ぱんだと王子さま

act.2


 王宮で暮らすことになったパンダの拓海は、いきなり典型的庶民の古い佇まいの家から、最新設備の整った、迷子になってしまいそうなほどの広いハイテク御殿での生活に、もちろんすぐには慣れませんでした。
 いつもおどおど、こわごわ。そんなおっかなびっくりの拓海の様子は、王宮にお勤めの人々。また王室関係者まで、みんなの心をほわほわさせました。
「…ああ、やっぱパンダってすっげぇかわいいなぁ、史裕…」
「…そうだな、啓介…こう、心が癒されるって言うのかな…」
 でも彼等はそんな愛らしい拓海を眺めることは許されているのですが、触れることはおろか一メートル以内に接近禁止でもありました。
 その理由。
 それは王子の涼介です。
 彼は拓海を自分のお側仕えにして、片時も離さないのです。
 そして拓海に不用意に近付く者がいたら、涼介は凍て付く氷の眼差しで相手を再起不能にまで精神的に痛めつけてくるのです。
 王宮に住んでいる人々はみんな知っています。涼介を怒らせると、どれだけ恐ろしいのかを。
 だからパンダな拓海には近付けません。
 でも拓海はみんなに避けられている理由を、
『俺、やっぱ変だからかな…涼介さんは優しいから、何も言わないけど、本当は邪魔とか思われてるのかな…』
 と思い込み、こっそり悲しんでいました。
 以前のように誰からもベタベタされないのはとても楽なのですが、誰とも触れ合えないのも寂しいものです。だんだん拓海は悲しい顔をするようになって来ました。
 そんな拓海の変化に、涼介が気付かないはずがありません。
 涼介は拓海のふかふかの手を取って、心配そうに顔を覗き込みました。
「どうした、拓海。何か悲しいことでもある?」
 もし王宮の誰かが拓海にそんな顔をさせているのだとしたら、涼介はすぐさまそいつへの復讐を果たしたでしょう。でも拓海はふるふると顔を横に振りました。
「そう?でも悲しい顔をしている」
「涼介さん…」
 心配そうな涼介の様子に、拓海は言ってもいいのかな、と思いました。
 そしてとうとう心の内を吐き出してしまいました。
「涼介さん。俺…寂しい」
 その答えに涼介は意表をつかれたようでした。目をまん丸に開けて、けれどすぐに破顔し、拓海の体をぎゅうっと抱きしめました。
「拓海がそんな想いをしていただなんて…すまない。俺が悪かった。これからはずっと、いつでもどこでも一緒だよ!」
 そう言って、涼介は拓海の手を握り締めて離さないようになりました。
 果てには政務中にも関わらず、ずっと拓海を膝の上に乗せ頭を撫でたり頬ずりしたりしていました。
 拓海は、そんな涼介の行動に「意味が違うんだけどな…」と思いながらも、涼介にそうされるのは胸がドキドキして恥ずかしいのですが、とても嬉しいことだったので黙っていました。
 それに、そんなふうにされるようになって、何故か拓海は涼介の周りの人々から涙を流して感謝されることが多くなりました。
「お前のおかげでアニキがすげー機嫌いいんだよ。ありがとな」
「藤原のおかげで涼介に話が通しやすくなったよ。以前は気の向かない仕事だったりしたら、すぐに不機嫌になってやりにくかったからなぁ」
 拓海は自分は何もできないけれど、どうやら涼介のためになっているようだと安心しました。
 でも。
「さぁ、拓海。もう寝ようか」
 毎晩涼介と同じベッドで、抱き枕のように眠るのは恥ずかしすぎてちょっとイヤだなと思いました。


 そんな好意的にお城に迎えられた拓海ですが、もちろん万人がそうであったわけではありません。
 一部ではありましたが拓海に対し、反感を持つ輩は存在しました。
 その代表となるのが、涼介に想いを寄せていた婚約者候補の若い貴族のお嬢様たちです。
 拓海が現れてから、涼介の態度は以前から冷たかったのですが、今はブリザードです。凍える雪の嵐で遭難寸前です。
 しかも何とか涼介に接触したくても、涼介の傍らにはいつも拓海の姿。
 お嬢様方はパンダの拓海を憎々しく思うのも当然と言えました。
 ある日。
 どうしても遠方に出向かねばならない仕事が涼介に発生しました。
 隣国との国境沿いにトラブルが生じ、その和解調停のために涼介が出向かねばならないのです。
 元々この国は、お隣とはあまり仲が宜しくなく、関係回復を図っている最中のトラブルでしたので、遺恨を残さないよう双方の国のトップで和解をすると言う運びになってしまったのです。
 そんな不穏な状況ですので、まさかあの拓海をそんな場所に連れていって、万が一の事があっては堪りません。
 涼介は、拓海には純粋なままでいてほしかったので、腹黒い政治的な駆け引きとやらも見せるつもりはありませんでした。
 ですので、拓海はお城に来てから初めてのお留守番をすることになりました。
「いいか、もし何かあったら啓介か史裕を頼りなさい。もしあいつらが慣れなれしく触ってくるような事があっても、いいか。こう言うんだ『涼介さんに言いつけますよ』と」
 こんな愛らしい拓海を一人で残すのは涼介には不本意でしたが、これも人の上に立つ者として生まれた人間の責任というものなのです。
「はい。大丈夫ですよ。涼介さんも気をつけてくださいね」
 愛らしく微笑むぱんだに見送られ、涼介は白い車に乗って旅立ちました。
 その去っていく姿に、拓海は心細く思ってはいましたが、努めて明るく振舞うようにしていました。
 そしてそんな涼介のガードが取れた無防備な時に、拓海に反発を持つお嬢様方が黙って指を咥えているわけがありません。
 彼女たちは早速、拓海に対しいじめを開始しました。
 そんな事も知らず、拓海は寂しさからじんわりしてくる目元を擦りながら廊下を歩いていました。すると彼女たちは、廊下ですれ違う時に、さりげなくぶつかり、しかも床に倒れ、さも酷いめにあったという表情で拓海を見ました。
「すみません、怪我はありませんか?!」
 拓海は素直なので人を疑うことを知りません。前をよく見ていなくて申し訳ないことをしたなと倒れたお嬢さんに向かって、その愛らしいピンクの肉球の手を差し伸べました。
 ですが。
「そんな汚らわしいケダモノの手で触らないで頂戴!」
 とピシャリと彼女の手に持っていた扇で手を叩かれてしまいました。
 そしてすかさず、一緒にいたお嬢様方が口々に拓海に向かい嫌味を言いました。
「本当に野蛮なこと。お育ちが知れるってものね?涼介様も何を考えてらっしゃるのかしら」
「そうね。こんなケダモノのどこがよくてお側に置いてらっしゃるのかしらね」
「涼介様はお優しい方でいらっしゃるから、醜い姿で生まれついた下賤に御慈悲をお与えになってらっしゃるのでしょうね」
「そんな事にも気付かないで、よく図々しくもお城にいれるものね。わたくしだったら恥を知ってますから、とっくにお城を出ますわね」
「本当に。下賤な方は、心まで卑しいようね」
「まったくですわ」
 オホホホ、呆然とする拓海を嘲笑いながら、お嬢様方は立ち去りました。
 拓海は突然の悪意に晒され、とてもとても悲しくて苦しい気持ちになりました。
 そうすると、このお城に来たばかりの頃、みんなに嫌われていると思い込んでいた気持ちも思い出します。
 そして、実際に悪意を向けられたことで、涼介が優しいからみんな言えないだけで、本当は嫌がられているだなと思い込んでしまいました。
『どうしよう…俺、出て行ったほうがいいのかな…』
 拓海は落ち込みました。そしてぼんやり、いつも涼介と一緒に眠っている大きなベッドに一人でごろごろと眠れず考え込み、
『涼介さん帰ってきたら、俺、出て行くって言おう』
 と決心してしまいました。
 そして拓海はお世話になった恩返しと、せめてお城をキレイにしようと、一生懸命掃除を始めました。
 そんな拓海の行動に、もちろん啓介や史裕は止めました。
 傷一つでさえ付けることを許さない涼介が、そんな事を拓海にさせたと知ったら、ひどい目にあうのは間違いなく彼等でしたから。
 しかし意外と頑固なところのある拓海は決して止めず、とうとう啓介たちも、
「これは、たぶん涼介がいなくて寂しいんじゃないのかな。何か顔色もあまり良くないようだし」
「そうだな。いっつもアニキべったりだったもんな」
 と好きにさせておくことにしました。
 そのおかげで、拓海はせっせと廊下や壁を磨きます。拓海の必至に頑張る様子はお城の使用人たちにも影響を与え、史裕の統計によれば、みんな仕事のペースが拓海につられ1.5倍ほどアップしているという効果まで生みました。
 そして。
 そんな拓海の前に、再びお嬢様たちが現れます。
 拓海は今日は裏庭で草むしりをしていました。ちゃんと麦わら帽子も被って、日よけ対策はばっちりです。
「ケダモノは身の程を知ったのね」
「結構なこと」
「下働き程度なら置いてあげても宜しくてよ?」
「まあ、寛大ですわね」
「ええ。涼介様を見習いまして、慈悲の心は大切だと悟りましたの」
 と言いながら、お嬢さんはわざとらしく草むしりする拓海の手をぎゅっと踏みつけました。
 拓海は痛いな、と思いましたが、時間の無駄だと思い何も言いませんでした。ですが――。
「そう言えば聞きまして?」
「ええ。涼介様の縁談のことでしょう?」
 縁談。そこで初めて拓海の動きが止まりました。
「隣の国の王女様のことでしょう?今回の和解調停も、裏を返せばお見合いだとか」
「まとまれば確かに関係は良いほうに向かうでしょうけど、そんな得体の知れない女に涼介様をお渡しするなんて、許せませんわね」
「そうね。もしそうなったら苛めて差し上げましょう」
「ホホホ、そうしましょう」
 またも笑いながら、彼女たちは去って行きました。
 拓海は、あの人たち何しに来たんだろう?と一瞬思いましたが、気にしないことにしました。
 そして再び草むしりを再開しようとしたのですが…。
「…あれ?」
 なぜか手が震えて力が入りません。
 そして何故か視界が雨が降ったようにぼやけます。
 ぽつぽつと、地面に幾粒も水の滴が落ちてきます。
 雨かな?と拓海は空を見上げました。
 けれど空には燦々と輝く太陽と青い空しか見えません。
 おかしいな、と拓海は自分の目を擦ると、そこは濡れてしっとりとしていました。
 涙です。
 拓海は自分が泣いていることに気付きました。
「あれ、おかしいな、俺…どうしたんだろ?」
 そう言いながらも、拓海はもう気付いていました。
 涼介の縁談。
 その話を聞いて、自分がショックを受けていることを。
 もしも涼介が結婚してしまえば、もうあの人は自分の手を繋いだままでいることも、膝の上に抱っこすることも、一緒にお風呂に入ろうとお風呂場に引きずり込もうとすることも、あの大きな一人で眠るには広すぎて寂しくなってしまうベッドで、ぴったり抱きしめあって眠ることもないのです。
 それを思うと、拓海は自分の胸が張り裂けそうになってしまうのでした。
「馬鹿だな、俺…」
 拓海は今度はボロボロと思い切り涙の粒を零し、泣きました。
「…俺、涼介さんの事が…」
 そして。
 その日を境に、拓海の姿はお城から消えてしいました。
 啓介たちの必至の捜索も空しく、出てきたのは裏庭に取り残された麦わら帽子と、その麦わら帽子の置かれた土の上に、
『さよなら』
 と言う文字だけが残されているだけでした。



2005.11.3

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