ぱんだと王子さま

act.3


 涼介はとても疲れていました。
 政務とは言え調停が思ったより長引いたのと、調停に訪れた相手方の人物がとても気に食わなかったからです。
 相手の名前は京一と言い隣国の王様でした。彼は若くして王様になったせいか、傲慢なところもあり、自らを「皇帝」と呼ばせて涼介を失笑させた事のある人でした。
 涼介はそれほど京一のことを気にかけていないのですが、京一のほうは涼介と年齢が近いこともあり、以前から何かと張り合ってくることが多く、とても鬱陶しい人物だという認識の上、今回、何かと難癖を付けてきて、調停を混乱させたあげく、和解の条項に彼の妹との婚約を盛り込んできたのです。
 涼介は、お世辞にも顔が良いとは言いがたい京一の強面の顔を見た後に、どうしてそんな、彼にそっくりと噂の妹と婚約せねばならないのだろうと苛立ちを覚えました。涼介は好みにはうるさいのです。
 ですから何だかんだと、押し問答のようなやり取りを繰り返し、そしてやっと双方が納得する形で和解調停は成立しました。
 その間、涼介はずっとパンダの拓海のことばかりを考えてしました。
 自分が去るときに、涙を堪えながら自分を見送った拓海。
 その愛らしさと、あの腕の中に包んだときのふかふかした感触を思い出すと、苛立ちも疲れも吹き飛ぶような気がしました。
 そんな苦痛の日々を乗り越え、やっと家路へつくことが出来た涼介は、逸る心を押さえ、車を飛ばしました。
 そしてやっと着いた懐かしい気持ちさえするお城。涼介はすぐさま拓海の名前を呼びました。
「拓海、拓海?いないのか?今帰ったよ?」
 早く拓海の喜ぶ顔が見たい。そしてあの声で、「お帰りなさい、涼介さん」と言ってほしい。
 涼介はそれだけを思っていました。
 ですが、どれだけ呼んでも拓海は出てきません。
 しかも出迎えに出てきてくれた人々は、皆、青ざめた顔で視線を逸らしています。
 涼介はすぐにピンときました。
 だから、
「史裕…」
「…は、はい…」
「何があった…」
「………」
 地獄の底から響くような、恐ろしい声で涼介は史裕に詰め寄りました。
 あまりの恐ろしさに史裕は、もう顔色が真っ白です。
 ぱくぱくと口を開けたまま、答えれないでいる史裕に見切りをつけて、涼介は今度は啓介に視線を合わせました。
「啓介」
「……はい」
「いったい何があった。拓海はどこだ?」
 ここで答えないと、恐ろしいことが起こるんだろうな、と啓介たちは思いました。
 なので震える声で、彼は拓海がいなくなってしまったことを涼介に告げました。
 その瞬間、お城中の人々は、そこに悪魔が出現したのを見ました。
 どんな想像逞しい画家でも、思いつけないほど恐ろしく凶悪な悪魔の姿です。一瞬で涼介はそれに変化してしまいました。
 そして悪魔な涼介は言いました。
「どんな手を使ってでも、拓海を探し出せ!もし見つからなかった場合は…分かっているだろうな…」
 拓海がいた頃は春のようだったお城の中に、涙さえ凍らせてしまうような凍て付く冬の時代がやってきました。
 そしてすぐ国中に、
『パンダを見つけた者にはどんな褒美でも望むだけ与える』
 と言う立て札が立てられ、さらに啓介たちも捜索に当たったのですが、拓海はどこにも見つかりません。
 見つかるのは、背中にファスナーや縫い跡の残る、手触りのよくないパンダもどきと、何を勘違いしたのかパンダカラーの猫や犬。そんなものばかりでした。
 そうするうちに、一ヶ月が経ち、二ヶ月が経ち、とうとう三ヶ月目。
 そうなってくると、涼介の最初の怒りは治まってきて、湧いてきたのは悲しみの心です。
 どうも経緯を鑑みると、拓海は自発的に自分から出ていってしまったようなのです。その事実は拓海を溺愛していた涼介を傷つけました。
『…拓海は俺に嫌気が差して出ていってしまったんだろうか…』
 そう思うと、悲しくて胸が張り裂けそうになりました。
 そしてとうとう傷心の涼介は、心痛のあまり寝込んでしまいました。
 涼介は拓海がいなくなって、どれだけ拓海の存在に救われていたのかを実感しました。
 あの笑顔。柔らかな声。いつも自分のことより他人を気遣い、優しさを忘れないあの純粋な心。
 涼介は気付きました。
 自分は拓海がいないと生きていけないことに。
 涼介はあの秋名湖で、初めて会ったその日から、恋が芽生えることもある…という一部では有名なフレーズそのままに、拓海に一目惚れをしていたのでした。
 けれど、今さら自覚しても拓海はいません。
「拓海……」
 いつも傲慢で、他人のことなどどうでも良いと考えるような涼介が生まれて初めて、「後悔」と言う気持ちがどんなものかを知りました。
「拓海に…会いたい…」
 常に自分の力で何もかもを切り開いてきた涼介は、「希望」とか「願い」などのあやふやな感情を持っていませんでした。けれど、今彼の口から零れるのはそんな言葉ばかり。
 涼介は涙を零し、ただひたすら拓海を求め続けました。



 一方の拓海は、ふるさとの渋川ではなく人里離れた山奥にいました。
 そこで炭焼きをして過ごしているのです。
 薪を集め、燻し、出た煙と煤で白黒だった毛皮はもう真っ黒です。
 三ヶ月前、お城を飛び出した拓海は、家に帰ることもできず、かつて色々親切にしてくれた先輩である池谷を頼りました。
 彼は、山奥の秘湯の跡取り娘のところにお婿入りしているのです。
 ここならきっと見つからない。
 そう思い、拓海は池谷と彼の奥さんである真子に頭を下げ、「働かせてください」とお願いしました。
 二人とも、山奥に住んでいるため世間の噂には疎かったので、拓海が国の王子さまである涼介に溺愛されていることも、またその涼介が拓海を探すために出したお触れも知りませんでした。
 彼らは、人と見た目の違う拓海が騒がれるのは嫌でここにやって来たんだろうと思いました。なので快く頷き、そして拓海に、秘湯からさらに山を登ったところにある炭焼き小屋を任せたのでした。
 拓海は、出来上がった炭を背中にしょって池谷たちのいる宿まで下ります。
 炭焼きの仕事も大変でしたが、こうやって出来上がったものを運ぶのも一苦労です。
 本当は池谷たちは拓海に、もっと簡単な仕事を任せるつもりでいました。けれど拓海が固辞したのです。
『もっと忙しくて、大変な仕事がいい』
 そう、拓海は心配そうな顔の二人に告げました。忙しくて、大変にしていたらきっとすぐに涼介のことを忘れてしまえるに違いない。そう思ったのです。
 けれど、それは間違いであると拓海は三ヶ月かけて知りました。
 どんなに忙しくしていても、思い出すのは涼介のことばかり。
 夜、どんなに疲れて眠りたいと思っていても、ふと傍らにあの涼介の温もりがないことが寂しくてなかなか寝付けません。そしてやっと眠れても夢の中では涼介が現れます。
 そのたびに拓海は泣いて泣いて、けれどどうすることも出来ず、ただやみくもに枯れるまで泣き続けるだけでした。
 今日も拓海は涼介の夢を見て泣きながら眼が覚めました。なので体調はあまり良くありませんが、そんな事には構わず拓海は重い荷物を抱えながら山道を下りました。寝不足な体に、重たい荷物がずっしりとのしかかります。この道をもっと楽に下れたらな…。そう溜息をつくと、連想し思い出すまた涼介のことばかり。
 あの白い車を華麗に乗りこなす涼介は、こんな険しい山道もあの白い車で、ぎゃぅん、ごおっぉ、っと走り抜けていくのです。拓海はいつも運転する彼の隣に座らされ、それをワクワクしながら見ていました。
『拓海にも車を作ってあげよう。そうだな…拓海のカラーに合わせて、白と黒のパンダカラーの車にしようか?』
 さらにこんな事まで言い出し、拓海を恐縮させました。車は、王族しか乗ることが出来ない特別な乗り物なのです。ちなみに、啓介も車を持っています。色は、もちろん黄色です。
『そ、そんな俺なんかに車なんて…もったいない』
 恐れおおいと俯く拓海を、涼介は顎を掴んで持ち上げました。そして万人を魅了する笑顔でにっこり、微笑みました。
『俺が拓海にあげたいんだよ。それとも、迷惑か?』
 拓海はそんな涼介の気持ちが嬉しくてふるふると首を横に降りました。
『…ありがとうございます。涼介さん』
 そう涙目でお礼を言うと、涼介も嬉しそうに笑って拓海をぎゅっと抱き締めてくれました。
『…一緒に二人で走ろうな』
 楽しみだ、と涼介の囁き声を拓海は思い出し、切ない溜息を零しました。
 結局、あれからすぐ涼介は出かけてしまい、そして拓海は彼の帰りを待たずに城出をしてしまいました。
 拓海は、涼介の傍を離れたことに後悔はありません。けれど、どんなに傷付いても、涼介に迷惑をかけても、彼の傍にいたかったなと、ほんの少しだけ思うのです。
「…もう一回だけ…涼介さんに会いたいな…」
 重たい荷物をよいしょと抱えなおしながら、拓海はぼそりと呟きました。
 あまり何かを望んだことのない拓海の、それが唯一の願い。
 そしてその願いは、そう間を置かず叶えられました。



2006.4.29

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