃ、おなにーしない俺って…やっぱり人間の男じゃないんですか?」
 一転、悲しそうな拓海の表情に、啓介はぽかんと口を開けてしまいました。
「は?」
「だって、涼介さんが人間の男ならみんなしてるって、なのに俺、してないし…やっぱ昔パンダだったから、俺、おかしいんだ…」
『…いや、確かにおかしいけど…それの大半の責任はアニキにあるかと…』
 啓介はとても困ってしまいました。元々彼は頭よりも先に体が動いてしまうタイプなので、こんなデリケートな問題には弱いのです。
 そして困ったあげくに、たいてい彼はこんな場合「墓穴」というものを掘ってしまうのが常ですが、当然のごとく今回もそうでした。
「…じゃ、じゃあ、今すればいいじゃん」
「え?」
「アニキがいるからオナニー出来ないんだろ?だったら、今はいないんだし、今すればいいじゃねぇか」
 啓介の言葉に、拓海の顔がぱあっと明るくなりました。
「あ、そっか」
「…そうだよ。そうなんだよ…(やれやれ、これで何とか助かった…)」
 ですがまだまだです。
「あ……でも啓介さん、おなにーってどうやればいいんですか?」
「ああ、おなにーな、オナニー…って、ハァ??」
「だって、いっつも涼介さんがしてくれるから、俺どうやればいいのか分かんないですよ」
「分かんないって…あ、そうだ、アニキがお前にしてやる通りに自分でやればいいじゃねぇか」
「涼介さんがしてくれる通り…って、無理です!」
「何でだ!」
 怒鳴る拓海に、思わず啓介も怒鳴り返します。その心中は「もう勘弁してくれ」と言う気持ちでいっぱいでした。
「だって、自分で自分の乳首なんて舐められないじゃないですか!」
「………」
「それに、『せいき』も舐められないし!」
「……(なぜ舐めるの限定だ!)」
「何より、お尻の穴に何入れればいいんですか!涼介さんのおっきいのじゃないと、奥まで届かないんですよ?!指だと物足りません!」
「………」
 啓介はとても悲しくなってしまいました。
 何が楽しくて、人さまのヒメゴトをあからさまに聞かなければならないのでしょう?けれど、啓介の不幸はこれだけでは終わりませんでした。
「……ずいぶん楽しそうな話をしているじゃないか」
 涙目で項垂れる啓介の耳に、悪魔の声が響きました。
「あ、涼介さん?」
「…あ、アニ…キ?」
 啓介は自分の身の不運を嘆きました。拓海と二人で部屋にいることを見咎められただけでも最悪なのに、彼としていた会話はとても不穏なものです。啓介は破滅の予感に身を震わせました。
「…啓介」
「…はい…」
 これからどんな恐ろしい目にあうのでしょう?啓介は恐ろしさにブルブル震えました。
 ですが、
「…今回だけは許してやる」
「えっ?」
 あの傍若無人な兄が寛大なことを言いました。天変地異が起こったのかと啓介はびっくりしました。
「だが二度目はないぞ?」
 今までの涼介に、二度目などと言うまどろっこしい言葉自体ありませんでした。啓介は泣きながら心の中で「神様ありがとう!」と何度も何度も呟きました。そして「もう二度と藤原の半径1メートル以内に近寄りません」と誓いました。
 そしてそんな敬虔な気持ちの啓介とは裏腹に、羞恥心というものをあまり持ち合わせていない二人は啓介の部屋で自分たちの世界を繰り広げ始めました。
「…拓海がそんな事を気にしていたなんて…悪かった。悪い夫だったな」
「そんな、涼介さんのせいじゃないです。俺が…変だから…」
「拓海は変じゃないさ。啓介も言ってただろう?オナニーは精液が溜まったらするんだって。けれど拓海は溜まったことがないだろう?全部俺が絞っているんだから」
「…絞る?」
 涼介の言葉に不思議そうに首をかしげた拓海ではありましたが、すぐに思いつき、何とも卑猥な手つきをしました。…いわゆるお股の乳搾りの手つきです。
「…これですか?」
「ああ、それだ」
 啓介はそんな拓海の手つきを見て、ちょっとだけ股間が熱くなってしまいました。そして実際にそれを体験したことのある涼介はなおさらでしょう。目つきがかなり怪しくなっています。
 ですが拓海は気付きません。
「…そっか…だから俺、せーえきが溜まらないんだ…」
 なるほど、と頷いた後に、ちょっと拗ねた顔で涼介を見上げます。
「…でも涼介さん、俺、やっぱりおなにー覚えたいです。普通の人みたく、おなにーしてみたいです」
「…そうか。そんなに言うのなら拓海、俺に任せろ。この俺が丁寧に教えてやろう」
「え?…でも、涼介さんに触られたら『あいぶ』になっちゃう…」
「いや、俺は触らないよ。見ているだけだ。俺の目の前で、ここを…」
「や、やぁ、…ん」
「指で弄ったり…」
「あぁ、…ん」
「指でここを擦ったりするんだよ。出来るだろう?」
「…そ、それは出来ますけど…でもそれだったら、お尻は出来ないじゃないですか?どうすればいいんですか?」
 指だと足りない、と泣きべそをかく拓海に、涼介はにっこりと微笑み懐からあるものを取り出しました。
「…こんな事もあろうかと、用意したんだ」
 そして拓海の目の前に現れたのは、男性器を模した張り方。黒漆塗りの堂々としたお姿のそれでした。
「…これ…涼介さんのと同じ形…?」
「すごいだろう?拓海のために特注で作ったんだ」
「…これだと…お尻…いっぱい出来るかも…」
「ああ。これはオナニー用の俺の代替品、名付けて『旦那サマックス』だ。これで思い切りココを突けるだろう?」
「…はい。ありがとうございます、涼介さん」
「じゃ、早速、オナニーの練習をしようか?」
「…はい」
「ここでは何だから、俺たちの寝室へ行こうか?」
「…涼介さんのお部屋じゃダメですか?」
「俺の?…執務室ことか?だがあそこは史裕が今…」
「前にあそこでしたの…すごいドキドキしたから…忘れられなくて…」
「今すぐ追い出す!さあ、行こう、拓海!」
「…あ、やだ、涼介さん、抱っこしないで下さい、恥ずかしい…」
「フフフ、だが拓海は恥ずかしい方が気持ちいいんだろう?」
「…ダメ、涼介さん、言わないで…」
 啓介は思いました。
『…何でもいいからお前らさっさと出て行きやがれ!』
 そしてやっと自分の部屋から出て行った二人を見ながら、啓介はしみじみと思いました。
 拓海がパンダであった時は、とても平和であったのだと。
 そして遥か廊下の奥にある涼介の執務室で、今の啓介と同じ目にあった史裕もまた、同じことを思うのでした。
 啓介は、涼介と結婚した拓海を大変でかわいそうだなと思っていました。
 けれど今日、それが間違いであることを知りました。
 そんな拓海に贈る啓介と史裕の言葉はこの一文のみ。
『割れ鍋に綴じ蓋』
 世の中は廻り回って、同じものにぴったりと重なり合うように作られているんだなと、二人は重い溜息をつきました。
 一部幸せ、一部災難。
 幸せで終わる舞台の中身も、裏を返せばこんなものです。
 けれど、それでもお話の最後はいつもこの言葉。
 二人はいつまでも幸せに暮らしましたとさ。
 めでたしめでたし。




2006.5.5

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