金魚池で会いましょう
act.3
何か奢るよ。
その言葉に拓海は首を横に振った。
「いえ、俺、弁当持ってきてるんで」
「弁当?」
振り返った涼介の眉が跳ね上がる。その表情に、拓海は気後れを感じ俯いた。
『男なのにみみっちいぃとか、思われたかな』
弁当持参はもう拓海の習性だ。外食ばかりだと金銭的な問題もあるが、味が単調な上に味付けも濃いので、拓海の舌には合わない。
だから少し手間はかかるが、拓海はいつも弁当を持ってきている。
「…へぇ。もしかして彼女の手作りとか?」
「え?いえ、俺が作ったんですけど…」
あ、バカ、と思わず舌打ちを零す。こんな事を言ったら、「男のくせに」とか思われてしまうだろうか?
けれどその答えを聞いた瞬間、涼介の強張っていた表情が驚きに緩む。
「藤原が?弁当を作ったのか?自分で?」
「は、い…みっともないですか?」
おそるおそる涼介の顔を見上げる。
けれど目の前の顔は、さっきまでの不機嫌そうなものではなく、驚きに目を見開き、そして拓海の視線に気付くと甘く和らぎ微笑んだ。
「そんなことないよ。てっきり彼女の手作りなのかと思ってね」
「か、彼女なんて!」
密かな恋心が、やけに大きな否定の声を上げさせた。そんな拓海の反応から、涼介は強く言わずとも真実を察したのだろう。クス、と微かな笑い声を上げ、拓海を見つめた。
「藤原は凄いな」
かぁっ、とまた頬が赤く染まる。
どんな形であれ、涼介に褒められるのは照れる。
「…すごくなんてないです。弁当の中身も、昨日の晩飯の残りだし」
「……もしかして、家の食事も藤原が作っているのか?」
「あ、はい。親父に任せると、肉とか魚ばかりで、野菜とか全然使わないんで」
「へぇ…お父さんが羨ましいな」
「え?」
「…なんでもないよ。じゃ、どこか行こうかと思ってたが、病院の裏の方にでも行ってみる?小さいけれど池があるんだ」
にっこりと涼介が微笑む。
どこかまだ状況が掴めない拓海は、涼介に任せ曖昧に頷いた。
小さな池の中には鯉ではなく金魚が泳いでいる。
鯉には狭すぎるが、金魚には大きなこの池を、ヒラヒラと赤いリボンのような鰭をひらめかせ泳ぐ様に、癒しよりも苦笑が零れてくる。
拓海もまた自分と同じように思ったのだろう。
首をかしげながら池の中の金魚を覗き込んだ。
「何で金魚?」
不思議そうに自分を見つめる。
「さあ?」
同じように首をかしげ、分からないことをアピールすると、拓海はまた池に視線を戻しぽつりと呟いた。
「…可愛いけど」
自分の方が可愛いくせに、何を言ってるんだか。涼介は拓海の呟きにクスと櫛笑みが零れる。
そして池の脇のベンチに座り、拓海を呼んだ。
「藤原」
名前を呼び、自分の隣を示す。
「あ、はい」
拓海は素直に来て座ったが、涼介との距離が人一人ぶん開いていた。
もっと近くに座ればいいのに。
そう思うが、この距離感が今の拓海と自分の距離なのだろう。彼に聞こえないようにかすかに溜息を吐く。
隣に座った拓海は、ゴソゴソと持参した弁当を開く。けれど蓋を開ける瞬間に、戸惑ったように涼介を見つめた。
「何?」
「あの、涼介さんはそれだけで足りるんですか?」
それ、とは涼介が持っている食事代わりの栄養補助食品。お菓子のようなそれが、涼介の食事代わりになるのはいつものことだ。
「ああ。俺の食事なんていつもこんなもんだ。だから気にするな」
けれど拓海はまだ戸惑ったように弁当を開こうとしない。
そして何か悩み、ウロウロと視線を彷徨わせたあげく、何かを決意したのだろう。
軽く頷き、そして涼介を見た。
「これ、食べてください」
涼介の目の前に差し出された拓海の弁当。
意味がつかめず、涼介は拓海の顔を見返した。
「あの…美味くないと思うけど…って言うか、すごいつまらないものだけど、でもそういうのばかりだと、あの、体に、よくないと思う、んで……」
だから…。
自分にこれを食べろと?
差し出されたそれを受け取る手が震える。
思わぬことに、緊張して答えることが出来ない。
そしてその沈黙を拓海は悪い方に受け取った。
「…いらないっすよね。すみません、出すぎたことして…」
真っ赤に染まっていた頬の赤みが消え、しょぼんと項垂れる。
慌てて涼介は「そうじゃない」と叫んだ。
「違う、嬉しかったんだ。まさかそんなこと言ってもらえると思わなくて…。ありがとう、藤原。喜んでいただくよ」
そして拓海の弁当を大事なものを受けとるように両手でそっと包み抱え込んだ。
ほんのり香るご飯の匂い。
欲は抱くものだ。
まさかこんな幸運が訪れるとは。
思わぬ拓海の手料理。
それにありつけ、密かな恋心を抱く身にはこの上ない喜びを感じた。
2006.9.20