金魚池で会いましょう

act.4


 彼の手の中に自分が作った弁当がある。
 それに気恥ずかしさと、気後れを感じる。
 庶民と明らかに違った富裕層の涼介相手に、自分の弁当などは粗末なものでしかないだろう。
 でもあんなお菓子みたいなもので食事を済ませようとする彼に、どうしても黙っていられなかったのだ。
「開けてもいいか?」
「あ、はい。どうぞ」
 涼介の長い指が、弁当を包んだ袋を開く。けれど弁当箱の蓋を開けようとしたその瞬間、彼の動きが止まった。
「…俺がこれを貰ってしまったら、藤原は何を食べるんだ?」
 じっと見つめられ戸惑った。
「俺?俺は別に…。あ、コレとか食べますから」
 と、先ほど弁当と交換した涼介の栄養補助食品を示す。
 すると涼介の顔が険しくなった。
 ふう、と溜息も吐く。
 何か気に障ることでもしただろうか?おそるおそる彼の様子を窺う。
「…よく分かったよ。体によくないという意味が。俺が食べる分には何でも構わないが、藤原にそんなものだけを食べさせるわけにはいかないな」
「は?」
 よく意味が分からない。
「とりあえず…二人で半分ずつ食べようか」
 そして彼が、少し照れた顔で笑う。
 その笑みの甘さに、拓海は頬を染め、ぼうっとなってしまった頭で頷いた。



 宝物の箱を開けるように、弁当箱の蓋を開けた。
 そして出てくる言葉は、宝箱を開けた瞬間の声と同じだ。
「ああ…凄いな」
 お世辞などではない、素直な感嘆の言葉が漏れる。
 すると自分の反応を待ち、緊張していた拓海の頬が染まった。褒め言葉に照れているのだろう。
「た、たいしたものじゃないですけど…」
 涼介は今までの人生で、時には一時期恋人関係にあった女性だとか、またはそれ以外の女性たちから手料理を押し付けられることが多い。
 だがそれのどれも、涼介をうんざりはさせたが、感動させることはなかった。
 見た目は美しく飾ってあるが、そこからは素の感情が見えない。どこかよそいきの料理ばかりが涼介の前に飾られた。
 けれど今、涼介の手の中にあるものは違う。
 普段拓海がいつも食べているようなものばかりなのだろう。確かに彩りは素朴だが、煮物や炒め物など、素の拓海が感じられるあたたかな料理が詰め込まれていた。
 箸を取り、手を合わせる。
「いただきます」
 何から食べようか。とても迷う。
「藤原のオススメは何?」
「俺のオススメですか?え〜と………厚揚げの五目あんかけ…とか?うちの厚揚げで作ったんですけど…」
 なるほど。拓海の家は豆腐屋だからな。
 涼介は厚揚げに箸を伸ばす。
 そして一口大に食べやすく切った厚揚げを持ち上げ、口に入れる。
 冷えているせいで味は半減しているが、とても美味しく感じた。できるならこれの暖かいものを食べたい。そう願うほど。
「どう、ですか?」
 じっと味わっている涼介に、不安を感じたのだろう。拓海がおそるおそる問いかける。
 それに涼介は作り物ではない素直な笑みを浮かべた。
「美味いよ。久しぶりにこんな手料理を食べた気がする…」
「え…?」
「ありがとう、藤原」
「そ、そんな、俺の手料理なんて…涼介さんだったら、彼女とかもっと凄いの作ってくれるでしょう?」
 拓海の言葉に苦い気持ちが沸き起こる。
 彼にとって、自分には恋人がいるのが当然の存在。つまりそれは拓海の中で自分が恋愛の相手から遠いことを暗示している。
「いないよ、彼女なんて」
「えっ?!」
 必要以上に驚く拓海に、また苦い気持ちが広がる。
「今の俺に女と付き合う暇があると思う?」
 けれどそれを押し殺し、肩をすくめ苦笑を浮かべる。
 彼が「そうですね」と笑って流してくれることを期待していたのに、やけに神妙な顔で拓海は頷いた。
「…涼介さん、やっぱりすごい忙しいんですよね」
 やはり拓海の反応は予測できない。まさかそんな言葉が返ってくるとは思わず、涼介は戸惑った。
「え?」
「あの…俺のことなんていいから、涼介さんちゃんと食べて下さい。あ、そうだ、今こうしてていいんですか?俺、邪魔ならもう帰りますから、その、ハッキリ言って欲しいんですけど…」
 思わず、唖然としてしまった。
 本当に何て予想不可能な存在なのだろう?
 今まで自分の周囲にたかっていた人間たちにはない、不器用な、けれど誰よりも柔らかく温かな優しさ。
 そんな感情に包まれ、押し殺していたはずの恋心が枷を外そうと暴れ始める。
「…藤原」
 心臓がドクドクと鳴り始める。初心な少年のように心がざわめく。
「はい」
 その瞳に見つめられただけで、喜びに胸が震える。
「一緒に…いたいんだ」
「…え?」
「藤原と。ダメか?」
 緊張に咽喉が渇く。ゴクリと飲み込んだ生唾の音は、自分のものか、拓海のものか…。
「…だ、め、じゃないです、けど…」
 首筋まで真っ赤に染めて俯く拓海。二人の間に急速に甘い雰囲気が広がる。
 それはただの知り合い同士と言うには濃密で、そして友人同士と言うには甘すぎた。
 涼介は無言で、半分にするという自分の言葉も忘れ弁当の中身を口に入れる。料理を噛み、咀嚼する。気が急いていた。そしてそれに対し、拓海も何も言わない。
 食べている間、拓海も、涼介も一言も喋らなかった。
 けれど、どこか無言の中でも、二人の間には微妙な緊張感が広がっていた。
 ピリピリと肌の全てが彼を意識し、触れる瞬間を願っている。
 機械的に料理を口に運び、そして全てを平らげ弁当箱を仕舞う。
「ごちそうさま」
 無言の中、やっと発せられた言葉は涼介のそれ。
 ビクリ、と拓海の肩が跳ね、そして慌てて涼介を見る。
「あ、…はい」
 片付けた弁当箱を拓海に手渡す。そして拓海も手を伸ばし、それを受け取ろうとした瞬間、二人の指が触れた。
 子供だましのような、些細な接触だ。
 けれどその瞬間に、確かに涼介の全身に電流が走った。
 見つめる拓海の表情からも、彼が自分と同じ感覚に陥ったことを知った。
 後悔など、後から嫌というほどすればいい。
 今はただ、この衝動を大切にしたい。
 涼介は唾を飲み込み、望むままに腕を伸ばした。



2006.9.20

1