夢見る男
act.1
午前6時。
目覚ましの音で目が覚める。
目を開け、横を見ればこの世で一番愛らしいハニーの顔があった。
……目が眩む。
そして俺は思い出す。
「ああ…俺は結婚したんだったな…」
と。
俺たちの世界で一番スィートな新婚生活が始まったのはまだ三日目のこと。
本当なら、ハニーの、
『起きて下さい涼介さん。…もう!仕方ないなぁ…チュ』
を待っていたのだが、傍らのハニーはスヤスヤと愛らしい寝顔を全開にして眠り続けている。
うっすら開いた唇から覗く白い歯と、少しぽっちゃりとしたピンク色の唇のコントラスト。
朝から昨晩の続きをしてしまいそうな魅惑的な光景だ。
しかしハニーは昨晩の俺と交わした愛の行為のために疲れているのだろう。
受け身の立場のハニーの疲労は俺よりも深い。
俺はぐっと堪えた。
それが愛だ。
ハニーを起こさぬよう静かに二人で選んだダブルベッドから抜け出し、顔を洗い着替えてキッチンに向かう。
ハニーの手料理が食べられないのは悲しいが、ハニーを労わる、それが良き夫と言うものだろう。
冷蔵庫を眺め、適当な食材を探すが…分からない。
ハニーはいつも冷蔵庫を眺めただけで、
『じゃ、あれとあれがあるから…今日はこれにしますね』
と手早く料理を作ってしまうのだが…。
そしておっとりとした見かけに似合わぬ手際の良さで、真っ白なエプロンを着けて料理するその凛々しくも艶やかな姿に、また俺の愛が爆発し、キッチンで……そんな事もあったな。フッ。
しかしあれをした後のハニーの機嫌はすこぶる悪かった。ハニーにとってキッチンは戦場。それを邪魔するのはハニーにとって不愉快であったようだ。
悲しいことだが、俺は今は眺めるだけで情動をぐっと堪えることにしている。
ハニーの不愉快なことはしない。それは俺の譲れぬ愛だからだ。
そんな事を考えながら、冷蔵庫の前で悩んでいると、バタンと扉の開く音ととともに、もう覚えてしまったハニーのスリッパを履かないペタペタと言う足音が聞こえてきた。
「…おはよう…ございます…」
目を擦り、髪には寝癖。
そんな子供っぽい様子にも関わらず、けれど少しずり落ちた大きめのパジャマから滑らかな曲線を描く肩と鎖骨が見えている。
………マーベラス。
相反するその両極の美に俺は感嘆する。
その神が生んだとも言うべき奇跡の俺のミューズは、冷蔵庫の前にいる俺を見て、そして悔しそうに唇を噛んだ。
「……ごめんなさい。俺、寝過ごしちゃって…」
フラリと、よろめいたその腰が昨晩の彼の疲労を伝えている。
「涼介さんの朝ごはん…今日こそ作りたかったのに…」
俺のハニーは何と愛らしく、健気なことか。感動が思わず下腹部の海綿体に宿りそうである。
「気にすることないよ。それに……拓海が起きれなかったのは俺のせいだろう?ごめん」
ハニーを抱きしめ、そう耳元に囁くと、カァっとハニーの愛らしいほっぺたが真っ赤に染まる。
そして恨めしそうに俺を腕の中から見上げた。
「……謝るくらいならしなきゃいいのに」
それは難しい。
「じゃあ、拓海も俺を欲しがるなよ?最中にあんな事言われて、抑えれるほど俺も枯れてないんでね」
ハニーの首筋まで真っ赤に染まる。きっと、最中のあの自分の恥ずかしい言葉を思い出したのだろう。
ちなみに、俺の頭の中ではクッキリ高画質でリフレインがとっくにされている。
……堪えろ!俺の海綿体!!
「涼介さんの意地悪!」
幼い子供が、好きな相手を苛めてしまうのは不器用な愛情ではあるが、今の俺もそれは変わらない。
拗ねて、怒る彼の顔もすこぶる愛らしいのだ。
「ごめん。でも、それだけ拓海が好きだって事なんだよ。だから許してくれないか?」
微笑み、顔を近づける。
「それより…俺は拓海からの朝の挨拶を待っているんだけどな」
ポッと彼の頬が朱に染まる。
ぽおっと潤んだ眼差しで俺を見上げ、うっすら唇を開かせ顔を寄せる。
ゴクリとハニーの咽喉が鳴り、そして朱色の舌が唇をなぞるように舐めた。
「おはようございます、涼介さん……チュ」
啄ばむような口付け。
朝のキスだ。
ふわりと、触れてきた彼の柔らかで少し濡れた感触を感じた瞬間、俺の理性はほんの少し飛んだ。
離れようとする彼の体を抱きしめ、テーブルの上に押し倒し、唇の中に舌を割りいれる。
「…う、…ぅう……ん…」
ドンドンと胸を叩く衝撃に我に返る。
俺を引き離したハニーがテーブルの上に脱力しきったように横たわりながら、恨めしげに俺を睨んだ。
「…ひどい…朝からこんな…」
「拓海があんまり可愛いから」
「…っ。…は、歯もまだ磨いてないのに…」
「俺はお前のアレでさえ飲むんだぜ?こんな事なんでもないだろう?」
ぶわっと彼の全身が赤く染まる。
「な、なんでもなくありません!!」
どうやら、苛めすぎて怒らせてしまったようだ。
しかし、それにしてもハニーは怒った顔も素敵だ…。
「涼介さんは大人しく座ってて下さい!俺、今すぐ朝ごはん作りますから!!」
そしてバタバタと慌しく洗面所に顔を洗いに向かう。
その背中に向かって俺は言った。
「はいはい。待っているよ。愛する俺の奥さん」
洗面所に向かいかけていたハニーの足がピタリと止まり、静まりかけていた朱色がうなじに見えた。
けれどすぐに我に返ったように洗面所に飛び込み、そしてやけに派手な水音が聞こえ始めた。
きっと、赤くなっているのを鎮めるために何度も顔を洗っているのだろう。
照れ屋で、純情で、可憐で、健気で、なのに色っぽい俺の奥さん。
彼は俺の最高の愛する伴侶だ。
俺はそんな相手を手に入れた幸運を、キッチンで大人しく待ちながら堪能していた。
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パタリと、啓介はノートを閉じた。
デジタルが主流の昨今。
兄の部屋に一冊のノートを見つけ、何気なく開いたところから啓介の悲劇は始まった。
几帳面なくらいに整った達筆な兄の字で書かれた文章の数々。
それをふと眺め、啓介は凍りついたのだ。
そして啓介は思い出す。
三日前。兄はレポートに煮詰まっているらしく、とても不機嫌であった。
まるで大型台風が停滞しているかのような有様に、早く過ぎることを祈っていた啓介は、けれどすぐに穏やかどころか陽気な南国の気候のようになった兄の機嫌のことを。
ニヤニヤ。…いや、デレデレ。
そんな表情で兄はずっと何かを書き綴っていた。
…それら全ての符号が今ここに一致した。
兄の上機嫌の理由は…これだ。
そしてその内容を啓介は反芻する。
兄が、ハニーこと拓海。フルネームで藤原拓海と付き合っていると言う事実は…無い。
むしろ、兄が拓海を好きだったという事実すらも知らなかった。
けれど、すぐに啓介は思い当たる。
「…通りで…アニキやけに藤原の前だとカッコつけてると思ったぜ…」
胡散臭いチンピラのようだった服装が、何故かいきなりカジュアルになり、拓海の前でだけ優しいお兄さんぶると言うか、スカした感じになる。
……本当は血も涙も無い極悪人の素顔を隠しながら。
そして啓介はハァと溜息を吐いた。
このノートには兄の恋心が詰まっている。
それが妄想と言うパートナーを得て、理想の「夢」を作り上げていた。
あの兄にこんな意地らしい一面があったとは…。
いや、それよりも…。
「…アニキ…ムッツリだったんだ…」
しかもベタ。
何となく物悲しいものを感じ、啓介は目頭を抑えながら無言のまま兄の部屋を後にした。
後には、机の上の桃色の表紙のノートが残るのみ。
そして彼の「夢」は続く………。
2007.5.22
ドリーマーの妄想日記…続きます。