BOSS-PAN
act.1
act.2
act.3
act.4
act.5
act.6
top
番外 馴れ初め
act.1 胎動
「藤原が事故にあった?」
突然、史裕からかかってきた電話の内容は、涼介を驚かせるのに十分すぎるものであった。
「どう言う事だ?車でか?」
藤原拓海。
彼は涼介が発起した新チームのエースドライバーである。だがそれだけでなく、無敗を誇っていた自分を初めて負かした人物の名前でもあった。
同じくチームでエースドライバーを務める涼介の弟の啓介よりも、素直で真面目で、さらに啓介とはまた違うタイプの天性の才能を感じさせる彼は、涼介にとってもただのドライバーと言う枠を超えて大事な存在ではあった。
…藤原が弟だったらな…。
何度か彼と接するうちにそんな事を思った。慣れない猫のようで、それでいて自分の事を慕っているのはその態度や表情から薄々感じられる。その遠慮がちな態度が、元々弟や年下の従妹の面倒をよく見てきた涼介のお兄ちゃん気質をいたく刺激するのだ。
…思い切り甘やかして、そして頼られたい。
そんな事を拓海を見るたびに思う。
だがいつまで経っても恐縮しっぱなしの彼の態度からは、それを実行させる余地もないのだが。
そんな、密かに涼介の可愛がりたいリストのトップに躍り出ている拓海が事故。
涼介は当然のごとく動揺した。
『いや、車じゃない。藤原の仕事中のことなんだそうだが、配収に向かった先で積荷が崩れて上から降ってきたらしく、脳震盪を起こして病院に運ばれたそうだ』
「それで、怪我は…」
『一応検査結果は異常はないそうだ。若干打ち身や何かは残るらしいが。ただ…』
「ただ?」
『まだ意識が戻らないそうなんだ』
拓海の怪我の具合が、そうひどくないと知り、涼介は安堵の吐息をついた。だが意識が戻らない事を聞くと、再び眉間にしわが寄る。
「搬送された病院は?」
『渋川市の×××病院だそうだが…行くのか?』
「ああ。当然だろう。心配だからな」
『俺も行こうか?』
「いや、俺だけでいい。あまり大人数で行っても迷惑になるだけだろう。特に、五月蝿いのとかには知らせるなよ?」
『……啓介か…分かった』
電話を切った涼介は、すぐにキーを取り出しFCに乗り込み渋川へと向かった。
これが彼の運命を変える序曲である事も知らず…。
-変態値-
高橋涼介 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 【普通】
その電話から二時間後。
『史裕か?』
史裕は啓介や他のDメンバーと次のバトルの事で、ファミレスで打ち合わせをしていた。
「ああ。涼介か?今、いつものところにいるんだが、どうだった?」
拓海が事故に合った事は他のメンバーたちは知らない。史裕は声を潜めながら問いかけると、
『…実は…意識は戻ったんだが…』
電話の向こうの親友の声は、いつもの冷静沈着なものではなく、やけに困った気配を窺わせるものだった。涼介がそんな声を出すのは珍しい。史裕は嫌な予感に顔を曇らせた。
「おい、まさかひどい怪我でもしてたんじゃ…」
『いや。それは無い。…説明するより見たほうが早いだろう。今から連れて行く』
「あ、ああ。分かった」
不穏な空気をはらむ会話に、他のメンバーたちも不審そうに史裕を見た。
「史裕。アニキ、何だったんだ?」
こう言った場合、口火を切るのはたいてい啓介だ。遠慮も何もなく、土足で微妙な空気の中に割り込めるのは、啓介の短所であり、時たま長所にもなるところだ。そして現在は後者。
軽く溜息をつきながら、史裕は「実は…」と拓海の事故の経緯をメンバーに話した。
「そんで、藤原は意識が戻ったんだろ?でもまだ何かあんのか??」
不思議そうな啓介に、史裕もまた首をかしげた。
「…分からん。だが涼介のあの口ぶりだと、何か問題が起こったんだろうな」
「よくある話で、記憶喪失とか…」
「あるなぁ。ドラマとかに」
「でもまさか現実にそうそうそんな事起きるわけないだろ?きっと手を突き指したとか、足を捻挫したとかじゃないのか?」
「でも藤原だからな…」
「あの藤原だしな…」
皆心の中で、現役高校生にして並居る走り屋すべてに連勝を飾り、また12歳から運転、さらにトボけたところのある性格などの彼の面から、何か凡人では思いつかない突拍子もないことを起こしてくれたのではないか?密かにそう期待した。
そして。
その期待は当たった。
かなり彼等の予想に近い方向で。
ガーっと、ファミレスの自動扉が開いた。瞬間、涼介が入ってきたのが雰囲気で分かる。それは店員の態度からも窺えるが、何より店内すべてに緊張した空気が立ち込めるからだ。
今もそうであったのだが…何か甘めな空気も広がっているような…。
「待たせたな」
彼等は見た。
涼介の隣には先ほど話題になった藤原拓海。
彼が拓海を連れてくることは分かっていた。
だが。
メンバーたちは誰も、彼らがまるでアツアツのカップルのように、べったりくっつき、腕を組んでやってくるなんて事は想像だにしなかった。
「………」
「………」
「………」
沈黙が広がる。
涼介は普段では見せないような優しい微笑を拓海に向け、そして空いた席に彼を促した。
「拓海。ここに座るんだよ」
いつもの彼ならば、きっとこんな態度をされたなら、真っ赤に頬を染めてうろたえていた事だろう。
だが今の彼は――。
「はい。おにいちゃん」
…にっこりと天使の微笑で微笑み返し、素直に座ってさらに涼介を見上げ、
「おにいちゃん、となりすわる?」
「ああ。拓海は俺が隣でいいか?」
「うん。うれしい」
と、隣に座った涼介の身体をぎゅっと抱きしめた。
「……(俺は今、何を見たんだろうか…)」
「……(…おにいちゃん??)」
「……(えーと…冷静になれ、今見たのはきっと夢だ。目を閉じて開ければ…夢じゃなかった!!)」
一様に固まる彼等に、涼介はゴホンと咳払いをしながら、彼には珍しく困惑を露にした表情で言った。
「史裕」
「…あ、ああ」
「…こう言うわけだ」
…つまり、これが例の事故の後遺症というやつか?
やっと皆の脳が動き始めた。
「…記憶喪失、と言うのではないようなのだが、どうもこれは逆行健忘…精神が幼児に戻ると、そう言う症状ではないかと思われるんだが…」
涼介の顔には、しっかりと「原因不明」と書いてある。
その弱りきった態度から、色々な事があったのだろうと察せられるが、それより何より。気になったのはその子供に戻ってしまった拓海が、何故今涼介にべったりくっついているのかと言うこと。
「…拓海。あれが史裕。これが啓介。分かるか?」
「んーと、ふみひろ。けいすけ…。わかった」
コクンとあどけなく頷く拓海の仕草は、元々の容姿の可愛らしさと相まって、その気のある男ならば、思わず涎を垂らして眺めてしまいそうなほどの愛らしさだった。
「よし。拓海は賢いな」
まるで保父さんのように爽やかな笑顔を浮かべながら、涼介は拓海の頭を撫でた。それに拓海がさらに嬉しそうな笑顔になる。
「…アニキ」
「ん、何だ?」
「…藤原が子供になっちまったってのは…その…分かったんだけど」
「けど?」
「何でその藤原が、アニキにべったりくっついてるんだ??」
…俺の質問は間違っていないはず。啓介はそう思った。
通常ならば。そう、通常ならばそんな状態の息子は、親が預かるべき存在ではないのか?いや、親ならばこうなってしまった息子を、人に預けるなどと言う暴挙はしないだろう。
だが。
拓海が突拍子も無いように、もちろんその親も突拍子がない。
「藤原さんはお店を経営してるそうだから、この状態の拓海の面倒を見る余裕がないそうだ」
「それなら病院とかにそのまま入院させておけば…」
そんな史裕の発言に、反応したのは拓海。
「いやっ!びょういんきらい!!」
離されないように、ぎゅうっとさらに涼介にしがみつく拓海。その様子は、照れ屋な普段の彼では有り得ないものだ。皆はこれが本当の本当に、大マジな事なんだなと実感し始めてきた。
「史裕…拓海は小さい頃にお母さんを亡くしてから、病院が嫌いなんだそうだ。今の拓海にはその記憶はないが、あそこが怖いという感覚だけあるらしい。あまり脅えて仕方ないからな、俺が預かることにしたんだ」
にこり。やけに楽しそうな涼介の笑顔が皆に向けられた。
「そう言う訳で、Dの活動は拓海が治るまで延期と言うことで構わないだろう。俺も、拓海の世話があるからな。今は忙しいよ」
にこにこ。彼らはチームリーダーのこんなに楽しそうな笑顔は初めて見た。実の弟の啓介でさえ、
「アニキがあんなに楽しそうな顔するなんて…昔、車買ったばっかの頃以来だぜ…」
と言うぐらいの珍事であった。
「おにいちゃん…たくみ、ねむい…」
「ああ。もう夜だものな。じゃあ、もう帰るか。史裕、後は頼む」
そう言い、二人はさっさと席を立ち、来た時と同様べったりと身体を密着させ店を後にした。
取り残されたメンバーたちは…。
「…涼介…藤原のこと、名前で呼んでたな…」
「…アニキ、そういや藤原のこと気に入ってたしな…」
「…そうなのか?」
「ああ。すっげぇ構いたいオーラ出してんだけど、あいつがああだったから…」
「ああだったな…」
彼等の脳裏にあるのは、涼介の前だと顔を赤くして緊張して強張る拓海の姿。
「……でもあの上機嫌は、それだけじゃないんじゃ…」
「そ、それだけじゃないって何だよ?!」
「…いや、た、例えばですよ、ドラマ的展開だと…」
恋が芽生える…。
「………」
「………」
「…ハハハ、まさかなぁ…」
「まさかです…よねぇ?」
「涼介さんも頭打っちゃったって事で…そうしましょうか…」
「…そうしとこう」
彼等は良い。
この店を出てしまえば日常が待つ自分の家へと帰るだけなのだから。
ここで一番不幸なのは…啓介。
彼が帰る場所には、さらに非日常な現実が待ち受けている…。
涼介はものすごく喜んでいた。
「おにいちゃんのくるま、きれいねー。たくみ、すごいすきー」
にこにこ、笑顔で微笑む愛らしい拓海。
ずっと甘えて欲しいと思っていた彼が、無条件に自分に懐き、そして頼ってくる。それは涼介の予想以上に至福な感覚を与えた。
「そうか?拓海が好きなのは車だけ?」
「ううん。おにいちゃんもきれい。だいすきー」
思わず目頭を押さえてしまいたいくらいに嬉しい。
ああ、こんな可愛い子が弟だったら…どこをどう間違えたのか、実の弟は可愛げの欠片もない出来上がりになっているし、従妹にしても女は男よりも精神年齢の発達が早く、今では子供扱いなどしようものならひどく怒られてしまう事だろう。
今の拓海は涼介にとっての理想の弟だった。
可愛くて、素直で、そして自分のことが大好き。
だから拓海の目が覚めた時、彼の状態を知り、預かることに躊躇はなかった。
すぐさま両親に状況を話し、自宅で預かることに了承を貰い、藤原家から拓海の着替えなど細々としたものを揃えたりなど即準備を始めた。我ながらおかしいぐらいに浮かれていると思う。
拓海は会社から休養を二週間ほど貰っている。だがもしもこの状態がずっと続いたら、仕事を辞める事も考えねばならないだろう。そうなったら…と涼介は考える。
「拓海」
「なぁに?」
「もし拓海が嫌じゃなかったら、俺とずっと一緒にいる?」
「おにいちゃんと?」
「そう。拓海がずっとこのままだったら」
「んーと、びょうきだったらってこと?」
「そうだね。拓海が治るまで」
「…たくみ、じゃあびょうきなおんないままがいい」
「え、どうして?」
「おにいちゃんとずっといっしょにいたいもん」
その言葉にFCの車体が微かに揺れた。
…すげぇ可愛い…可愛すぎる…安心しろ、拓海。もしお前がこのままだとしても、一生俺が面倒を見てやろう!
密かに、プロポーズと変わらない事を胸に誓う涼介。だがまだまだ彼の中では拓海への感情は恋ではない。保護愛なのだ。
デレデレの涼介とニコニコの拓海を乗せて着いたのは高橋家。
自分の家とは大違いの大きな家に、拓海は目をパチパチとさせながら涼介を見上げた。
「ここ、みんなでとまるところなの?」
「え?」
「んーと…おんせん」
…やっと拓海の言いたいことが分かった。あまりの大きさに、ここがホテルや旅館のように勘違いしているのだ。
「違うよ。ここは俺の家。今日からここに拓海も暮らすんだ」
「おうちなの?」
「そう。気に入らない?」
「おにいちゃん、いっしょ?」
「うん。一緒だ」
「じゃあ、いい」
コクリと頷いて、ぎゅっと涼介の服の端を掴む。またも涼介感涙。
「そうか。じゃ、入ろうか」
「うん」
こうして。
拓海と涼介の同居生活が始まった。
-変態値-
高橋涼介 ★★☆☆☆☆☆☆☆☆ 【ほんのり】
top
next