真っ暗な闇の中。一人自分の心臓の音を聞いている。
一人きりが寂しくて、必死に誰かを求めて手を伸ばす。
何も見えない闇の中に手を伸ばす。
手の先に掴むものは何もなく、悲しくて切なくて、唸り声のような叫びを漏らす。
寂しさが胸を打ち、悲しみが痛みを呼ぶ。
全身にまるで切られたかのような激痛が走り、そして焼き尽くされているかのような熱を生む。
燃えるように熱を発する身体をもてあまし、痛む胸を押さえて名を呼んだ。
届かない、誰かの名を。
素裸で立っている 穴の中に立っている 心臓の音を聴いている
光のない朝に目覚め 深みのない夜に眠り 匂いのない季節は廻る
大好きなおかずはいつも 最後まで取っておきたい いつでも明日を待っていたい
靴底は減っているのに 見える景色は変わらない どこにも辿り着けていない
声を投げた 空に投げた 夜の向こうへ 闇の向こうへ
響くように 届くように 昇れ
俺は誰だ ここはどこだ 何してるんだ 何が欲しいんだ
夜を抜けて 闇を抜けて 昇れ
夢はどこだ 君はどこだ 道はどこだ 何をすべきだ
恥をかけ もっと泣け OH YEAH
奮い立つんだ 顔上げるんだ 抱きしめるんだ 熱を出すんだ
夜の中へ 闇の中へ いざゆけ
「発熱の男」フラワーカンパニーズ
「……たくみ…」
唸っていた人物の唇が動き名を呼んだ。
しっかりと閉じられた瞼の端からツゥっと透明な涙が流れている。
拓海は苦笑混じりにその頬を伝う涙を拭う。
「…意外と泣き虫だよな、啓介さん」
あの事故以来、啓介は何度かこうやって眠りながら魘されることが度々あった。
それは全て、眠る啓介の傍を拓海が離れた時に起こる。
今も、シャワーを浴びに傍から離れた事で夢を見たのだろう。
あの時の夢を。
拓海は布団を持ち上げ啓介の隣に滑り込む。
まるで子供のように熱い体温。
風呂上りの自分より熱いだなんて、どれだけエネルギーを有り余らせてるのだろうか?
クスクスと笑いながら、拓海は啓介の傍に寄り添い額を肩に預ける。
すると、無意識の動きで啓介が腕を伸ばし拓海の身体を抱き締めた。
ギュっと痛いほどの力で抱え込まれる。
「…拓海」
拓海の感触を確認したのだろう。眠りながら啓介が安心したように、ホゥっと安堵の溜息混じりに拓海の名を呟いた。
「まったく…」
拓海は微笑みながら、その腕に身体を預け、頬を胸に擦り付ける。
ドクン。ドクン。
啓介の鼓動が聞こえる。
拓海は目を閉じ、その鼓動と体温を味わった。
「……良かった」
ジワリと目に涙が浮かぶ。
この鼓動が、この熱が自分のものではなくなった瞬間を知っている。
また、自分のものになって良かった。
深くそう思う。
『啓介の前から消えろ』
そう言われたあの時。
嫌だ、と叫ぶ気持ちと、そう言われても仕方ないと諦める気持ちが混在していた。
言ったのは啓介の兄である涼介だ。
あの事故の後、心配で病院に付き添った拓海に、涼介は冷たい眼差しでそう言い捨てた。
『あいつがこんな単純な操作ミスで事故を起こすはずが無いんだ。起こしたとしたら…藤原。お前のせいだろう?』
違う、とは言えなかった。
拓海もそう感じていた。
啓介が事故に遭ったのは自分のせいだと。
自分が啓介を追い詰めた。
明るくて、自信に満ち溢れた人に影を生ませた。
『お前たちの関係は察していた。推奨されることではないが、あいつにお前が必要だと思ったから黙認していたんだ。しかし、お前が啓介に害を為すなら…俺はもう黙っていない』
事故に遭った啓介に大きな外傷は無かった。
けれど、その代わりに過去の記憶全てを失った。
それを知ったとき、拓海は「罰」だと思った。
『藤原。お前はもう今の啓介には必要ない。啓介の前から消えろ』
啓介を傷つけた罰。
涙が溢れて止まらなかった。
何度も啓介の前で泣いた。
同情を引くようで嫌だったその涙。
最後のあの時も泣いていた。
悪振りながらも、啓介が誰よりも優しいことを知っていた。
その優しさに付けこんでいる自分を自覚していた。
自分の存在が啓介を追い詰め、苦しめているのに離れる事が出来なかった。
好き…だったから。
けれど最後のあの時、堪えきれずに一時の感情で啓介を詰った。
『もうたくさんだ!あんたなんて…もう好きじゃない!』
『どっか行けよ!もう…俺の前に二度と顔を見せるな!!』
真実じゃない。
そう言えば、きっと啓介が反省してくれると、甘えていたのだ。
だけど。
『あんたなんか…いなくなってしまえばいいのに』
啓介が記憶を無くしたのは自分のせいだ。
考え無しの感情的な言葉で、啓介を傷つけ、追い詰め、そして啓介の中から過去を失わせてしまった。
自分が「いなくなれ」と言い放ったばかりに、啓介は言葉通りに過去の啓介を無くした。
『消えろ』と言われて頷くしかなかった。
悲しくて、辛くて、痛くて、切なくて。
ふとすると心が遠くを彷徨う。
無意識に涙を零す事も多くなり、堪えきれずに、記憶を失った啓介が赤城で走っていると聞き、様子を見るだけのつもりでバトルを仕掛け、彼の前に姿を晒してみた。
それで確認したのは、もう昔の啓介はいないのだと言うことだった。
もう啓介は拓海に笑いかけない。触れてくれない。
自分を見ても、見ず知らずの人間を見たように不審な顔つきをするだけだ。
その事実の方が、後日電話で涼介に詰られたことよりも痛かった。
拓海は啓介の背中に腕を回し、自分からも抱きついた。
逞しい足に自分の足を絡め、複雑に構成された一体の生き物のように身を寄せる。
「…良かった」
啓介の泣き虫を笑えない。
拓海のほうが、啓介よりももっと涙腺が弱い。
滲んできた涙を、啓介の胸に擦り付ける。
「…う、…ん…?」
その動きに、啓介が身動ぎ呻いた。
そして唸りながらゆっくりと切れ長の目が開く。
「…拓海?」
「…すみません、起こしました?」
ゆったりと、背中を抱いていた手が拓海の頭に向かい、そして子供にするように優しく髪を撫でる。
「…何…泣いてんだよ」
半分寝ぼけたままの顔で微笑む。
「ちょっと…思い出し泣きです」
ゴシゴシと涙を指で擦ろうとすると、啓介の手が掴んでそれを阻んだ。
「バぁカ、擦るなよ。跡になるだろ?」
笑いながら、そして唇を寄せ涙に触れる。
ペロリと、子猫がするように顔を舐められ、拓海の顔にも笑みが浮かぶ。
「ちょ…!止めてくださいよ、きたねーな、もう」
「きたねーってなんだよ」
笑い合いながら、啓介が拓海の上に圧し掛かり、わざとのように顔中に舌を這わす。
「や…啓介さん、もう!」
「お前がもう泣かねーようにしてやってんだろ?ほら、もう泣きたくねぇだろ?」
アハハ、と声をあげ、拓海は腕を伸ばし啓介を引き寄せる。
「最初に泣いてたのは啓介さんなのに…」
「…ア?俺泣いてた?」
「うん。だから俺もつられて泣いただけ…」
ふぅん、と興味なさそうに啓介は呟き、そして拓海の唇にキスを降らせた。
「だったら…お前、泣くより先に俺の泣くのを止めろよ」
「え?」
「俺が泣いてる理由なんて、100%お前の事だけなんだからさ。止めれるのもお前だけだろ?だから、今度からちゃんと止めとけ」
ふと、見つめたその瞳の中に、迷子の子供のような不安な色が見える。
そんな色を浮かべさせたのは、拓海の「罪」だ。
「偉そうに…。啓介さんの泣き虫!」
わざと、怒らせるように言うと、啓介の瞳から不安が消える。
消えた事で、拓海もまた安心する。
――俺は啓介さんに必要?いらなくない?
「何だと?!お前ほどじゃねぇよ!」
「泣かせたの、啓介さんのせいだろ!」
「あア?!だからこうやって泣き止ませてんじゃねぇか!ほら」
そう言い、またペロペロと顔を舐める。
「もう!止めろって!」
クスクス笑いあいながら、ベッドの上で暴れる。
やがてこんなじゃれ合いが、引けないほどの熱を生む事を知っている。
「…拓海」
そう。今のように。
「…ん」
舐めていた舌が首筋に移る。
ビクリと跳ねた拓海の身体を押さえ込むように、啓介の身体が重みを増した。
「あの、さ…もう泣かせねぇからな」
服の下に啓介の指が這う。
昔のような乱暴さは無い。
まるで大切な、宝物を扱うような慎重な動き。
「…うん」
心地よい熱。拓海はそれに身を預け、うっとりと目を閉じた。
「好きだ」
「…うん」
「好きだからな」
「…うん」
泣く事はこれからもあるだろう。
けれど…。
拓海はゆっくりと閉じていた目を開く。
目の前に精悍な男の顔が間近にある。
ギラギラとした熱を孕みながらも、どこか痛みを抱えた切ない顔。
拓海は手を伸ばし、その頬に触れる。
「啓介さんの傍にいる」
離れられない事は身を持って知った。
「好きだよ、啓介さん」
そう微笑み告げると、目の前の顔から切なさが消え、幸福そうな笑みが生まれた。
泣く事はきっとこれからもある。
けれど、もう悲しくは無い。
傍にいられない事以上に、悲しい事はないのだから。
「だから…傍にいて…」
名を呼んだ。
「啓介さん」
暗闇の中、もう一人きりじゃない。
鼓動が重なり、二つが一つの音を奏でる。
温かい熱。
手を伸ばせば、握り返してくれる腕がある。
「拓海」
ぎゅっと抱き締められ、拓海は笑顔のまま目を閉じた。
2009.1.18
END