金魚池で会いましょう
act.2
アナウンスで流れた彼の名前。
受付あたりで預ければそれでいいだろうと思っていたのに、どうやら本人が来るらしい。
途端に、ドキドキと胸が騒ぎ、挙動不審になってしまう。
会いたい。でも仕事中の自分の姿など、あまりみっとも良いものではない。走り回っているせいで汗だくで、荷物の集配で制服もクシャクシャだ。
会いたい気持ちはあるけど、恥ずかしさも拭えない。
「あの、急いでるんで預かってもらうことは…」
臆病さがそう言わせた。
けれど窓口の係員は首を横に振る。
「トラブルの原因にもなりますので、本人に直に受け取ってもらうようになっていますから」
無碍に断られ、落ち着かない仕草で立ち尽くす。
そして間をおかず、廊下の向こうから歩いてくる人影。院内の人々よりも頭一つ高く、それだけでなく周囲とは一線を画するオーラを発している。
自然と目がそちらへ向いてしまう。そしてそれは拓海だけでなく、すれ違う人全てに言えるようで、皆、彼を振り向き見つめている。
かぁっと頬が赤く染まる。
いつもとは違う場所違う状況。それに恥ずかしさが込み上げてくる。
拓海は帽子を目深に被り、彼の視線を避けるように俯いた。
涼介は早足だ。
忙しないスケジュールを駆け巡るせいか、自然と常に行動が素早いものになっている。
だから現在の歩行も早足で、他人の視線など一切介せず歩いていた。
けれど、ふと見えたある人物に、涼介の乱れることのなかった歩みが止まった。
「た、くみ…?」
帽子を目深に被り、俯いて顔を隠しているようだが、涼介にはシルエットだけでも彼が判別できる。
ましてや、あの運送屋の制服は、彼の会社のものだとしっかり記憶している。
あの制服、そしてシルエット。
「藤原!」
らしくなく、大声を上げる。
何事かと周囲の人間が振り返るが、涼介は意に介さない。
名前を呼ばれ、ビクッと肩が跳ね、俯いていた拓海の顔が持ち上がる。
頬をほんのり赤く染め、そして大きな瞳は戸惑いに揺れている。
いつもの、自分を見る彼の表情だ。
先ほどまでの自分の願いが思わず叶った。
嬉しさから涼介は満面の笑みを浮かべた。
涼介がこんな素直に喜びを顔に現すことは滅多にない。いや、初めてと言っても過言ではない。
だからだろうか、目の前の拓海の顔が驚愕に染まり、続いてさらに顔を真っ赤にしてまた俯いてしまった。
頑なに自分と視線を外そうとする拓海の前に立つ。
仕事疲れのせいだろう。ほんのり赤く染まった肌の上に、ほつれた髪の毛が汗で張り付いている。 それに艶かしさを覚えるのは、涼介の恋心のゆえだろうか。
僅かな動揺を押し殺し、涼介は拓海に声をかけた。
「偶然だな、こんなところで会うなんて。何か用事か?」
おずおずと拓海が顔を上げる。そして小さく頷いた。
「あ、の…受け取りのサインを…」
小さな声で、差し出された伝票と箱。
それにやっと涼介は気付いた。
届いた本、それを宅配してきたのが拓海なのだと。
「藤原が届けてくれたのか?」
無言で、拓海が頷く。
「ありがとう」
「仕事、ですから…」
無愛想な態度は、嫌なわけではないだろう。その染まった頬を見ても分かるとおり照れているのだ。
…可愛いな。
そう思う。
それと同時に、この偶然を必然にしたいと、そう願う自分が現れる。
恋心の成就など思っていなかったはずなのに、思わぬ出来事により欲が生まれる。
「藤原は、まだこの後も仕事?」
「あ、いえ、これで最後ですけど…」
「会社に戻らないといけない?」
「はい」
「…そうか」
けれどそれで諦めない。
「休憩する時間もないのか?」
「いえ」
首を横に振り、拓海は病院内の時計を見る。
「食事休憩とってから帰ろうと思ってますけど」
その言葉に涼介はあからさまに安堵を表情に出した。
「そうか、じゃ、一緒に食事をしよう」
「…え?」
今何を言われたのだろうか?拓海の目がキョトンと自分を見つめている。
元来、涼介の性格は強引だ。自分の思う通りにペースが運ぶのを由とする。それを壊され、許したのは拓海とのバトルの一件ぐらいだ。
「な、んで?」
案の定、困惑を表情いっぱいに拓海が問いかえす。
「何でって、せっかく会えたんだ。食事くらい付き合ってくれてもいいだろう?」
パチパチと瞬きを繰り返し、自分を見つめていた拓海が、眉をしかめ俯いた。
「何で俺なんか…」
拓海のことは好きだ。
けれど彼の、謙遜しすぎて卑屈なところは好ましくない。
「俺なんかと食事は嫌か?」
「い、いえ、そんな…!」
「じゃあ、俺なんかなんて言うなよ。俺は、藤原拓海と一緒に食事をしたい。そう言ってるんだ」
真っ直ぐさを感じさせる大きな茶色の瞳が揺らぐ。
『本当に俺でいいの?』
言葉にしなくても、その目が、表情がそう涼介に語りかけている。
期待はしない。彼が、自分と同じ感情を抱いてくれているなど。
けれどその表情から、涼介は拓海が自分に対し好意を抱いてくれていると確信し、喜びの笑みを浮かべた。
「…お前がいいんだ」
言い聞かせるように言葉を贈る。
すると目の前の少年の顔がさらに赤く染まり、そして不自然に視線をそらした。
「…お。俺でよければ…」
小さな、そして早口で紡がれた返事。
そんな拓海のすれていない仕草に、涼介の胸に熱いものが込み上げる。その熱は、ぎゅっと心臓を鷲づかみし高まってゆく。
「行こうか?」
さりげなさを装い、彼の肩に手をかける。
その手がかすかに震えていることに、気付かれなければいいと、そう願いながら。
2006.9.20